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2023年2月

2023年2月27日 (月)

祭壇の花について

 先日祭壇のお花について話し合っていた時に、ある方が「祭壇(教会?)の花には枝物は使わない方が良い。木は十字架を連想させるから。」と聞いたことがあると話されました。私は???『十字架を連想させるのなら逆にとても良いことでは?』と思ったのですが、先ずは「枝物は使わない方が良い」ということが事実か確かめてからと思い、帰宅後に調べてみました。

 結果『ローマ・ミサ典礼書の総則』、『花と典礼』、『典礼奉仕への招き』『香部屋係のハンドブック』いずれにもそのような記述はありませんでした。

 いい加減なことを教えられた彼女が気の毒です。十字架は新しい命の印、永遠の命へと導く希望の証です。ですから聖堂には十字架にかけられたキリストがおられるのです。彼女にあのようなことを教えた人はきっと十字架を死刑の道具にしか見えていないのかもしれませんね。

『花と典礼』より枝物を使った生け花です。 

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桃の枝を使って⇧

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レバノン杉の枝を使って⇧

平和は遠くへ逃げていく

 最近見たドラマの武器商人のセリフ

「君のような善人面した連中は理解したがらないが、持つべき手に武器が渡れば、混乱と無秩序は消え、平穏が訪れる。これが人助けだ。」

 私にはやはり理解できませんね。いつまでたっても紛争が無くならない理由の一つが、このような考えの人がいるからでしょう。

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 回心して平和を築く努力を!

2023年2月24日 (金)

十字架の道行き ①

 毎週金曜日は十字架の道行きがあります。各教会で時間や祈り方も違うと思いますが、共通していることはキリストの受難の場面を描いた14の各聖画像の前で祈り、最後の15留(復活)は祭壇に向かって祈ることです。

 「十字架の道行き」の聖画も教会によって様々ですね。最近は15留まであったり、絵ではなく書道(聖衣・倒・慰・葬などの文字)の物もあるようです。でもこれは好みの分かれるところですね。

 ごく普通の誰が見てもわかる「十字架の道行き」を載せてみました。

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YouTube: 【山内修一・友よ歌おう】ドロローサ - 歌:クロサワ・リン (NCM2 CHOIR)

 私が行くカトリック教会で四旬節中によく歌われるゴスペルフォーク?です。

2023年2月22日 (水)

灰の水曜日

 

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 灰の水曜日と言えば真っ先に頭に浮かぶことは大斎小斎です。私の年齢になると守らなくてもよくなりますが、でもやはり守ります。できるうちはずっと・・・。『ご復活祭までの間、節制と回心そして慈善に努めます』と自分自身に言い聞かせる意味も込めて。

 今日のごミサの中で灰の儀式があり、司祭様が「回心して福音を信じなさい」と言って灰をかけてくださいました。確かに言われる通り『回心しなければ!そのためには告解をしなければ!』とあらためて自覚しました。

 四旬節が始まりました。キリストは40日間断食し祈りました。キリストの受難は私たちの罪の贖いのためでした。私たちもキリストの苦しみに少しでもあずかる気持ちでキリストに倣い、節制と回心の祈り、そして慈善をしながらご復活祭を迎える準備をしたいと思います。

2023年2月13日 (月)

ワクチン接種

 オミクロン株対応のワクチン接種(5回目)を受けました。ついこの間4回目を受けたような気がしますが。まあ自分が出来ることはできるだけして、後は主にお任せします。ワクチンを打っていてもコロナにはかかりますから。

 ワクチンの効果のある期間はどんどん短くなり、 新種の変異ウイルスが見つかると、それ対応のワクチンが開発されて・・・私たちはこんなにワクチン漬けになっても大丈夫なのでしょうか?数十年後にこのワクチンの弊害が出ないことを願います。

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 COVID-19が広がり始めた頃、多くの教会は神への信頼よりもCOVID-19の方を恐れて教会の入り口を閉じました。聖週間もその扉は開くことはありませんでした。幸い私はいつも扉の開いているカトリックK教会のごミサに与れました。あの時S神父様への信頼はより強くなりました。(誤解のないように:「神への信頼」とは新型コロナにかからないという意味ではありません。)

 どんな時でもご聖体訪問をしたい人がいる限り、教会の扉は絶対に閉じてはならないと思います。ごミサに与りたい人がいる限り、公開ミサを絶対に無くしてはいけないと思います。教会は教会です。学校や娯楽施設、飲食店等とは違います。今後二度と教会を閉じたり、公開ミサを無くすことがないように祈ります。

2023年2月11日 (土)

ルルドの聖母

 

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 今日も多くの人たちが病で苦しんでおられます。特にトルコとシリアで起きた地震によって怪我をされた方、寒い日々、着る物や食べ物も不足して病気になられた方も多いでしょう。また亡くなられた方の家族や友人の悲痛な思いは計り知れません。

