聖三位一体のイコン聖セルギイ大修道院に返還
ユリウス暦の聖霊降臨の日にルブリョフ作「三位一体」のイコンが聖セルギイ大修道院に返還され、修道院の至聖三位一体大聖堂で徹夜の祈りがありました。私たちにとってもなじみ深いイコンですね。
ユリウス暦の聖霊降臨の日にルブリョフ作「三位一体」のイコンが聖セルギイ大修道院に返還され、修道院の至聖三位一体大聖堂で徹夜の祈りがありました。私たちにとってもなじみ深いイコンですね。
「聖マタイの殉教」 Caravaggio 作
聖マタイの召命は聖書にも書かれていて、その場面の絵画もあるのでよく知られています。しかしいつどのようにして亡くなったかはっきりわかりません。エチオピアで殉教したと伝えられています。
徴税人であったマタイはキリストに呼ばれ使徒となり、そして福音書を記しました。使徒のマタイと福音記者のマタイは別人であるとの説もありますが、教会は使徒福音記者としているのでそれに従います。
「聖マタイの召命」 Caravaggio 作
主キリストが呼ぶ人は正しい人や皆に好かれている人だけではありません。罪人や民衆に嫌われている人も呼ばれます。ここが私たちの常識とは違うのですね。ただし呼ばれた人はすぐに自分の生活をあらためて主キリストの教えに従う生活を送るようになります。徴税人のマタイもそうでした。キリストに呼ばれると迷うことなくすぐに従ったのです。私たちも主に呼ばれたらそうありたいですね。
日本の教会では今年は主の公現の祭日(正式には6日)の翌日の今日9日が主の洗礼の祝日です。来年2024年も7日が公現祭、8日が主の洗礼の祝日と続くようです。日本では祭日が平日にあたる場合は日曜日に移動されるので、気を付けなければなりません。
さて主の洗礼の場面の絵画も沢山あります。イエズスは洗礼を受けるとすぐ、水からお上がりになった。すると、みるみる天が開けて、神の霊が鳩のように自身の上に下って来るのをごらんになった。そのとき天から「これはわが愛する子、わが心にかなう者である」という声がした。(マタイ3:16~17)劇的なシーンですから、当然多くの作家が題材にしたのでしょう。
昔は字の読めない人が多く、聖書を読める人もわずかでしたので、こうして聖書のシーンを絵にすることによってだれでも聖書を理解できるようにしたのかもしれません。ごミサでの聖書朗読と司祭の説教、そして教会にある聖画を通して人々は聖書に書かれている神のみ言葉を知り、理解したのでしょう。
Giotto di Bondone
icon
Leonardo da Vinci
Fra' Angelico
個人的にはこの Fra' Angelico の絵が好きです。
最近よく観る動画「Roman Station Church」です。⇩
https://www.youtube.com/channel/UCz7lOHRSsZiDBig_2jFZGDw
ローマには数多くの教会があります。ほとんどが古くて歴史のある教会です。その内部は天の国を想わせるような美しさと、神の荘厳さ、そして人々の神への崇拝が感じられます。
それらの教会を紹介しているのが上記のサイトです。短い時間内にまとめられていて、とても解りやすい動画です。⇩こちらはその一例『聖プラッセーデ大聖堂』です。
私は美しいものが大好きです。美しい心、美しい自然、美しい絵画や彫刻、工芸品、美しい踊り、美しい音楽、そして美しい典礼。
今日は洗礼者聖ヨハネの誕生の祭日です。洗礼者聖ヨハネを描いたムリーリョの絵は実に美しいですね。
最近はバレエの美しさにも目覚め、YouTubeでバレエを観ています。以前はくるみ割り人形や白鳥の湖などの曲を聴くだけでしたが、最近は曲+バレエ、聴いて観て楽しんでいます。
オーチャード・バレエ・ガラの宣伝動画ですが、バレエに興味のない方でも、これを見てバレエに興味を持たれるかもしれないと思い載せました。
YouTube: 「ワガノワ・世界一過酷で美しいバレエ学校の世界~ロシアが誇る伝統の“くるみ割り人形”が日本へ~」Bunkamura オーチャード・バレエ・ガラ特別映像
そして何よりも美しくあってほしいのが典礼です。⇩
ただただビックリ。これほどまでにニャンズそっくりなものは今まで見たことがありません。初めて目にした時は『まさか剥製?趣味悪い』と思いました。(失礼、ごめんなさい (*_ _) )
でもこれが羊毛フェルトで作ったもので、その制作過程を見たらもう感激 ! 芸術作品です。 今まで見てきた羊毛フェルトの動物たちは一体何だったのでしょう。
YouTube: 羊毛フェルトで猫を作る制作過程 6 - "SIDE by SIDE" A process of making a cat with wool felt.
