ヴァチカンでもクリスマスツリーとプレゼピオの準備ができました。あとは幼子イエズス様を待つだけです。
今年のプレゼピオは伝統的で良いですね。ただ羊飼いではなく何故か聖フランシスコと仲間たち(多分)が囲んでいるのはちょっと不思議な気がします。もしかして教皇様を喜ばせるため?私はやはり羊飼いにしてほしかった
ところでベトレヘムの聖誕(降誕)教会でのクリスマス、今年はどのように迎えるのでしょうか?このような時・場所でこそ、幼子の姿のイエズス様はわたしたちの希望の光となります。
今日はGaudete Sunday、3番目のローズ色のロウソクに火を灯し、司祭様はローズ色のカズラでごミサを捧げます。クリスマスまで一週間!
祈りは
昔から戦争や災害で世の中が不安になると聖母が現れたり、聖母のご像が血の涙を流したりするようです。すでに天の国に上げられた無原罪の聖母が私たちを励ましたり、警告したりするのはわかるのですが、聖母が泣く?ということには疑問に思っている人もけっこういるようです。
ある村の聖母像が血の涙を流すというので調べたところ豚の血だったとか、メジュゴリエ巡礼で買ってきた聖母像から流れた血の涙は男性の血液だったとか。ファティマの聖母顕現の頃と違い、今は科学技術によって空に聖母像を描くこともできる時代ですから、聖母の偽出現や偽奇跡には気をつけましょう
そこでグアダルーペの聖母顕現はどうでしょか?私はこちらは本物の聖母ご出現だと信じています! なぜならカトリック教会が公認しているから。
因みに秋田の聖母や津和野の聖母、ラ・バンの聖母、すべての民の聖母、奇しき薔薇の聖母、ガラバンダルの聖母、他にも多くはまだ教会の公認はありません。中には地元の司教のみ認可しているものもあります。
1531年12月9日メキシコのテペヤックの丘でインディオのファン・ディエゴに聖母がご出現されました。私はずっと勘違いをしていて、グアダルーペは地名だと思っていました。ところがグアダルーペ=聖母のことのようです。描かれるグアダルーペは褐色の肌と黒い髪の聖母です。
1895年教皇レオ13世によって承認され、また2002年ファン・ディエゴは列聖されました。ファン・ディエゴに起こった聖母顕現と奇跡はよく知られているのでここでは省きます。
Canto Catolico がグアダルーペの聖母賛歌を歌っています。美しい歌声をどうぞ!
YouTube: Himno a la Virgen de Guadalupe | Canto a la Virgen María
無原罪の聖マリア(無原罪の御宿リ Immaculata Conceptio Beatae Virginis Mariae)の祭日です。
1904年12月8日「無原罪の御宿リ教義宣言五十周年記念」日のロンカリ神父(教皇ヨハネ二十三世)の日記より。
「ローマ中が競い合って聖母をたたえ、聖母への愛を示そうとはりきっていた。信者でいっぱいの大聖堂、荘厳を極めた祝祭、地上で最もあがめられているこの場所で、汚れなきマリア像が後ろの高所から、輝く光に照らされて、盛装された教皇にほほえみかけているようで、世界各地から集まってきた枢機卿や司教、その他の聖職者一般信者にも、あいさつしているかのようだった。そして盛大なミサが執り行われている間、ペロシ作曲の聖歌が聖堂中に響いたが、それはまるで天使の合唱のように、この巨大なクーポラを高く昇っていった。なんとすばらしい信仰の光景、何とすばらしいマリアの勝利!」
と書かれています。人々の篤い信仰と美しく荘厳なミサの光景が目に浮かびます。私たち日本の教会も無原罪の聖マリアの祭日をもう少し大切にしてお祝いしたらよいと思います。
ナイジェリアの美しい聖母賛歌です。
YouTube: Immaculate Mary || song
今日は新型コロナウイルスワクチン7回目を受けに行きます。約3か月前に受けたばかりなのですが、持病のある私は受けておいた方が良いと思って。以前感染した時にもとても軽い症状と後遺症もまったくなかったのはワクチンのおかげだったと思います。中にはワクチンが合わずに亡くなられたり、後遺症で苦しんでおられる方もいると思います。けれど、ただ安易にワクチンは危険だからといってすべての人に受けないように勧める人も私の周りにいますが、それはどうなのでしょうか。私のようにワクチンの効果のある人もたくさんいると思うのですが。
これはFr.Z’s Blogに載っていたアメリカ合衆国での話です。ある司祭が聖変化の時には立つように言い、言われた信徒は困っています。アメリカでは聖変化の時には跪くように求められているからです。一方日本司教団が決めたのはこれとは正反対で「立ちなさい」です。
Priest told my CCD class NOT to kneel at the Consecration
From a reader…
QUAERITUR:
An assistant priest at my parish is telling my ccd class not to kneel during the Consecration of the Eucharist during mass. Any advice?
