修道院のお菓子はどれもおいしいですよね。きっとそれらは良い材料を惜しみなく使っているからだと思います。今日はトラピスト安心院の聖母修道院製のお菓子を紹介します。
マカロンやチョコクッキーもとても美味しいのですが、私が特にお勧めするのは「黒糖のどじまん」という飴ちゃんです。黒糖飴と言えばどこにでもありますが、この飴は特に美味しいのです。黒糖の他にバターやペパーミントが入っているので、さわやかなのにコクのある味です。私が今までに食べた黒糖飴の中で1番です。
修道院の製品はみなどれも価格が高いと思っている方も多いでしょう。でも決してそんなことはありません。良質の材料を使い、ブラザーやシスターたちの丁寧な作業によって生み出されているこれらの品にはそれだけの価値があります。そしてなによりもそれらの品を買うことによってブラザーやシスターたちに協力することは、主に協力しているようなものですから。
これからはいつもこの飴ちゃんをバッグに入れておいて、元気のない人に会ったらあげましょう。
YouTube: 【2024】聖母の被昇天・キリスト教伝来記念祭ミサ
(ミサが始まるのは12:00頃から)
昨日聖母の被昇天とキリスト教伝来記念ミサが鹿児島カテドラルで行われました。なんといってもヴェトナム人の若者たちの侍者や合唱団での協力が素晴らしいごミサでした。
多くの日本人の若者が教会離れしている中で、彼ら、彼女らがいかに主に信頼して生活し、主を愛しているかがよく伝わりました。
教会に来るヴェトナム人、フィリピン人その他外国の若者たちに何かしてあげられると良いのですが、何をどのようにしてあげたら良いのかわかりません。彼らが困ったときに教会に助けを求めたら、それに応えられるような仕組みがあればよいのですが。今私に出来ることは彼らと彼らに信仰教育をきちんとされた親御さんのために祈ることです。
日本での生活は言葉や習慣の違いで誤解されたり、嫌な思いをすることもあるでしょうが、主はすべてわかってくださっています。私たちも対話不足で偏った見方をせずに、自分の娘や息子、孫のようだと思って優しくしましょう。
「われわれの主イエズス・キリストの権威と、使徒聖ペトロと聖パウロの権威、および私の権威により、無原罪の神の母、終生処女であるマリアがその地上の生活を終わった後、肉身と霊魂とともに天の栄光にあげられたことは、神によって啓示された真理であると宣言し、布告し、定義する」(1950年11月1日 教皇ピオ12世)
カトリックの「聖母の被昇天」は「神の母聖マリア」の祭日と同じくらい大きな喜びのお祝い日です。
今日は聖マキシミリアーノ・マリア・コルベ神父様の記念日です。私はコルベ神父様と一緒に来日したもう一人のポーランド人のゼノ修道士を紹介したいと思います。ゼノ修道士さんも私にしてみれば聖人です。
動画の最初の方に出てくるお母さんと同じく、私も『ゼノ死ぬひまない』を読んでゼノさんを知りました。私の母はゼノさんが聖堂で祈っている姿を見たことがあると話していました。
コルベ神父様は司祭職に、ゼノ修道士は修道士職に、主は人達にそれぞれの役目を与えるために呼ばれるのですね。ゼノ修道士は約52年間日本で働きました。その間にポーランドへ帰られたことはあるのでしょうか?敗戦国の日本は悲惨な状態でしたが、ポーランドも同じでした。自分の家族の傍に行き助けてあげたかったでしょうが、日本の貧しい人たちを愛したゼノさんはやはり聖なる人です。
ブログを書いていると、時々うまくいかないことがあります。YouTube の動画や写真がアップできなかったり、先日は書き上げたブログを保存したつもりが消えていたりとか。
そんな時には私は主がこの動画や写真また記事はアップしない方が良いと言っていると思い、従います。決して悪霊が邪魔をしているとは思いません。私の守護の天使は強いですよ!
