「キリストの聖体」の祭日を迎えました。例年ならば今日は多くの国のカトリック教会で聖体行列がありますが今年はどうでしょうか。
イエズス様は私たちと共にいつまでもこの世にとどまることをお望みになり、ご自分の御体と御血を私たちの霊の食物としてお与えになり続けています。イエズス様が私たちをどれほど愛されておられるかよく分かります。
司祭のことば「これは私のからだである」「これは私の血である」という聖変化によって、私たち信者はまことのキリストの御からだと御血をいただきます。まことのキリストをいただくのですから、いい加減な心の準備、態度でなく、良い心の準備をして相応しい態度でただきましょう。
私たちは毎朝目覚めるとすぐに「父と子と聖霊のみ名によってアーメン」と言って十字架のしるしをしてから一日が始まります。夜寝る時も同じように「父と子と聖霊のみ名によってアーメン」と十字架のしるしをして眠ります。一日に何回十字架のしるしをすることでしょう。いつの間にかおざなりにしている時もあるのではないでしょうか?
J.A.神父様は「十字架のしるしをする時は、自分は三位一体の子であるということを考えましょう。神は唯一であるが、ペルソナは三つあり、父と子と聖霊です。すべてにおいて、三つのペルソナはそれぞれみな等しく、この三つの神のペルソナはまた、一つの同じ神です。この三つのペルソナのある唯一の神を、至聖なる三位一体といいます。父なる神は私たちを造られ、子なる神は私たちをあがない、そして聖霊は私たちに、神の生命をあたえられます。」と、教えてくださいました。
ですから私たちが十字架のしるしをする時も、「願わくは、父と子と聖霊とに栄あらんことを、初めにありしごとく、今も、いつも、世々にいたるまで、アーメン。」(栄光は父と子と聖霊に、初めのように、今もいつも世々に、アーメン。)と祈る時にも、毎回唯一の神である至聖なる三位一体を意識しましょう。また、意識していることを形として、「父と子と聖霊」では頭を下げましょう。
いと高き方から、豊かに受けたのだから、
あふれる心で、できるかぎりのものを献げよ。(シラ35.12)
今日の朗読の一部です。この前に「喜んで捧げなさい」と書いてあります。私が持っているものはすべて主から受けたものです。お金も物も家族も私の命もすべては主から与えられたものです。シラ書のこの箇所で主から与えられたものを主に捧げることは当たり前のことだと気づかされます。
教会の献金や維持費、寄付や援助に奉仕、そして息子や娘たちを司祭、修道者として捧げることも、すべては主から与えられたものを主にお捧げするだけのことです。それも喜んで、笑顔で。
そう思うと、将来の不安や思い煩うことはなくなります。ただ主を信頼してお捧げしましょう。
キリストの復活から40日目にキリストは昇天され、50日目には約束されたように聖母と弟子たちに聖霊を送られました。
聖ホセマリアは、「もっとひんぱんに聖霊と付き合いなさい。(知られざる偉大な御方)である聖霊、彼こそ聖化する御方である。あなたが神の聖殿であることを忘れてはならない。慰め主は霊魂の中心においでになる。聖霊に耳を傾け、その霊感に素直な心で従いなさい」と、言っておられます。
聖霊の働きがあるからこそ、私たち信者はキリストを信じることができます。聖霊は神が私たちに望まれることがわかるようにしてくださいます。聖霊の働きが無ければ、信じることも、洗礼を受けることも無いでしょう。また洗礼を受けたとしてもその後聖霊の声を無視して従わなければ信仰を捨ててしまうことになります。私はそういう人達を何人も見てきました。それはとてもかわいそうで悲しいことです。
神は父と子と聖霊の至聖なる三位一体です。父と子ばかりでなく聖霊の働きをも忘れてはなりません。聖霊に耳を傾けるとは祈ること、祈らなければ聖霊にも気づかないでしょう。だからと言って聖霊だけを特別に重視するのもよくありません。父と子と聖霊、この三つのペルソナはそれぞれにみな等しく、一つの同じ神だからです。
当然聖霊は教会内でも働き続けられています。そして聖霊は特別の使命を与えられた人達(教皇、司教、司祭など)には特別の恵みと力を授けられます。
