Urbi et Orbi
ご復活祭のごミサの後にある「Urbi et Orbi」、時差があるので日本では19時頃になります。いつも教皇様への不満を口にしている私でもやはり年に2回の祝福は是非受けたいのです。そして今回も受けることができました。しあわせ~
YouTube: Messaggio e Benedizione “Urbi et Orbi” 09 aprile 2023 Papa Francesco LIS
ご復活祭のごミサの後にある「Urbi et Orbi」、時差があるので日本では19時頃になります。いつも教皇様への不満を口にしている私でもやはり年に2回の祝福は是非受けたいのです。そして今回も受けることができました。しあわせ~
YouTube: Messaggio e Benedizione “Urbi et Orbi” 09 aprile 2023 Papa Francesco LIS
キリストのご復活おめでとうございます アレルヤ!
救い主キリストは復活されました
使徒聖トマスは見て信じました。私たちは見なくても信じることができますように。
この世ではいつも苦しんでいる人たちが必ずいます。戦争、暴力、破壊、虐待、搾取・・・。これらは神様が与えたものではなく、私たち人間が犯した罪の結果です。罪人の私たちが毎年回心してキリストの復活を祝っているのなら、この世の中はもう少し良くなっているはずなのに・・・。
それでも、キリストのご復活は光であり希望です。アレルヤ!
今年はテーブルにコロンバが初登場!作り方や焼き時間にミスをしましたが、初めてなのでよしとしましょう。美味しければそれで良いのです。そしていつものクリーチと卵です。
焦げたところを隠そうとしてパールシュガーをかけ過ぎました!
上の卵型の飾りは普通は11個だそうです。12使徒からイスカリオテのユダを除いた11人をあらわしているとか。でも私は12個飾ります。
今年の卵は6個だけ。
YouTube: Sorrowful Mother- Catholic and Orthodox Ukrainian Lenten Hymn
『典礼憲章』によると:
主の受難と死去の聖金曜日に行われる復活断食は、神聖なものである。それは、いずこにおいても守るべきものであり、また、適当であれば、聖土曜日にも続行すべきである。・・・信者は、可能であれば過越の聖なる断食によって復活徹夜祭に備えることが勧められています。
つまり聖金曜日と同じように聖土曜日も「復活の聖なる徹夜祭」までは断食と沈黙そして祈りで過ごすのが望ましいということです。私は聖金曜日は大斎小斎と祈りを大切にして過ごしますが、聖土曜日は毎年ご復活の卵や様々な準備に追われて忙しく過ごしています。今年も教会での卵の準備に掃除、家でも同じく卵や料理の準備があります。これで良いのでしょうか?主のご復活を待つのに一番大切なことをおろそかにしているような気がします。そう、聖書にあるマリアとマルタの話のように。
ある神父様はマルタとマリアの話について「おそらくマルタもマリアと一緒にキリストの話を聞き、その後マリアはマルタを手伝って一緒にもてなしの準備をしたのではないだろうか・・・」と書いておられます。確かに優先すべきことを先ずはする、それもあわてていい加減にするのではなく落ち着いてじっくりと行うことが大切だということでしょう。
主のご復活を迎える準備で卵やご馳走を用意することは大事ですが、それよりも大切なのは心の準備だということを忘れないようにします。そして何よりも聖なる過越しの三日間教会へ行くことが一番大切ですね。
いよいよ今晩の「主の晩餐の夕べのミサ」から聖なる過越しの三日間が始まります。心の準備はできていますか?
