2018年11月18日 (日)

映画2本

 最近見た映画です。

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 原題は『A LONG WAY DOWN』、邦題は『幸せになるための5秒間』。自殺の名所で自殺しようと偶然に出会った4人。それぞれ自殺の動機は違いますが・・・。ストーリーを話すと映画を見る楽しみがなくなるのでこの後は秘密に。

 もう一本の映画は『Guess Who』。そう、昔シドニー・ポワチエ、キャサリン・ヘップバーンの映画『招かれざる客(Guess Who's Coming to Dinner)』を思い出す人もいるでしょう。でもこれは現代版。邦題も『招かれざる恋人』です。前の作品は招かれざる客が黒人でしたが今回は逆に白人が招かれざる恋人です。そして、現代版はコミカルでいて人種偏見をしっかりと捉えています。

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 どちらもとても良い映画でした。お薦めです。

2018年11月17日 (土)

秋のお花教室

 久しぶりのお花教室。

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花材は ゆきやなぎ すかしゆり ストック ブルースター

 すかしゆりは2本あったのですが、つぼみがたくさんついていたので1本だけ使いました。毎回感じるのですが写真は実物とは違う。

 お花とは関係ないのですがシューベルトのミサ曲が話題になったので、ミサ曲2番とヴィヴァルディ―のグローリアを。心が洗われるようですね。


YouTube: シューベルト ミサ曲第2番 - 東京カンマーコーア


YouTube: ヴィヴァルディ : グローリア ニ長調 RV.589 (Vivaldi : Gloria RV 589)

2018年11月16日 (金)

諸聖人にならう(聖ゲルトルードおとめ)

どうして諸聖人のうちのある人々はあれほど完全になり、観想を行えたのか。なぜなら彼らは地上の望みのすべてについて全く死んだ者となろうと努力したからである。だから彼らは心の奥底から神に寄りすがり、自由に自分のことに専念できたのである。(『キリストにならう』bot)

 マルコによる福音12章30節『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ』とイエズス・キリストが言われたことを実行したのが聖人たちですね。

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聖ゲルトルードおとめ

2018年11月14日 (水)

郁子(むべ・うんべ)

 町の近くの山は開発されて宅地となり、めったに郁子も見かけなくなりましたが、今日は珍しく郁子を見つけました。といっても山の中ではなくスーパーの店頭で。おそらく栽培された物でしょう。

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 珍しいので家族に味わってもらおうと買って帰りました。食べられる部分はほとんどありませんが、あの柔らかな甘みがたまりません。しかし家族は誰も手をつけません。仕方なく私が全部いただきました。happy02

 郁子は長寿の実と言われます。なぜかと言うと昔々天智天皇が出合った老夫婦に「どうしてそのように長寿なのですか」と尋ねたところ、老夫婦は「この実を食べているからです」と言って実を差し出しました。天智天皇はその実を見て「むべなるかな(いかにももっともなことである)」と答えたところから「むべ」と呼ばれるようになったとか。

 長寿はともかくとして、春に咲く白い花、秋に生る紫の実はともに晩春と初秋の季語として味わい深いものです。

2018年11月13日 (火)

平和は謙遜な人に

自分をすべての人の下においても、害はない。しかしたった一人の人の上に自分を置くなら、多くの害を受ける。平和は謙遜な人に伴う。しかし傲慢な人の心のうちには嫉妬と憤慨が渦巻いている。(『キリストにならう』bot)

 自分の心が傲慢で嫉妬や憤慨がある限り、心の平和は得られません。しかし私たちは相変わらず嫉妬心や不満、憤りによって心休まることがありません。特に嫉妬心は厄介なものです。自分自身が嫉妬していることに気づかずにいることが多いから。知らず知らずのうちに相手を妬み批判しています。

 心の平和は自分の思い、力だけでは決して得られないでしょう。聖霊の助けなしには得られません。そして聖霊の助けを得るためには祈りが絶対に必要です。つまり祈る人は心に平和が訪れ、心の安らぎを得られるということです。

 なので私も祈らなければなりません。

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2018年11月10日 (土)

紅葉と滝と白蓮の歌

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もののふの 昔がたりを曾木の滝

 水のしぶきに ぬれつつぞ聞く   柳原白蓮

 往きは夫が運転、帰りは私が運転したのですが、いつものように私が道を間違えて長~いドライブになりました。coldsweats01 これもまた楽し!

