聖マリアの誕生 祝日
YouTube: マリアさまのこころ Maria-sama no kokoro
マリア様の祝日のなんと多いこと。でもそれはとても嬉しいことです。それだけマリア様は皆から愛され、崇敬されている証拠です。カトリック教会の聖堂に入ると必ずマリア様のご像があります。マリア様の賛歌も沢山あります。カトリック信者は皆マリア様が大好きです。私たちのお母様ですからね。
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マリア様の祝日のなんと多いこと。でもそれはとても嬉しいことです。それだけマリア様は皆から愛され、崇敬されている証拠です。カトリック教会の聖堂に入ると必ずマリア様のご像があります。マリア様の賛歌も沢山あります。カトリック信者は皆マリア様が大好きです。私たちのお母様ですからね。
国境なき医師団(MSF)が50周年を迎えました。今までの主な紛争地域への援助活動を見ると、いつもどこかで人間同士は殺し合っていることがよく分かります。そして殺し合いを命じる人ではなく子供たちや弱い人々が圧倒的に犠牲になっています。
MSFが人道支援活動を行った紛争地域の一部
1971年国境なき医師団設立のきっかけとなったナイジェリア東部ビアフラ戦争(1967年勃発)
1975年ポルポト政権から逃れるカンボジア市民を援助
1976年中東・レバノンの内線
1980年ベトナム軍のカンボジア侵攻
1984年エチオピア飢餓・軍事政権による援助物資の横領発覚
1991年湾岸戦争に続く内乱で難民になったクルド人への救援
1992年ソマリア内戦(1988年勃発)人道的支援を理由にアメリカ中心の多国籍軍の過剰な軍事介入を非難
1994年ルワンダで民族大量虐殺(ジェノサイド)が発生
1995年ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争(1992年勃発)での虐殺や強制移住が起きていることを国際社会に訴えた
1995年チェチェン紛争(1994年12月)で市街地が壊滅状態の中、医療・人道支援を開始
1999年コソボ戦争(1998年内戦激化)NATO軍の軍事介入を「人道的介入」と正当化する発想を非難
2002年アンゴラ飢餓対応(政府軍と反政府軍の停戦合意後)
2003年イラク戦争
2004年アフガニスタンから撤退(1980年から24年間援助活動を行う。2009年に活動を再開する)
2009年スリランカ内線
2009年スーダン、ダルフール紛争(2003年勃発)スタッフが拉致される事件が発生
2012年シリア内線(2011年勃発)援助を開始するが2014年スタッフが拉致・拘束される事件が発生
2013年ソマリアからの撤退 内戦が勃発した1991年から22年間援助を続けてきた間に合計16人のスタッフが殺害された。2017年に援助活動を再開
2015年イエメン紛争激化
2015年アフガニスタンの外傷センターがアメリカ軍の空爆を受けて、患者とスタッフ42人が亡くなる。紛争地でのMSF関連施設への砲爆撃は75件106回
2017年ロヒンギャ難民危機
紛争地域への援助だけでなく、スマトラ沖地震、ハイチ大地震、東日本大震災などの自然災害への救援、HIVやエボラ、新型コロナウイルスなどの感染症対策、乳児、子どもへのワクチン、栄養失調の治療、妊婦への支援、難民への援助等々MSFは活動しています。
最後に下記のレポートを是非読んでみてください。「MSFとアフガニスタン」とでも言いましょうか。またMSFへの寄付も忘れずにお願い致します。
https://www.msf.or.jp/news/detail/headline/afg20210824nt.html
今日は8月最後の日。9月からは夫の仕事も始まるので、思いきって二人で「えびの高原」へ出かけました。
枝先が黄色く色づきはじめている木々、駐車場を飛び交うたくさんのトンボ、白い花があふれんばかりに咲きほこっている山法師の大木、夏の終わりは近く、秋がそこまで近づいていると感じました。そこでこの気持ちを一句詠みたかったのですが・・・できませんでした。
その訳は昨夜読んだ『俳句入門』が原因です。ど素人の私が今まで詠んだ句は独りよがりで自己満足の句ばかりでした。稲畑汀子先生のこの本を読んで、初心者がよくやってしまうことがほとんど私に当てはまっているのに気づき、恥ずかしい思いでいっぱいになりました。
季重には注意しているのですが、頭で作ってしまったり、切字の使い方を間違えたり。先生は「嬉しい」などの感情言葉は避けるように、説明するよりも感動の方を大切に、事実を述べる。十七音しかないのであるから、省略の反面、短くとぎすまされた言葉を残さなければならない。対象を深く見ること。言葉をつめ込まない。等々初心者に教えておられます。
