2024年6月20日 (木)

イエズスの目で見る

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 シルゴ神父様は「聖イグナチオの霊操」の講話の中で、イエズス様の目で、ものを見る、出来事を見る、人を見る、ことが大事だと話されました。

 時々自分に合わない人や気に入らない人の前に立ってその人を見る時、イエズス様は私たちにおっしゃってくださる。「あなたにはあわない人かもしれないけれども、その人のためにも、私は命をささげた」と。

 ドキッとしました。そう、イエズス様がおっしゃることは真実です。そしてこのことを忘れていることに気づかされました。自分が気に入らなくても、主はその人を愛しておられるのです。それならば、当然私もその人を愛さなけばなりません。

 私たちはいつも何かしらの不平不満を言っています。そして物事に対しての不満がいつの間にか特定の人に対しての不満や批判になってしまうことがあります。私自身他人を批判した事を悔い改めます。

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2024年6月17日 (月)

ファティマでの説教

 酒井司教様はスペイン・ポルトガルを巡礼中です。ファティマでのごミサの説教(ポルトガル語)です。

(司教様の説教は1:50頃から始まります。)


YouTube: ファティマ・サンティアゴ巡礼第3日目

 宣教の実りについて、また私たち自身が自分なりの宣教をすることを願っておられます。

2024年6月16日 (日)

講話を二つ

 一つ目はYouTubeで偶然に見つけた5年前の黙想会のお話しです。


YouTube: 【四旬節黙想会】中島 貴幸神父(オプス・デイ属人司祭)【テーマ-喜びに喜べ(ローマ教皇フランシスコ著書)-2019年3月31日 カトリック武庫之荘教会

 中島貴幸神父様のお話を初めて聞きました。丁寧で聞きやすく、その内容もなるほどと納得することばかりです。フランシスコ教皇の『使徒的勧告 喜びに喜べ』と『カテキズム』そしてベネディクト16世教皇の『使徒的勧告 主のことば』を用いて話されています。わたしはいつも教皇様が出される回勅や使徒的勧告、書簡などは読むのに苦労しますが、こうして話を聞くとよく理解できます。

 回勅や使徒的勧告は日常なかなか読みません。これからは本棚の飾りになってしまっている本を、実際手に取って積極的に読もうと思いました。

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 二つ目はイグナチオ・ロヨラの「霊操」についてのイエズス会司祭の連続講話です。3年位前の動画です。以前名古屋にあったカテキスタ学院の先生から『霊操』の本をいただきました。しかしその時は誰も指導してくださる方がいなかったので、さっと目を通しただけで本棚にしまってしまいました。しかしあれから約40年後、こうしてインターネットで『霊操』について学ぶことができるようになりました。素晴らしい!


YouTube: 「聖イグナチオの霊操」第1回 黙想の仕方(準備)

2024年6月13日 (木)

パドヴァの聖アントニオと召し出し

 今日はパドヴァの聖アントニオ司祭教会博士の記念日です。ポルトガルのリスボンやイタリアのパドヴァでは祭日で盛大にお祝いするでしょう。聖アントニオの説教は素晴らしかったようです。

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YouTube: Strong Families Are The Bedrock of The Catholic Church

 家庭での子どもたちへの信仰教育の大切さがわかる動画です。それは信仰を押し付けることではありません。親が一番大切にしているキリストの愛を子どもたちに伝えるだけのことです。そうすれば自然と子どもは自ら善い方を選ぶようになります。

 キリストより他の物事を大切にしたり、主に信頼せず、主への感謝を口にせず、祈らず、信仰の喜びを感じないでいる親を見ている子どもにキリストの愛の喜びが伝わるはずがありません。

 とは言っても、人生すべてがこの通りになるとは限りません。私たちに理解できなくても主の考えで私たちに試練をお与えになることもあります。聖モニカのように親がどんなに深い信仰を持っていても子どもはマニ教にはまってしまうこともあります。勿論それはアウグスティヌスが聖人になるほどの信仰を得るために主が与えられた試練だったのかもしれません。また私の知っている司祭の兄弟は両親から同じ信仰教育を受けても一人は司祭、一人は無神論者(いつか回心するかも)になりました。

 大切なことはたとえどんな状況であろうともあきらめずに主に信頼して子どものために祈り続けることだと思います。そうすれば洗礼のしるしのある子どもはキリストから離れてもいつかキリストにかえる恵みをいただけると信じています。

