ブログ「トマさん祈りの部屋」
毎日毎日更新されていないページを見ては「まだだ~」とがっかりしていました。ところが今日もダメだろうと期待せずにページを開いたところ「イエスと結ばれる『くびき』」と言う題が!トマさんのブログが更新されていました。嬉しい~!!!
「くびき」のお話し、その通りですよね。
https://toma-san.at.webry.info/201910/article_1.html
やはりトマさんのお話は良いですね。カトリックの教えに忠実でわかりやすいです。
毎日毎日更新されていないページを見ては「まだだ~」とがっかりしていました。ところが今日もダメだろうと期待せずにページを開いたところ「イエスと結ばれる『くびき』」と言う題が!トマさんのブログが更新されていました。嬉しい~!!!
「くびき」のお話し、その通りですよね。
https://toma-san.at.webry.info/201910/article_1.html
やはりトマさんのお話は良いですね。カトリックの教えに忠実でわかりやすいです。
野球には全く興味ありませんが
YouTube: つば九郎 郷ひろみにテンションMAX! 2019.06.20 プロ野球交流戦 ヤクルトスワローズvsソフトバンクホークス
閲覧注意のピロシキーズ(下ネタ・下品)・・・でも常識ありました。
Fr.Zのブログに信徒からの質問で「自分には口髭があり両形食の聖血(葡萄酒)を拝領する時心配です。(髭に葡萄酒がつく)」とありました。Fr.Zの答えは「心配な時には聖血は拝領せず聖体だけにしなさい」でした。
信徒の中にも誤解している人は結構多いと思います。それはご聖体だけよりも聖体と聖血両方をいただく方がより完全にキリストをいただいているという誤った考えです。Fr.Zは書いています。
If you receive just the Host in Communion, you receive Christ. You don’t receive “more” Christ by receiving both the Host and the Precious Blood.
聖体拝領のホスト(パン=聖体)のみを受け取る場合、キリストを受け取ります。ホストとプレシャスブラッド(葡萄酒=聖血)の両方を受け取ることで、「もっと」キリストを受け取ることはありません。
ご聖体を受けることはキリストを受け取ること。ご聖体だけで十分です。
今日は聖ルカ福音記者の祝日ですがどうも祝う気分にはなれません。
それはアマゾンシノドスのせいかも・・・。なぜかアマゾンシノドスはおかしな方向に傾いているような・・・変な写真やニュースが次々に入ってきます。私の頭の中は空回り!こんな時には甘いものを食べて頭の中にエネルギーを補給しなければ!
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突然ですが、加治木饅頭がなぜ美味しいかというと別名「酒饅頭」と言われるように皮に麹(甘酒)が入っているからです。甘酒入りの蒸しケーキが美味しかったのも甘酒のおかげです。ならば、チーズ饅頭の皮に甘酒を入れたらきっと美味しいはず・・・と思い、作ってみました。
作り方は普通のチーズ饅頭と同じです。卵、砂糖、植物油、ホットケーキミックス粉に粉末の甘酒を加えました。液体だと生地が軟らかくなり手で丸められません。
甘酒入りチーズ饅頭 (約10個)
[皮] ・卵 1個 ・砂糖 大匙3 ・植物油 大匙3
・H.C.ミックス粉 200g. ・粉末甘酒 20g、
[中身]・クリームチーズ 約100~200g.
皮の生地の真ん中にクリームチーズを置いて包み込むように丸めます。照りに卵を塗って180℃のオーブンで15~20分焼きます。
甘酒の風味がほんのりとして美味しかったです。これておかしなアマゾンシノドスのことも乗り切れそうです。
「rigid priest」のロゴが入ったマグカップやTシャツ等が販売されています。
このrigidは堅いという意味ですが、説明ではSome accuse priests of being "rigid" when, in fact, they are simply faithful. と、ありました。つまりこの「rigid priest」は「忠実な司祭」という良い意味なのです。他にも「young rigid preast」,「old rigid preast」というロゴもありました。
カトリックの教えに忠実で、典礼を守る司祭が非難される昨今、必然的にこのようなロゴのついた商品が生まれたのもわかります。 これらの商品は忠実な良い司祭たちを応援するための物ですから当然私も欲しい!
