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2021年3月

2021年3月28日 (日)

枝の主日

 

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 聖週間の始まりです。天気が悪かったのでKカトリック教会ではオリーブの枝を持って歌いながら隣の部屋から聖堂へ行列しました。今日は「十字架につけろ」と言わずにすみました。happy01

 聖母に倣いどんなに苦しくても最後までキリストから離れないように、私にとってはその決意を新たにする「受難の主日」です。

2021年3月25日 (木)

「神のお告げ」の祭日

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(大天使ガブリエル)

 「聖霊があなたに臨み、いと高きおん者の力が

    あなたを 覆うでしょう。

    それゆえ、お生まれになる子は聖なる者で、

    神の子と呼ばれます」。

(聖マリア)    

 「わたくしは主のはしためです。

  おことばどおり、この身に成りますように」。

 そして、みことばは人となられました。神は人間の姿でお生まれになりました。

 『お告げの祈り』を唱える度に、この素晴らしい神秘に心打たれます。『信仰宣言』の時も同じで、「・・・主は聖霊によって宿りおとめマリアから生まれ・・・」の祈りを口にすると自然と頭を垂れてしまいます。

 今日は天主がお出来になれないことは一つもなく、またそのみ業がいかに素晴らしいかを再認識しました。マリア様の天主への完全なる従順に倣い、四旬節の残りの日々を私も『主が望むことを愛します』と言って過ごせるようにと祈ります。


YouTube: Ave Maris Stella

2021年3月23日 (火)

間違いはいつまで続く?

 

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 『カトリックの祈り』の本を持っていらっしゃる方は102ページを開いて見てください。ミサの式次第の中で「記念唱」と書かれています。司祭様は「信仰の神秘」と唱え信徒が応え、司祭様は続けて「わたしたちはいま、御子キリストの救いを・・・」で始まり「・・・すべての誉れと栄光は、世々に至るまで。」まで続きます。最後に信徒は「アーメン。」と応えるようにと書いてあります。

 この事は今までに何度も書きましたが、相変わらず司祭様の唱えるところ「すべての誉れと栄光は、世々に至るまで。」を信徒たちが元気よく唱えています。典礼を大切にするのなら何故に司祭様方は信徒にこのことを教えないのでしょうか?勿論きちんと主任司祭様が指導されておられる教会(ザビエル教会や溝辺教会等々)もあります。

 信徒が典礼について知らないのは司祭様が教えないから?それとも教えても信徒が頑ななために学ぼうとしないから?親が何度注意してもあらためようとしない子供と同じ?

 教会の典礼委員の方々が率先して手本を示してほしいですね。期待しています。cat (私が頼むとなお一層頑なに拒否されそうですね  weep

 ついでに、奉納行列の時は皆さん座りましょう。奉納行列は奉納の準備です。準備の間は座っていましょう。司祭様が「皆さん、このささげものを、全能の神である父が受け入れてくださるように祈りましょう。・・・」と、祈りへの招きの時に私たちは立ちます。記念唱の所で間違いをしている教会は奉納行列の時も立っていますね。

2021年3月21日 (日)

四旬節はいつまで?

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 「四旬節はいつまで?」 答えは聖木曜日(主の晩餐)のごミサの前までだそうです。「えっ、聖土曜日のごミサの前までではないの?」と、私と同じことを思っている人は多いでしょう。違うのですよ。

 教皇パウロ6世の時に決まったようですが私は知りませんでした。当然聖土曜日のごミサの前までとずっと思っていました。「聖なる過ぎ越しの三日間」を特別な三日間とするため(ずっと以前から特別だったと思うのですが)四旬節から外したようです。でもこれだと四旬節(40日)ではなくなりますよね。灰の水曜日から(6回の主日を除いて)聖土曜日までが40日ですから。

 断食、祈り、施しは四旬節と同じく聖土曜日まで続きます。そして「アレルヤ」も同じく聖土曜日のごミサの前までは歌いません。

 結局中身は変わらないのですから、何をどう呼ぼうとあまり重要ではありませんね。40日間断食、祈り、施しをしっかり心がけることが大切です。ということで、私の心は聖土曜日のごミサの前までが四旬節です。

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2021年3月19日 (金)

聖ヨゼフの祭日

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 教会の保護者である聖ヨゼフ様の祭日です。いつもの金曜日には教会で十字架の道行きをしますが、今日は聖ヨゼフ様のお祝いのごミサに与りました。ごミサでは香も焚かれ、共同祈願は「教会の保護者なる聖ヨゼフに向かう祈り」を唱えました。

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 そして、私は教会の保護、特に典礼の保護を祈りました。いつも典礼を守り大切にされておられる主任司祭S神父様の霊名もジュゼッペ(ヨゼフ)です。S神父様おめでとうございます!そしてヨゼフ様のようなお父様方にも「父の日おめでとう!」

 ヨゼフ様について聖書に書かれている箇所はほんのわずかです。しかしその少ない描写からでもどれ程素晴らしい方であったかがわかります。マリア様と同じように天主に常に従順で信頼しきっていました。マリア様の良き夫でありイエズス様を育てた良き父親でした。

 今の世界中の教会の現状を見ると、今こそヨゼフ様の執り成しが必要だとひしひしと感じます。「教会を護ってください」と祈りましょう。

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 Zeppore di San Giuseppe (聖ヨゼフの揚げ菓子)を作りました。四旬節中ですがこれは特別。ヨゼフ様と同じようにいつも私たち家族を守っていてくれるお父さん(夫)へ感謝のプレゼントです。 lovely

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 模様がよくつかず、いびつですが味は二重丸です。アマレーナは値段が高いので私は普通のサクランボで。happy02

2021年3月17日 (水)

