2024年6月 8日 (土)

み言葉のわかちあい

 私の教会では主任司祭の強い要望で毎月「み言葉のわかちあい」をすることになりました。

 私はみ言葉のわかちあいには数回参加しましたが、何れも私には合わない集いでした。それ以来このような集いには参加していません。ですから主任司祭には申し訳ないのですが私はずっと参加しないつもりです。

 み言葉のわかちあいは日曜日のミサの福音箇所を読んで黙想し、それぞれ自分の心に響いた箇所について話して分かち合います。そしてしばらく沈黙した後、各自自由に祈りを捧げます。

 もちろんすべてがこの通りに行われるとは限りませんが、流れは大体同じです。そして、もしみ言葉のわかちあいに参加される方は次のことをしっかりと守ってください。

1.集いの場で聞いたことを他の所で絶対に話さない。秘密は守ること。

2.話をした人に説明したり教えたり、批判したり、議論したりしないように。つまり話す人は皆に聞いてもらい、質問や誰かの助言を求めたりしない。そして聞く人は相手の話を聞くだけで何も応えてはいけません。相手の話を聞いて心にとめるだけです。

 み言葉のわかちあいが大好きという方もおられます。それが霊的成長をたすけるのなら参加したらよいでしょう。でも私は苦手なのでパスします。coldsweats01

 私は以前にも書きましたが、黙想会(み言葉のわかちあいのない)、講話、十字架の道行などには参加しますが、祈りの集いなどOOの集いや集会といったものには参加しません。若い頃には友人やシスターに誘われて、好奇心から様々な集いに参加しましたが、どれもしっくりくるものではありませんでした。不熱心な信者と思う方もおられるでしょうが、私は他人の目は気にしません。confident

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 それよりも毎日曜日の福音朗読の時に、ほとんどの方がみ言葉を聴かずに、パンフレットを黙読していることは問題だと思うのです。福音朗読の時は神のみ言葉を聴くようにと言われています。しかしパンフレットの文字を目で追っていては、聴いていることにはなりません。(朗読ミスをチェックするためにパンフを見ているの? happy02)  第一朗読・第二朗読・福音朗読の時にはパンフレットは置いて、静かに聞きましょう。(ページをめくる音もせず静かに・・・)

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主のみ言葉を聴く人々

 また平和のあいさつの時、「すでに司祭とはあいさつをしているので、はじめから信徒同士であいさつをしましょう」と主任司祭が説明したにもかかわらず、先ず司祭の方を向いて「主の平和」とあいさつしているのです。😥 まあ、み言葉を聴くことに比べればたいしたことではないのですが。毎回私があいさつしようとすると皆私ではなく司祭に向かってあいさつしています・・・weep

 典礼に関しては主任司祭が話されたことは守りましょう。一度説明されたら、何故そうしなければならないかを理解して、習慣に流されないようにしましょう。

2024年6月 7日 (金)

イエズスの聖心(祭日)

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 茨で囲まれているキリストの心臓。それはキリストの無償で無限の愛の象徴の聖心です。聖マルガリタ・マリア・アラコク(10月16日記念日)に現れたキリストは聖体の祝日後の金曜日に聖心を崇敬するように告げました。それはキリストの聖心を傷つけている私たちへの回心を促すものでした。

 キリストは無償で私たちを愛してくださっているのに、そのキリストの愛を私たちは多くの罪で傷つけてます。それは彼女の時代17世紀となんら変わっていません。かえってキリストを信じていると言いながら紛争をやめようと努力しない人たち、洗礼を受けていながらキリストから離れた生活をする人達・・・今の時代の方がもっとキリストの聖心を傷つけているのかもしれません。

 明日は聖母の御心の記念日です。

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2024年6月 6日 (木)

キリストの聖体行列~スペイン


YouTube: Procesión del Corpus Christi 2024 en Valladolid

 カトリックの国での「キリストの聖体」の祭日・ご聖体の行列です。lovely

2024年6月 2日 (日)

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 私の一番良くないところは多分高慢だと思います。心の中で思うだけですが。そんな私が繰り返し読んでいる本が教皇レオ13世が書かれた『けんそんのしおり』と聖ホセマリアの『道』です。それらにはすでに教皇フランシスコの講話集『識別』に共通することが書かれています。