聖母と聖ヨセフ、そして守護の天使に毎日保護を願い感謝をしていれば大丈夫。
なによりも主はいつも共にいてくださるのですから、主を疑うことなく信頼して、うまくいかないことも受け入れましょう。主が望むことを愛しましょう。![]()
今月初めに教会で「『父と子と聖霊』の御父がシスターに現れて、色々と告げられた」という話がありました。御父はそのシスターが見た通りのご自分の姿を絵にするようにと言われ、絵にしました。主任司祭はその絵のコピーを聖堂内に飾ることにしたようです。また御父はご自分の祝日がないので、それも設けるよう望まれたそうです。
このシスターの幻視、御父の出現は教区司教が公認しただけで、カトリック教会・教皇庁は未公認です。私はこういう話を広めるのはカトリック教会・教皇庁が公認するまで待ってからの方が良いと思っています。勇み足にならないかと案じています。
今日は長崎に原子爆弾が投下された日です。そしてアウシュビッツ収容所で亡くなったエディット・シュタイン=十字架の聖テレジア・ベネディクタ殉教者の記念日でもあります。
聖テレジア・ベネディクタというよりも、エディット・シュタインと言った方がよく知られていると思います。
彼女は敬虔なユダヤ教の家庭に生まれました。しかし学生時代に無神論的な知識人の影響を受け、彼女自身神を信じなくなりました。フライブルグ大学で哲学博士号を受けましたが、当時は女性が教授として在籍するのは困難な時代で、教授資格申請論文はうまくいかずに研究者としての道は閉ざされました。そして哲学講師や高校で教員を続けます。
故郷に戻ってきた彼女は友人の家で『アヴィラの聖テレジアの自叙伝』を読み、とても感化されて、カトリックに改宗することを決心します。1922年に洗礼を受け、1933年(42歳)ケルンのカルメル会修道院に入りました。そしてオランダのカルメル会修道院いた彼女はナチスに逮捕され、アウシュビッツ収容所に送られて、ガス室で殉教しました。(カトリックに改宗していた姉のローサも共に殉教しました)
彼女は優秀な哲学者で著書には『現象学からスコラ学へ』、『有限存在と永遠存在:存在の意味への登攀の試み』など数十冊に及びます。
彼女について知りたければ下記の本があります。
原子爆弾も収容所も戦争が生んだ悪です。そしてそれらはすべて人間の仕業です。神が与えたくださった自由で、人間は善ではなく悪を選んだのです。時々戦争を神のせいにする人がいますがそれは間違いです。
当時はアメリカだけが持っていた核兵器を今は数ヶ国が持ち、どんどん悪化しています。あの広島、長崎、強制収容所の教訓は全く生かされていません。
広島平和式典ではイスラエルを招待し、ロシアは招待されず、長崎平和式典では両国とも招待しなかったようです。私なら両国とも招待します。それどころか核兵器を持っている国と明らかに持っているだろうと言われている国々もすべて招待します。今戦争をしていて平和を壊しているから招待しないのではなく、そういう国だからこそ、平和をアピールするために招待するべきだと思います。参加するしないはその国が決めることです。
YouTube: Fiesta Gitana - bailaoras / bailaores
YouTube: FARRU y PACO DE LUCIA "ESPECTACULAR" Bailando sin tacón!!!
私がフラメンコの音楽に惹かれたのはもう50年も前のこと。初めてスペインへ行った時に、本場のフラメンコを見て一瞬で虜になりました。何よりもあのギターと魂の叫びのような歌声に心をわしづかみにされました。帰国後はパコ・デ・ルシアのレコードを買って聴きました。あの頃はパソコンも携帯も無く、TVやラジオでもフラメンコが放送されることはほとんどありませんでした。
YouTube: Paco de Lucía - NHK Hall de tokyo (Japón) 1991
パコ・デ・ルシアが亡くなってもう10年経つのですね。でもこうして今も彼の演奏を聴くことができます。本当に良いものは聴き継がれていきますね。![]()
YouTube: Pater Noster | Año de la Oración
YouTube: Himno a la Virgen de Guadalupe | Canto a la Virgen María
YouTube: Al encuentro con María: UN DÍA LA VERÉ | Canto a la Virgen María
YouTube: Ave Maria | Canto a la Virgen María