2018年11月 8日 (木)

沈黙を守る

できる限り沈黙と観想を保ちなさい。しかし常に他人に迷惑をかけないようにそうするよう努めなさい。あなたが話さなければならないときは、常に自制と節度と単純さをもって話しなさい。(『謙遜の実践』bot)

 これからは余計なおしゃべりはせずに、沈黙と観想を保つこと。話すときは軽率にならないように注意しましす。また感情的にならず、だらだらと話さないようにします。

 そして外でよりも先ずは家庭の中で気をつけなければ。息子によく言われます。「お母さん、また不平不満?」と。家族の前で当たり前のように不平不満を言ってしまいますがそれを聞かされる方はとても不快でしょうね。反省しています。 今一度聖母マリア様に倣う心を!

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2018年11月 6日 (火)

すべては神の栄光のために

純粋で単純、安定した人は多くの仕事のさなかでも気を散らさない。なぜならすべてを神の栄光のために行うからであり、自分のうちに安息しており、自分のものを追求することに煩わされないように努めるからである。(『キリストにならう』bot)

 新しくツイッター『謙遜の実践』botを教えてもらいました。教皇レオ13世の『謙遜の実践』を私訳しランダムにツイートしたものです。昔の教皇様の厳しさが今は懐かしい。常に信徒が悪に傾かないように励まし、力づけてくださいます。聖ホセマリアに通じるところがありますね。

あなた自身に属するものは、罪と弱さと悲惨しかなく、あなたが享受している自然と恩寵の恵みは、あなたが神から受け取ったものである。神はあなたの存在の原理であり、それゆえ、神にのみ栄光が着せられるべきである。(『謙遜の実践』bot

 教皇レオ13世と言えば「大天使ミカエルへの祈り」が浮かびます。この祈りはごミサの終わりに跪いて唱えられていました。しかし第二ヴァチカン公会議の典礼刷新でこの祈りは唱えられなくなりました。もしかしたらこの祈りによって教会は守られていたのかも知れまさん。私はごミサ後にこの祈りを唱えるように典礼を元に戻すことを望みます。

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教皇レオ13世

2018年11月 5日 (月)

ハルワ

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⇧ チュニジア産 『ハルワ・タヒーナ』⇧

「ハルワ(ハルヴァ)」はアラブ諸国では冠婚葬祭や様々なお祝いの時に用意されるそうです。またギリシャでは四旬節の前にくる「霊の土曜日(プシコサヴァタ Psychosavata)」に教会や墓地に持って行って、司祭の祝福を受けてから友人や隣人に分けるとか。

 ナイフで切ってもフォークでは食べられません。ほろほろとくずれるから。かたまりを手で口に運びます(正式な食べ方がわからないので happy02)。初めて口にした感想は「甘~い!美味し~い!」。しっかりとした甘さとゴマ(タヒーナ)の風味が口いっぱいに広がりました。

 ハルワには様々な種類(胡麻、ナツメヤシ、リンゴ、あんず、干し葡萄、チーズ等々)があるらしく、アラブ諸国、イスラエル、トルコ、アルメニア、ギリシャ、インド等国によってもその味は若干違うようです。

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このように盛り付けたらいいのかな?