 『道』は今まで何度も紹介してきたので、今日は『けんそんのしおり』から。

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・あなたに無礼な振る舞いをし、あなたをそしり、あなたを妨害して喜んでいるものがあれば、あなたは、神がその人をつかって私の高慢を砕こうとなされるのだと考え、その人は神のおん憐れみの手立てであると考えて、その人を敬い慕わねばならない。

・神のみ旨に逆らわないように、危険を避けるように、大罪に陥らないように、常々祈り続けているならば、あなたの態度や行いは、次第に望みどおりになり、真理を黙想し、善を行い、神とかかわりのないものを遠ざけられるようになるであろう。つまり、それこそ、まことの謙遜の土台である。そうすれば、あなたは絶えず神に祈っているのと同様である。

・神は憐れみ深いお方であるから、あなたはすべてを神のおん手に任せ、子どもが親にしたがうように、まったく神のみ摂理に信頼せよ。どんな苦しい場合にも、いたずらに悩み苦しむことなく、神のおん計らいに任せる心をもて。そうしないならば、あなたは神を疑い、神の善意を認めず、神に希望をおかず、神に教えようとする高慢なものとなるであろう。謙遜なものは、そんなことはしない。謙遜の徳は自分を抑えると同時に、神のおん助けにより、神の慰めを期待させるはずである。

・聖母が自分の祈りを聞きいれてくださるかどうかを疑ってはならない。聖母に願うなら、きっと聖母はあなたのために神に取り次いでくださるのである。聖母はおん子の母であるから、その取り次ぎは必ず聞きいれられるに違いない。

・あなたが謙遜になりたいならば、しばしば告解(ゆるしの秘跡)をして聖体を受けよ。告解は私たちのひそかな醜い行いを思い出し、イエス・キリストが使徒たちにお命じになった通りに、それを謙遜に言い表すのである。聖体は、私たちを愛するがために人間となって死なれた神を受ける秘跡であって、謙遜になるためにもっとも力あるものである。憐れみの神のみこころは、常に、あなたの心のうちに住まわれる。あなたがせつに謙遜の恵みを願えば、神は聞き届けられるであろう。式にあずかる時には、心と思いとを正し、天の食べものを受ける準備を整えよ。この食べものは、せつに乞い求めるものにだけ配られるからである。

2024年6月 1日 (土)

読書1

 主任司祭が薦めていた本2冊を読みました。1冊目は『使徒的勧告 信頼の道』2冊めは『教皇講話集 識別』です。『信頼の道』は幼きイエスの聖テレーズ生誕150年を記念して出されたものです。ですから今までテレーズの本を読んだ人には特に新しい発見はないと思います。今まで聖テレーズについて知らない人にとっては聖女を知る良い機会だと思います。

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 『識別』の冒頭に、「人は食べ物、服装、進路、仕事、交際相手を選んでいます。そのすべての積み重ねで人生設計が具体化し、神との関係もまた目に見えるものになっていくのです。何を選ぶか識別することはとても大事です。賢い選択には、知恵・経験・感情・意志が必要と同時に努力も必要です」。また「自分の気持ちや考えをよく知るには、それがどこから来るのか、自分をどこへ導くのか、どんな決断へと至らせるのかを識別しなければなりません。神は、よく見極めて選択するよう求めておられ、私たちにその選択の自由を生かすように望んでおられる」と。

・神は計画されていない偶然の出来事を通じて働かれます。

・祈りは霊的識別を助けるのに不可欠なものです。祈り続けるということは、イエスに心を開いていること、イエスに近づくこと、心にイエスを迎え入れること、イエスの存在を感じることなのです。そうすることで私たちは、イエスが望まれることなのか、自分の思いーイエスの望みとは隔たりがちなーなのかを識別することができるはずです。

・イエスはご自身に従うよう強いることは決してなさいません。ご自身の意志をあなたに知らせますが、あなたの自由にゆだねられます。

・自分の生活を読み返すことに慣れると、見る目が養われます。磨きがかかり、神が日々私たちに起こしてくださる小さな奇跡に気づけるようになります。

・孤独やすさみの時、心を開いて自覚的に過ごすという心得があれば、人間的にも霊的にも強くなっているはずです。・・・悲しみやすさみに、打ちのめされてはいけません。前へ進むのです。・・・すさみと呼ぶ精神状態、心が真っ暗で悲しんでいる時でもそうしたすさみは成長の機会となりうるのです。