キリストは最後の晩餐でご聖体を制定されました。
イエズスはパンを取り、賛美をささげてこれを手で分け、弟子たちに与えて仰せになった。「取って食べなさい。これはわたしの体である」。また杯を取り、感謝をささげ、彼らに与えて言われた。「皆、この杯から飲みなさい。これはわたしの血であり、多くの人に罪のゆるしを得させるために流される、契約の血である・・・」。(マタイ26章26~29節)
そして聖パウロはコリントの教会への手紙の中でこのように書いています。
したがって、ふさわしくない状態で「主のパン」を食べたり、「主の杯」を飲む人があれば、主の体と血に対して罪を犯した者となるのです。(コリントⅠ 11章27節)
「主のパン」をいただくのにふさわしい状態となるために「ゆるしの秘跡(告解)」があります。主の優しさ・いつくしみですね。私たちが大罪を犯しても主は赦してくださる機会を与えてくださってるのです。感謝
ご聖体という特別な形で主は現存し、いつも私たちと共にいてくださいます。聖櫃には主がおられます。いつもそのことを忘れないでいましょう。
「子ども家庭庁」が発足しましたね。少子化対策として児童手当の支給・妊娠から出産・子育てまでの一貫した支援・保育行政そして児童虐待、いじめ、貧困対策など、子どもに関わる業務を幅広く担当するそうです。
少子化もいじめもず~っと言われ続けていますが、現状はほとんど変わらずといったところですね。
子育てについては人それぞれに思いや考えがありますが、私の場合は専業主婦で子どもを育てました。結婚当初、夫は私に外で働いたらいいと言っていましたが、私が専業主婦を望みました。自分が専業主婦として子育てをしたかったからです。経済的には配偶者控除があったので助かりました。夫はいつも子どもたちを入浴させ、寝かしつけてくれました。アイロンがけや皿洗いに掃除、買い物も手伝ってくれました。子どもが熱を出すと病院へ連れて行くのは夫。妻が専業主婦の夫は「男尊女卑の考えの人」というのは大きな間違いです。そう言う人は「仕事に貴賤なし」ではなく「貴賤あり」と思っているのでしょう。外で働くよりも家事は劣る仕事だと。
私のように自ら専業主婦を望み自分で自宅で子育てをしたいという女性もいることを忘れないでほしいです。外で働くことだけが労働ではありません。
ある大学の専門家の先生が「ドイツのように男女の給与の格差をなくし、すべての妻が外で働けるように日本は『妻は家庭で子育て、夫は外で働く』という古い意識を改革しなければならない。そのためには配偶者控除を廃止しなければ・・・」と、話していました。もしあの頃配偶者控除がなければ私は子どもは3人ではなく1人しか生まなかったかもしれません。
幸いなことに別の先生は「専業主婦として家庭で子どもを育てたいという女性もいる」と、話されました。その人たちのことも考えなければならないと。
私のような考えの人は少数かもしれませんが、私の同級生はほとんどが専業主婦で子どもを育てました。今の少子化対策は根本から考えがずれているような気がします。ですからいくらお金をつぎ込んでも、こんなに長い年月をかけても改善しないのではないでしょうか?配偶者控除を無くしたら私のような考えの人も子どもを産まなくなりますよ。
子どもの服を縫ったりお菓子を作ったり、子育ては楽しいこともいっぱい。子どもたちが巣立った今はお菓子を作っても夫と二人だけで血糖値を気にしながら食べています。
紅茶バナナケーキ
最も大切な聖週間が始まります。イエズス様はこれから起こることを知りながら、どういう気持ちでエルサレムに入ったのでしょうか?
棕櫚の葉を持ち、キリストが通る道に敷物を敷いて歓迎したエルサレムの人々。まさかそのキリストが十字架にかけられるとはその時誰が思ったでしょう。でも事実は聖書に記されている通りです。
あの時聖母マリア様と共に最後までキリストの十字架に従った人もいれば、良い時にはキリストを歓迎し、悪くなると簡単にキリストを捨ててしまう人たちもいました。私たちはそうならないように、強い信仰を持って、聖母に倣えるように主の助けを願いましょう。
⇧ Kカトリック教会 ⇩ 枝の行列をする前です。毎年手にオリーブの枝を持って行列します。オリーブはソテツの葉と違い刺さないので良いですね。たしかM教会もオリーブの枝を使っていました。
YouTube: Hosanna filio Davidー棕櫚の葉を手に持って
(この聖歌を歌っておられ玉置和男先生は1932年生れ大阪田辺カトリック教会の信徒です。)
フランシスコ教皇様が肺炎の疑いで入院されたようです。教皇様のために祈りましょう。
先日そろそろ桜が満開の頃と思いバンズに野菜、ハム、チーズとピクルスをはさんだ簡単なランチを用意して出かけました。いつもの牧場です。
満開の桜は少し強い風が吹くとパーッと花びらが舞い、まるで雪が舞っているようでした。まわりからも思わず歓声があがりました。
いつも通り夫は運転、私は助手席で音楽を聴きながら景色を楽しむパターンです。スオウの花は遠くからでも目につきます。あの鮮やかな色はまさに春の色ですね。桃の花や岩つつじも満開でした。暖かくなり牧場の羊さんたちも外で草を食んでいました。のどかで平和な春の一日。 帰る途中で道の駅によりつつじを買いました。八重咲でオレンジがかったピンクに白が入った花です。
昨日3月26日四旬節の第5日曜日は伝統的に聖堂内のキリストと他のご像を紫の布で覆います。Fr.Zは次のように説明しています。
This is a fine old tradition. It has to do with deprivation of the senses and the liturgical dying of the Church in preparation for the Lord’s tomb and resurrection. We do this to sense something of the humiliation of the Lord as he enters His Passion, something of His interior suffering.
