日記・コラム Feed

2017年11月 4日 (土)

子育て

[オプスデイ:『生きるための教育』~子育て~]より抜粋

子育てという仕事は、結局のところ、子供たちが善いことを「したいと思う」ように育てるということです。

・・・ 子供たちがあらゆるものを身に着け、彼らのわがままに屈して望みを叶えることなど全く必要のないことです。反対に、手放すこと、待つことを学ばせるべきです。事実、人生には、待つことのできるものが数多くあり、また必然的に待つべきことが多いものではありませんか。聖ホセマリアは、このことをまたとない明確さで、こう語っています。「お金に寛大すぎてはなりません(…)。子供たちに、つつましい生き方、少しスパルタ式の生き方を学ばせることです。つまり、キリスト者としての生き方ができるようにすることです。難しいことですが、勇気を出さなければなりません。つつましく生きるよう躾けることの大切さを納得しなさい。さもないと、元も子もなくしてしまいます」。・・・

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 ・・・希望は両親にとって極めて必要な徳です。子供の教育は大きな喜びであると同時に、決して小さいとは言えない悩みや心配が伴います。いずれにせよ、失敗したという思いをいつまでも引きずってはなりません。逆にいつも楽観的に、信仰と希望を持ってやり直すことができるのです。努力が実らないことはありません。たとえ、なかなか目標に達しないとか、結果が表れないとか思えても、必ず実りはあるものです。父親母親であることに終わりはありません。子供には、大きくなり独立した後でも両親の祈りと愛情がいつも必要です。聖マリアはカルワリオでイエスを一人きりにはなさらなかったのです。最後まで献身し犠牲を捧げられた聖母の模範は、神が両親に託されたこの素晴らしい務めに光を照らします。生きるための教育、それは愛の仕事です。(Opus Dei H.P. 2017.9.15)

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Bologna_2幼子のように信頼してすべてをゆだねる(Osservatore Romano[Bologna])


 「幼子のようにならなければ・・・」というイエズス様のことばを文字通り受け取って、幼い子が自分の我を通そうとしてわがままを言ったり、自由勝手気ままに行動していることを良いことのように見ている放任主義の大人達がいますが、それは間違いでしょう。「幼子のように」という意味をはきちがえていると思います。親を信頼しきっている子どもと同じように私たちも父である神を信頼しきって、親を心から信頼する子どものような飾らない素直な心でおごり高ぶることのないように、それがイエズス様の言っている「幼子のように」という意味だと思います。

2017年11月 1日 (水)

優しいにゃん!

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前教皇ベネディクト16世~好いですね!

2017年9月23日 (土)

トマさんのお話し

 『トマさん祈りの部屋』に「愛」について話されたことが載っていました。最後にこのように書かれていました。

『愛とは相手の善を望むこと』です。辛くても、時には意に反しても踏みとどまります。それが愛です。だから「苦しみは愛の試金石」と言われます。困難を通して愛は成長します。現代社会では、そんな愛は古臭いと考えられています。個人の気持ちを最大限に生きることが愛だと勘違いされています。結局は自分の都合が優先して、神につながる愛に成長しません。浅はかな「愛」の繰り返しです。恋愛が多いほど愛を生きていると思い込んでいるのです。■
*2017/08/24 in別府

 確かにその通りです。小説やドラマに映画、人達は簡単にくっついたり離れたり、いったい何人に愛を告白するのでしょうか。そしてそれが良いことのように真似る若者たちの現実。トマさんが言っているように「困難を通して愛は成長する」のです。勿論成長できるためには二人の努力だけではありません。主の恵みがあればこそです。「私たちは主によって生かされている」ことをいつも忘れないでいることです。

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(もとの写真:『ブログ.r』より)

2017年9月18日 (月)

壁紙

 今までフラ・アンジェリコの受胎告知の絵をパソコンの壁紙にしていましたが先日子どもたちの写真に変えました。

 画面を開くたびに子どもたちのアップ、綺麗な瞳(←親バカです)にいっせいに見つめられます。子どもたちから「お母さんしっかり!」と励まされているような気持ちになり、『子どもたちのためにもっと頑張らなければ』と気合が入ります。今日の敬老の日にぴったりかな。