 地震発生後すぐに国境なき医師団も救援活動を開始しました。私は寄付をして祈ることしかできませんが、実際の救援活動はスペシャリストの彼らに任せます。

 今日はルルドで聖ベルナデッタに聖母がご出現された記念日です。また世界病者の日でもあります。聖母は病をいやす泉を聖ベルナデッタに与えました。今までに多くの人が聖母の取次によって痛悔と回心の恵みをいただき、病を治してもらいました。

 聖母にロザリオの祈りを捧げて、病で苦しむ人たちへの救いの恵みを願います。

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YouTube: LOURDES - Ave Maria de Lourdes + Salve Regina

2023年2月 7日 (火)

Robert Cardinal Sarah

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 昨年サラ枢機卿様は新しく本を出版されました。そしてこれはその本の紹介文です。


When priests offer the Holy Sacrifice of the Mass unworthily, when they give the Eucharistic Jesus to sinners who have no intention of asking Him to forgive their sin’s or of living according to the gospel, they betray Jesus once again. When Mass, for the priest, has become a theater, a social gathering, an entertainment in which he behaves like the variety-show host who has to resort to his personal creativity in order to make the atmosphere interesting and attractive; when he indulges in cultural adaptations, personal explanations, and commentaries instead of making room for the ineffable groanings of the Holy Spirit present in every Eucharistic celebration, what becomes of the faith of the faithful? At the heart of the Eucharist, the priest must experience the unique power of silent adoration and have at heart a prayer that, in all its aspects, is conformed to the prayer that Jesus addresses to His Father. We have enough eminent specialists and doctors in the ecclesiastical sciences. What the Church tragically needs today is men of God, men of faith, and priests who adore in spirit and in truth.

A book with which to follow Jesus by means of the seven sacraments

The modest purpose of this volume is to accompany all those who have set their hearts on responding to God’s love with a full, happy, fruitful life that will culminate in the eternal happiness of contemplating Him. The book was born of the desire to help them make an interior journey of spiritual ascent, so as to open up for them the possibility of a life-changing encounter.

 回心のない人へご聖体を授けたり、ごミサが社交場、エンターテイメントになり、司祭はバラエティー番組の司会者のように振る舞う・・・ サラ枢機卿様の言われる通りです。

 世界中で主への崇拝やそれを表す荘厳さに欠けるごミサのなんと多いことでしょう。ヴァチカンであげられる教皇様のごミサを見てみてください。荘厳でキリストが中心です。どの教皇様も典礼の途中でおしゃべりをはさんだりすることは決してありません。ごミサはショーではありません。 

 改善するのに一番良い方法はごミサの時の司祭様の向きを180度変えることですね。⇩ lovely

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2023年2月 5日 (日)

日本26聖人殉教者

 今日は26聖人の殉教の日でした。1597年2月5日のことです。主日と重なっていたために、教会で神父様が話されるまで気づきませんでした。(恥ずかしいcatface

 神父様はご聖体顕示をされ、26聖人についての紹介文が読まれました。改めて聖人たちに倣わなければと強く思いました。ご聖体顕示をしてくださった神父様に感謝!

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2023年2月 2日 (木)

主の奉献

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 主の奉献の祝日です。当時のユダヤ人の習慣通り、イエズス様も生まれてから40日目に神殿で奉献されました。

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 今日は「マリアの清めの祝日」とも呼ばれ、たくさんのローソクをともしてお祝いする「Candlemas」とも言われています。またヨーロッパやアメリカなど多くの教会が今日クリスマスの飾りを片付けます。我が家も同じく今日片付けます。主の洗礼の日より幼子イエズス様を神殿で奉献する日の方がクリスマスを締めくくるのにふさわしい気がするので。100_2
 フランスではクレープを食べる日ですね。多くの人たちは日曜日のごミサには与らないけれどクレープは食べるようです。sad(残念!)なぜ主の奉献の日にクレープを食べるようになったのか、思い出してほしいですね。ヨーロッパの多くの人々にとって、キリスト教信仰は「文化遺産の一部にすぎない」と聞いたことがあります。あるフランス人は「復活祭とは春のお祭りのこと」とも言っていましたし・・・。ただの文化遺産なのか・・・可哀そう weep

 昔この日にフランスからローマへ巡礼した人たちが教皇様からご聖体をいただいたことに感激して、帰国後ご聖体に似た形のクレープを焼いてその出来事を記念したそうです。また、教皇様が巡礼の人たちにクレープを振舞ったからという説もあります。

100 昔は飛行機も無く巡礼の旅は大変だったと思います。特にローマへの巡礼は憧れであり、教皇様に会えるのも特別な喜びだったでしょう。当時のことを想いながら、私もクレープを作って「いただきま~す!」delicious 

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