祈りで支えるだけでなく、具体的な意思表示をしたいです。
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台風19号、大きな災害をもたらしました。死者は50名を超えているそうです。台風が近づく前にラジオでくり返し注意を呼びかけていましたが、それでも犠牲者が出てしまいました。私たちの予想をはるかに超える自然の猛威でした。被災者の皆様のために祈る毎日です。
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今日はアビラの聖テレジアの記念日です。毎年この聖人について同じことを書いているような気がします。そしていつもこの時期になると聖テレジアの本を読み返す私です。
私は聖テレジアの強さにとても魅かれます。それは私には足りないものだから。聖女の強さは深い信仰から生まれたもの。その強さは主への愛の深さに比例しています。信仰の苦しみや悩みもすべて主に捧げた聖女の主への愛、あれほどに主を愛したから「イエズスの聖テレジア」とも呼ばれているのでしょう。
久しぶりに西山珈琲に東ティモールのコーヒーを注文しました。そして今日届きましたが、その香りの良いこと。封を開けると離れた部屋にいる夫も「良い香りがする」と言っています。苦みや酸味は弱めですが香りやこくは強くてとても美味しいコーヒーです。
写真:西山珈琲ホームページより
以前にも書きましたが東ティモールはイスラム教徒の多いインドネシアから独立したカトリック教徒の多い小国です。経済的には貧しい国ですが外国からの支援を受けてコーヒー栽培が盛んになり、今では高い品質のコーヒーを輸出できるまでになりました。東ティモールを助けるために、兄弟姉妹を助けるために東ティモール産のコーヒーをお薦めします。
ご注文はこちらから⇩
今月6日ヴァチカンではPan-Amazon地域のシノドス開催ミサが立てられました。教皇様のごミサはラテン語ミサでしたね。![]()
Mass for the opening of the Synod of Bishops : 祭壇の上には十字架があります
鹿児島教区のシノドスも今月13日(日)から14日(月)にかけて行われます。そのための祈りも8月に公表されていますが、その告知は小教区によってまちまちです。6日の日曜日にこの祈りを唱えた教会もありました。教区シノドス開始まであと数日ですがシノドスが実り豊かなものとなるように祈りましょう。
教区シノドスの実りを求める祈り
父である神よ、あなたは、御子イエスを通して、人類をひとつに集めるために、教会を創立されました。水と聖霊によって新たに生まれたわたしたちは、「選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民」と呼ばれ、その使命を帯びています。
聖ペトロの後継者である教皇フランシスコは、ともに歩むという意味の「シノドス」を通して、全世界の教会を導いておられます。
鹿児島教区も、教皇の意向に沿い、「シノドス」を開催します。
全能の父である神よ、どうかわたしたちの上に、生かす霊である聖霊を送り、知恵と勇気をお与えください。わたしたちの主であり牧者であるイエス・キリストによって。
アーメン。
2019年8月7日 鹿児島教区司教認可
ロザリオの祈りの意向は様々ですが、必ずマリア様は主に取り次いでくださると確信しています(必ず願いが叶うという意味ではありません)。ロザリオはマリア様やイエズス様の生涯を黙想できる素晴らしい祈りですね。
今から約800年前、聖ドミニコが聖堂で祈っていると聖母マリアが現れてロザリオを授けました。これがロザリオの祈りの始まりのようです。15世紀になるとドミニコ会士ルーペが今のロザリオの祈りの形にまとめて普及させたそうです。ロザリオの祈りはドミニコ会と深いつながりがあるのですね。ちなみにロザリオの祈りが日本に入ったのは16世紀イエズス会士によってでした。
ロザリオの祈りも初めの頃は聖母マリア様の生涯「喜びの玄義」だけでしたが、後にイエズス様の生涯「苦しみの玄義」「栄の玄義」そして「光の玄義」が加わりました。
ロザリオを祈る時には1連の終わりに「ファティマの祈り」を付け加え、1環の終わりには「サルヴェ・レジナ」と「大天使聖ミカエルへの祈り」を付け加えるとよいでしょう。
最後に何故「ロザリオの聖母」の祝日ができたのか?1571年ギリシャのレパントの沖でオスマン帝国海軍を教皇、ヴェネツィア共和国、スペインの三国連合艦隊が破ったことによります。この史実は学校で歴史の時間に習いましたね。教皇ピオ5世はこの勝利はロザリオの祈りを聖母に捧げたおかげだと感謝して、今日10月7日を「ロザリオの聖母」の祝日に決めました。
今月の4日はアッシジの聖フランシスコの祝日でした。1931年にイタリアで「国際動物保護会議」が開催され、聖フランシスコの祝日にちなんでこの日を「世界動物デー」に制定しました。
その時から欧米ではこの日に家畜を祝福してもらう習慣が生まれました。しかし近年司祭の中には飼い主と共にペットも一緒に与れるミサを立てている方もおられるようです。教会の外で祝福を授けるだけならまだしも聖堂の中で馬や犬が一緒にミサに与るのは良くないでしょう。ある夫人は、「ペットは家族と同じだから年に1回でもミサに来て、一緒に祝福を受けられてとてもうれしい」と語っていました。・・・・・![]()
Fr.Zは動物やぬいぐるみの祝福には肯定的ですが、気をつけなければならないと書いています。
However, the difference in the way people are blessed and, on the other hand, the way that critters and stuffed animals are blessed, must be clear.
(しかし、人々が祝福される方法の違いと、その一方で、生き物やぬいぐるみが祝福される方法の違いは明確にしなければなりません。)
Fr.Zはこうも書いています。
Today, however, it strikes me that more and more people have the notion that critters have immortal souls. And so there are places that might have a huge pet blessing day, and maybe put out information about rescuing animals, but perhaps not a parish pro-life initiative.