 最近フラ・アンジェリコの絵が特に好きになり、色々な作品を本やネットで観ています。若い頃に比べて私の心も少しはきれいになり、天使のような修道士の描いた絵の良さがわかるようになったのかもしれません。coldsweats01

 壁紙にしていた絵はこちら⇩

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これらの絵も良いですね。⇩

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次に壁紙にするのはこの絵かな?⇩

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キリストの手にある紙に書かれていることばは「わたしは世の光である」

2017年9月17日 (日)

台風18号

 20170917131000気象庁


 今回の台風18号もまた近くを通ったのに、強風や大雨もなく無事に過ぎました。

 ラジオからの「強い台風が近づいています」「避難勧告が出されました」との声に、いつものようにパンとカップ麺を多めに買い、水を汲み置きし、懐中電灯とロウソクを用意して、雨戸も早めに閉めて台風が来るのを待ちましたが・・・、それらを使わずに済んだことは幸いでした。

 「台風が南九州市に上陸しました」という放送を聞いても外は変わらず静かでした。私の所はたまたま台風の雨風が弱い所にあたったのでしょう。少しの吹き返しがあっただけですみました。大分や宮崎では雨や風がとても強い所もあったようです。台風は生き物のようにスピードを上げたり落としたり立ち止まったり、右へ行ったり左へ行ったり後戻りしたり・・・、どの部分が大暴れするのか予想できないのでやっかいです。

 今回も被害にあわれた方々がおられます。物の復旧だけでなく、疲れた心の回復もお祈りいたします。

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2017年9月15日 (金)

指が動かない?

 教会で新しい歌をうたう時、メロディーがうまくつかめません。そこで小さなキーボードを買って練習を始めましたが・・・。

 簡単に弾けると思っていたのに指がうまく動かない。catface 小学生の頃ピアノを習って以来なので、コードも覚えられないし悲惨です。sad

 「これから特訓するぞ~」と張り切っているのに、夫は私の熱しやすく冷めやすい性格を見抜いて、「3ヶ月でやめるだろうな」と言っています。確かにその可能性は大。せめてクリスマスには「聖夜(静けき)」をキーボードの伴奏で歌えるようになります!

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 もし私が投げ出した時には子どもたちに押しつけましょう。happy02

2017年9月13日 (水)

二つの教会

 今の中国の様子が書かれたブログを読んで、中国のカトリック事情を少し調べてみました。

 現在中国には中国政府公認のカトリックと政府非公認の地下カトリックがあるようです。中国政府の公認のカトリック団体の代表者らが集うのが「中国カトリック全国代表会議」。

 政府公認の「中国天主教愛国会」の信者は約550万人、非公認の「地下教会」に所属する信者はその数倍だそうです。私が読んだブログに出てくる信者さん方はどちらの教会に属されているのでしょうか。興味あるところです。

 地下教会の指導者は「中国は独自の基準で宗教問題を取り上げ、バチカンに反抗している。私は信仰を汚したくない。教会とバチカンに従いたい」と言っているそうです。

 政治が絡んでいるし、私は直接見たり聞いたりしたわけではないので何も言えませんが、二つの教会(本当は一つのはずです)があることは事実のようです。

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(写真:産経WEST 2017.1.15 より)

2017年9月 9日 (土)

にがごいの佃煮

 Sさん手作りの「にがごいの佃煮」をいただきました。こちらでは「にがごい」と呼ばれているニガウリの佃煮です。ニガウリは豆腐、豚肉と一緒に油炒めでいただくのがポピュラーですが、漬物や佃煮にしても美味しいです。

Dscn1946Sさんの手作り「にがごいの佃煮」

 いただいた佃煮はゴマや鰹節等色々と入っていて、とても美味しかったです。ご飯がすすみます。種を取り、ワタを取り細切りにするのに手間がかかりますが、料理は手間ひまかけただけ美味しくなりますね。

 こういう常備菜があるとお弁当作りの時にとても助かります。

2017年9月 5日 (火)