「感動のないところに詩は生まれない」そして「感動したことを十七文字に託す」「俳句は季題を詠む詩である」という教えで、私は俳句の真の面白さがわかりかけてきました。
これからは先生の教えておられることを少しずつ実践しながら、俳句を一から始めようと思います。ガンバルにゃん!![]()
ずっと以前から酒井司教様の句集が出るという話を聞き、まだかまだかと待っていました。そしてやっと念願かないこの句集『神の手』を手にすることができました。
酒井司教様は湧水の俳号を持つ俳人でもあり、ホトトギスの同人です。つまり俳句のプロですね。この句集を読むと、司教様の温厚なお人柄が感じられます。
私の母は素人の俳句好きで、特に正岡子規や高浜虚子、稲畑汀子女史の句を好んでいました。こうして句集に触れると、地方の小さな句会にいそいそと出かけていた母の姿を想い出します。
私も俳句には興味があり、ヘタなりに時々詠みますが、娘に言わせると文法がまちがっているそうです。正直文語の文法はわかりません。
そこでこの本⇧を使って文語の文法をきちんと勉強することにしました。『学生の時に真面目に勉強していればよかった』と、後悔しています。
イエズス様の使徒聖バルトロマイ(ナタナエル)はアルメニア地方に布教して、殉教したと言われています。アルメニアといっても何処にあるのかすぐにわかりますか?それは西アジア(中東?)にあり、トルコ、ジョージア(グルジア)そしてアゼルバイジャンに囲まれている所です。
バルトロマイという名前は「タルマイの息子」という意味で、バルトロマイとナタナエルは同一人物のようです。ナタナエルという名前は「神は与える」という意味です。
イエズス様は、ナタナエルのことを、「見なさい。まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない」と、言われました。イエズス様が自分のことをすべて理解していると悟ったバルトロマイ(ナタナエル)は応えます。「ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です」と、信仰告白しました。そしてイエズス様に従いました。最後は他の使徒たちと同じように殉教しました。
当時多くの普通の人たちのがキリストに出会ったことでしょう。しかし出会ったすべての人がキリストを信じたわけではありません。また信じた人々の中からキリストは特に12人を選ばれました。何故あの12人だったのでしょうか?
今もキリストに出会い洗礼を受ける人もいれば、せっかく出会ってもただ通り過ぎてしまう人もいます。おそらくそういう人達の方が圧倒的に多いでしょう。カトリックの幼稚園や学校、大学はありますが、そこに通った人たちのほとんどはキリストに出会っているはずなのに・・・。主のみ旨は私たちには計り知れませんね。
聖バルトロマイのように、キリストに出会ったら主を信頼して絶対に主から離れませんように。
聖ピオ十世教皇様については、ベネディクト十六世教皇様のお話しで、いかに素晴らしい教皇様であったかがわかります。
聖ピオ十世の教皇職は、消し去ることのできないしるしを教会史に残しました。それは改革への際立った努力によって特徴づけられます。この改革は「キリストのうちに万物を刷新する(Instaurare omnia in Christo)」という標語でまとめられました。
実際、ピオ十世の取り組みは教会のさまざまな分野に及びました。彼は初めからローマ教皇庁の機構改革に努めました。それから、教会法の編纂作業を開始しました。この教会法は後継者のベネディクト十五世によって公布されます。
さらにピオ十世は司祭志願者の勉学と養成課程の見直しを推進し、優れた図書室と優秀な教授を擁するいくつかの諸教区神学校を設立しました。もう一つの重要な分野は、神の民の教理的な養成です。主任司祭だったとき、ピオ十世自身、カテキズムを執筆し、マントヴァ司教職を務めていたときには、世界中で使用されはしないまでも、少なくともイタリア語による唯一のカテキズムを作成するために努力しました。真の意味での司牧者である彼は、移住の現象が見られる当時の状況から、生活する場所と状況と関係なく、すべての信者が参照することのできるカテキズムが必要だと考えたのです。教皇になると、ローマ教区のためのキリスト教教理の教科書を作成しました。この教科書は後にイタリア全土、また世界中に広まりました。『聖ピオ十世の公教要理』と呼ばれるこのカテキズムは、単純、明快、かつ正確な書き方と、力強い解説のゆえに、多くの人にとって信仰の真理を学ぶ上での確かな導きとなりました。