・困難に直面しても、決して裏切ることのない神の恵みの助けを借りて、決然と試練に立ち向かいましょう。

・識別を助ける第一のものは、神のことばや教会の教義との照合です。みことばや教義は、心にうごめくものを読み解く助けとなります。

・主が私たちにくださった、こうした数々の助けがあれば、恐れる必要はありません。勇気をもって、喜びをもって、前へ進み続けましょう。

・識別の助けとなるもののひとつが霊的同伴者(霊的指導者)です。同伴者は時のしるしを、主の声を、誘惑者の声を、乗り越えられない困難の声を、よく聞き分けられるよう助けてくれます。

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 良い選択、判断ができるためにこれらのことを心にとめて、常にキリストの聖心に適う識別ができますように聖霊の恵みを願います。

2024年5月31日 (金)

聖母の訪問

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 今日は聖母の訪問の祝日です。

 聖母マリアはエリザベトの出産を手伝うために訪問します。エリザベトは聖母マリアが訪ねて来てくれたことに感動して聖母に、

「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」と、喜びをあらわします。

 その言葉を受けて、聖母は神に感謝し賛美を捧げます。

    マグニフィカト

わたしは神をあがめ、
わたしの心は神の救いに喜びおどる。
神は卑しい はしためを顧みられ、
いつの代の人も わたしを しあわせな者と呼ぶ。
神は わたしに偉大なわざを行なわれた。
その名はとうとく、
 あわれみは代々、神をおそれ敬う人の上に。

神はその力を現わし、
思いあがる者を打ち砕き、
権力をふるう者を その座からおろし、
見捨てられた人を高められる。
飢えに苦しむ人は よいもので満たされ、
おごり暮らす者は むなしくなって帰る。

神は いつくしみを忘れることなく、
 しもべイスラエルを助けられた。
わたしたちの祖先、
 アブラハムと その子孫に約束されたように。

 毎晩教会の祈りを唱える時にこのマグニフィカトを唱えますね。その度に天主の大きな愛を感じると同時に、『今日も私は高慢だった』と自分の弱さを悔やんでいます。

2024年5月30日 (木)

キリストの聖体(祭)


YouTube: eucharistic procession in Krakow Poland 聖体行列2 クラクフ20180607 195104

 三位一体の祭日が過ぎて木曜日になるといつも夫は「今日は聖体の日だ」と嬉しそうに言うのですが、私が「今度の日曜日よ」というと、「そうだった、どうしても木曜日だと思ってしまう。」と答えていました。本当は夫の方が正しいのですが。子どもの頃からずっと身についた感覚は忘れられないのでしょう。夫にとって毎年の聖体行列は良い思い出だったようです。

  キリストはご聖体という目に見える特別な形でご自分を私たちに残してくださいました。聖ファウスティナたちのようにキリストのご出現を経験しなくても、私たちはいつも主の前にひざまずいて主と語り合うことができるのです。

 ご聖体の秘跡によって主が私たちをどれほど愛してくださっているかがわかります。わたしたちももっと主を愛さなければ heart

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2024年5月25日 (土)

オプス・デイ司祭叙階式

 主司式は酒井司教様です。司教様のラテン語ミサ lovely日本では与る機会はないですね。

 29名の新司祭様おめでとうございます。特にアルベルト新谷神父様には6年前ローマのオプス・デイ本部を案内していただきました。あの頃は司祭になるため勉強中の好青年でした。叙階式を見ていて胸にグッときました。とても嬉しいです。アルベルト新谷神父様が司祭の少ない日本で働いてくださることを私は主に願っています。


YouTube: 25 maggio 2024: ordinazione di 29 nuovi presbiteri dell'Opus Dei

 叙階式で酒井司教様がスペイン語で説教されたところの日本語訳のリンクです。司教様の説教は新司祭だけでなく、すでに働いておられる司祭に向けても当てはまる素晴らしい説教です。是非読んでみてください。⇩

https://opusdei.org/ja-jp/article/shisai-jyokai-shiki2024-sekkyou/

2024年5月24日 (金)

司祭叙階式のご案内

 日本時間の25日午後5時からオプス・デイの司祭叙階式があります。酒井司教様による案内です。司教様が勉強された神学校についても少し触れられています。司祭叙階式のミサは当然ラテン語ミサです。今はラテン語ミサに与る機会はなかなかありませんし、ラテン語での荘厳な叙階式を是非見てみてください。