2018年10月30日 (火)

中国カトリックについて

Card. Zen’s op-ed in the NYT

Be sure to read thoroughly the opinion piece in the NYT offered a couple days ago by His Eminence Joseph Card. Zen Ze-Kiun, Bishop Emeritus of Hong Kong. HERE

The Pope Doesn’t Understand China

I know the Church in China, I know the Communists and I know the Holy See. I’m a Chinese from Shanghai. I lived many years in the mainland and many years in Hong Kong. I taught in seminaries throughout China — in Shanghai, Xian, Beijing, Wuhan, Shenyang — between 1989 and 1996.

Pope Francis, an Argentine, doesn’t seem to understand the Communists. He is very pastoral, and he comes from South America, where historically military governments and the rich got together to oppress poor people. And who there would come out to defend the poor? The Communists. Maybe even some Jesuits, and the government would call those Jesuits Communists.

Francis may have natural sympathy for Communists because for him, they are the persecuted. He doesn’t know them as the persecutors they become once in power, like the Communists in China. (Fr.Zブログより)

【10月27日 AFP】率直な物言いで知られ、かつて香港で司教職を務めたジョセフ・ゼン(Joseph Zen)枢機卿は25日、ローマ・カトリック教会のフランシスコ法王(Pope Francis)が中国政府と歴史的合意に達したことについて、法王は中国の体制を理解していないと批判し、この合意は中国における「真の教会の消滅」につながる恐れがあると警鐘を鳴らした。

 中国国内の推定1200万人のカトリック教徒は、「家庭教会」や「地下教会」と呼ばれる、バチカンに忠誠を誓う非公認の教会に通う信者と、共産党が聖職者を選任する政府公認の教会を訪れる信者とに分かれている。

 バチカンと中国は1951年以来、外交関係を結んでいないが、中国国内での司教任命をめぐる先月の合意により、関係回復への道が開かれた。またフランシス法王は合意の一環として、中国によって任命された司教7人を承認した。

 だが、この歴史的合意についてゼン枢機卿は、米紙ニューヨーク・タイムズ(New York Times)国際版への寄稿で、法王は中国に対して譲歩し過ぎてしまい、合意の結果、中国政府によってカトリック教徒が迫害される下地がつくられたと批判。「合意は実のところ、中国における真の教会の消滅に向けた大きなステップだ」と主張した。

 さらに「私が風刺漫画家なら、法王がひざまずき、中国の習近平(Xi Jinping)国家主席に天国の鍵を差し出して、『どうか私を法王として認めてください』と言っている絵を描くだろう」との見解を披露した。

 また法王はアルゼンチン出身であるため、「共産主義について生来、楽観的な考えを持っている」とも指摘し、その結果、中国を統治する共産党に信を置くという過ちに至ったと述べるとともに、「中国の共産主義者がそうであるように、彼らは一度権力の座に就いたら迫害者になるということを知らないのだ」とも主張している。(c)AFP

 

2018年10月29日 (月)

教訓

使徒パウロのエフェソの教会への手紙(4:32、5:1-8)

そして、互いに親切にし、おもいやりあつく、心からゆるし合う者となりなさい。神も、キリストに結ばれたあなたがたを心からゆるしてくださったのです。ですから、神に愛された子として、神に倣う者となりなさい。そして、愛に基づいて生活しなさい。キリストもわたしたちを愛し、わたしたちのためにご自分を、神のかぐわしい香りの供え物、いけにえとしてさし出されたのです。聖なる人々に似つかわしく、あなたがたの間では、みだらなこと、汚らわしいすべてのこと、それに貪欲なことは口にさえもしてはなりません。また、顔を赤らめるような話、くだらないおしゃべり、あるいは品のない冗談なども似つかわしくありません。むしら、口にすべきは感謝に満ちた言葉です。すべてみだらなことを行う者、汚らわしいことを行う者、また、偶像崇拝者に等しい貪欲な者には、キリストと神が統治する国において約束されたものを相続する資格がないことをわきまえなさい。むなしい言葉に惑わされてはいけません。先に述べた行いのために、神に従わない者たちの上に神の怒りが下るからです。彼らの仲間入りをしてはなりません。かつて、あなたがたは闇でしたが、今は、主に結ばれて光となっています。「光の子」として生活しなさい。(今日の福音より)

