今日は聖トマ使徒の祝日、人参ケーキを作りました。
人参ケーキには二通りの作り方があります。一つはベーキングパウダーを使うもの(『軽食とおやつ』婦人之友社)、もう一つは重曹を使ったもの(『続家庭でできる和洋菓子』婦人之友社)です。
重曹の物はベーキングパウダーの物より素朴でひなびた味がします。人参ケーキなら私はこの重曹の方が好きなので今日はこちらを作りました。レシピではサラダ油となっていますが、私はひまわり油で。パウンドケーキ型1本分です。
右奥はフロスティングした人参ケーキ
材料と作り方
・人参(すりおろし)1カップ ・サラダオイル 1/2カップ
・赤砂糖(三温糖)100g. ・卵 1個 ・塩 小匙 1/3
・シナモン 小匙 1 ・くるみ(みじん切り)1/3カップ
・小麦粉 150g. ・重曹 小匙 1/2
① オーブンは150度から160度位(中火より少し弱め)に予熱しておきます。型にはバターを塗り軽く粉をふっておきます。
② ボールにサラダオイル、赤砂糖、卵、シナモン、くるみ、塩、すりおろした人参を全部一緒に混ぜます。
③ 少量の水で溶いた重曹と粉を加えて混ぜます。型に入れて、160度のオーブンで約40分焼きます。竹串を刺して何もついてこなければ出来上りです。
重曹と赤砂糖がこのケーキの決め手です。粉砂糖やフロスティング(アイシング)で飾っても良いですよ。
* ポルトガル人のレシピでは、ざく切りにした人参、砂糖、卵、サラダオイル、シナモンすべてをミキサーに入れていました。これなら人参をすり下ろさなくても良いですね。そして180度で焼いていました。その方が周りがサクッとこんがり焼けるようです。
福者ペトロカスイ岐部神父様は13歳の時に神学校に入り、イエズス会に入ることを強く望みました。しかしその願いは叶いませんでした。
たとえ断られてもずっとイエズス会に入りたいという思いは変わりませんでした。追放先のマカオで決心します。『ローマのイエズス会本部に行って入会の許可をもらおう』と。そして6年余りの苦しい旅の末にとうとうローマのイエズス会本部にたどり着きました。
イエズス会総長様は彼の固い決心と信仰、十分な学識を見て入会の許可を与えました。そして32歳の時に司祭に叙階されました。神父様は総長様の名前Aquaviva(生きている水=活水)から「カスイ」という名前をつけたそうです。
そして鎖国している日本へ帰る道も険しく苦しいものでした。鹿児島の坊津の海岸にたどり着き、その後約8年間東北地方を中心に信徒のために働き、最後は穴吊りの刑で殉教しました。同じ刑を受けていた信徒を励ましながら・・・。(信徒を励ますことを止めなかったので、最後には穴から出され火で焼かれたようです)
聖トマス・モアが殉教したのは1535年7月斬首刑によってでした。あれから約485年たった今、その殉教の意味は忘れられようとしています。
「私は、まず神の忠実なしもべとして、それから国王の忠実なしもべとして死んでいきます」と言って殉教した聖トマス・モア。彼の神への忠実さ・・・彼に倣い私たちも神の教えに忠実に生きなければ!
同じく聖ヨハネ・フィッシャー司教も同じ理由でヘンリー8世によって処刑されました。この聖人たちは共にヘンリー8世の意に従わず、イギリス教会がカトリックから離教することに反対し抵抗して殉教しました。
かつてカトリックの教義に反することが今ではそうでないかのように話す人もいます。主の教えは変わりません。
「イエズスの聖心」といえば主キリストの愛=神の愛のことでしょう。聖マルガリータ・マリア・アラコックにご出現されたイエズス様は人々の聖心に対する冷たい態度をとても嘆かれました。そしてイエズス様の愛に倣いその心を尊ぶようにと願われました。そしてご聖体の祭日後の金曜日を特別に聖心を礼拝する日とするよう告げられました。
聖女の時代より今はもっとイエズス様の聖心を蔑ろにしている人が増えていると思います。人々の信仰は生ぬるくなり、教義を都合よく曲げて教える人たちになびく人も少なくありません。
イエズス様はとてもとても優しい方ですが、その優しさに甘えてわがままな子どものように自己中心になってはいけませんね。イエズス様だって叱る時には叱るのですから。イエズス様に叱られる前に、その豊かな愛に感謝して教えに従うように頑張ります。
今朝のごミサで最後に神父様は『イエズスの聖心に対する祈り』も唱えられました。
明日は聖母の聖心です。
昨日木曜日は「キリストの聖体」の祭日でした。
主キリストは私たちと共にいつまでもこの世にとどまることを望まれました。ご自分の聖体(おんからだ)と聖血(おんち)を私たちの霊の食物とすることを望まれました。それがご聖体です。「私はいのちのパンである。天から降ってきたパンを食べる人は決して死ぬことはない。私は天から降ってきた生きたパンである」と言われました。
ご聖体をいただくということはキリストと交わること、私たちのうちにキリストが生きておられることです。
ご聖体拝領以外にも機会があればいつでも秘跡のうちにおられるイエズス様を訪問して崇拝し、短い時間でよいので賛美の祈りを捧げましょう。
初めてご聖体をいただいた私
(昭和30年代?)