聖霊来たり給え、信者の心に満ち給え、▴主の愛の火をわれらに燃えしめ給え。主よ、聖霊をつかわし給え、・・・・・と、Veni Sancte Spiritus の祈りを唱えましょう。
パウロはエフェソの教会の長老たちに言った。「・・・あなたがた自身の中からも、よこしまなことをとなえ、弟子たちを自分の方に引き込もうとする者が起こることでしょう。ですから、目を覚ましていなさい。そして三年の間、夜となく昼となく、涙をもってあなたがた一人びとりを、絶えず訓戒してきたことを思い出してください」。(使徒言行録20・30-31)
今日の朗読を読んでいて思いました。聖パウロが生きていた時代からすでに、キリストが教えていないよこしまな教えで弟子たちをしたがわせようとする長老たちがいたことです。現代も似たようなことが起きています。聖パウロは言っています。「目を覚ましていなさい」と。よこしまな教えに惑わされないように!私たち自身がしっかりと目を覚まして、邪説をとなえる人には絶対に従わないように、キリストの教えにだけに従うようにしましょう。
とは言っても、公教要理をよく勉強していない人はすでに邪説が正しい教えだと思いこんでいる人もいるでしょう。その人たちのためにも司祭はミサ説教の時に正しい教えを信徒に教えましょう。すでに司祭が邪説をとなえていたら・・・困りました・・・その時は司祭のために祈りましょう。
昨日娘からキムチが届きました。これは「埼玉朝鮮初中級学校と、そこに通う子どもたちへの支援」を目的として頒布されているキムチです。
梅雨に入り急に蒸し暑くなりました。こんな日にはキムチがピッタリです。どれも本場の味でとても美味しいですよ、私が特に気に入ったのがらっきょうキムチです。
「誰もが共に生きる埼玉県を目指し、埼玉朝鮮学校への補助金支給を求める有志の会」H.P.より
日本には朝鮮学校以外にも様々な外国人学校があります。中華学校、韓国学校、ブラジル人学校、ドイツ人学校などのナショナル・スクールに分類できる学校や、インターナショナル・スクールなど、200校前後の外国人学校があるとされており、数万人の子どもたちがそこで学んでいます。
・・・これらの外国人学校は、ごく一部の例外を除いて「正規の学校」とは認められていません。・・・自動車教習所など同じ各種学校としての認可しか与えられていません。・・・ブラジル人学校の半数以上は「各種学校」の認可を取得できない「未認可校」であり、私塾扱いです。そのため授業料に消費税がかかり、通学定期券を購入することもできません。・・・
外国人学校が外国籍、民族的マイノリティの子どもの学習権保障のために、極めて重要な役割を担っているにもかかわらず、日本にはこれらの外国人学校支える法制度が存在しないのです。
私は政治とは関係なく、ただ外国人学校で学ぶ子どもたちのことだけを思って載せました。ですから政治的な細かな内容は省いています。『すべての子どもは国籍、人種、親の政治・思想等に関係なく等しく愛されるべきだ』と、美味しいキムチを食べながら熱くなっています。
先日息子に薦められ、アマゾンプライムで映画『私は告白する』を見ました。モンゴメリー・クリフトのローマンカラーの姿を覚えていたので以前に見たと勘違いしていました。『見たい』と思い続けていたのがいつの間にか『見た』との思い込みになっていたようです。
そして映画はやはり名作と言われるだけあってとても良いものでした。特にカトリック信者の皆さんにはお薦めです。司祭の強さと信徒の弱さ。
私が好きなもう一つの作品が、ジャン・ポール・ベルモンドの『モラン神父』です。こちらもとても良い作品です。
ついでにこちらも紹介しましょう。「オプス・デイとは?」
YouTube: ¿Qué es el Opus Dei? Explicado por san Josemaría, en un minuto
(日本語字幕付き)
久しぶりにオンラインショップパウリーナを見てみると、なんと聖ホセマリアの本『道』の新装改訂版が出ていました。嬉しいです。プレゼントに最適な本ですが、長い間在庫無しで困っていました。
ちょっとお高いですが、内容はそれ以上の価値ありです。常に手元に置いておきたくなる本です。是非一読することをお薦めします。