YouTube: 司祭叙階式司式予告

2024年5月22日 (水)

カーシァの聖リタ

 今日は聖リタの記念日。「望みのない時の助け手」と言われている聖リタです。夫婦間でうまくいっていない人、子育てに悩んでいる人、家庭内に問題を抱えて苦しんでいる人、絶望的な状況の人や望みのない人は、主のいつくしみと問題を解決できる希望の恵みを主からいただけるように聖リタに執り成しを願いましょう。

 聖リタは妻として母としてとても苦しみ多くの涙を流しましたが、どんな時にも主に信頼して祈り続けました。そして主は彼女の祈りに応えられました。聖リタのように夫の無理解や暴力、子供たちの死など自分自身ではどうすることもできない時にはただ主に信頼して祈ることです。聖リタに主への執り成しを願いましょう。

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2024年5月19日 (日)

聖霊降臨の説教

 酒井司教様の聖霊降臨の説教(説教は5:00頃から)


YouTube: 東北巡礼2024第3日目5月18日

 司教様の説教はいつも気づかされることがあり、福音がよくわかるように解き明かしてくださいます。

聖霊降臨の主日(祭)

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 聖霊降臨の前にイスカリオテのユダの代わりにマティア(5月14日が祝日)が選ばれ使徒たちに加わりました。なので聖母の周りには12人の使徒がいます。多くの聖画ではマリア様にも聖霊が降りているように描かれています。

 マリア様はすでに聖霊によって身ごもったのに再び聖霊を受けたのでしょうか?神学的なことはわかりませんが私にとっては素朴な疑問です。聖霊が降った時に無原罪である聖母も使徒たちと一緒にいたのは確かなのですが。

 疑問はさておき、使徒言行録(1:1-4)には聖霊降臨について、「皆が一つに集まっていた時突然天から激しい風が吹いてくるような音がして響き渡り、炎のような舌が分かれて現れて、一人一人の上にとどまった。するとみな聖霊に満たされた」とあります。キリストが天に昇っていかれる前にキリストは使徒たちに「ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなた方は、間もなく聖霊によって洗礼を受ける」と約束され、その通りになりました。そしてこうも言われました。「聖霊があなた方の上に降るとき、あなた方は力を受けて、エルサレムと全ユダヤとサマリア、また地の果てに至るまで、わたしの証人となるであろう」。そして何世紀もの間それは実行され続け、ついに1549年聖フランシスコ・ザビエルによって日本にもキリストの教えが伝えられました。素晴らしい!

2024年5月16日 (木)

レモンチーズケーキ

 久しぶりにケーキを作りました。作るというほどのものではないですね。炊飯器の窯にレモンの輪切りを並べて、全部混ぜた生地を上から流し入れて炊飯器のスイッチを入れるだけ。

 焼きたてはやわらかくふっくらしていますが、冷蔵庫で冷やすと固くなります。

 賞味期限の切れたクリームチーズを消費するためにつくりました。レモンを使うだけでさわやかな味になります。輪切りのレモンの酸味がアクセントです。

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クリームチーズ 200g.     砂糖 100g.   卵 2個

溶かしバター 20g.    生クリーム 200ml.  

レモン 1個(皮はすりおろす) 薄く輪切りにする

ホットケーキミックス粉 200g.

2024年5月12日 (日)

典礼の話

 今日は「司祭不在の時の集会祭儀司会者養成講座」の公開講座第2回目がありました。典礼について気づきの沢山あるとても実りあるお話しでした。かねてからの私の典礼に対する考えが同じところでは、思わず『そうなのよ!』と心の中で応えてしまいました。

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聖体祭儀=ミサの中で何を一番大切にしているか?所作によって一番大切にしているものがわかる。

典礼によって私たちは変えられ、生かされなければならない。

ミサは大きく分けて(開祭)・ことばの典礼・感謝の典礼・(閉祭)