残念ながら私の教会ではこの伝統はありません。よく行くK教会は伝統を大切にしているので、おそらく紫の布で覆っていたと思います。
よい伝統は受け継いでいくべきだと思います。何でも新しいことが良いこととは限りません。特に教会ではロザリオの祈りやノベナ、ガウデーテやレターレ、行列やひざまずくこと等々素晴らしい伝統が沢山あります。それらは主を崇拝し、聖母や聖人たちを崇敬するものです。
新しいことに飛びつく前に、素晴らしい伝統を知りそれらを大切にしましょう。
「神のお告げ」の祭日です。マリア様は大天使ガブリエルを通して神からのお告げを受けて、み言葉はマリア様の胎に宿られました。
み使いは彼女のところに来て、「恵まれた者、喜びなさい。主はあなたとともにおられます」と言った。この言葉を聞いて、マリアは胸騒ぎがし、このあいさつはなんのことであろうかと思いまどった。すると、み使いは言った。「マリア、恐れてはなりません。あなたは神から恵みをいただいたのです。あなたはみごもって男の子を生むでしょう。その子をイエズスとつけなさい。彼は偉大の者となり、いと高きおん者の子と呼ばれます。・・・(ルカ福音書1章28~32節)
聖書に記されている通りこの素晴らしい出来事は祭日として祝われます。そして「信仰宣言」や「二ケア信条」を唱える時にも、この箇所では頭を下げてマリア様への崇敬とキリストへの崇拝の気持ちを表します。マリア様への崇敬の気持ちがあれば自然と頭は下がるでしょう。
ロシア正教会では「神のお告げ」の祭日は「生神女福音」大祭といって、大祭の中でも特に好まれている祭日の一つだそうです(ロシアでの祝日は4月7日)。カトリックよりずっと大切にされているようです。
「神のお告げ」の歌ではありませんが、心洗われるような神への祈りの歌です。
主よ、私の祈りを聞いてください
YouTube: 101 псалом с текстом, Господи, услыши молитву мою, и вопль мой к Тебе да приидет
神よ、私の祈りを軽んじないでください
YouTube: 54 псалом с текстом, Внуши, Боже, молитву мою и не презри моления моего
四旬節中自宅では聖ホセマリアの『十字架の道行』を読んでいます。これを使って十字架の道行をすれば一番良いのでしょうが、教会では『カトリック祈祷書』を使っています。
この本の前書きで、福者アルバロ・デル・ポルティーリョ司教はこのように書いています。
十字架の道行は決して悲しい勤めではありません。度々エスクリバー師が繰り返したように、「キリスト信者の喜びは十字架の形をした根を持っています。」キリストのご受難は悲しみの道であることはたしかですが、それはまた希望と確実な勝利の道でもあります。このことを師は説教で次のように説明しています。「あなたが満足していることを主はお望みです。出来るだけ努力をすれば、たとえあなたの十字架の絶えることはないとしてもこの上なく幸福になれるはずです。その十字架は単なる刑具ではなく、支配者キリストの玉座になります。十字架のかたわらには我らの母でもあられる聖母が在(ましま)し、たしかな足どりで御子の後に従うのに必要な力を与えてくださるでしょう。」
四旬節中の十字架の道行は私たちにとって大きな恵みです。この本を読むと主への感謝の気持ちでいっぱいになります。黙想に役立つこの本を四旬節中に読むことを又はこの本を使って十字架の道行をすることをお勧めします。
聖母よりももっと聖書には登場しない聖ヨセフ。しかしその存在は偉大です。マリア様の善き夫であり、キリストの養父、家族を守るためにいつも思慮深く、強くそして愛情深い方でした。私たちの夫・父親の模範であり理想です。そしてなによりも「普遍の教会の保護者」です。ですから日本でももっと聖ヨセフの日を祝ってもよいと思うのですが。
今年は19日が主の日に当たるので聖ヨセフの祭日は20日に移動します。K教会では翌日の21日に聖ヨセフのミサがあります。私たちの夫や父親が聖ヨセフに倣い、いつも主のみ旨に従って家族を守り、家族がバラバラになりそうなときにこそ家族をまとめる力を主が与えてくださるよう聖ヨセフに執り成しを願いながらごミサに与りたいと思います。
いつもの通り聖ヨセフのお菓子 Zeppole di San Giuseppe 。今年はクリーム多めです。
日本信徒発見の聖母(大浦天主堂内)
信徒発見についてはカトリック聖パウロ修道会の「カトリック入門講座」で詳しく説明されているので、それを載せました。⇩
YouTube: 第80回 日本の信徒発見の聖母【カトリック入門】※字幕付き
当時の人たちの信仰の深さや強さは今の私たちと違うのでしょうか?今日本であの時のような迫害が起こったら・・・。信仰を捨てなかった人々に倣い、私たちもどんな時にもどんな十字架も喜んで担う恵みを主に願いましょう。
よい告解をするためにFr.Zからの勧めです。特に(8)番は、私がごミサに与る教会のS神父様も同じことを話されていました。気を付けたいですね。そしてはっきりと簡潔に述べることも。私も気をつけます。
Fr. Z’s 20 Tips For Making A Good Confession o{]:¬)
We should…
