十字架を被う意味
聖週間が近づくと聖堂の十字架を聖金曜日まで紫の布で被うということを以前書きました。『トマさん祈りの部屋』でこのことについて書かれていました。わかりやすい説明なのでここに一部添付します。
聖週間が近づくと十字架像が紫色の布で覆われて、隠されます。どうしてでしょうか?私たちの心の中のイエスも、度々このように隠されたり、隅に追いやられたり、見て見ぬふりをされているのではないでしょうか?隠している正体は、怠け心や世間体や自己愛、高慢心です。このように、心に被いかぶさっている布を取り去らなければなりません。心の真ん中に十字架のイエスを据えるのです。紫の布は聖金曜日の受難の式「十字架の礼拝」で取り除かれます。すると、私たちのために苦しみを受け入れ、血を流し、私たちを生かすために自らの命を捧げてくださったイエスが目の前に立ち現われます。そして、私たちも心の布を取り去って、十字架のイエスを再発見するのです。(『トマサン祈りの部屋』2019.4.9四月の黙想会より)
ギリシャ正教会の音楽で、今の時期にピッタリな曲を見つけました。是非聞いてみてください。
YouTube: Greek Orthodox Christian Byzantine Music in AgSofia Kabarnos βυζαντινή μουσική