 聖アントニオに倣い良い説教をする司祭の召し出しを願います。

2024年6月 9日 (日)

悪霊について

 今日の説教について: 司祭が説教の中で「悪霊(悪魔)があると信じている人?」「わからない人?」「無いと思う人?」と、質問して挙手をしてもらっていました。結果は置いておいて、ごミサの最後に再び悪霊について話されました。

 すべてを悪霊のせいにする内容に、悪霊を信じている私でも引いてしまいました。

 神父様の話では今日のマイクの不調も悪霊のせいということでしたが、例えば私が教会のごミサに与るために車を運転しているとします。途中で車のガソリンが空になり動かなくなりました。神父様ならきっとそれはあなたが教会に行くことを悪霊が邪魔しているからだと言われるでしょう。

 でも私の思いは違います。神様が「出かける前にはいつもチェックして準備をしなさい」と、教えてくださっていると思います。そして大事に至らなかったことを私は神様に感謝します。おそらく私がみ言葉のわかちあいに参加しないのも、神父様なら悪霊が邪魔をしているからだと言うでしょう。

 うまくいかないことをすべて悪霊のせいにする生活は悪霊に縛られたとても苦しいものになります。それよりうまくいかないことも主の恵みと思い、主に感謝しながら生活すればとても心穏やかに過ごせると思います。

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 あなたは守護の天使に護られています。いつも守護の天使に祈り,そして感謝しましょう。そうすれば悪霊の入る隙はありません。

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 もう一つの祈りは文語での「守護の天使に向かう祈り」です。

 わが守護の天使、御身は天主の御摂理によりて、わが終生の友となりたまえり。御身の尊き御保護と、絶えざる御導きとを感謝したてまつる。

▴ 願わくは、御身の強き御翼もて弱きわが霊魂を覆い、危険を免れしめたまえ。苦しみに遭うとも落胆することなく、幸運においても思いあがることなく、世俗とその精神に流されることなく、貧しき人をないがしろにすることなく、主の御いつくしみにより、御身に委ねられるわが一生が、すべて御身の喜びとなるよう、われを導き、われを励まし、われを強めたまえ。われを離さず、わが足のつまずかざらんよう、清きみ手もてわれを支え、われを守りたまえ。アーメン。

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 皆さんにお勧めしたい本があります。以前にも書きましたがその名も『悪魔のささやき』(加賀乙彦著)です。

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2024年6月 8日 (土)

み言葉のわかちあい

 私の教会では主任司祭の強い要望で毎月「み言葉のわかちあい」をすることになりました。

 私はみ言葉のわかちあいには数回参加しましたが、何れも私には合わない集いでした。それ以来このような集いには参加していません。ですから主任司祭には申し訳ないのですが私はずっと参加しないつもりです。

 み言葉のわかちあいは日曜日のミサの福音箇所を読んで黙想し、それぞれ自分の心に響いた箇所について話して分かち合います。そしてしばらく沈黙した後、各自自由に祈りを捧げます。

 もちろんすべてがこの通りに行われるとは限りませんが、流れは大体同じです。そして、もしみ言葉のわかちあいに参加される方は次のことをしっかりと守ってください。

1.集いの場で聞いたことを他の所で絶対に話さない。秘密は守ること。

2.話をした人に説明したり教えたり、批判したり、議論したりしないように。つまり話す人は皆に聞いてもらい、質問や誰かの助言を求めたりしない。そして聞く人は相手の話を聞くだけで何も応えてはいけません。相手の話を聞いて心にとめるだけです。

 み言葉のわかちあいが大好きという方もおられます。それが霊的成長をたすけるのなら参加したらよいでしょう。でも私は苦手なのでパスします。coldsweats01

 私は以前にも書きましたが、黙想会(み言葉のわかちあいのない)、講話、十字架の道行などには参加しますが、祈りの集いなどOOの集いや集会といったものには参加しません。若い頃には友人やシスターに誘われて、好奇心から様々な集いに参加しましたが、どれもしっくりくるものではありませんでした。不熱心な信者と思う方もおられるでしょうが、私は他人の目は気にしません。confident