5月は聖母の月です。薔薇や百合にマリーゴールド、ポピー、菖蒲に藤の花と様々な花が咲きほこる季節です。暖かな光に包まれたマリア様にピッタリの季節ですね。
そして1日は労働者聖ヨゼフの日でした、ヨゼフ様は労働者です。大工仕事をしながらマリア様と共にイエズス様を育てました。
私たちが働く時に、もし助けが必要なら聖ヨゼフ様に執り成しを願いましょう。聖ヨゼフ様は教会の保護者でもあるのですから、その執り成しはきっと効果があると思います。
そして2日は聖アタナシウス教会博士の記念日でした。アレキサンドリアの教会主任アリウスが考えた異端の教えに反論したのが助祭のアタナシウスです。
アリウスは人たちが認めやすい教えにしようと考え、キリストの神性を否定して「キリストは単なる人間であり、神から遣わされた人である」と教え始めました。(奥義を曲げて世間に合わせようとしたのですね)そして多くの司教や司祭、人々がこの教えを受け入れ始めました。
そこで教会の分裂を避けるためにコンスタンチノーブル近くの町ニケアでの公会議が招集されました。その公会議でアリウスに強く反論したのがアタナシウスです。その結果アリウス派は退けられました。この時に決まったのが私たちがごミサで唱える『ニケア・コンスタンチノープル信条』です。
教会によっては『使徒信条』を唱えていますが、私はやはり『ニケア・コンスタンチノープル信条』を唱えるべきだと思います。ごミサはできるだけ短く、簡単に、はやく終わらせたい?いえいえ、大切な所は省略しないで、余計なおしゃべりを省略しましょう。
昨日29日はシエナの聖カタリナと同じくヴェローナの聖ペテロの記念日でもありました。実は私はこの聖人について知りませんでした。Fr Z.のブログで知りました。
それによると、彼はドミニコ会員で異端のカタリ派に説教していましたが、1252年に暗殺されました。犯人は後に回心したようです。彼はまた優れた異端審問官でもありました。
異端審問と聞くとすぐに眉をひそめる人が多いでしょう。そう、私たちは学校で異端審問がどれほど極悪非道かを教わりました。しかしFr.Zは書いています。「異端審問はよく理解されておらず、多くの嘘と黒い偽りの伝説におおわれています」と。魔女狩りなどは異端審問とはまったく別のものです。
以前にも「フランス革命」について書きましたが、私たちは極端に偏った歴史を教わってきました、最近ではトランプ前大統領に関する極端に偏った報道があります。
話がそれてしまいました。異端審問は今は教理聖省の役目です。とても大切です。だからこそ慎重に行わなければなりません。そして先ずは回心を促すことです。相手が回心するようにその間違いを懇切丁寧に説くことです。教会内でカトリックの教えとは違うこと、反することを公に言ったり書いたりすることを止めさせることは必要です。そう書くとすぐに「言論の自由だ!」と叫ぶ人がいますが、その人たちは人間中心に物事を考える人であって、すべてをキリスト中心に考えていない、生活の中心にキリストのいない人たちだと思います。
今の時代だからこそ、主の不変の教えを伝え続けるために検閲官や審問官が必要なのです。主の教えを曲げて世間に合わせるのではなく、世間を主の教えに合わせるように導くのが宣教だと思います。
今までに何回かイタリアへ行きましたが、最後に行った時が一番素晴らしく思い出に残る旅でした。その時は丁度この日にサンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ大聖堂でごミサに与ることができました。ここには聖カタリナの遺体が安置されています。またミケランジェロの「復活のキリスト像」やフィリッピーノ・リッピの「聖トマス・アクイナスの勝利」のフレスコ画もある大聖堂で、行かれた方も多いと思います。
シエナの聖カタリナとアヴィラの聖テレジアは私が大好きで崇敬する女性の聖人です。この二人の強さに憧れます。聖カタリナはドミニコ会の第三会員でありながら教皇様の間違い(教皇の不可謬性以外のこと)にもはっきりと意見した聖女です。この強さは彼女の信仰の強さの証です。