YouTube: Pater Noster | Año de la Oración
YouTube: Himno a la Virgen de Guadalupe | Canto a la Virgen María
YouTube: Al encuentro con María: UN DÍA LA VERÉ | Canto a la Virgen María
YouTube: Ave Maria | Canto a la Virgen María
毎日猛暑が続くと、ちょっとした不快なことにもイライラしてしまいます。宗教を馬鹿にした言動や、懐疑的な宗教の話、異端的な話など・・・普段なら聞き流して無視していることに引っかかってしまいます。
そんな時に私はお気に入りの香水(GRÈSのCabochard)を部屋にシュッと一噴きしてから、これまたお気に入りのCanto Ctólico の聖歌を聴いて心を静めます。
お気に入りの香水は、眠れない夜には枕にシュッ、落ち着きたい時にも部屋にシュッ。外出の時だけでなく、このような使い方もあります。
グレのカボシャールは母が好きだった香水で、私も大好きです。この香りでいつも母を想い出します。因みにCOTY の ASPEN の香りは夫を想い出します。
師匠と弟子のフラメンコです。師匠の何とも味のある舞と弟子の若さ溢れる力強い舞、素晴らしいですね。伝統芸能、伝統の技、師匠から弟子へと受け継がれていくすべてのものは大切に守っていきたいし、国が援助して保護していくべきです。文化を破壊する武器ではなく、文化を守るために税金は使いましょう。
師匠:Antonio Canales 弟子:Matias Campos
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YouTube: Antonio Canales & Matías Campos – Romera en #TDTReyes
ある中学校の水泳の授業で、一部の生徒が遅れてきたことに対して、そのクラスの生徒26人全員(見学者も含めて)に連帯責任としてプールサイドを5周走らせ、さらに準備体操として2周走らせ、その結果21人が足の裏にけがをしたとのこと。
ニュースや多くの人はこれは体罰だと批判しています。その通りです。でも私が一番嫌なことは「連帯責任」ということです。いまだにこの悪習「連帯責任」が学校で行われていることに驚きました。
小寺神父様の「子育てサロン」でのお話しとは真逆のやり方ですね。いつになったら学校からこの悪習「連帯責任」が無くなるのでしょうか。子どもたちのことを一番に考え、愛する人だけが教師になりますように。例えばドン・ボスコのような人。
YouTube: 三位一体「神と親しく交わる」(2024年5月24日)
以前『トマさん祈りの部屋』というブログから良く紹介していましたが、昨年このブログは終わりました。そして今は『小寺神父様のお話し』という動画がYouTubeにアップされています。
聖書の朗読箇所についてお話ししています。これですよ、私が求めているものは。自分勝手に聖書を解釈した他人の話を聞くのではなく、カトリックの教えにそった話を聞くことこそ恵みです。
小寺神父様の「子育てサロン」というテーマでの連続講座もあります。参考になると思います。
良い羊は良い羊飼いについていきますよ、メ~~エ
1936年(昭和11年)は戦前、私もまだ生まれていませんでした。その頃の中国のカトリック信者の子どもたちの様子を写した動画を見つけました。
聖堂に入る時には聖水を付けて片膝をついて十字を切る・・・私も子どもの頃はそう教わりました。そして聖堂の中では静かにする・・・なぜなら聖堂にはイエズス様がいて、私たちはイエズス様にお祈りをする所だから。日曜日にはイエズス様に会いに行くのだからと、よそ行きの服をきせてもらったのも同じですね。
YouTube: Chinese Catholic schoolchildren sing Gregorian chant at Mass in San Francisco (1936, HD)
「カルメル山の聖母」はカルメル会の守護者としての称号です。カルメル山の聖母と言えばスカプラリオですね。
