修道生活そのものが祈り
(ヨーロッパのある修道会での誓願式:キリストの花嫁)
「ミサの中で祈るのではなく、ミサそのものが祈りである。修道生活の中で祈るのではなく、修道生活そのものが祈りである」
ある修道会の終生誓願ミサの説教で酒井司教様が話された言葉です。その通りですね。修道者たちは皆さん祈りで一日が始まり労働も祈り、一日の最後も祈りで終わります。これがすべてを主に捧げた奉献生活ですね。
私たちも本当はこうありたいです。修道生活をしていない私たちも、違う形で日常生活を聖なるものとできればすばらしいですね。それは聖ホセマリア神父様が言っていることです。どんな小さなこと、つまらないことにも、愛と喜びをもってすればそれはつまらないことにはならない。
マンネリ化した生活の中で私はこのことを忘れていました。『したくないけれど仕方ないからする』というような、いやいやしている事があまりにも多すぎました。ですから最近生活が何かつまらなく感じて心が沈んでしまっていたのでしょう。
シスターたちが明るいのは生活そのものが聖なるものだからですね。彼女たちに倣い私も日常生活が聖なるものとなるように日々過ごすようにします。そうすれば『つまらない生活だ』なんて思うことは決してないでしょう。