ときおり人々の反対にあい、我々が良く行為し、良い意図を持っているにもかかわらず、我々が悪く不十分だと思われることは良いことである。そのことはしばしば我々を謙遜にさせるのに役立ち、空しい栄光から我々を守ってくれる。(『キリストにならう』bot)

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2018年10月28日 (日)

雑談から沈黙へ

私はたびたび、黙っていたらよかった、人々の中に出向かなければよかった、と思うことがある。雑談から沈黙へと戻るとき、ほとんど必ず良心が傷つけられるというのに、なぜ我々はこれほど頻繁におしゃべりし、互いに雑談するのだろうか。(『キリストにならう』bot)

 トマス・ア・ケンピスの言う通りです。私はおしゃべり、雑談が苦手です。自分でよほど注意していないと、つい余計なことを話したり、よくない話や間違っていることに相槌をうってしまったりします。後から自己嫌悪に陥ることがたびたびあります。

 自分には無理だとわかっていても観想修道者の生活に憧れてしまいます。モンクコーヒーを作っているカルメル会士たちが羨ましい。ここでモンクコーヒーの宣伝を兼ねて彼らの生活を少しだけ。


YouTube: Gregorian Chant Sanctum et Immaculata


YouTube: Carmelite Monks of Wyoming - Carmelites, New Mount Carmel

  イエズス・キリストも言っています。「口に入るものは人を汚さない。口から出るものこそ人をけがすのである」。(マタイ15章11節)

2018年10月27日 (土)

七つの罪源

自分に死にきれていない人はすぐに誘惑され些細なつまらないことに負けてしまう。心が定まらない人、肉的な人、感覚的な物に傾いている人は地上の欲望から自分を完全に引き離すことが難しい。だからしばしば身を引くときに悲しみを覚える。またもし誰かが彼に逆らうとすぐに怒るのである。(『キリストにならう』bot )

 私自身のことを言われているようで catface 反省! 些細なことに怒ってしまうのは年のせいにしていましたが、それは違いますね。逆に年を重ねるにつれ地上の欲望から解放されるのが正しいはず。

 パソコンに貼ってあるメモには「欲しい物は買わない!必要な物を買う!」と、書いています。が、つい誘惑に負けて本やCDを買ってしまいます。メモのおかげで以前よりは少なくなりましたがまだまだです。

 自分の心の中の欲望や不安、悪と戦うことの大変さ、難しさを実感しています。

septem peccata mortalia(七つの大罪=カトリック七つの罪源

傲慢・憤怒・嫉妬・怠惰・強欲・暴食・色欲

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謙譲・慈悲・忍耐・勤勉・救恤・節制・純潔 (七つの美徳)

私はこれに「絶望」「希望」を加えたいです。ある聖書学者はイエズス・キリストは絶望のどん底で死んだ(詩編を唱えたのではなく)と話したそうですが、私は違うと思います。何故ならキリストは自分自身が神であり、3日目に復活することを知っていたからです。聖書にも書かれている通りです。

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マリア様の助けを借りて七つの美徳を目指しましょう。そしていつか復活するという希望を持って臨終を迎えましょう。

2018年10月24日 (水)

間違いは直しましょう

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 中野司教様の司教叙階式の時、式が始まる前に神父様から歌の練習とお願いがありました。それはごミサ(上の写真)の時、

司祭:キリストによってキリストとともににキリストのうち、聖霊の交わりの中で、全能の神、父であるあなたに、すべての誉れと栄光は、世々に至るまで、

信徒:アーメン。

のところで、鹿児島では司祭が唱えるべきところ「すべての誉れと栄光は世々に至るまで」を信徒が唱えていますが、信徒は「アーメン」とだけ応えるようにと指導されました。練習までしたのにその甲斐なく本番になるとほとんどの人は司祭が唱えるところも大きな声で唱えていました。