カルメル山の聖母のスカプラリオとはカルメル修道会と跣足カルメル修道会の修道服のことです。カルメル会の修道服を着る者には聖母の救済があると約束されています。そこで一般信徒も修道者に倣うために修道服と同じように小さなスカプラリオを身につけるようになりました。今はメダイのスカプラリオもありますが、教会は布製のスカプラリオが修道服の衣服としての価値があるので、布製の物を優先するとしています。
「茶色のスカプラリオは、御子と、母でありカルメル山の女王である聖母マリア、の親子関係を形度ったもので、それを身につける者は、自分自身のすべてを聖母マリアの保護に任せる忠実な支持者であり、聖母の仲裁に頼り、精神的な生命の優越性と祈りの必要を心にとめて忘れない。」(典礼秘跡省)
「カルメル山の聖母への献身は、歴史とカルメル山の聖母の兄弟たちによる修道会が持つ霊的な価値に基づくものであり、そしてそれがこのスカプラリオに表されている。故に、茶色のスカプラリオを受け取った者は誰であれ、この会のメンバーとなり、自己の人生の状態の特性に基づき、その霊性に従って生きることを誓う。」(典礼秘跡省1996年)
カトリック司祭は洗礼を受けた人にこのスカプラリオを授与できます。その祝別と授与の方法は典礼秘跡省に承認されたものです。
注意しなければならないのは、信心に熱心なあまり、特別な恵みや奇跡を願うことにばかりに心を奪われる人は時々迷信に迷い込んでしまう危険があるということです。一時期「亡くなる時にスカプラリオを身に付けていると簡単に天国へ行ける」という誤った乱用もありました。茶色のスカプラリオも、決して聖霊のような方法で秘跡が与えらる恵みを与えることはありません。
スカプラリオを身につけるには約束事があります。スカプラリオは聖母マリア様が与えた修道服であり、衣服ですから、それを身につけるということはカルメル修道会に属することです。謙遜、貞節、そして祈りの精神で聖母に倣う生活をしなければなりません。そうすれば生きている時も死後も、聖母マリア様の保護を受けるでしょう。
ファシリティドッグって知っていますか?私も娘から聞いて知りました。老人ホームなどでお年寄りの癒しになっている犬については良く見聞きしますが、ファシリティドッグはそれとはちょっと違います。
YouTube: 闘病中の子供に寄り添いパワーを届けるワンコ
娘が働いている病院にもファシリティドッグがいるそうです。子どもたちだけでなくスタッフにも可愛がられているようです。
子どもの闘病生活にとってファシリティドッグの効果は大きいと思います。長期入院している子どものいる病院すべてにこのようなワンちゃんがいればいいのに
今日は聖ベネディクト修道院長記念日です。ベネディクト修道院と言えば祈りの生活です。そして修道士たちがいつも行うレクティオ・ディヴィナも今では修道院内だけでなく、一般信徒も行っています。
今月の鹿児島教区報に信徒の方たちでレクティオ・ディヴィナを20年続けているという記事が載っていました。
Lectio Divina (霊的な読書)は聖書の読書、黙想、祈り、観想の伝統的な修道院の慣習です。霊的な読書のルーツは3世紀頃オリゲネスに始まり、聖アンブロシウ、聖アウグスティヌスへ、そして6世紀聖ベネディクトによって確立されました。12世紀になりカルトジオ会のギゴ2世修道士によって今の読書、黙想、祈り、観想という四つの段階の形になりました。カルメル会ではレクティオ・ディヴィナは祈りの柱となっているそうです。勿論ベネディクト会、カルトジオ会、シトー会、フランシスコ会等でも行われています。
教皇ベネディクト16世はLectio Divinaについてこう述べておられます。
私は特に、レクティオ・ディヴィナという古い伝統を思い出し、推奨したいと思います。祈りを伴った聖書の熱心な朗読は、親密な対話を生み出します。その中で、読む人は神が語っておられるのを聞き、祈りの中で、信頼し、心を開いて神に応答します。この実践が効果的に推進されれば、教会に新たな霊的春が訪れると私は確信しています。
とは言っても私自身家族がいるとゆっくりと聖書を読み、黙想して、祈りそして観想する時間はありませんでした。特に子育ての時期は。寝る前に聖書を少し読み、祈るだけの日がほとんどでした。でも今は幸いなことに時間はたっぷりあります。
レクティオ・ディヴィナについて詳しく知りたい方は神言会の聖書使徒職委員会のホームページに載っていますのでそちらをどうぞ。⇩
今日は七夕。朝からラジオでは七夕の話題が流れていました。その中で気になったことが短冊に書く言葉です。