私は公教要理で「神様は唯一であり、そして父と子と聖霊という3つのペルソナがあります。この3つのペルソナはそれぞれ全知・全能・全善・至聖です。この3つのペルソナはそれぞれみな等しく、この3つのペルソナのある唯一の神を「至聖なる三位一体」といいます」と教わりました。
三位一体を何かに例える必要はありませんし、できません。この世の全てのものを作られた神を神の被造物に例えて説明すること自体おかしなことです。無理に例えるから誤った理解(汎神論等)が生まれるのです。頭で理解しようとせずにそのまま素直に信じましょう。
父なる神は私たちを造られ、子なる神は私たちを贖い、聖霊は私たちに神の生命(理性・知恵)を与えられます。それは3人の神がいるのではなく、その3つのペルソナは唯一の神です。
十字をきる時には「父と子と聖霊のみ名によりて、アーメン。」
栄唱 「願わくは、父と子と聖霊とに栄えあらんことを。▴始めにありし如く、今もいつも世々にいたるまで。アーメン。」
チーズが切れてしまい買いに行かなければと思っていました。我が家の近くの店にはチーズといえばプロセスか、やたらカマンベールだけは色々なメーカーの物が置いてあります。しかし他のナチュラルチーズがないのでいつも牧場へ行った時に買っていました。
梅雨入り前、緊急事態宣言も解除されたので、人の少ない平日を選んでチーズを買いに出かけました。本当に人が少ない・・。店内のチーズも少ない・・・。パルメザンは最後の1個をかごへ。
外のベンチに座って霧島連山を眺めながらボ~~~ッとする・・・青空と太陽、心地よい風、木々の緑とウグイスの声・・・これらすべてを創造された主に感謝!
最後はおやつに持って行ったバスクチーズケーキを食べました。クリームチーズとカッテージチーズを半々にして作ったので、少し酸味があり美味しかったです。自然の中だとまた特別ですね。
イエズ・スキリストのご復活から50日目(昇天から10日目)に使徒たちに聖霊が降りました。この日聖霊はキリストのみわざを完成しました。ですから聖霊降臨祭は教会の誕生日と言えるでしょう。
最後の晩餐の時にイエズス様は弟子たちに「聖霊をつかわしていつも彼らと共にいて、教会を導くようにすること」を約束されました。
私たちは自分の力だけでイエズス様の教えに従うことはできません。聖霊tの力と働きが必要です。
聖霊の働きによって使徒たちは信仰の真理がさらにはっきりとわかり、恐怖心もなくなりました。聖霊は使徒たちを照らし強め聖なる者にしました。聖霊は使徒たちの心を全く変えました。私たちの心も変えてくださいますように。
聖霊に向かう祈り(始業の祈り)
聖霊来たり給え、信者の心に充ち給え、
▴主の愛熱の火をわれらに燃えしめ給え。
主よ、聖霊を遣わし給え、しかしてよろずの物は造られん。
▴地の面(おもて)は新たにならん。
祈願、聖霊の光をもって信者の心を照らし給いし天主、同じく聖霊をもってわたしたちに正しきことを悟らしめ、その御慰めによりて常に喜ぶを得しめ給え。われらの主キリストによりて願い奉る。▴アーメン。
原罪なくして宿り給いし聖マリア、▴御身に依り頼み奉るわれらのために祈り給え。
以前教会では何かを始める前にこの祈りをよく唱えていました。今は主祷文かアヴェマリアの祈りです。素晴らしい「始業の祈り」があるのですから、せめて司牧評議会や信徒総会、各部の話し合いの前にはこの祈りも唱えたいですね。
Fr.ZのブログにCOVID-19 について考えさせられる記事が載っていました。「何が本当の脅威で、何が単なるパニックとヒステリーなのかを見分けるのは難しいものです」と。
あなたが1900年に生まれたと想像してみてください。
14歳の誕生日に第一次世界大戦が始まり、18歳で終わります。その戦争で約2,200万人が亡くなりました。その年の後半に、世界中でスペイン風邪が流行、20歳までの2年間で約5000万人が亡くなります。
29歳から33歳になるまでの間は大恐慌、失業率は25%に達しました。
39歳になると、第二次世界大戦が始まり、41歳の時米国は完全に第二次世界大戦に引き込まれます。39歳から45歳の間に、約7500万人がこの戦争で亡くなりました。
天然痘は40代になるまで流行して約3億人が亡くなりました。
50歳で朝鮮戦争が始まり、約500万人が亡くなりました。そして生まれてから55歳になるまの間、毎年夏にポリオが流行して麻痺したり亡くなる人が多くでました。
55歳でベトナム戦争が始まりました。、その間冷戦が続き、62歳の時にはキューバミサイル危機が発生します。そして75歳の時にようやくベトナム戦争が終わります。そしてこの戦争で約400万人が亡くなりました。
1900年に生まれた地球上のすべての人がそれらすべてにどのように耐えたか考えてみてください。・・・・・あなたの両親や祖父母は、特に戦争中にすべてに耐える力(恵み)が与えられたか、運が良ければその間働くよう呼ばれました。
そして今あなたは家に留まり、ソファーに座るように呼ばれます。 ( Fr.Z)
1900年に生まれた人は数々の脅威を克服するために何をしたのでしょうか?
