ネコのシロがケガをしました。多分他のネコに噛まれたのだと思います。初めはほとんどわからないくらいの傷でしたが、いつまでたっても治らずにかえってひどくなるばかり。
今までのネコたちはケガをしても傷を舐めて自然と治していました。病院へ連れて行ったことはありません。しかし今回だけは動物の自然治癒力だけではどうにもならないようです。
ケガをしてから約3週間
病院へ行って、傷を縫ってもらいました。
2週間後に抜糸します。10日間は毎日抗生剤を飲ませます。
そこで登場するのが「ちゅ~る」です。このちゅ~るに薬を混ぜてやると一気に完食。『薬を飲んで(食べて?)くれるかな?』との心配は無用でした。
とにかくこの「ちゅ~る」はすごいですね。シロは開ける前から袋に噛みついてきます。大好物の「ちゅ~る」、でも贅沢なおやつなので特別な時だけね。
「 ちゅ~る」にも色々な味がありますが、シロはどの味でもOK!
Fr.Zのブログにカトリック信徒から興味ある質問とFr.Zの答えが載っていました。
[質問] 私はトランプ氏もバイデン氏も好きではありません。投票しなくても良いですか?
[Fr.Zの答え] 税金を払う、投票する権利を行使する、そして自国を守ることは義務付けられています。・・・私はまず候補者に「好感が持てる」という理由だけで人々がその人に投票するのに戸惑います。それは浅いです。・・・それは思慮深い投票の選択の基礎となることはほとんどありません。
・・・カトリックであると言って中絶を促進または弁解する人、・・・個人的には、中絶という本質的な重大な悪を助長する人には投票できません。私は、良心を持っているカトリック教徒が中絶を促進する候補者に投票できるとは思いません。他の問題が中絶と同じくらい重要であるというのは 嘘です。中絶は人生のもっと重要な問題です。
中絶賛成候補者に投票することは、悪の協力です。・・・間違っています。・・・
重要な選挙であると理解していて棄権するのは、選挙権を行使して公益に参加するという道徳的義務に違反すると思います。
Fr.Zは候補者を好き嫌いで選ぶのではなく、政策や公約で判断して投票しなさいと言っています。
どの国のどの選挙でも候補者が「良さそう(悪そう)だから」とか「話し方が好き(嫌い)だから」とか浅い考えで選ぶのはやめましょう。その候補者の政策や公約によって選んで投票しましょうね。、
今日は一日中本の整理をしました。写真に写っている本の約3倍の量の本を片付けました。
近頃は本の処分に困ります。以前は図書館へ寄贈していましたが今はなかなか受け入れてもらえません。
本のリサイクルショップでは内容に関係なく本の傷み具合だけで値がつくので、値の付かない本はまた持って帰らなければなりません。自治会のリサイクルに出すにはハードカバーやビニールコーティングの表紙は取り除いて出さなければなりません。これが結構力のいる仕事なのです。鹿児島市内は外す必要はなくて、そのまま出せるそうです。自治体によって違いすぎますね。
バザーに出しても古本は売れません。売れるのは漫画本ばかり。大人も子供も本離れ?
結局手元に残す本以外はすべてリサイクルボックスへ車で運びました。『もったいないもったいない』と思い今まで10年以上保管してきましたが、結局ほとんどの本は手に取ることはありませんでした。
片付けてすっきりしました。次はCDかな・・・。
ニャンどん、よくぞ言ってくれました。
半年もたってから久保さんの司祭叙階をこの動画で知りました。どの教区であろうと新司祭の誕生は嬉しいことです。
久保神父様がまだ神学生の頃Mカトリック教会で何度かお見かけしました。それ以来司祭になられる日を楽しみにしていました。この動画を見てほっとしています。ご両親も喜びでいっぱいだと思います。
久保神父様おめでとうございます!