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 それよりも毎日曜日の福音朗読の時に、ほとんどの方がみ言葉を聴かずに、パンフレットを黙読していることは問題だと思うのです。福音朗読の時は神のみ言葉を聴くようにと言われています。しかしパンフレットの文字を目で追っていては、聴いていることにはなりません。(朗読ミスをチェックするためにパンフを見ているの? happy02)  第一朗読・第二朗読・福音朗読の時にはパンフレットは置いて、静かに聞きましょう。(ページをめくる音もせず静かに・・・)

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主のみ言葉を聴く人々

 また平和のあいさつの時、「すでに司祭とはあいさつをしているので、はじめから信徒同士であいさつをしましょう」と主任司祭が説明したにもかかわらず、先ず司祭の方を向いて「主の平和」とあいさつしているのです。😥 まあ、み言葉を聴くことに比べればたいしたことではないのですが。毎回私があいさつしようとすると皆私ではなく司祭に向かってあいさつしています・・・weep

 典礼に関しては主任司祭が話されたことは守りましょう。一度説明されたら、何故そうしなければならないかを理解して、習慣に流されないようにしましょう。

2024年6月 7日 (金)

イエズスの聖心(祭日)

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 茨で囲まれているキリストの心臓。それはキリストの無償で無限の愛の象徴の聖心です。聖マルガリタ・マリア・アラコク(10月16日記念日)に現れたキリストは聖体の祝日後の金曜日に聖心を崇敬するように告げました。それはキリストの聖心を傷つけている私たちへの回心を促すものでした。

 キリストは無償で私たちを愛してくださっているのに、そのキリストの愛を私たちは多くの罪で傷つけてます。それは彼女の時代17世紀となんら変わっていません。かえってキリストを信じていると言いながら紛争をやめようと努力しない人たち、洗礼を受けていながらキリストから離れた生活をする人達・・・今の時代の方がもっとキリストの聖心を傷つけているのかもしれません。

 明日は聖母の御心の記念日です。

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2024年6月 6日 (木)

キリストの聖体行列~スペイン


YouTube: Procesión del Corpus Christi 2024 en Valladolid

 カトリックの国での「キリストの聖体」の祭日・ご聖体の行列です。lovely

2024年6月 2日 (日)

読書2

 私の一番良くないところは多分高慢だと思います。心の中で思うだけですが。そんな私が繰り返し読んでいる本が教皇レオ13世が書かれた『けんそんのしおり』と聖ホセマリアの『道』です。それらにはすでに教皇フランシスコの講話集『識別』に共通することが書かれています。

 『道』は今まで何度も紹介してきたので、今日は『けんそんのしおり』から。

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・あなたに無礼な振る舞いをし、あなたをそしり、あなたを妨害して喜んでいるものがあれば、あなたは、神がその人をつかって私の高慢を砕こうとなされるのだと考え、その人は神のおん憐れみの手立てであると考えて、その人を敬い慕わねばならない。

・神のみ旨に逆らわないように、危険を避けるように、大罪に陥らないように、常々祈り続けているならば、あなたの態度や行いは、次第に望みどおりになり、真理を黙想し、善を行い、神とかかわりのないものを遠ざけられるようになるであろう。つまり、それこそ、まことの謙遜の土台である。そうすれば、あなたは絶えず神に祈っているのと同様である。

・神は憐れみ深いお方であるから、あなたはすべてを神のおん手に任せ、子どもが親にしたがうように、まったく神のみ摂理に信頼せよ。どんな苦しい場合にも、いたずらに悩み苦しむことなく、神のおん計らいに任せる心をもて。そうしないならば、あなたは神を疑い、神の善意を認めず、神に希望をおかず、神に教えようとする高慢なものとなるであろう。謙遜なものは、そんなことはしない。謙遜の徳は自分を抑えると同時に、神のおん助けにより、神の慰めを期待させるはずである。

・聖母が自分の祈りを聞きいれてくださるかどうかを疑ってはならない。聖母に願うなら、きっと聖母はあなたのために神に取り次いでくださるのである。聖母はおん子の母であるから、その取り次ぎは必ず聞きいれられるに違いない。

・あなたが謙遜になりたいならば、しばしば告解(ゆるしの秘跡)をして聖体を受けよ。告解は私たちのひそかな醜い行いを思い出し、イエス・キリストが使徒たちにお命じになった通りに、それを謙遜に言い表すのである。聖体は、私たちを愛するがために人間となって死なれた神を受ける秘跡であって、謙遜になるためにもっとも力あるものである。憐れみの神のみこころは、常に、あなたの心のうちに住まわれる。あなたがせつに謙遜の恵みを願えば、神は聞き届けられるであろう。式にあずかる時には、心と思いとを正し、天の食べものを受ける準備を整えよ。この食べものは、せつに乞い求めるものにだけ配られるからである。