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信者の信仰を強めるという務めを忠実に果たそうとした聖ピオ十世は、19世紀末から20世紀初頭にかけて神学界に現れたある種の傾向に対して決然と介入し、「近代主義」を非難しました。それは、信者を誤った思想から守り、教会の聖伝と一致した形での啓示の学問的探究を推進するためです。
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聖ピオ十世はわたしたち皆に次のことを教えてくれます。わたしたちはさまざまな分野で使徒的活動を行います、しかし、その基盤には、常にキリストとの深い個人的な一致がなければなりません。そして、このキリストとの深い個人的な一致を、日々、深め、成長させなければなりません。これこそがピオ十世の教えと司牧活動全体の核心です。主に心を捕らえられることによって初めて、わたしたちは、人々を神へと導き、神のあわれみ深い愛へと開き、そこから、世を神のあわれみへと開くことができるのです。
(2010年8月18日 教皇ベネディクト十六世一般謁見演説より)
バーク枢機卿様はCovid-19 にかかり入院されています。枢機卿様のためにロザリオをお祈りしましょう。
YouTube: 50 aniversario de la ordenación sacerdotal de Mons. Fernando Ocáriz
オプス・デイのオカリス司教様は8月15日に司祭叙階50周年を迎えました。「おめでとうございます!」
オカリス司教様の優しい微笑みと、穏やかなお話しはいつも私の心を癒してくださいます。
私にカトリックの洗礼を望んだ親に感謝!そうでなければ私は聖母を知ることなく、毎年聖母の被昇天を祝うこともなかったでしょう。
主イエズス・キリストは聖母マリア様の魂もからだも共に天に上げられました。聖母の被昇天を祝うこと(被昇天を信じること)のできる人は幸せです。
YouTube: Ven y reina, Madre de Dios | 275 voces - coro virtual | Canción a la Virgen María
私の教会の保護者聖マクシミリアノ・マリア・コルベ神父様の記念日です。
ポーランド人のコルベ神父様と一緒に思い出すのがゼノ修道士様です。子供の頃に『ゼノ死ぬひまない』を読んで、こんなに優しい人が本当にいるのだ!と、感動したことを覚えています。また、私の母は一度だけ聖堂で祈られているゼノ修道士のお姿を見かけたことがあると言う話を聞き、何故か身近に感じたことを覚えています。
コルベ神父様はアウシュビッツ強制収容所で殉教されて聖人になられましたが、私にとってはゼノ修道士様も聖人です。戦後貧しい国ポーランドからもっと貧しい日本に「良い知らせ=福音」を届けに来られ、自分の全てをそのために捧げられました。勿論ヒラリオ修道士様をはじめ当時日本に来られた多くの宣教者やブラザー、シスター方も皆私には聖人です。
今日は聖マクシミリアノ・マリア・コルベ神父様、そして同じ心で日本に来られ宣教活動をされた司祭・修道者皆様のために、感謝の気持ちをこめて祈ります。
YouTube: The Beauty of Tradition and the Latin Mass
聖コルベ神父様がお母様に宛てて書かれた手紙の本『母への手紙』を読んでいます。当時の神学校や宣教の様子がよく分かります。その中でこういう一文がありました。
1914年7月1日 ローマ
『学年の終わりに、ピオ十世教皇は、グレゴリアン大学の学生たちに、ご好意にあふれた書簡を寄せられました。・・・・・もっと重要なこともあります。パパ様は、これから学士号を得ようとする神学生は、モデルニズムを拒否する宣誓をするようにとの、新しい規定を示されたのです。ですから、僕も試験が終わった日、みんなと一緒に、聖イグナチオ教会で、この宣誓をしました。これまでは博士号についてだけ、この宣誓が要求されていたのですが、これからは、すべての学位について要求されることになったわけです。
一昨日、教皇様の謁見に行きました。1万人くらいはいたでしょうか。・・・・・バルコニーにお立ちになった教皇様は、祝福を与え、拍手の中を退出なさいました。・・・』
*「モデルニズム」は「近代主義」で、哲学・神学・社会の分野で、啓示、信仰、教義の根本的概念を主観的、内在的に解釈しようとする思想。
教皇ピオ十世によって排斥されたはずですが、今も教会内でこの思想をよく耳にすることがあるような気が・・・私の空耳?