『手袋をしてご聖体を袋に入れてと・・・完璧だな』
赤ちゃんの洗礼だって、
『ソーシャルディスタンスを守って水鉄砲なら安全さ』
どちらの司祭様もパニクってますね!笑っては失礼ですが・・・(写真はFr,Zブログより)
https://www.youtube.com/watch?v=ftopKmXLHn4
⇧⇧⇧ これを見てください!
献金をしたその手でご聖体をいただくより舌の方が安全ですよ。舌での拝領を禁止するとしている司教様は思い違いされていませんか?片方を禁止するのではなく、本人に選択肢を与えるべきだと思いますが。
でもね、私が何度このことについて書いても何も変わらないのです。手の方が楽だからかな?普通のパンと同じと思っているからかな?私には何の権威も無いから仕方ないですね。でも書き続けますよ、これからも!
今日のごミサでの神父様の説教で「主は天に昇っても、いつも私たちと一緒におられます。聖櫃の中にいつもご聖体の形でキリストはおられ、私たちがご聖体拝領をすることでキリストは共にいてくださるからです」。と言う話を聞きながら、ふと昔のことを思い出しました。
私が子どもで教会学校へ行っていた時に、「聖堂にはイエズス様がいらっしゃるから、聖堂の中では走ったりしてはいけません、おしゃべりもいけません」「聖櫃の前では必ずイエズス様に片膝をついてお辞儀をしましょう」と、聖堂に入るたびにシスターに言われました。
そして初聖体の時に初めてヴェールを被りました。つまりヴェールを被っているということは「ご聖体拝領できますよ」という印でもあります。初聖体のすんでいない子は被れないのです。ですからヴェールに憧れました。「イエズス様の前にいる時は特別だからヴェールを被りましょう」とも教えられました。
そしてここからが本題です。そのシスターはヴェールはイエズス様のいらっしゃる聖堂に入る直前につけて、ごミサ後は聖堂を出てから外すようにと教えてくださいました。まわりの大人の女性たちも皆そうしていました(当時は)。
ところが現在私は聖堂に入り席に着いてからヴェールを被り、閉祭の歌が終わり席に座ると、ヴェールをさっさと外して他の物と一緒にバッグにしまって退出します。なんだかヴェールを被る意義をおざなりにして単なる習慣にしている自分に気づきまた。
あの頃は厳しいと思っていたシスターのおかげでご聖体に対する崇拝の心が自然と身に着きました。教会学校でしっかりと要理を教えてくださったシスターに感謝しています。特に初聖体の前にはシスターだけでなく神父様もご聖体を舌で受ける意味ややり方をよく教えてくださいました。子どもの頃に教わったことは忘れません。
望みがなく絶望的な時の保護者がカッシアの聖リタです。私たちは絶望した時には主に助けを求めます。その時に聖リタに取り次ぎを願いましょう。
聖リタの結婚生活は妻として母として不安や絶望に苦しむ生活でした。しかし聖女は主に祈りながら耐え忍びました。主はそんな聖女の祈りを聴いて後に聖女に平和と喜びを与えてくださいました。
私たちは特に夫婦関係、親子関係が悪くなり絶望して、すべてを投げ出したくなった時には主に助けを求めるでしょう。その時にこそ聖リタの取り次ぎは大きな力となります。
今日は聖霊降臨のノヴェナの第1日目です。女子パウロ会のノヴェナの祈りを紹介します。記載されているホームページはこちらです。⇩
https://www.pauline.or.jp/prayingtime/seirei03.php#first
勿論上記の祈りにこだわることはありません。それぞれの修道会でノヴェナの祈りがありますし、私たちは聖霊降臨の意向をもってロザリオを1環唱えても良いでしょう。