・・・・・・・・・・・・・・・
First step, contact the pastor and ask him. Secondly, contact the diocesan office of Divine Worship.
Many priests say silly things – sadly, ordination does not infuse the ordinand with wisdom or even smarts. In the 1970’s, there was a movement to violate liturgical law and make the faithful stand during the consecration. In some places, this practice became “normal” even though it was a violation of the law (and also stupid).
The current norms in force in the United States require that the faithful kneel from the end of the Sanctus through to the end of the Canon.
聖変化の時に立つのと跪くのとではどちらがふさわしいと思いますか?日本では「立ちなさい」と決められているようなので、私も立っていますが・・・。いつも違和感を感じています。 せめて跪きたい人はそうしても良いという選択肢を認めてほしいです。ただの統一感だけを理由に全員立つように決めるのは違うような気がします。アメリカで跪くように求められているのは統一感のためではなく、キリストの前でのふさわしい姿勢が跪くことだからだと思います。動作の意味が大切なのでは?
永遠(とわ)のいのちぞ 与え給え
秘跡にこもりて 主来たります
いざ迎まつらん へりくだりて
(カトリック聖歌71番)
待降節第一主日です。また聖フランシスコ・ザビエルの記念日でもあります。私たちにとっては特に身近で大切な聖人です。なんといっても日本に初めてカトリックを伝えた人ですから。今日は聖フランシスコ・ザビエルに感謝をして、降誕祭を迎える心の準備を始めたいと思います。
先ずは祈りから。本棚を見ていた時、昔読んだ『祈りの小路』という本を見つけました。私は良書は必ず取っておくので、あらためて読みました。例えを用いて祈りについてわかりやすく書いてあるとても良い本です。
私はこういう本こそ洗礼を受けたばかりの方や、祈り方がわからないと思っている方たちに勧めたら良いと思います。でも1998年発行ですから、もしかしたら絶版になっているかもしれません。
本の中でこのような一文がありました。待降節中の励みとなります。
祈る時間を決め、それを毎日守るのは、実際やってみると大変難しいことです。これは、ある時には自己の怠け心と戦わなければならない犠牲となります。しかし、そのためにかえって神様をお喜ばせする行為となるでしょう。犠牲のあるところには、本当の愛があるのですから。
年間第34週王たるキリストの祭日です。いよいよ次の主日から待降節が始まります。
この一年を振り返ってみると反省する事ばかりです。でもそれ以上に主に感謝することが沢山ありました。年齢を重ねるにつれて主に生かされているという思いが益々強くなります。主の恵みは私自身の病気や怪我、誤解されること、不安や不信を通しても与えられました。
フランシスコ教皇様の言動に不信を抱いた時、逸脱したミサを捧げる司祭の姿を見た時、教会が教えてきた聖書の解釈と違う自分の解釈を話す司祭の説教を聞いた時・・・どんな時にも主から離れることなく道に迷わなかったのは私の守護の天使 Gratiaが共にいてくれたおかげです。守護の天使Gratiaにも感謝!