ハンダマ

 お花教室の時に「ハンダマ」というお野菜をNさんから頂きました。別名「水前寺菜」「金時草」「春玉」と呼ばれている野菜で、奄美では「ハンダマ」というそうです。

Photo_2  レンジでチンして水気を絞り、酢味噌でいただきました。ぬめりがあり体に良さそうだと思っていたら、やはり鉄分が多く「血の薬」と言われているそうです。モロヘイヤほど青臭さがなく、とても食べやすいでした。天ぷらにしても良いとのこと、数本挿し芽をしたので来年は自家製ハンダマ天ぷらが食べられるかもしれません。楽しみです。

2017年9月 2日 (土)

9月のお花教室

 今日はお花教室でした。生けた花はユキヤナギ、リンドウ、ガーベラ、シネンシス、たましだ です。

 先生がゆきやなぎの無駄な枝を取ってくださったのですっきりとなり、涼しげな作品になりました。今の時期この暑さの中で花を長持ちさせるのは難しそうです。水はたっぷりとあげてくださいとのことでした。

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 教室のあとはいつも茶話会です。今日は神父様も加わり大島紬の話で盛り上がりました。大島出身の方が多いので、皆さん大島紬を見る目は肥えています。わたしも大島紬の着物が好きで、特に竜郷柄が大好き。蛇が苦手な私ですが竜郷柄は別。紬の着物は張りがあり裾さばきが良く、とても着やすいのが特徴です。

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Photo_2竜郷柄


 お花から着物へと話がそれてしまいました。これから秋になると花だけでなく葉の紅葉や実も楽しめます。秋にはどんな花材を扱うのかこれからも楽しみです。

2017年8月12日 (土)

可愛い侍者

 今晩のごミサはいつもの侍者の他に見かけない二人の子供がいました。神父様の紹介でSさんのお孫さんとのこと。夏休みでおばあさんの所に里帰り中、おばあさん、お母さんと一緒にごミサに来て侍者をしてくれていました。

 きっといつも自分達の教会で侍者をしているのでしょう。二人共侍者にとても慣れている様子でした。なんといっても、朗読の後に「神のみことば」と言ってくれたのには感動しました。侍者が「神のみことば」と言ったのはこの教会では初めてですね。そう、「神のみことば」ですよね。聖書は神のみことば、そして私たちは神に感謝するのです。

 とても小さなこと、ある人たちのとってはどうでもよいことですが私にとっては大きな喜びでした。子どもたちに(人''▽`)ありがとう☆

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2017年7月31日 (月)

泳ぐネコ科

 

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ニャン吉(Cat Press より)


 こう暑いとネコも海で泳ぎたくなりますよね???泳ぐネコといったら鹿児島のニャン吉君でしょう。先の曲がったカギ尻尾は我が家のトラ次郎とそっくりですが、トラ次郎は泳げないし、モデルをして稼げません。catface

 ネコ科は水が嫌いと思っていましたが、どうも違うようです。ニャン吉君は小さい頃から飼い主さんと一緒にお風呂に入っていたので、水は怖くないようです。それに引き換えトラ次郎は一度もお風呂に入ったことはありません(可哀そうとは思いませんが)。

 パリのペサック動物園のジャガーの檻の中にはプールがあります。小さい頃から水に慣れているのか、ここのジャガーCatalinaとMatoは見事に泳ぎます。たしかジャガーもネコ科ですよね。

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フランス・ペサック動物園(AFP BBNEWS より)

 常識外れのついでに「.r」のブログから可愛い写真を。

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 ⇧ にゃんことわんこ

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 ⇧ にゃんことひな鳥たち

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 ⇧ 子ざるとちびライオン(写真3枚:「ブログ  .r 」より)

 仲良く平和が一番!