2024年6月 1日 (土)

読書1

 主任司祭が薦めていた本2冊を読みました。1冊目は『使徒的勧告 信頼の道』2冊めは『教皇講話集 識別』です。『信頼の道』は幼きイエスの聖テレーズ生誕150年を記念して出されたものです。ですから今までテレーズの本を読んだ人には特に新しい発見はないと思います。今まで聖テレーズについて知らない人にとっては聖女を知る良い機会だと思います。

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 『識別』の冒頭に、「人は食べ物、服装、進路、仕事、交際相手を選んでいます。そのすべての積み重ねで人生設計が具体化し、神との関係もまた目に見えるものになっていくのです。何を選ぶか識別することはとても大事です。賢い選択には、知恵・経験・感情・意志が必要と同時に努力も必要です」。また「自分の気持ちや考えをよく知るには、それがどこから来るのか、自分をどこへ導くのか、どんな決断へと至らせるのかを識別しなければなりません。神は、よく見極めて選択するよう求めておられ、私たちにその選択の自由を生かすように望んでおられる」と。

・神は計画されていない偶然の出来事を通じて働かれます。

・祈りは霊的識別を助けるのに不可欠なものです。祈り続けるということは、イエスに心を開いていること、イエスに近づくこと、心にイエスを迎え入れること、イエスの存在を感じることなのです。そうすることで私たちは、イエスが望まれることなのか、自分の思いーイエスの望みとは隔たりがちなーなのかを識別することができるはずです。

・イエスはご自身に従うよう強いることは決してなさいません。ご自身の意志をあなたに知らせますが、あなたの自由にゆだねられます。

・自分の生活を読み返すことに慣れると、見る目が養われます。磨きがかかり、神が日々私たちに起こしてくださる小さな奇跡に気づけるようになります。

・孤独やすさみの時、心を開いて自覚的に過ごすという心得があれば、人間的にも霊的にも強くなっているはずです。・・・悲しみやすさみに、打ちのめされてはいけません。前へ進むのです。・・・すさみと呼ぶ精神状態、心が真っ暗で悲しんでいる時でもそうしたすさみは成長の機会となりうるのです。

・困難に直面しても、決して裏切ることのない神の恵みの助けを借りて、決然と試練に立ち向かいましょう。

・識別を助ける第一のものは、神のことばや教会の教義との照合です。みことばや教義は、心にうごめくものを読み解く助けとなります。

・主が私たちにくださった、こうした数々の助けがあれば、恐れる必要はありません。勇気をもって、喜びをもって、前へ進み続けましょう。

・識別の助けとなるもののひとつが霊的同伴者(霊的指導者)です。同伴者は時のしるしを、主の声を、誘惑者の声を、乗り越えられない困難の声を、よく聞き分けられるよう助けてくれます。

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 良い選択、判断ができるためにこれらのことを心にとめて、常にキリストの聖心に適う識別ができますように聖霊の恵みを願います。

2024年5月31日 (金)

聖母の訪問

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 今日は聖母の訪問の祝日です。

 聖母マリアはエリザベトの出産を手伝うために訪問します。エリザベトは聖母マリアが訪ねて来てくれたことに感動して聖母に、

「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」と、喜びをあらわします。

 その言葉を受けて、聖母は神に感謝し賛美を捧げます。

    マグニフィカト

わたしは神をあがめ、
わたしの心は神の救いに喜びおどる。
神は卑しい はしためを顧みられ、
いつの代の人も わたしを しあわせな者と呼ぶ。
神は わたしに偉大なわざを行なわれた。
その名はとうとく、
 あわれみは代々、神をおそれ敬う人の上に。

神はその力を現わし、
思いあがる者を打ち砕き、
権力をふるう者を その座からおろし、
見捨てられた人を高められる。
飢えに苦しむ人は よいもので満たされ、
おごり暮らす者は むなしくなって帰る。

神は いつくしみを忘れることなく、
 しもべイスラエルを助けられた。
わたしたちの祖先、
 アブラハムと その子孫に約束されたように。

 毎晩教会の祈りを唱える時にこのマグニフィカトを唱えますね。その度に天主の大きな愛を感じると同時に、『今日も私は高慢だった』と自分の弱さを悔やんでいます。

2024年5月30日 (木)

