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年間第34週王たるキリストの祭日です。いよいよ次の主日から待降節が始まります。
この一年を振り返ってみると反省する事ばかりです。でもそれ以上に主に感謝することが沢山ありました。年齢を重ねるにつれて主に生かされているという思いが益々強くなります。主の恵みは私自身の病気や怪我、誤解されること、不安や不信を通しても与えられました。
フランシスコ教皇様の言動に不信を抱いた時、逸脱したミサを捧げる司祭の姿を見た時、教会が教えてきた聖書の解釈と違う自分の解釈を話す司祭の説教を聞いた時・・・どんな時にも主から離れることなく道に迷わなかったのは私の守護の天使 Gratiaが共にいてくれたおかげです。守護の天使Gratiaにも感謝!
私は聖カタリナと言えば姉の霊名シエナの聖カタリナを思い浮かべますが、アレキサンドリアの聖カタリナも素晴らしい聖人です。彼女は哲学者、神学者、教育者、法律家の守護聖人です。
聖カタリナはキプロス島の王の娘またはアレクサンドリアの貴族の娘あるいはアレクサンドリアの知事の娘などと言われています。彼女は「神秘の結婚」(天国でキリストと婚約する)を幻視ししたことで有名です。
とても美しく学識豊かな聖カタリナは皇帝マクセンティウス(マキシミヌス)の偶像崇拝の命令に従わず、しかも皇帝が集めた異教の50人の賢者たちを論破し、逆に彼らをキリスト教へ改宗させたと伝えられています。皇帝は彼女に信仰を捨てれば妃にするとまで言いましたが、彼女は信仰を捨てませんでした。怒った皇帝は彼女を車輪に縛り付け身を引き裂く刑を命じましたが失敗、最後に彼女は斬首刑によって殉教しました。
聖カタリナは両親に向かって、「名声、富、容姿と知性で自分を超える男でなければ結婚しない」と宣言したと言われています。でもキリストを知った彼女にとっては、キリストはこの世の名声、富、容姿、知性を超えた方でした。キリストの花嫁になりたいと思うのは至極当たり前のことですね。
バーク枢機卿様とリッペルガー神父様が質問に答える動画です。皆さんご存じの通りバーク枢機卿様は教会法学者であり2008年から2014年まで教皇庁最高裁長官でした。リッペルガー神父様は神学者、哲学者、エクソシストとしてよく知られています。
YouTube: Cardinal Burke & Fr. Ripperger Q&A - Call to Holiness Conference 2023
今日は聖マリアの奉献の記念日です。聖母をたたえてラルゴの美しい聖母賛歌を!
鹿児島市出身の参議院議員村田きょう子さん。彼女は私の同級生Sさんの娘さんです。Sさんは優秀でとても優しく思いやりがあり、明るくてユーモアたっぷりの楽しい方です。ですから娘さんもお母さんに似ているのでしょう。画面からその性格がよく伝わります。
村田きょう子さんはこれからますます活躍が期待される議員さんだと思います。きょう子さんのおかげで私も国政に関心を持ち始めました。
YouTube にはたくさんの料理Vlogがありますが、私がとても気に入っているのが「料理研究家ゆかり」のVlogです。いつもお菓子作りを見ていますが、今回はコスパの良い竹輪と玉ねぎの天ぷらが目に留まりました。竹輪と玉ねぎなので美味しいに決まっていますが独特なこの形に惹かれました。
YouTube: ちくわのオニオンリング天ぷらの作り方!衣がサクサクで玉ねぎがジューシー!おもてなしにもピッタリな一品です!-Chikuwa Onion Ring Tempura-【料理研究家ゆかり】
彼女が作るお菓子や料理には外れがありません。また作り方を丁寧に説明しているので失敗なく作れます。是非ほかのレシピも見てみてください。
今年は柚子の生り年で大量に収穫できました。ただ取りすぎてどうしたものか・・・。
我が家の柚子は実が小さいので、一個ずつたわしで洗ったり刻んだりするのに時間がかかり大変でしたが、頑張って6kgほどの柚子ジャムを作りました。以前紹介した作り方よりも今年のオーソドックスな作り方の方が作りやすいでした。苦味も大差ありません。出来たジャムを使って柚子ケーキを作る予定です。寒くなったらお湯でわってホット柚子ドリンクにもしましょう。
⇩ 様々な瓶に入れて12本できました。
それでもまだこんなに余っています。⇩
柚子酒を作っても今は私たち夫婦は飲まないし、柚子味噌も食べないし・・・お風呂にたっぷりと入れて柚子風呂にするしかないかな⁈
シークワーサーも生り年です。こちらはすべて収穫せずに、必要な時に必要なだけ取ることにしました。
友人から庭になった文旦(ざぼん)をいただいたときに、あまりにも美味しかったのでその種を庭に埋めました。すると芽が出て今は15cm位になっています。果たして実がなるまで成長するのでしょうか?楽しみです。
「ラテラン教会の献堂」と言われても、日本の教会の私たちにはあまりなじみのない言葉ですが、決して無関係なことではありません。ラテラン大聖堂(Basilica di “San Giovanni in Laterano)はローマ司教座教会です。ローマの司教=教皇、ですからラテラン大聖堂は世界のすべての教会の母(または頭)と呼ばれています。
教会とは洗礼を受けた人たちの共同体です。共同体は天主を賛美するために集まります。そしてキリストの聖体と聖血によって養われます。これらのために共同体が集まる建物も重要です。ですから私たちは霊的な神殿と聖なる建物両方を守っていかなければならないのです。
共同体は主を賛美するために教会に集まります。
ふじいそうたと言えば将棋の藤井聡太八冠を思い浮かべる方が多いでしょう。前人未到の八冠、素晴らしいですね。ところでこちらの藤井創太さんもすごいですよ。
久しぶりの競技大会三笠宮杯。いつもの中村安里さんと息の合ったダンスでラテン部門優勝しました。やはりお二人には独特のオ~ラがあります。スタンダード部門は大西大晶・咲菜(兄妹)ペアが優勝しました。
ヨハネ23世教皇様の日記を読むと「射祷」という言葉がよく出てきます。いつも射祷をしていたことがよくわかります。最近では射祷を勧める司祭様はあまりいませんね。射祷を知らない信徒もたくさんいると思います。なぜなら『カトリックの祈り』の本には射祷は載っていないからです。
いつものことですが『祈りの友』には射祷は載っています。射祷についての説明もあります。
射祷とは神への愛、信頼、感謝をあらわす呼びかけです。矢を射るように愛の言葉をもって神の心に呼びかけます。それは決められた言葉に限らず、その時に応じて浮かんでくる言葉でよいのです。・・・射祷を唱えることは、日常生活の具体的な行動に伴うべき心を引き起こし、自覚させ、育てるのに望ましい習慣です。(「祈りの友」173p.)