毎日猛暑が続くと、ちょっとした不快なことにもイライラしてしまいます。宗教を馬鹿にした言動や、懐疑的な宗教の話、異端的な話など・・・普段なら聞き流して無視していることに引っかかってしまいます。
そんな時に私はお気に入りの香水(GRÈSのCabochard)を部屋にシュッと一噴きしてから、これまたお気に入りのCanto Ctólico の聖歌を聴いて心を静めます。![]()
お気に入りの香水は、眠れない夜には枕にシュッ、落ち着きたい時にも部屋にシュッ。外出の時だけでなく、このような使い方もあります。
グレのカボシャールは母が好きだった香水で、私も大好きです。この香りでいつも母を想い出します。因みにCOTY の ASPEN の香りは夫を想い出します。![]()
師匠と弟子のフラメンコです。師匠の何とも味のある舞と弟子の若さ溢れる力強い舞、素晴らしいですね。伝統芸能、伝統の技、師匠から弟子へと受け継がれていくすべてのものは大切に守っていきたいし、国が援助して保護していくべきです。文化を破壊する武器ではなく、文化を守るために税金は使いましょう。
師匠:Antonio Canales 弟子:Matias Campos
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YouTube: Antonio Canales & Matías Campos – Romera en #TDTReyes
ある中学校の水泳の授業で、一部の生徒が遅れてきたことに対して、そのクラスの生徒26人全員(見学者も含めて)に連帯責任としてプールサイドを5周走らせ、さらに準備体操として2周走らせ、その結果21人が足の裏にけがをしたとのこと。
ニュースや多くの人はこれは体罰だと批判しています。その通りです。でも私が一番嫌なことは「連帯責任」ということです。いまだにこの悪習「連帯責任」が学校で行われていることに驚きました。
小寺神父様の「子育てサロン」でのお話しとは真逆のやり方ですね。いつになったら学校からこの悪習「連帯責任」が無くなるのでしょうか。子どもたちのことを一番に考え、愛する人だけが教師になりますように。例えばドン・ボスコのような人。
YouTube: 三位一体「神と親しく交わる」(2024年5月24日)
以前『トマさん祈りの部屋』というブログから良く紹介していましたが、昨年このブログは終わりました。そして今は『小寺神父様のお話し』という動画がYouTubeにアップされています。
聖書の朗読箇所についてお話ししています。これですよ、私が求めているものは。自分勝手に聖書を解釈した他人の話を聞くのではなく、カトリックの教えにそった話を聞くことこそ恵みです。
小寺神父様の「子育てサロン」というテーマでの連続講座もあります。参考になると思います。
良い羊は良い羊飼いについていきますよ、メ~~エ![]()
1936年(昭和11年)は戦前、私もまだ生まれていませんでした。その頃の中国のカトリック信者の子どもたちの様子を写した動画を見つけました。
聖堂に入る時には聖水を付けて片膝をついて十字を切る・・・私も子どもの頃はそう教わりました。そして聖堂の中では静かにする・・・なぜなら聖堂にはイエズス様がいて、私たちはイエズス様にお祈りをする所だから。日曜日にはイエズス様に会いに行くのだからと、よそ行きの服をきせてもらったのも同じですね。![]()
YouTube: Chinese Catholic schoolchildren sing Gregorian chant at Mass in San Francisco (1936, HD)
「カルメル山の聖母」はカルメル会の守護者としての称号です。カルメル山の聖母と言えばスカプラリオですね。
カルメル山の聖母のスカプラリオとはカルメル修道会と跣足カルメル修道会の修道服のことです。カルメル会の修道服を着る者には聖母の救済があると約束されています。そこで一般信徒も修道者に倣うために修道服と同じように小さなスカプラリオを身につけるようになりました。今はメダイのスカプラリオもありますが、教会は布製のスカプラリオが修道服の衣服としての価値があるので、布製の物を優先するとしています。
「茶色のスカプラリオは、御子と、母でありカルメル山の女王である聖母マリア、の親子関係を形度ったもので、それを身につける者は、自分自身のすべてを聖母マリアの保護に任せる忠実な支持者であり、聖母の仲裁に頼り、精神的な生命の優越性と祈りの必要を心にとめて忘れない。」(典礼秘跡省)