何ごとも心を乱すことなく
何ごとも恐れることはない
すべては過ぎ去っていく
神のみ変わることがない
忍耐はすべてをかちとる
神をもつ者には
何も欠けることがない
神のみで満たされる
(アビラの聖テレジア)
今日は私が特に崇敬する聖人の一人イエズスの聖テレジアの記念日です。彼女の信仰の素晴らしさは上記の言葉で十分わかります。
1515年名前の通りスペインのアビラに生まれた聖女はカルメル会の女子修道院に入ります。病気で苦しみましたがその間も神秘的な苦行も行いました。
当時乱れていた修道会内を改革刷新し、改革修道院をトレドやサラマンカ等にいくつも建てました。
「改革する」と口で言うのは簡単ですが、それを実行することはとても苦しいことでした。堕落した生活に慣れてしまった人達はそう簡単に生活を改めることはできません。というよりその生活を変えたくなかったので、聖女への反撃はすごいものでした。その経験があればこそ上記の言葉が生まれたのでしょう。
どんなに苦しい時でも聖テレジアが励ましてくれます。「忍耐はすべてを勝ち取る・・・神のみで満たされる」と。
10月は「ロザリオの月」、昨日は「ロザリオの聖母」の記念日でした。
以前教皇様はすべてのカトリック信者に、10月の「ロザリオの月」の間、毎日「ロザリオの祈り」を唱えるようにと呼びかけています。
また、悔い改めのうちに信者が一致して、悪魔からの保護を願い、神の聖なる母と大天使聖ミカエルにも祈るようにと促しています。
教皇様は「ロザリオの祈り」の最後に、古来の聖母への祈り「Sub tuum praesidium」と、悪との闘いでの保護と助けを願って「大天使聖ミカエルに向(むこ)う祈り」を唱えるよう勧めています。
天主の聖母のご保護によりすがり奉る。
いと尊く祝せられ給う童貞、
必要なる時に呼ばわるを軽んじ給わず、
かえってすべての危うきより、
常にわれらを救い給え。アーメン。
天軍(てんぐん)の栄え(さかえ)ある総帥(そうすい)、大天使聖ミカエルよ、
かつて悪魔の大軍が、全能なる天主に反(そむ)きし時、
御身(おんみ)は、『たれか天主にしくものあらん』と叫び、
あまたの天使を率いてかれらを地獄のふちに追い落し給えり。
故に公教会(こうきょうかい)は御身をその保護者となし、特に日本公教会は、
御身をその守護者と崇(あが)め奉(たてまつ)る。
願わくは霊戦に当りてわれらを助け、悪魔を退け給え。
われらをして御身にならいて、常に天主に忠実ならしめ、
その御旨(みむね)を尊(とうと)み、その御戒(おんいまし)めを守るを得(え)しめ給え。
かくてわれら相共(あいとも)に天国において、天主の御栄(みさか)えを仰ぐにいたらんことを。
御身の御取次(おんとりつぎ)によりて天主に願い奉る。アーメン。
ロザリオの祈りや大天使ミカエルへの祈りは信徒の皆さんなら日頃から唱えているでしょうが、今月は特に意識しながら祈りましょう。そしてこれらの祈りをまだ知らない信徒の方には教えてあげましょう。
今朝A神父様のお母様の訃報を受け取りました。昨日連絡が回ってきていたのに、私が気づきませんでした。
神父様方は親の臨終に立ち会えない場合がほとんどです。特に外国で司牧している場合はその覚悟もできていると思います。とは言ってもやはりこの世での別れは悲しく淋しいでしょう、
A神父様のため、そしてヴェトナムの亡くなられたお母様の永遠の安息のために祈ります。
YouTube: 主よ、御許に.....Nearer My God to Thee
独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである (ヨハネ3:16)
昨日の第一朗読「隣人から受けた不正を赦せ。そうすれば、願い求めるとき、お前の罪は赦される。人が互いに怒りを抱き合っていながら、どうして主からいやしを期待できようか。自分と同じ人間に憐れみをかけずにいて、どうして自分の罪の赦しをねがえようか」(シラ書27:2~4) そして「わたしの天の父も、もしあなたたち一人ひとりが、自分の兄弟を心から赦さないならば、あなたたちに同じようになさるであろう」(マタイによる福音書18:35)
昨日の年間弟24主日のS神父様の説教はとても良いお話でした。
S神父様は「『赦す』ことと『愛』はキリストの教えの柱です。今は自然環境・地球環境を守ることがキリスト=教会の教えかのように言われていますが、そうではありません。空気や水、海や森をきれいに保とうとすることは人間として当たり前のことです。それはキリストの教えとは別のことです。いくら綺麗で美しい自然環境であっても、そこに住む人間の心の中が清く善くなければ・・・それがより大切です。」と話されました。(神父様の話をうまく要約できていないので皆さんに真意が伝わればよいのですが…)