 おそらくこの間違いをおかしているのは日本だけです。ヴァチカンをはじめ他のすべての国では信徒は「アーメン」とだけ応えています。

 間違って習慣になってしまっていることを直すのは難しそうですが、意識してごミサに与れば簡単なことです。間違いは正しましょう。特に典礼に関することはとても大切です。さあ、次のごミサからは「アーメン。」だけ。司祭のことばを横取りしないように!happy01

参考にしたのはこちらの本 ⇩

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この本の112ページ ⇩

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 ついでに、奉納行列の時には行列する人以外は皆さん座りましょうね。カテドラルでは皆さん座るのに、私の教会では立ったままの人が多いのです。奉納行列と奉納は違います。奉納行列は供え物の準備です。司祭が奉納祈願(「皆さん、このささげものを、全能の、神である父が・・・」)を唱える時が奉納なので、その時立ちましょう。

 と、私が何度書いても少しも変わらないのです。おそらく次の日曜日のごミサもいつもと同じでしょう。sad

聖性への招き

 今年の『聖書に親しむ:聖書週間』は11月18日から25日、テーマは「聖性への招き」です。カトリック中央協議会からリーフレットが出ていますが、その中で酒井補佐司教様も書かれています。

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 以前にも紹介しましたが『聖性への招き』と言う本も出しておれれます。とても良い内容の本なので皆さんにお勧めしています。

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2018年10月23日 (火)

誤解されること+ラテン語ミサ

(人から誤解されるのは良いことである。)なぜなら人々から軽蔑され、よく思われないとき、そのときこそ我々は神を内なる証人としてより熱心に求めるからである。(『キリストにならう』bot)

 最近このbotにはまり毎日見ています。

 今回はよく誤解されて良く思われない私の慰めの言葉ですね。確かにそういう時にこそ『主はすべてを知っておられる』と自身に言い聞かせて、「主よ私をあわれんでください」と祈ります。無理に誤解をとこうとしたり、他人からよく思われようとする必要はありませんね。

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 ところで20日土曜日に行われた荘厳ミサはとても良かったそうです。菊地大司教様のブログにその時のことが書いてありました。

 日本全国からごミサに集まっている様子は、今ラテン語ミサを望む人が少なくないことを表しています。菊地大司教様もラテン語ミサを司式するのは初めてだったそうですが、ごミサに与った人は「初めてとは思えない流暢なラテン語で素晴らしかった」と言っています。大司教様の小神学校の頃は日曜日のごミサはラテン語、今も様々なところでラテン語ミサに与る機会があるとのこと。これから日本でももっとラテン語ミサをたててください。

 今回はヴァチカン大使館の参事官が福音を歌ったそうです。私はyoutubeで教皇様のごミサでの福音をラテン語で歌うのを聴いたことはありますが、生ではありません。一度はごミサで直に聴いてみたいです。

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福音を歌う参事官(菊地大司教様のブログより)

2018年10月22日 (月)

聖ヨハネパウロ2世教皇

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  聖ヨハネパウロ2世教皇様は晩年パーキンソン病を患いましたが、最後まで私たちに祈る姿を示し、私たちを励ましてくださいました。「主に希望を置く人は幸い」教皇様のお姿から教えられました。

あなたにできるだけのことをしなさい、そうすれば神はあなたの良い意志を助けるだろう。(『キリストにならう』bot)

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ラッツィンガー枢機卿様(後の教皇ベネディクト16世)からご聖体をいただく聖ヨハネパウロ2世教皇様

2018年10月20日 (土)

カテキズムの大切さ

あなたがより多くのことをより深く知るほど、もしあなたが聖なる生活を営まないならば、それだけ厳しく裁かれるだろう。(『キリストにならう』bot )