キリストの聖体(祭)


YouTube: eucharistic procession in Krakow Poland 聖体行列2 クラクフ20180607 195104

 三位一体の祭日が過ぎて木曜日になるといつも夫は「今日は聖体の日だ」と嬉しそうに言うのですが、私が「今度の日曜日よ」というと、「そうだった、どうしても木曜日だと思ってしまう。」と答えていました。本当は夫の方が正しいのですが。子どもの頃からずっと身についた感覚は忘れられないのでしょう。夫にとって毎年の聖体行列は良い思い出だったようです。

  キリストはご聖体という目に見える特別な形でご自分を私たちに残してくださいました。聖ファウスティナたちのようにキリストのご出現を経験しなくても、私たちはいつも主の前にひざまずいて主と語り合うことができるのです。

 ご聖体の秘跡によって主が私たちをどれほど愛してくださっているかがわかります。わたしたちももっと主を愛さなければ heart

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2024年5月25日 (土)

オプス・デイ司祭叙階式

 主司式は酒井司教様です。司教様のラテン語ミサ lovely日本では与る機会はないですね。

 29名の新司祭様おめでとうございます。特にアルベルト新谷神父様には6年前ローマのオプス・デイ本部を案内していただきました。あの頃は司祭になるため勉強中の好青年でした。叙階式を見ていて胸にグッときました。とても嬉しいです。アルベルト新谷神父様が司祭の少ない日本で働いてくださることを私は主に願っています。


YouTube: 25 maggio 2024: ordinazione di 29 nuovi presbiteri dell'Opus Dei

 叙階式で酒井司教様がスペイン語で説教されたところの日本語訳のリンクです。司教様の説教は新司祭だけでなく、すでに働いておられる司祭に向けても当てはまる素晴らしい説教です。是非読んでみてください。⇩

https://opusdei.org/ja-jp/article/shisai-jyokai-shiki2024-sekkyou/

2024年5月24日 (金)

司祭叙階式のご案内

 日本時間の25日午後5時からオプス・デイの司祭叙階式があります。酒井司教様による案内です。司教様が勉強された神学校についても少し触れられています。司祭叙階式のミサは当然ラテン語ミサです。今はラテン語ミサに与る機会はなかなかありませんし、ラテン語での荘厳な叙階式を是非見てみてください。


YouTube: 司祭叙階式司式予告

2024年5月22日 (水)

カーシァの聖リタ

 今日は聖リタの記念日。「望みのない時の助け手」と言われている聖リタです。夫婦間でうまくいっていない人、子育てに悩んでいる人、家庭内に問題を抱えて苦しんでいる人、絶望的な状況の人や望みのない人は、主のいつくしみと問題を解決できる希望の恵みを主からいただけるように聖リタに執り成しを願いましょう。

 聖リタは妻として母としてとても苦しみ多くの涙を流しましたが、どんな時にも主に信頼して祈り続けました。そして主は彼女の祈りに応えられました。聖リタのように夫の無理解や暴力、子供たちの死など自分自身ではどうすることもできない時にはただ主に信頼して祈ることです。聖リタに主への執り成しを願いましょう。

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2024年5月19日 (日)

聖霊降臨の説教

 酒井司教様の聖霊降臨の説教(説教は5:00頃から)


YouTube: 東北巡礼2024第3日目5月18日

 司教様の説教はいつも気づかされることがあり、福音がよくわかるように解き明かしてくださいます。

聖霊降臨の主日(祭)

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 聖霊降臨の前にイスカリオテのユダの代わりにマティア(5月14日が祝日)が選ばれ使徒たちに加わりました。なので聖母の周りには12人の使徒がいます。多くの聖画ではマリア様にも聖霊が降りているように描かれています。

 マリア様はすでに聖霊によって身ごもったのに再び聖霊を受けたのでしょうか?神学的なことはわかりませんが私にとっては素朴な疑問です。聖霊が降った時に無原罪である聖母も使徒たちと一緒にいたのは確かなのですが。

 疑問はさておき、使徒言行録(1:1-4)には聖霊降臨について、「皆が一つに集まっていた時突然天から激しい風が吹いてくるような音がして響き渡り、炎のような舌が分かれて現れて、一人一人の上にとどまった。するとみな聖霊に満たされた」とあります。キリストが天に昇っていかれる前にキリストは使徒たちに「ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなた方は、間もなく聖霊によって洗礼を受ける」と約束され、その通りになりました。そしてこうも言われました。「聖霊があなた方の上に降るとき、あなた方は力を受けて、エルサレムと全ユダヤとサマリア、また地の果てに至るまで、わたしの証人となるであろう」。そして何世紀もの間それは実行され続け、ついに1549年聖フランシスコ・ザビエルによって日本にもキリストの教えが伝えられました。素晴らしい!