[公教会祈祷文より射祷]
・わが天主、わがすべてよ。
・わがイエズスよ、あわれみ給え。
・至聖なるイエズスの聖心、われらの家庭を護り給え。
・あわれみの御母、われらのために祈り給え。
・主イエズス、主の司祭をふやし給え。
[祈りの友より射祷]
・わたしの信仰を深めてください。
・主よ、み旨のままに。
・主よ、助けてください。わたしはおぼれそうです。
・主よあなたから離れることのないように。
・イエズス、苦難に耐え抜く心をお与えください。
・神に賛美、神に感謝。
・み母マリア、いつもわたしの身近にいてください。
・守護の天使、わたしを守り導いてください。
(これらは射祷の一部です)
10月に行われた教区評議会の報告に「司教から司祭の召命のために真剣に取り組むことが訴えられた」とあり、それに対して「教区独自の召命の日の設置、召命担当司祭の活動の充実」等が意見として出されていました。とても良い案だと思います。私はそれにプラス射祷をすることを勧めます。信徒の皆さんがいつどこででも「主イエズス、主の司祭を増やし給え」と唱えることは大きな力になると信じます。また司祭召命の意向でロザリオを唱えるのも良いでしょう。
聖ホセマリアはよく何かを始める前の射祷で「すべては善のために」と唱えていたそうです。これは『ローマの信徒への手紙8章28節』の「神を愛する者たちには、万事が益となるようにともに働く」という箇所からとった祈りのようです。
読売新聞オンラインの一年以上前の記事ですが、こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)の最初の子についての記事がありました。読んでいて赤ちゃんポストがあって本当によかったとつくづく思いました。そして今も続いているこの制度を是非これから先も続けてほしいです。赤ちゃんポストに反対の人こそこの記事を読んでもらいたいです。
読売新聞オンラインの記事のリンク先⇩
https://www.yomiuri.co.jp/national/20220326-OYT1T50289/
赤ちゃんポストを批判する人もいますが、そういう人はどちらかと言えば男性が多いような気がします。『ポストは安易に捨て子を助長する』などと見当違いな理由をあげています。女性はどんな事情であろうとできれば生んで育てたいと思う人が大半だと思います。安易に手放す人なんていません。最後の最後の選択肢なのです。だって生むまで10か月間自分のおなかの中で育てたのですから。この気持ちは男性にはわからないでしょう。
こうのとりのゆりかごのおかげで助かった命があることは事実です。他府県にもこの制度ができることを願います。
*私は子ども(赤ちゃん)を捨てるという言葉が嫌いです。人間を物と同じに見ています。せめて手放すと言ってほしいです。手放すとは誰かに託すという意味が込められていますから。そして「ポスト」という言葉を「捨てるところ」という意味にとり批判している人もいますが、「ポスト」の役目は「気持ちを誰かに届ける」ことです。
今日は死者の日です。亡くなられた人たちの霊のために祈りましょう。
ところで霊といえば聖書の中にもよく出てきます。キリストが悪霊を追い出す話など。つまり悪霊、悪魔は存在します。ただ問題なのは悪霊・悪魔の乱用です。
カリスマティックな司祭やそれを熱烈に信奉する人たちは悪霊や悪魔に重点を置き、彼らに疑問を持つ人や、受け入れられない人たちに対して「あなたの中に悪霊が入っている」「悪霊が私たちの話を聞くことを妨げている」などと言って相手を脅す行為があることです。メジュゴリエの動画でも同じような場面がありました。
でも安心してください。私は自信をもって言います。それは悪霊のせいではなく、あなたの守護の天使があなたを護っているのです。ですから脅されるようなことを言われても気にしないでください。いつもの通り祈り、守護の天使に感謝して、主だけを信頼して過ごすことです。「何も恐れるな。神のみにて足りる。(聖テレジア)」です。忘れないでください、神は悪魔より強いのです。大天使ミカエルは悪魔を地獄へ追いやったのです。
今日1日は諸聖人の祭日で、明日2日は死者の日です。同じ亡くなった人を記念する日でも確実に天国にいる聖人は今日、聖人ではない人たちは明日です。
死者の日に私たちは煉獄にいる人たちの霊のためにできるだけ早く天国へ行けるように祈ります。また犠牲も捧げます。
今日諸聖人の日には逆に天国にいる聖人たちが私たちの救いを主に執り成してくださるように私たちは祈り、また私たちが聖人たちに倣う生き方ができるように恵みを祈ります。