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2024年9月 1日 (日)

夫が教えてくれたこと

  夫が亡くなって約8か月になりました。語り合う相手がいなくなった寂しさを、時が経てばたつほど感じます。語る相手は他にいても、やはり夫とは違います。

 私が二十代の初め(教皇はパウロ6世)の頃、第二ヴァチカン公会議での変更が盛んに行われ始めた頃です。

 私はその改革ブームに乗って、ヴェールはしない、ご聖体は手で受けることが進歩的でカッコイイと思い、ヴェールを被るのをやめ、積極的に手でご聖体をいただくようになりました。服装も普段着こそが清貧だと勘違いして、いつも着古したジーンズにTシャツで教会へ行きました。多くの司祭はローマンカラーを外して、信徒と同じような服装だったので、時々「あなたは司祭様ですか?」と、確かめなければならない時もありました。バンドが演奏するミサはノリノリで、今思えばミサの意味はどうでもよく、ただ自分が楽しんでいただけだった気がします。

 そんな私の間違った考えを正してくれたのが夫でした。「愛するキリストに会いに教会へ行くのに、その格好でいいの?結婚式に招待されて行く時に普段着で行く?デートの時相手のために綺麗にしていくでしょう?服を持っていないのならわかるけれど・・・」「よく考えて。ご聖体とは何?」「主キリストを崇拝するなら腰をかがめて跪くのは自然なことだと思わない?」等々。

 私はヴェールを被る意味をよく理解しておらず、ヴェールの必要性がわかっていませんでした。またご聖体はキリストの体・特別なパンであるという認識が希薄でした。ご聖体をまるで普通のパンと同じように手で受けていました。キリストの体だからこそ普通のパンと同じように手で受けるのではなく、舌で直接受けるのがふさわしいと理解しました。

 私は周りの人がどんな服装でミサに与ろうと、ヴェールを被らなくても、ご聖体を手で受けようともかまいません。これらは強制されてすることではなく、それぞれの人の心の在り方だからです。ですから私はキリストへの崇拝の気持ちが、ごミサに与る時には普段着ではなく、ヴェールを被り、ご聖体は舌で受け、ご聖体顕示の時には跪くという形を自然と取らせます。そうせずにはいられないのです。

 教会が禁止しない限り私は続けます。happy01(できれば聖変化の時にも跪きたい:普通のパンとぶどう酒がキリストの聖体と聖血に変わる瞬間ですよ!)

 夫はこれらの他にも聖書の解釈や典礼について、ヴァチカン内での問題等々、様々なことを教えてくれました。

 夫が教えてくれたことに共感して、私と同じような気持ちでご聖体を舌で受ける人が増えると嬉しいです。heart

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 さて、先月も色々なことがありました。特に信仰の面では試練でした。何故?どうして?と思うことが多く、こんな時にこそ夫がいてくれたら・・と思いました。幸い聖母マリア様、ヨセフ様、守護の天使に祈ることで乗り超えることができました。そして今は聖ホセマリアに一つの祈願をしています。聖ホセマリアに執り成しを願い主に届いたことは何度もありました。おそらく今度の執り成しの願いも適うと思います。なぜならそれは主のみ旨に適う善いことだと思うからです。

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