〇〇が上手になりますように、〇〇ができるようにお願いしますとか病気をしませんように等々、子どもたちの願いは様々です。一方で親たちの願いは子どもたちの無病息災など家族に関するものが多いでした。
私は短冊に書く願い事は、自分のためのことではなく、他人のための願い事を書くのだと教わりました。中には「お父さんお母さんが元気でいますように」とか「戦争が早く終わりますように」などと自分以外の人のために願いを書いている子どももいました。嬉しいですね。お父さんお母さんがいつも他の人たちのことを気遣っている姿を見ているのでしょう。
さて、今日は都知事選、鹿児島県知事選挙もあります。自分のためではなく私たちのために働いてくれる人を選びましょう。私も教会の帰りに一票と入れてきます。
気が付けば今日は使徒聖トマの祝日でした。すっかり忘れていました。祝日なのにー
こう暑いと体も頭もぼ~としてだるい。外の仕事はとても無理なので、部屋のエアコンを付けて聖書を読み始める。ぼ~とした頭が徐々にすっきりしてくるが、ゆっくりゆっくり読まないと頭に入らない・・・。暑さのせいより年のせいかな?
近所の家では大工さんたちがこの猛暑の中仕事をしています。大工さんたちは夏も冬も外で働くことに慣れているとはいえ、さすがにこの暑さは堪えると思います。彼らにただただ感服します。
もうすぐ我が家の玄関の扉を取り換える工事も始まります。築50年以上たつと壁と扉との間に隙間ができて台風の時困っていました。ずっとどうしようか迷っていましたがやっと決心がつきました。この暑い中工事に来てくださる方には冷たいお茶とお菓子とアイスを用意して労いたいと思います。
我が家のにゃんこも暑そうです。⇩
今日は福者ペトロ岐部と187殉教者の記念日です。数日前から『殉教者』(400年前、聖地エルサレムを訪れた初の日本人・ペトロ岐部カスイ。ローマで司祭となり、キリシタン弾圧の嵐が吹き荒れる日本に戻った男の生涯)を読んでいます。その苦難に満ちたローマへの旅、そして殉教。それはただ主への愛の証。また187人の殉教者のうち183人は子どもを含む信徒たちでした。
現在福者高山右近を聖人にという声を聞きますが、私はペトロ岐部と187殉教者を聖人にと願っています。
「日本にキリスト教は根付かなかった」という人もいますが、私はそうは思いません。宣教地でこれほど多くの殉教者を生んだ国が他にあるでしょうか?確実にキリスト教(カトリック)は日本に根付いています。大浦天主堂での信徒発見のシーンを思い起こしてください。もう日本には信徒はいないと誰もが思っていたのに・・・数は少なくても信仰の根はしっかり付いていたのです。ですからその証として殉教者たちを聖人のくらいに上げましょう。ただ私の心の中では日本で殉教したすべての人達はすでに皆聖人です。
長崎でも司祭、修道者の召出しが少なくなっていると耳にします。長崎の信徒の皆さん、皆さんは先祖に根付いた信仰を脈々と受け継いでおられるのです。それは私が望んでも得ることのできない主からの特別なお恵みだと思います。誇りをもって再びその信仰を燃え上がらせてほしいです。
聖ペトロと聖パウロの祭日です。夫の堅信名はペトロ、次男の堅信名はパウロ、私の目から見ると逆で、夫がパウロで次男がペトロのようなイメージです。
私はペトロは寛容で優しい、パウロは強く堅固なイメージを持っていますが、実際はペトロは寛容、優しさに隠れてとても強く堅固であり、パウロはその強く堅固な力の中に優しさが隠れているような気がします。そう考えると二人の堅信名はぴったり合っています。
夫は二心無く、誰に対しても自分の信仰ははっきりと表す強く堅固な人でした。厳しい人と思われがちですが、しかし私よりもずっと優しく寛容でした。特に弱い人や貧しい人、苦しんでいる人、そして一生懸命信仰に生きようとしている人のためにいつも祈り、経済的にも援助をしていました。おそらく夫のそういう面を知っている人は少ないでしょう。
人間にはいろいろな面があります。一面だけを見てその人にレッテルを張らないように気をつけましょう。今は選挙の時期、特に選挙の立候補者に特定のイメージを植え付けて批判ばかりする、逆にほめちぎるのは良くないですし、そういう一面だけの評価に惑わされて投票しないように気をつけたいものです。
今年も聖ホセマリア神父様の記念日を迎えました。聖ホセマリア神父様の記念ミサは各地で行われてきましたが、7月6日(土)午後3時から長崎のカトリック本原教会でも行われます。午後2時よりゆるしの秘跡を受けられそうです。与れる方は是非!