私もその通りだと思います。やっと正論を聴けた思いがします。この事に気づいておられる人たちは結構いるのではないでしょうか。 トマさん(小寺神父様)は「ゆるす」ことについて『トマさん祈りの部屋』でこう書いておられます。
・・・「ゆるせない」とは、どんな心でしょうか?それは、相手を縛って放さない状態です。憎しみで結ばれているのです。だから、ゆるすとは、忘れることではなく、相手を解放することです。負の絆を解くことです。
・・・(借金をゆるす主人のたとえ話で)ゆるすと、貸していたお金は戻ってきません。でも、自分の心を縛っていたお金から解放されるのです。ゆるすとは、相手を手放すことであり、自分を縛っているものを手放すことでもあるのです。「目には目を、歯には歯を」の復讐で心を満たそうとしても、際限がなく満たされません。相手を無条件で手放していないのです。
・・・心を縛られたくないなら、無条件で相手を手放すことです。相手の心の闇を思いやるのです。それが出来なければ、「主よ、ゆるすことが出来るように助けてください」と必死に願うことです。その願いも出ないなら「願うことができるようにしてください」と祈るのです。
これがキリストの教えですね。
日本のカトリック教会の祭日・祝日・記念日は典礼暦によって決められています。しかし今まで私はこれらの祝祭記念日に含まれていない聖母や聖人たちの日、特に自分に縁のある日は記念日、祝日として祝ってきました。
今日は日本の典礼暦では記念日にすらなっていない「聖マリアのみ名」の日ですが、私にとっては祝日です。つまり私の霊名の祝日。この祝日はヨーロッパ特にポーランドと深い関係のある聖母の祝日です。(詳しくは2018年9月12日のブログを参照)
祝日とは関係ありませんが、楽しい曲でお祝いします。
YouTube: Comunicadoras Eucarísticas, Golec uOrkiestra - Gdyby wiara twa // Santo Subito
昨日の月曜日未明に台風10号は去りましたが、停電は夕方まで続きました。昨日と今日は台風の後片付け。といっても私は特に何もしませんでしたが、夫はちょっと大変でした。
特に被害はなかったのですが、強風のため庭の銀木犀の木が傾きました。⇩
今日は夫が上の枝だけ切り落としてくれました。
電話線に当らなくなり、寄りかかられていた椿も一安心。残りの作業は業者の方に頼む予定です。
夫は何でも自分でやってみる性格です。やってみてダメな時には専門の人に頼みます。庭のことは夫にまかせっきり。時々落葉樹を枯れた木と間違えて切ってしまうこともありますが それでも庭の手入れをしてくれる夫には感謝しています。
倒れかかった銀木犀の上で遊ぶシロちゃん
「侮辱されては祝福し、迫害されては耐え忍び、ののしられては優しい言葉を返しています。」
これは今日の第一朗読『使徒パウロのコリントの教会への手紙』の一文です。キリストの教えを知っている私にとっては特に胸に刺さることばです。
私自身相手のために祝福を祈ったり、優しい言葉を返すことはなかなかできません。ですからいつも告解に行かなければならないのですが・・・
使徒パウロは私たちにキリストの教えを行うことを自ら示しました。私も使徒パウロにできるだけ倣うように頑張ります。
強い台風10号が近づいていますね。皆さん準備は大丈夫ですか?特に家の周りに強風で飛ばされる物はないか注意して片付けましょう。停電した時の準備も忘れずに!
YouTube: Il Volo y el papa Francisco (Ave Maria Mater Misericordiae)
⇧ 本文とは何の関係も無いけれど・・・教皇様のために祈りましょう
今日のごミサの第1朗読を聴いていて、昨日娘に教えてもらったシスターのことが頭に浮かびました。
シスターは主キリストの教えに従って話していますが、彼女を誹謗中傷する人たちがいます。「主の言葉のゆえに、わたしは一日中、恥とそしりを受けねばなりません」とは預言者エレミアの言葉です。(エレミアの予言20;9) 主のことばゆえに、そしりを受けるシスター・・・エレミアの時代と変わりませんね。
YouTube: Sister Deirdre Byrne's full remarks at the GOP Convention
今日神父様が説教されたように、自分の十字架を捨てて楽な生き方をするのではなく、自分の十字架をしっかりと抱いて、喜んで十字架を荷う力を主が与えてくださることを信じて毎日を過ごしましょう。
YouTube: Zespół TRIM-Czarna Madonna
ご出現は無いけれど、とても崇敬されているチェンストホヴァの聖母。教皇ヨハネパウロⅡ世も何度も訪問して祈りました。
ついでに: 今日のチェンストホヴァでの司教様のごミサでは、信徒はマスクをしていましたがごミサを立てる司教様、司祭様はマスク無しです。ご聖体拝領も以前と変わらずに跪いて舌で受けていました。なんだかほっとしました。ポーランドは良いな~