当時の教皇様の謁見の様子は今と変わりませんね。当たり前のことですが、聖コルベ神父様も伝統ミサを立てておられたでしょう。美しいごミサを![]()
今日は小平神父様の命日です。神父様は聖書学者でした。ラテン語・英語・フランス語も堪能でした。『聖書思想事典』は小平神父様が翻訳された事典です。

以前紹介した『聖書散歩』も神父様が書かれた本です。
永遠のベストセラー「聖書」には汲めども尽きない教えがある。 しかし案内書物がなければ、よくわからないのも聖書だ。 「本書は、著者の緻密な聖書学の知識と該博な教養とがドッキングした見事な傑作です。 読者は一人の例外もなく、聖書がこんなに面白く、 また楽しいものであったのかと認識を新たにされることでしょう。 聖書といういわば”神の言葉”の森に足を踏み入れ、 ”永遠の命”に通じる道をたどりたいと願う人々にとって、著者は類まれな案内人です。 この案内人に導かれて「聖書散歩」に参加する人は、 方向を見誤ったり、道を見失ったりせず、安心して楽しく目的目指して進むことができます。
小平神父様のごミサでの説教はいつも聖書についての詳しい説明とそれに基づいたお話でした。懐かしいです。「説教」とは その日に読まれた聖書について[説いて教える] 事だと思います。ただの「お話し」にならないように・・・。
そういえば小平神父様の霊名はビアンネです。ピッタリな霊名ですね。
今日は司祭の保護者、聖ヨハネ・マリア・ビアンネ司祭の記念日です。ビアンネ神父様自身はいつも貧しい人たちを助け、彼自身もとても質素な生活をされましたが、ミサ典礼だけは主への畏敬の念から、ミサ祭服や聖具にはお金を惜しむことはなかったそうです。
教皇ベネディクト十六世は、「ビアンネ神父は司祭職という自分の受け取った賜物を常に最高のものと考え、・・・善き羊飼いの姿を目に見える形で全世界に示した。ビアンネ神父は生きた公教要理であり、特に彼がミサを捧げる時、聖体礼拝をする時、告解室にいる時、信徒はそれを最大限に学ぶことができた。」と、話されています。
私たちは司祭様がごミサを捧げる姿を見て、説教を聴いて学んでいます。
YouTube: Ksenona & Vitas (Ксенона и Витас) - Мне бы в небо
久しぶりにこの曲を!この動画が好きです![]()
庭仕事や掃除の好きな人っていますよね。その人にとっては庭や室内をきれいにすることは楽しく、せずにはいられない事のようです。
さて、私は?実は庭の手入れも室内の掃除も夫がしています。なんとアイロンがけまでも・・・。私はもっぱら料理専門です。夫曰く「君は私が外で働いている間に子育てを頑張ったから、今は休んでいいよ」と言ってくれます。
本当は夫は庭仕事や掃除が好きなのでは?そう勝手に思いながら、庭や部屋の掃除やアイロンがけの苦手な私はいつも夫の言葉に甘えています。そして夫に感謝!!!
夫婦とはお互いの足りない所を補い合い助け合って、そして感謝の気持ちを伝えることが大切なのかな・・・と、思う今日この頃です。
なぜこんなことを書くかと言うと、最近離婚のニュースが多いから。![]()
伝統ミサの許可を司教様から 頂くためにはいくつかの条件があるようです。この条件をのめない人たちにとってはやはり禁止と同じですね。![]()
“Who is going to save our Church? Not our bishops, not our priests and religious. It is up to you, the people. You have the minds, the eyes, and the ears to save the Church. Your mission is to see that your priests act like priests, your bishops act like bishops.” (Bishop Fulton J. Sheen)
私たちは真剣にフランシスコ教皇様、枢機卿様方、司教様方、司祭様方のために祈らなければなりません。