「カルメル山の聖母への献身は、歴史とカルメル山の聖母の兄弟たちによる修道会が持つ霊的な価値に基づくものであり、そしてそれがこのスカプラリオに表されている。故に、茶色のスカプラリオを受け取った者は誰であれ、この会のメンバーとなり、自己の人生の状態の特性に基づき、その霊性に従って生きることを誓う。」(典礼秘跡省1996年)
カトリック司祭は洗礼を受けた人にこのスカプラリオを授与できます。その祝別と授与の方法は典礼秘跡省に承認されたものです。
注意しなければならないのは、信心に熱心なあまり、特別な恵みや奇跡を願うことにばかりに心を奪われる人は時々迷信に迷い込んでしまう危険があるということです。一時期「亡くなる時にスカプラリオを身に付けていると簡単に天国へ行ける」という誤った乱用もありました。茶色のスカプラリオも、決して聖霊のような方法で秘跡が与えらる恵みを与えることはありません。
スカプラリオを身につけるには約束事があります。スカプラリオは聖母マリア様が与えた修道服であり、衣服ですから、それを身につけるということはカルメル修道会に属することです。謙遜、貞節、そして祈りの精神で聖母に倣う生活をしなければなりません。そうすれば生きている時も死後も、聖母マリア様の保護を受けるでしょう。
ファシリティドッグって知っていますか?私も娘から聞いて知りました。老人ホームなどでお年寄りの癒しになっている犬については良く見聞きしますが、ファシリティドッグはそれとはちょっと違います。
YouTube: 闘病中の子供に寄り添いパワーを届けるワンコ
娘が働いている病院にもファシリティドッグがいるそうです。子どもたちだけでなくスタッフにも可愛がられているようです。
子どもの闘病生活にとってファシリティドッグの効果は大きいと思います。長期入院している子どものいる病院すべてにこのようなワンちゃんがいればいいのに
今日は聖ベネディクト修道院長記念日です。ベネディクト修道院と言えば祈りの生活です。そして修道士たちがいつも行うレクティオ・ディヴィナも今では修道院内だけでなく、一般信徒も行っています。
今月の鹿児島教区報に信徒の方たちでレクティオ・ディヴィナを20年続けているという記事が載っていました。
Lectio Divina (霊的な読書)は聖書の読書、黙想、祈り、観想の伝統的な修道院の慣習です。霊的な読書のルーツは3世紀頃オリゲネスに始まり、聖アンブロシウ、聖アウグスティヌスへ、そして6世紀聖ベネディクトによって確立されました。12世紀になりカルトジオ会のギゴ2世修道士によって今の読書、黙想、祈り、観想という四つの段階の形になりました。カルメル会ではレクティオ・ディヴィナは祈りの柱となっているそうです。勿論ベネディクト会、カルトジオ会、シトー会、フランシスコ会等でも行われています。
教皇ベネディクト16世はLectio Divinaについてこう述べておられます。
私は特に、レクティオ・ディヴィナという古い伝統を思い出し、推奨したいと思います。祈りを伴った聖書の熱心な朗読は、親密な対話を生み出します。その中で、読む人は神が語っておられるのを聞き、祈りの中で、信頼し、心を開いて神に応答します。この実践が効果的に推進されれば、教会に新たな霊的春が訪れると私は確信しています。
とは言っても私自身家族がいるとゆっくりと聖書を読み、黙想して、祈りそして観想する時間はありませんでした。特に子育ての時期は。寝る前に聖書を少し読み、祈るだけの日がほとんどでした。でも今は幸いなことに時間はたっぷりあります。![]()
レクティオ・ディヴィナについて詳しく知りたい方は神言会の聖書使徒職委員会のホームページに載っていますのでそちらをどうぞ。⇩
今日は七夕。朝からラジオでは七夕の話題が流れていました。その中で気になったことが短冊に書く言葉です。
〇〇が上手になりますように、〇〇ができるようにお願いしますとか病気をしませんように等々、子どもたちの願いは様々です。一方で親たちの願いは子どもたちの無病息災など家族に関するものが多いでした。
私は短冊に書く願い事は、自分のためのことではなく、他人のための願い事を書くのだと教わりました。中には「お父さんお母さんが元気でいますように」とか「戦争が早く終わりますように」などと自分以外の人のために願いを書いている子どももいました。嬉しいですね。お父さんお母さんがいつも他の人たちのことを気遣っている姿を見ているのでしょう。
さて、今日は都知事選、鹿児島県知事選挙もあります。自分のためではなく私たちのために働いてくれる人を選びましょう。私も教会の帰りに一票と入れてきます。