私は聖カタリナと言えば姉の霊名シエナの聖カタリナを思い浮かべますが、アレキサンドリアの聖カタリナも素晴らしい聖人です。彼女は哲学者、神学者、教育者、法律家の守護聖人です。
聖カタリナはキプロス島の王の娘またはアレクサンドリアの貴族の娘あるいはアレクサンドリアの知事の娘などと言われています。彼女は「神秘の結婚」(天国でキリストと婚約する)を幻視ししたことで有名です。
とても美しく学識豊かな聖カタリナは皇帝マクセンティウス(マキシミヌス)の偶像崇拝の命令に従わず、しかも皇帝が集めた異教の50人の賢者たちを論破し、逆に彼らをキリスト教へ改宗させたと伝えられています。皇帝は彼女に信仰を捨てれば妃にするとまで言いましたが、彼女は信仰を捨てませんでした。怒った皇帝は彼女を車輪に縛り付け身を引き裂く刑を命じましたが失敗、最後に彼女は斬首刑によって殉教しました。
聖カタリナは両親に向かって、「名声、富、容姿と知性で自分を超える男でなければ結婚しない」と宣言したと言われています。でもキリストを知った彼女にとっては、キリストはこの世の名声、富、容姿、知性を超えた方でした。キリストの花嫁になりたいと思うのは至極当たり前のことですね。
バーク枢機卿様とリッペルガー神父様が質問に答える動画です。皆さんご存じの通りバーク枢機卿様は教会法学者であり2008年から2014年まで教皇庁最高裁長官でした。リッペルガー神父様は神学者、哲学者、エクソシストとしてよく知られています。
YouTube: Cardinal Burke & Fr. Ripperger Q&A - Call to Holiness Conference 2023
今日は聖マリアの奉献の記念日です。聖母をたたえてラルゴの美しい聖母賛歌を!
鹿児島市出身の参議院議員村田きょう子さん。彼女は私の同級生Sさんの娘さんです。Sさんは優秀でとても優しく思いやりがあり、明るくてユーモアたっぷりの楽しい方です。ですから娘さんもお母さんに似ているのでしょう。画面からその性格がよく伝わります。
村田きょう子さんはこれからますます活躍が期待される議員さんだと思います。きょう子さんのおかげで私も国政に関心を持ち始めました。
YouTube にはたくさんの料理Vlogがありますが、私がとても気に入っているのが「料理研究家ゆかり」のVlogです。いつもお菓子作りを見ていますが、今回はコスパの良い竹輪と玉ねぎの天ぷらが目に留まりました。竹輪と玉ねぎなので美味しいに決まっていますが独特なこの形に惹かれました。
YouTube: ちくわのオニオンリング天ぷらの作り方!衣がサクサクで玉ねぎがジューシー!おもてなしにもピッタリな一品です!-Chikuwa Onion Ring Tempura-【料理研究家ゆかり】
彼女が作るお菓子や料理には外れがありません。また作り方を丁寧に説明しているので失敗なく作れます。是非ほかのレシピも見てみてください。
今年は柚子の生り年で大量に収穫できました。ただ取りすぎてどうしたものか・・・。
我が家の柚子は実が小さいので、一個ずつたわしで洗ったり刻んだりするのに時間がかかり大変でしたが、頑張って6kgほどの柚子ジャムを作りました。以前紹介した作り方よりも今年のオーソドックスな作り方の方が作りやすいでした。苦味も大差ありません。出来たジャムを使って柚子ケーキを作る予定です。寒くなったらお湯でわってホット柚子ドリンクにもしましょう。
⇩ 様々な瓶に入れて12本できました。
それでもまだこんなに余っています。⇩
柚子酒を作っても今は私たち夫婦は飲まないし、柚子味噌も食べないし・・・お風呂にたっぷりと入れて柚子風呂にするしかないかな⁈
シークワーサーも生り年です。こちらはすべて収穫せずに、必要な時に必要なだけ取ることにしました。
友人から庭になった文旦(ざぼん)をいただいたときに、あまりにも美味しかったのでその種を庭に埋めました。すると芽が出て今は15cm位になっています。果たして実がなるまで成長するのでしょうか?楽しみです。
「ラテラン教会の献堂」と言われても、日本の教会の私たちにはあまりなじみのない言葉ですが、決して無関係なことではありません。ラテラン大聖堂(Basilica di “San Giovanni in Laterano)はローマ司教座教会です。ローマの司教=教皇、ですからラテラン大聖堂は世界のすべての教会の母(または頭)と呼ばれています。
教会とは洗礼を受けた人たちの共同体です。共同体は天主を賛美するために集まります。そしてキリストの聖体と聖血によって養われます。これらのために共同体が集まる建物も重要です。ですから私たちは霊的な神殿と聖なる建物両方を守っていかなければならないのです。
共同体は主を賛美するために教会に集まります。