2017年7月27日 (木)

十九の折り鶴~ラルシュ共同体

 菊地司教様のブログに載っていたラルシュ共同体が作成したビデオです。ラルシュ共同体(L'Arche International)とは知的障がいを持つ人と持たない人が共に生活しているコミュニティで、日本では静岡にあるそうです。私はこのビデオで知りました。


YouTube: 十九の折り鶴

 昨日は相模原殺傷事件から一年、ラジオでもこの事件のことを振り返り伝えていました。このビデオを見て皆さんは何を感じ、どんなことを考えましたか。

2017年6月21日 (水)

作業は祈り

 ご聖体訪問をするたびに一人で教会の庭の草取りをしている方を見かけます。帽子を深くかぶりマスクのようなもので顔を覆っているのでどなたかわかりません。先週声をかけたところようやくわかりました。

 彼女は「これ(草取り)は私の祈りですから」とごく自然に答えられました。すばらしい信仰ですね(だからといって「皆さん草取りをしましょう」と言う意味ではありませんよ)。自分の仕事を祈りに変えられる素晴らしさです。久しぶりに信仰の人を見ました。

 丁度今日の福音と重なりました。「他人の前でよい業を行って人に見せびらかさぬように気をつけよ。そんなことをすれば天にまします父からの報いはいっさい受けられぬ。だから施しをするときには、偽善者の人が尊敬を受けようとして会堂や町でするように、自分の前でらっぱをならすな。・・・」(マテオ6:₁~₂)

 人に良く思われたいがために善行をする人は沢山います。その人達は他人から評価されることを喜びとします。また他人から悪く思われたくないから仕方なくする人も。しかし彼女は違います。私も彼女を見習わなければと思いました。

1シスターたちにとってパンを作ることは祈り このパンはご聖体になるためだけにつくられます。(聖血修道会聖ヨゼフ修道院)

2017年6月14日 (水)

何でも差別・・・ではないでしょう

 郡山司教様のブログにおもしろいことが書いてありました。カトリック婦人連合を女性連盟と改名した理由についてです。

 改名した人たちの理由に司教様も失笑したとか。読んでみて私もちょっとあきれました。キリストの教えを知っているカトリックの人がこんなことを言うとは。世のフェミニストと同じ。

 婦人の「婦」は女+箒(ほうき)、箒を手にして掃除をする人という差別的イメージを与えるのでふさわしくないというもの。しかし司教様が調べたところ本来の意味は「箒は掃除のためではなく、酒を含ませて廟(祭儀を行うところ)を清めるためのもの」で、婦とはその役を担っている女性のことだそうで、「婦人」は差別どころか女性の地位と役割を明確に表すものとか。

 私はそもそもカトリックの人が女性が箒をもって掃除するすることを差別的なこととしてとらえていること自体理解できません。箒で掃除することは立派な仕事です。会社や学校、病院等で働く女性の仕事だけに価値があるのでしょうか?フェミニストたちは何でも「差別差別」と声高に言います。それは彼女たち自身が一番女性を貶めていることに気付いていないのでしょうか。

 カトリックの中に「女性の司祭がいないのは女性差別」と騒ぐシスターや女性信徒がいます。女性の司祭がいないのは差別ではありません。理由は別です。そもそもカトリックの中に女性差別はありません。キリストは差別そのものを否定しています。それどころ女性の地位を高めました。神の母となった聖母マリア、キリストが復活後に初めて姿を現したのはマグダラのマリア。サマリアの女性とキリスト等々。

 話がずれてしまいました。要するに「婦人」でいいのです。婦人会が箒をもって掃除をしてお茶の準備や片付けをしても差別ではないのです。何でも差別と言うのはやめましょう。

Photoキリストとサマリアの女性

2017年5月16日 (火)

良くなりました

 主任司祭が替わられて約1ヶ月経ちました。色々と変わりましたが中でも私が嬉しいのは祭壇です。

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 以前のA教会の祭壇と今の祭壇の違いがわかりますか?そう、十字架が移っているのです。向かって祭壇の右側から聖櫃の上の左側に移りました。本当は中央にあるのが理想なのですが、それでも以前よりずっと良いです。聖櫃と十字架を共に仰ぎ見ながら祈れるのです。素晴らしいと思いませんか?A神父様に感謝!

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 後は聖書朗読の後に侍者が「神に感謝」ではなくて「神の(み)ことば」と言ってくれれば、もう何も言うことはありません。

2017年5月15日 (月)

生と死

 今月初めに五つ子ちゃんが生まれました。お母さんは花子、お父さんはトラ次郎です。お母さんとお父さんの遺伝子をしっかり受け継いでいる毛並みです。

 花子がお出かけの間にこっそり写しました。にゃんとかわゆすlovely

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 まだ目も見えないのでおとなしいですが、5匹がよちよち歩き出すと花子は目が離せなくなります。カラス、たぬき、イタチなどの天敵に一番怖いのが車。子育て頑張れ花子!