2024年5月16日 (木)

レモンチーズケーキ

 久しぶりにケーキを作りました。作るというほどのものではないですね。炊飯器の窯にレモンの輪切りを並べて、全部混ぜた生地を上から流し入れて炊飯器のスイッチを入れるだけ。

 焼きたてはやわらかくふっくらしていますが、冷蔵庫で冷やすと固くなります。

 賞味期限の切れたクリームチーズを消費するためにつくりました。レモンを使うだけでさわやかな味になります。輪切りのレモンの酸味がアクセントです。

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クリームチーズ 200g.     砂糖 100g.   卵 2個

溶かしバター 20g.    生クリーム 200ml.  

レモン 1個(皮はすりおろす) 薄く輪切りにする

ホットケーキミックス粉 200g.

2024年5月12日 (日)

典礼の話

 今日は「司祭不在の時の集会祭儀司会者養成講座」の公開講座第2回目がありました。典礼について気づきの沢山あるとても実りあるお話しでした。かねてからの私の典礼に対する考えが同じところでは、思わず『そうなのよ!』と心の中で応えてしまいました。

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聖体祭儀=ミサの中で何を一番大切にしているか?所作によって一番大切にしているものがわかる。

典礼によって私たちは変えられ、生かされなければならない。

ミサは大きく分けて(開祭)・ことばの典礼・感謝の典礼・(閉祭)

ことばの典礼の主役は聖書 舞台は朗読台

・答唱詩編について: 詩編は神から降りる言葉なので、朗読台から一人で第1・第2朗読と同じように詩編を唱え(歌い)、答唱句は皆で神に返すのが望ましいです。

・説教について: 説教はその日朗読された福音を解き明かす証です。説教は神の言葉を聞くのと同じです。司祭は「神は今ならこう言うだろう」と話すでしょう。

感謝の典礼の主役は聖体 舞台は祭壇

 パンを取り

 感謝をささげ

 さいて弟子たちに与え

司祭のいない集会祭儀ではこの赤い所だけないのです。代りに賛歌を入れます。

私たちは典礼奉仕によってキリストの体の一部となります。伴奏できる人、朗読が上手な人、お花が生けられる人、答唱詩編を歌える人、香部屋を準備する人等々それぞれに与えられた典礼奉仕によって、また役割がない人もキリストの体の一部となります。ですからだれでもただ順番に割り当ててするのはよくないです。

ご聖体を拝領する時に、「キリストの体」「アーメン」と応えますが、それは「あなたはキリストの体になりますか?」「はい、なります」と答えているのです。そして一番大切なもの=キリストはもう自分の体の中にあるのですから、聖体拝領後は他の物(聖像など)にお辞儀はしない。

私たちは毎日曜日に集まります。そこに司祭が不在でも神様はおられるのです。ですから司祭が不在でも集まりましょう。

Flower_rose_line_1422_2 最初に神父様は「典礼を邪魔する考え」という話をされました。フランシスコ教皇様の使徒的書簡 『わたしはせつに願っていた』からのお話しです。「私は典礼について何でも知っているのにあの人は何もわかっていない・・・」とか「私はこんなに典礼を一生懸命しているのにあの人は何もしない・・・」など、キリスト者としての成長を妨げる考えです。本当は典礼によって成長するはずです。典礼的養成について書かれているこの本を早速注文しました。

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 最後に、この公開講座は素晴らしかったのに私の教会から私一人の参加、典礼委員は一人も参加していませんでした。とても残念です。

2024年5月10日 (金)

2025年は聖年

 


YouTube: Second Vespers on the Solemnity of the Ascension of the Lord, May 9, 2024

 9日木曜日、ヴァチカンからフランシスコ教皇様の2025年聖年の布告と主の昇天の夕の祈り(Second Vespers)です。