 知らないでしてしまうのと知っていてするのとでは大きな違いがあります。特に罪に関して。日曜日に特別な理由(病気や仕事など)がない限りごミサに与らなければなりません。そのことを知っていてごミサに与らないのは小罪ではなく大罪です。

 そして大罪を犯したことを意識しているカトリック信者は、ご聖体拝領の前に罪を告白してゆるしの秘跡を受けなければなりません。

 数年前のこと、A神父様が準備ができていない(数年ぶりに教会へ来てゆるしの秘跡を受けていない)とわかっている信徒にご聖体を授けませんでした。それを見てある信徒は「なんて厳しい神父様。やっとごミサに来たのにご聖体をあげないなんて。あの人がかわいそう」と批判し、受けられなかった本人も怒ったそうです。

 A神父様にしてみればその人が重ねて大罪(=ご聖体に対する瀆聖)を犯さないようにとの優しさからそうしたのですが、批判した信徒も本人もそのことがわかっていなかったようです。A神父様も前もって本人に説明しておくべきでした。

 準備無しにご聖体を望む人誰にでも簡単に授けるのはその人に「ご聖体に対する瀆聖」の大罪を犯させることになります。しかし今は誰にでもその人が望むならご聖体を授ける司祭が実際におられるから、逆にA神父様を非難するような信徒が増えてきたのかもしれません。

 司祭はほとんどの場合その人の準備ができているかどうかはわかりません。ですから信徒自身が気をつけなければなりません。どんな時にご聖体拝領は控えた方が良いか司祭は信徒に説明し、信徒は学ばなければ、また同じようなことが起こるかもしれません。

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 私たちはたまには『カトリック教会のカテキズム』を読み直し、忘れてしまっていたことを思いだす必要があるでしょう。私もよく忘れてしまったことや解らないことがあればカテキズムを出して確認したり、解っている人に聞いたりしています。

 聖書の勉強会や、信心会はよくありますが、公教要理の勉強は洗礼・堅信の前にするだけです。毎日聖書を読むようにカテキズムも毎日でなくてもたまには読みましょう。

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2018年10月18日 (木)

植物の話題二つ

今日は聖ルカ福音記者の祝日 

 秋ですね~maple 以前切った庭の木から枝ならぬキノコがにょきにょき。ちょっと気味が悪いです。いくら秋の味覚はキノコといってもこれは食べられませんね。

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 もう一つの話題は、とうとう「イ・ペー」の苗木を手に入れました。しかも一鉢たったの200円!指宿道の駅でパンを買おうと入ったところ、左手に植物が並んでいました。その中に「イ・ペー」の名札が! 値段を見て即購入決定 happy01 夫には事後報告。夫も喜んでくれました。

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イ・ペーの苗木

 寒さに弱いので冬を越してから地植えにします。

何年位したら花が咲くのかな?楽しみです。

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 はやく大きくなってこんな風に咲いてね。 confident  とは言え、あまり物に執着してはいけませんね。トマス・ア・ケンピスも言っています。

人間や被造物に自分の希望を置く人は空しい人である。我々の主、イエズス・キリストへの愛のゆえに他人に仕え、この世で貧しいものと思われることを恥じてはならない。あなた自身を頼らず、神にあなたの希望を置きなさい。(『キリストにならう』bot)

2018年10月16日 (火)

聖マルガリタ・マリア・アラコク乙女

 フランスの聖母訪問会シスター聖マルガリタ・M・アラコクと「聖心の祝日」は切り離せませんね。

 神秘体験で彼女に現れたキリストは「聖心の信心」を広めるように命じられました。「聖心の信心」とはイエズス様の愛を私たちが忘れてしまったことへの贖罪として、ご聖体拝領を頻繁に受けて、特に月の最初の金曜日にご聖体を拝領してキリストの愛に感謝し、聖なる時間を持つことです。

 昔から初金のごミサは大切にされてきました。

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