いつも聖ホセマリア神父様の本を読んで、励ましと慰めを得ています。そして聖ホセマリア神父様へ取次ぎを願う祈りによって、主から多くの恵みを受けています。今は本を持ち歩かなくても、携帯で読むことができるので便利になりました。
生前の聖ホセマリア神父様の動画では、様々な人たちの色々な質問(家庭、夫婦、子育て、教育、仕事、友人関係、争い、貧富の差、人生の目的、信仰について等々)に、聖書の中でキリストはこう言っている…ペトロは…パウロは…、キリストの目線で、また聖人たちのことばや行いを用いて答えられています。
これらの動画を見ることで、私自身、知り、気づかされ、学び、諭され、癒されます。私はこれがある意味カトリック的わかちあいだと思います。
聖ホセマリア神父様は私たちにとってとても身近な聖人です。聖ホセマリア神父様に取り次ぎを願い祈りましょう。
酒井司教様の巡礼団はサンティアゴ・デ・コンポステラに着きました。ここでの司教様のスペイン語での説教、仏教徒の外国人に「あなたは日本人なのに、なぜカトリックなのか?」と問われた話に引き込まれました。私も成人洗礼を受けられた方に問うてみたいです。「あなたはなぜカトリックの洗礼を受けたのですか?」
ユリウス暦の聖霊降臨の日にルブリョフ作「三位一体」のイコンが聖セルギイ大修道院に返還され、修道院の至聖三位一体大聖堂で徹夜の祈りがありました。私たちにとってもなじみ深いイコンですね。
酒井司教様たちは巡礼七日目、カルダス・デ・レイに無事到着されました。聖トマス・ベケット教会でのごミサ。説教台には「PALABRA DE DIOS」と、刻まれています。まさに「神の言葉」を語る場所ですね。私たちは神の言葉=神が語られていることばを聴かなければなりません。
説教台から朗読が行われ、答唱詩編が唱えられ、福音が朗読されます。そして説教が行われます。(説教台から行わない教会もありますが) 朗読台から説教をされる時に多くの司祭様は「神の言葉」を意識して、それにふさわしいお話しをされます。私たちはその話を聞いて、より深く神の教えを学びます。信徒の躓きになるような内容は避けてほしいですね。
その点、酒井司教様の説教はいつも私の心に響くものです。主の深い愛に気づかされたり、自分の愚かさを反省したり・・・、司教様はいつも説教の準備を良くされていることが伝わります。準備はせずに聖霊が働くままに話すという司祭様もおられますが、たいていは内容に一貫性がなく、首をかしげてしまう内容のことがあります。教会の教えよりも自分の教えになってしまう・・・?
去年聖トマス・アクィナスは列聖700年、今年は帰天750年、そして来年は生誕800年を迎えます。神学生の時に勉強された『神学大全』を思い出して、聖トマス・アクィナスに倣い、神の言葉を正確に伝える司祭が増えますように。
聖トマス・アクィナス