ことばの典礼の主役は聖書 舞台は朗読台

・答唱詩編について: 詩編は神から降りる言葉なので、朗読台から一人で第1・第2朗読と同じように詩編を唱え(歌い)、答唱句は皆で神に返すのが望ましいです。

・説教について: 説教はその日朗読された福音を解き明かす証です。説教は神の言葉を聞くのと同じです。司祭は「神は今ならこう言うだろう」と話すでしょう。

感謝の典礼の主役は聖体 舞台は祭壇

 パンを取り

 感謝をささげ

 さいて弟子たちに与え

司祭のいない集会祭儀ではこの赤い所だけないのです。代りに賛歌を入れます。

私たちは典礼奉仕によってキリストの体の一部となります。伴奏できる人、朗読が上手な人、お花が生けられる人、答唱詩編を歌える人、香部屋を準備する人等々それぞれに与えられた典礼奉仕によって、また役割がない人もキリストの体の一部となります。ですからだれでもただ順番に割り当ててするのはよくないです。

ご聖体を拝領する時に、「キリストの体」「アーメン」と応えますが、それは「あなたはキリストの体になりますか?」「はい、なります」と答えているのです。そして一番大切なもの=キリストはもう自分の体の中にあるのですから、聖体拝領後は他の物(聖像など)にお辞儀はしない。

私たちは毎日曜日に集まります。そこに司祭が不在でも神様はおられるのです。ですから司祭が不在でも集まりましょう。

Flower_rose_line_1422_2 最初に神父様は「典礼を邪魔する考え」という話をされました。フランシスコ教皇様の使徒的書簡 『わたしはせつに願っていた』からのお話しです。「私は典礼について何でも知っているのにあの人は何もわかっていない・・・」とか「私はこんなに典礼を一生懸命しているのにあの人は何もしない・・・」など、キリスト者としての成長を妨げる考えです。本当は典礼によって成長するはずです。典礼的養成について書かれているこの本を早速注文しました。

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 最後に、この公開講座は素晴らしかったのに私の教会から私一人の参加、典礼委員は一人も参加していませんでした。とても残念です。

2024年5月10日 (金)

2025年は聖年

 


YouTube: Second Vespers on the Solemnity of the Ascension of the Lord, May 9, 2024

 9日木曜日、ヴァチカンからフランシスコ教皇様の2025年聖年の布告と主の昇天の夕の祈り(Second Vespers)です。

2024年5月 9日 (木)

主の昇天

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 主の昇天の祭日です。復活して聖母や弟子たちと共に過ごされたキリストは復活から40日後天に昇っていかれました。40日後なので主の昇天は今日5月9日です。が、日本では守るべき祭日ではないので復活節第7主日(5月12日)に祝います。同じくキリストの聖体の祭日も5月30日木曜日ですが日本では6月2日日曜日になります。

 天に昇られたキリストですが、聖霊と共に今も教会に、そして私たちの中におられます。マルコの福音書に書かれている通り、キリストは「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」と使徒たちに言われました。私たち一人一人がキリストの教えを宣べ、キリストに倣って生活することは勿論ですが、何よりも大切なのはその権能と使命を与えられた司祭への召命が増えることです。

2024年5月 2日 (木)

驚いたこと

 先日ある神父様の講座を受けました。余談として「あるご婦人が病気で苦しんでいる時に自分をほって夫は教会のごミサに行った。神父様、夫に何か言ってやってください」。そして神父様の応えが「夫はけしからん。目の前に苦しんでいる人がいるのに、その人をほっておいてミサに行くとは」でした。

 私と真逆の話にちょっとびっくりしました。私もインフルエンザや腎盂腎炎の痛みや高熱で苦しい時がありましたが、そんな時にこそ夫にはごミサに行ってもらい私の分まで祈ってと願いました。ついでに教会の帰りに買い物を頼んだり。僅か2~3時間の不在です。夫が病気の時は夫を置いて私一人で教会のごミサに与りました。夫もそれを望んでいました。

 本当に人それぞれ色々な思いや考えがあるのですね。自分が良いと思っていることが他の人にとっては悪かったり、良くないと思っていることが良かったり・・・。特に教会の中で考えにこれほど差があるのは複雑な気持ちです。

 もう一つ神父様の話で、「聖体拝領の前に準備なんて必要ありません。クリスマスや復活祭にかねて教会に来ない人が来たらみんな一緒にご聖体をいただきましょう。そして楽しくむしゃむしゃと食べましょう」という内容でした。この話もね・・・これならゆるしの秘跡って必要ないってことかな?