断食・祈り・施し

 四旬節についてフランシスコ教皇様は、「四旬節は私たちの回心の時です。そして『断食、祈り、施し』は、イエス様が説教で示されたように私たちの回心の条件です。清貧と放棄の道(断食)、傷ついた人に対する愛に満ちた行為(施し)、そして御父との親子の対話(祈り)によって、忠実な信仰、希望、愛を具体的なかたちで表せるようになります」と、話されています。

 私は毎年四旬節の終わりの頃になると『今年の準備も足りなかった』と反省してしまいます。でも不完全であっても前年よりはわずかでもよくなるようにと励んでいます。幸いなことに年を重ねるごとに物への執着が少なくなってきました。

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 今日は「日本の信徒発見の聖母」の記念日です。

 『日本人のカトリック信徒は日本にはもういない、カトリックの教えは絶えてしまった』と思っていたプチジャン神父様の目の前に現れた男女十数名の人達、「ここにおります私どもは、みなあなた様と同じ心でございます」という信仰告白を聞いた神父様の驚きと喜びは計り知れません。大きな喜びのうちに主に感謝したことでしょう。その日は1865年の四旬節17日目にあたる3月17日でした。

 200年以上の迫害に耐えて、キリストの教えを信じ主を信頼し続けてきたこの信徒たちの純粋で強い信仰、私たちも倣わなければなりませんね。

2021年3月14日 (日)

Laetare Sunday

 

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 今日は「歓びの主日」あるいは「バラの主日」とも呼ばれている「レターレの主日」です。中野司教様の司式のごミサに与りました。司教様の良い説教を聴いて、善や悪、何が真理で何が偽りかわかりにくい今の世の中で、私自身がよく見極めなければならないと思いました。

 祭服のバラ色は気持ちを明るくしてくれます。復活祭が近づいていると実感します。そして聖血礼拝修道会聖ヨセフ修道院製のレターレを食べて、シスターたちと神父様方と司教様方そして今病に伏しておられる方々のために祈りました。

Photo レターレと堂免屋の加治木饅頭

今日は復活祭の卵の新しい作り方を試してみました。

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 デコパージュで飾る方法です。悪くはないのですが、いつもの通り玉葱の皮にするか迷っています。

2021年3月 8日 (月)

信仰の熱意

 

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 昨日のごミサで朗読されたヨハネ福音書3章の箇所「あなたの熱意が神を食いつくす」は、私の心に残りました。トマさんは昨日のごミサの説教でわかりやすく話されています。⇩

 「神殿に参拝する人のことを思い少しでも便利なようにと信仰心から商売をする人がいつの間にか信仰より商売の方に熱心になっている。無償の愛で奉仕することを数や量で考えてしまい、『私はいつも沢山祈り犠牲をし、奉仕・宣教活動もしたので他者より優れた信仰を持っている』と勘違いして他者を下に見る。熱意は大切ですが方向違いの熱心さは危険です。アダムとエヴァ、堕天使も誤った方向違いの熱意が原因でした。上るのではなく下ることです」、[トマさん祈りの部屋]

 いつも謙遜の心で神の愛に応えるようにしなければ、そして信仰の面で決して他者を下に見ることのないように、自分の熱意が神を食いつくすことのないように気をつけます。逆に「私たちは教会のためにこんなに頑張っているのにあなたは何もしていない」と、言われている私ですね。happy02

2021年3月 7日 (日)

「あわれみ」と「いつくしみ」は違う

 教会暦で今年は「聖ヨセフ年」です。「聖ヨセフの連願」と「教会の保護者聖ヨゼフに向かう祈り」(聖ヨセフへの祈り)の口語訳が出ています。すでに祈られている方もおられるでしょう。Fr.Zも「ヨセフの連願」を祈ることを勧めています。

 今回の連願の訳では「あわれみ」と祈っていたところを「いつくしみ」と変えています。「あわれみ」と「いつくしみ」では意味が違うと思うのですが・・・、しかし典礼や聖書学専門の学者の方々が決められたことですから仕方のないことですね。

 とは言っても、私は今まで通りに『連願」は文語で祈りますし、「聖ヨセフへの祈り」の方は長いのでこれも今まで通り別の祈りを唱えます。(不従順な私です coldsweats01
  

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       Kyrie,eleison.

         R. Christe,eleison.

         Kyrie,eleison.

         Christe,audi nos.

         R. Christe exaudi nos.

         Pater de caelis Deus,

       R. miserere nobis.

       Fili,Redemptor mundi,Deus,

         R. miserere nobis.

         Spiritus Sancte Deus,

         R. miserere nobis.

         Santa Trinitas,unus Deus,

         R. miserere nobis

        (ラテン語の連願の冒頭部分)

しつこいようですが、

 miserere=慈悲=あわれみ なのでmiserere nobis は「我らを憐れみ給え」口語なら「わたしたちをあわれんでください」、私は今まで通りの方が良いと思います。

 私たちは皆罪人です。主の前に頭を垂れて胸を打ちながら「罪人の私、傷ついている私を、主よどうか憐れんでください」と祈ります。たとえば、恵まれた環境で元気に生まれたばかりの赤ちゃんには「主よこの子にいつくしみを!」と祈っても、「主よ、この子をあわれんでください」とは多分祈らないでしょう。「いつくしみ」は誰にでも(しあわせな人にも)あたえられる愛です。

 教会の保護者である聖ヨセフ様、罪人の私たちを主があわれんでくださるよう執り成してください。アーメン。


YouTube: Litaniae S. Joseph

 * 下記のブログに「あわれみ」と「いつくしみ」の違いについて書かれています。私もこの方の考えに同感です。⇩

https://blog.goo.ne.jp/gloriam/e/2dcebf546015af6ed9344cdb0321063b