京都国立博物館で開館120周年記念特別展「海北友松(かいほうゆうしょう)」が今月21日まで開催されています。
昨晩のラジオの放送で知りました。そもそも京都国立博物館が開館したのが明治30年(1897年)、その目的は当時廃仏毀釈で破壊される優れた寺の作品を寺から預かり守り保存するためだったそうです。
海北友松は武将海北綱親の息子で父が戦死した後禅門に入り、絵の才能を見出され狩野派の絵師となり、その後狩野派を離れ独立しました。 放送では海北友松と展示作品について学芸部長山本英男氏のわかりやすい解説があり、それを聴いていると作品を見に行きたくなりました(勿論無理ですが)。
友松については葉室麟さんが小説を書いているので、それを読みます。
この展覧会は今までにない大規模なもので、これだけの作品が一堂に会することは今までなく、おそらくこれからもないとのこと。見に行ける方は是非!
Fr.Z のブログで初めてDaniel Mitsui 氏の作品を目にしました。日本ではあまり知られていませんが、アメリカでは有名なアーティストです。
1982年アメリカジョージア州で生まれイリノイ州で育ちました。彼の作品はカーフスキンベラムの細かいインクの描画、と説明してありますが、つまり仔牛のなめした皮にインクで細かく描いています。カーフスキンベラムといえば最高級の皮、昔は本の表紙に使われていました。今も高級本の表紙に使われることがあるようです。
2004年にカトリックの洗礼を受けてから、聖書の題材を描くようになり、2012年にはヴァチカンからの依頼でミサ典礼書のための絵を描きました。
私は初めて彼の作品「大天使ミカエル」を見た時には浮世絵のような版画だと思いました。どの作品も素晴らしいです。旧約・新約聖書を題材にしてこれからも宗教画を描き続けたいとのことなので楽しみに期待しています。
ダニエル氏は昔の古典作品をとてもよく研究されて、伝統を重んじています。ですから作品は伝統的なカトリックのモチーフです。
今日ごミサに与った教会のヨセフ様と幼子イエズス様のご像です。私は想像力が乏しいので、やはり目の前にこのようなご像があるとうれしいです。私は聖画や聖像が大好き、それらは私の想像力を補ってくれるから。
でも夫には注意されます。つい綺麗だから、可愛いからといって買い集めてしまうから。つまり無駄遣いをするから。反省しています。
私はこのK教会の聖堂が好きでよく行きます。どの聖堂で祈っても、キリストは変わらなく同じなので。「〇〇教会の信者」というより「キリストの教会の信者」のつもりです。
今日のお説教で知ったのですが、聖ヨセフを「教会の保護者に」決められたのは教皇ヨハネ23世だそうです。さすがパパジョヴァンニ!
ボルゲーゼ美術館にあるカラヴァッジョの作品の部分です。蛇を踏みつけている聖母の足と小さな幼子イエズス様の足です。
おもしろい絵ですね。昔、ボルゲーゼ美術館に行ったのですが、ここまで丁寧に観ていなかったのでこの絵について覚えていないのです。もしまた行ける機会があれば、美術館の隅から隅まで丁寧に観たいです。聖書を題材にした絵がとても多いのでじっくりと観たいですね。
ヴァチカン美術館、ボルゲーゼ美術館、フィレンツェのウフィツィ美術館にピッティ美術館、ミラノのブレラ美術館、各都市にある美術館にも名画が沢山、教会や修道院にある絵画や彫刻も数えたらきりがありません。祭壇そのものも芸術です。イタリア全体が美術館のようです。
先日ごミサの時に読まれた創世記の箇所でFr.Zのブログに載っていたこの絵を思い出しました。
久しぶりに美術の本を読みました。婦人之友社から出版されている『生きる 描く 愛する』です。
著者は美術評論家の(故)田中穣氏でこの本に取り上げられている画家は42名、それぞれの画家の代表作が一点載っていて、画家についてまたその作品について書かれています。
日本画家では上村松園、上村松篁、奥村土牛、加山又造、小倉遊亀(表紙の絵)など、洋画家は小磯良平、佐伯祐三、安井曾太郎、梅原龍三郎、荻太郎など日本を代表する画家ばかり。絵の好きな人にとってはたまらない一冊です。
「リュクサンブール公園」 佐伯祐三
実はこの本も古本で買いましたがほぼ新品状態の本が届きました。その値段1円です。いくら本離れが進んでいるとはいえ、この素晴らしい内容の本が1円とは・・・。良い物が安く手に入るのは嬉しいのですが、何か物の価値が狂っているような・・・世の中おかしいですよ。
さて、 この本を読んで日本画に縁のなかった私は日本画にぐ~んと引き寄せられました。上村松園や松篁も素晴らしいのですがこの表紙絵の小倉遊亀さんの作品に心奪われました。他にも「舞う舞妓」等の人物画や静物画(特に牡丹や椿)、どれも素晴らしい作品です。人物の肌の温かみ、舞の気迫、花びらのやわらかさと花瓶の陶器の硬さ等々、その物を見極める確かな目と表現力に圧倒されました。ご本人も想像では描かないとおっしゃっている通り、実際に彼女の目で見たものを彼女を通して表現されているからこそ彼女にしか描けない世界が生まれるのだと思います。
小倉遊亀の作品