1) …examine our consciences regularly and thoroughly;
2) …wait our turn in line patiently;
3) …come at the time confessions are scheduled, not a few minutes before they are to end;
4) …speak distinctly but never so loudly that we might be overheard;
5) …state our sins clearly and briefly without rambling;
6) …confess all mortal sins in number and kind;
7) …listen carefully to the advice the priest gives;
8) …confess our own sins and not someone else’s;
9) …carefully listen to and remember the penance and be sure to understand it;
10) …use a regular formula for confession so that it is familiar and comfortable;
11) …never be afraid to say something “embarrassing”… just say it;
12) …never worry that the priest thinks we are jerks…. he is usually impressed by our courage;
13) …never fear that the priest will not keep our confession secret… he is bound by the Seal;
14) …never confess “tendencies” or “struggles”… just sins;
15) …never leave the confessional before the priest has finished giving absolution;
16) …memorize an Act of Contrition;
17) …answer the priest’s questions briefly if he asks for a clarification;
18) …ask questions if we can’t understand what he means when he tells us something;
19) …keep in mind that sometimes priests can have bad days just like we do;
20) …remember that priests must go to confession too … they know what we are going through.
あなたが告解室に来るのをキリストは待っておられます。
四旬節中に聴きたい曲が『受難曲』と『スターバト・マーテル』です。ちょうど四旬節中の今月18日にハイルマン県民合唱団・ハイルマンオーケストラの演奏で『バッハ・マタイ受難曲』の演奏会があります。娘が誘ってくれたので聴きに行くつもりです。娘に感謝!
私はCDで聴く時にはいつも一度に全曲通しては聴かない(聴けない?)ので、このコンサートで全曲通して聴けるのが楽しみです。
YouTub で車田さんが『バッハ・マタイ受難曲』について解説されていました。この曲をまだ聴いたことのない方は是非この動画を見てから聴くと良いでしょう。
YouTube: バッハの最高傑作!マタイ受難曲を分かりやすく解説!いつか全曲聴いてみたい人のための入門動画!受難曲とは?マタイとは?
YouTubeに私が聴いているCDと同じリヒター指揮の『バッハ・マタイ受難曲』がありました。車田さんの解説を思い出しながら聴いてみてはいかがですか。(3時間超えますが)
この『バッハ・マタイ受難曲』のコラールに日本語の歌詞を付けたカトリック聖歌が171番です。私が行くKカトリック教会の「十字架の道行き」の時によく歌います。
先日祭壇のお花について話し合っていた時に、ある方が「祭壇(教会?)の花には枝物は使わない方が良い。木は十字架を連想させるから。」と聞いたことがあると話されました。私は???『十字架を連想させるのなら逆にとても良いことでは?』と思ったのですが、先ずは「枝物は使わない方が良い」ということが事実か確かめてからと思い、帰宅後に調べてみました。
結果『ローマ・ミサ典礼書の総則』、『花と典礼』、『典礼奉仕への招き』『香部屋係のハンドブック』いずれにもそのような記述はありませんでした。
いい加減なことを教えられた彼女が気の毒です。十字架は新しい命の印、永遠の命へと導く希望の証です。ですから聖堂には十字架にかけられたキリストがおられるのです。彼女にあのようなことを教えた人はきっと十字架を死刑の道具にしか見えていないのかもしれませんね。
『花と典礼』より枝物を使った生け花です。
桃の枝を使って⇧
レバノン杉の枝を使って⇧