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 命の誕生といえば必ず死があります。猫などの動物とは違い人間は死が必ず訪れることを知っています。ですから自分の死について、またその準備について考える人もいるでしょう。

 昨日はIさんの葬儀がありました。Iさんは思いやり深くて、特にとても謙遜な方でした。

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 他人の葬儀に参列すると、自分の葬儀について考えてしまいます。そのことを夫に話すと「そんなことは心配しなくてもいいよ。いくらああして欲しい、こうして欲しいと言っても、あなたは死んでいて自分の思い通りには何もできないのだから残った人に任せなさい」といわれました。確かにその通りです。今思いわずらっても仕方ありません。葬式より死までどう生きるかが大切なのですから。とはいってもつい色々と考えてしまう私です。catface

2017年5月14日 (日)

♪キリストのように♪

イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」(ヨハネ14:6)

 これは先週金曜日の福音、そして今日の福音も同じ箇所が読まれています。「キリストを通らなければ、だれも父のもとに行くことはできない」と、キリストははっきりと言っています。

 そしてイエズスは弟子たちに言われました。「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい」と。

 これがキリストの教え=キリスト教です。この言葉を無視するならその教えはもはやキリスト教ではありません。

      fish  fish  fish  fish  fish  fish

 話は全く違いますが、わたしはある歌が大好きで、この歌を作られた方にお会いした時にその方が「これは自分の作った作品の中で特に好きな歌なので歌集では18番(十八番おはこ)にしました」と言われました。確かに歌集では18番目になっています。

 私は大好きなこの歌を口ずさむたびに少しひっかかるところがあります。その箇所とは出だしのところ。

note キリストのように神から生まれて~note と言う歌詞です。キリストは三位一体の神、私たちは神の被造物なのでこの歌詞は明らかに不自然。ここ以外の歌詞と曲はとても良いのに。わたしが気にしすぎでしょうか?何も気にせずにさらっと歌えばよいのか、勝手にここだけ歌詞を変えようか・・・たいしたことではないのですが悩んでいます。

Dscn1600_3「キリストのように」楽譜(写りが悪いですが)

2017年4月30日 (日)

久しぶりにぼやく

 「聖堂は祈る場所。聖櫃にはキリストが特別なかたちで現存しています。聖櫃のある聖堂ではおしゃべりは慎みましょう」

 子どもでもわかることを今更大の大人に言わなければならないなんて恥ずかしいのですが、これが現実。特にごミサの前に普通にお喋りをしているあの騒々しさ。静かに祈りながらごミサを待つ教会が普通ですが、そうでない教会もあるのです。

 聖堂は集会室ではありません。おしゃべりをしたければ聖堂の外でお願いします。外で一週間の出来事、友達や家族について気のすむまでおしゃべりをして、聖堂に入ったら静かに。大切な用事がある時には小声で手短に。大人の常識が今や常識でなくなっています。

 聖堂に入ったら静かに祈りましょう。静かに静かに静かに

15聖堂で祈る人

2017年4月28日 (金)

白の特権

 今時こんなことが大事?私は知りませんでした。皆さんは知っていましたか?

 ローマ教皇に謁見する時は黒の服と黒のベールが決まりだそうです。しか~し「白の特権」というものがあり、スペイン王妃、ベルギー王妃、ルクセンブルグ大公妃、モナコ大公妃、リヒテンシュタイン公妃、サヴォイア家(イタリア王国の王家)プリンセスは白い服と白いベールを身に着ける特権があるそうです。特権のない人が白い服や白いベールを身に着けて教皇に謁見すると無知だと非難されるとか。ただし非難するのは教皇庁や特権のある人ではなくて、なぜかジャーナリストや庶民ですね。

27779150「白の特権」があるモナコ大公妃

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85bfc602特権のないイギリスとアメリカ

 何色の服を着ていようと教皇様は全く気になさらないでしょう。カトリックの教えとも関係のないことです。特権好きの特権階級のお話でした。おしまい。