(しかし、今日では、生き物が不滅の魂を持っているという概念を持つ人がますます増えていることに驚きました。 ですから、ペットの大きな祝福の日があるかもしれないし、動物の救助に関する情報を出すかもしれませんが、小教区のプロライフのイニシアチブ[生命を尊重する取り組み]ではありません。)
そうなのです。問題はここ「生き物が不滅の魂を持っているという概念を持つ人が増えている」ことです。
家や車、聖具の祝福があるのですから家畜やペット、ぬいぐるみの祝福があってもおかしくはありません。でもそれらの祝福と人間の祝福は違うことを認識しましょう。
三大天使の他にも天使はたくさんおられます。その中でも特に身近な天使が守護の天使です。
よく吊り橋や崖の近くにいる子どもを後ろから見守る守護の天使の御絵があります。それは子どもたちを事故や病気などから守るのが天使の役目だといっているようです。しかし私は天使たちの役目は子どもたちの身体を守るというよりもむしろ霊魂を守ってくれることだと思います。守護の天使たちは子どもたちの心が悪に傾かないように、誘惑に負けないようにいつも助けてくれているのではないでしょうか。文語での守護の天使への祈りに「主のおきてに背かざるようわが歩みを導き給え」とあります。子どもも同じでしょう。
*やはり祈りは文語(古い)の方が良いですね。文語と口語の祈りの違いは上手く言えませんが口語の方は意図的にぼやかされたり、意味が微妙に違ったり。例えば「聖寵」が「めぐみ」になったり、「我らが人に赦す如く、われらの罪を赦し給え」が「わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします」と、逆になったり・・・。私は文語体の祈りの方が品格があるように感じます。![]()
とにかく文語でも口語でもどちらでもよいので先ずは祈りましょう!祈りを子どもに教えましょう。
小さきテレジアの記念日の今日11時からカテドラルザビエル教会でペトロ竹山昭神父様の葬儀ミサと告別式があります。
ここに竹山神父様の司祭叙階の記事が載っている昭和42年(1967年)の教区報のコピーがあります。神父様は長崎のご出身でお兄様も長崎教区の司祭と書かれています。信仰に満ちた家庭に生まれ育ち、信仰のうちに帰天された神父様はまさに「信仰の人」でした。
竹山神父様がたてる夜のごミサに何度も与りました。説教はいつも長いでしたがその内容は聞いていて心地よいものでした。告解の時にも丁寧に応え諭してくださいました。
竹山神父様には感謝の気持ちでいっぱいです。「ありがとうございました。これからは主のもとで安らかに!」
29日未明、鹿児島教区司祭ペトロ竹山昭神父が帰天されました。
仮通夜: 29日 18:30 カテドラルザビエル教会
本通夜: 30日 18:30 〃
葬儀ミサ:10月1日 11:00 〃
皆さんも一緒にお祈りしましょう。
聖トマス西と15殉教者の記念碑:中町カトリック教会
26聖人は有名ですが、聖トマス西と15人の殉教者についてはよく知らない方もおられると思います。
1987年教皇ヨハネパウロ二世によって列聖された最初の日本人司祭聖トマス西、また15人の殉教者の中で特に知られているのが二人の聖女、長崎の聖マグダレナと大村の聖マリナでしょう。二人共ドミニコ会の第三会員でした。聖マグダレナは13日間も穴吊りの刑に耐えて天国へ召されました。聖マリナは火あぶりの刑で殉教しました。
私が特に気になった聖人が京都の聖ㇻザロです。彼は捕えられた後、拷問に耐え切れずに転んで信仰を捨てると言いました。しかし牢獄に戻った彼を司祭や信徒たちが励ましました。励まされた彼は再び信者であると信仰告白して穴吊りの刑で殉教したのです。
転んで牢獄に戻ってきた彼を司祭や信徒たちは責めるのではなく励ましたのです。彼のために一生懸命祈ったことでしょう。これこそがキリストの愛の教えです。彼自身の痛悔の祈りと信者たちの祈りによって消えかけていた彼の信仰の炎は再び燃え上がりました。
迫害、病気、様々な問題で苦しんでいる人や孤独な人のために祈ることがどれほど大切か、この聖ㇻザロの話でよくわかります。「祈らない聖人なんて聞いたことがない」と聖ホセマリアも言っています。祈りと信仰は切り離せません。「祈りのないところには信仰もない」と言っても過言ではないと思います。
聖トマス西と15人の殉教者についてはカトリック中央協議会のホームページに詳しく載っていますのでご覧ください。私たちは聖人として名前の記録された人達の他にも多くの無名の殉教者がいたことを忘れてはなりません。
https://www.cbcj.catholic.jp/wp-content/uploads/1988/08/tomas.pdf