 まあ講座の本題よりわき道にそれた話の内容に、

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の私でした。

2024年5月 1日 (水)

労働者聖ヨセフと聖母月

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 今日は「労働者聖ヨセフの日」と同時に「聖母月」の始まりでもあります。すべての人に仕事が与えられ、強制労働や低賃金、劣悪な労働環境などによって労働者の尊厳が傷つけられないようにしなければなりません。

 フランシスコ教皇様は「人間の労働は神から受け取った召命である」と話されました。労働は仕事を通して創造することで、人を神に似たものとする」と。すべての人に仕事が与えられ、労働者の尊厳が守られるように労働者聖ヨセフの保護と主への取次を願いましょう。

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 5月は聖母月です。沖縄カトリック小学校の標語が載っていました。この言葉に尽きますね。

2024年4月29日 (月)

フェレロ・ロシェ


YouTube: The Catholic Foundation of Ferrero Rocher

 チョコレートのフェレロ・ロシェは今ではスーパーでも買えるチョコレートですがそのクオリティーは高く、誰もが好きなチョコレート菓子です。

 でも経営者フェレロ氏やロシェという名の由来についてはあまり知られていませんね。私もこの動画を見て知りました。そしてますますこのチョコレートが好きになりました。特にルルドの聖母の日や聖ベルナデッタの記念日にはこのチョコレートを食べることにします。lovely

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 今日はシエナの聖カタリナの記念日です。

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 世間ではいまだに「女性の地位が低い、軽視されている、女性の議員や管理職を増やせ!」という声をよく耳にします。カトリック教会ではキリストが誕生する前からその母マリアの地位は高く上げられていました。キリストは復活されて最初に女性たちの前に姿を現されました。また女性の聖人の多いこと。聖カタリナのように教会博士と言われる聖人もいます。カトリック教会ほど男女を平等に扱っているところはありません。それはキリストがそう教えているからです。教皇や司祭に女性がいないから男尊女卑では?なんていう人がいますがそれは的外れです。教皇や司祭に女性がいないのは女性を低く見ているからではなく、聖書に基づいた別の理由からです。

 ルルドで聖母の顕現を目の当たりにした聖ベルナデッタも貧しい家庭の教育のない、世間では蔑まされている女の子ですが、カトリック教会では彼女はフェレロ氏のような金持ちや高い教育者からも崇敬されているのです。

2024年4月25日 (木)

神への執り成しを祈る

 よく誤解されていますよね。カトリック教会は聖母像や聖人像を拝む偶像崇拝をしていると。これは間違いですね。カトリック教会をまったく知らない人が言っていることです。


YouTube: Bridge to Heaven: The Power of Intercessory Prayer in Catholicism

 私たちは聖母や聖人、大天使や守護の天使に主への執り成しや取次ぎを願い祈ります。天使や聖母、聖人は私たちの代わりに直接神へ執り成し、取り次ぎをしてくれるのです。またキリスト像や十字架を通して主キリストを崇拝しているのであって、十字架や聖像その物を崇拝しているのではありません。十字架も聖像も被造物にすぎません。ですから教皇様が聖母像にキスするのは聖母への崇敬であり、十字架にキスするのは十字架を通して主キリストを崇拝しているのです。

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 今日は聖マルコ福音記者の祝日です。聖マルコの母はかなり裕福で家も広く、そこに使徒たちや信者が集まり祈りやミサ聖祭が行われていました。聖ペトロが牢獄から救出された後にすぐに訪ねたのもこの家です。古い伝承によると最後の晩さんが行われたのもこの家の二階にある大広間だといわれています。

 聖マルコはいとこのバルナバを通して聖パウロを知り、後に聖ペトロから洗礼を受けたようです。聖パウロに同伴してキプロス島に、聖ペトロに同伴してローマにも行っています。一時期聖マルコと聖パウロは激しく衝突して別れることもありましたが、後に聖マルコは聖パウロの最も親しい協力者となりました。まさにキリスト者です。どんなにひどい喧嘩別れをしても、完全に和解して以前のことを根に持つことなく、助け合う関係になれる。私たちが見倣わなければならないことですね。

 アレキサンドリアにあった聖マルコのお墓はイスラム教徒に征服されましたが、十字軍によって彼の聖遺物はベネチアに運ばれ、ベネチアの守護聖人となりました。皆さんもサン・マルコ大聖堂を思い浮かべるでしょう。

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