阪神・淡路大震災あれから今日で29年、いつまでも忘れることはありません。亡くなられた多くの方たち、身体だけでなく心にも傷を負われた方々、そしてその後亡くなられた方々のために祈ります。
いつ襲ってくるかわからない自然災害、多くの人の命を奪う災害に備えることは大切です。物資を備えたり、避難訓練はもちろんのこと、心の準備をしておくことも大切です。
私の夫は今月10日に帰天しました。夫はいつ死が訪れてもよいように準備をしていました。ゆるしの秘跡を大切にして、ご聖体をいただけることを何よりの喜びとしていました。ですから夫も私も心を乱すことなく主のみ旨を受け入れることができました。
「いつも主のいつくしみに感謝して、聖母マリア様の保護を願いなさい」は夫の口癖でした。主が私に夫を与え、共に支え助け合って生きてこられたことを主に感謝します。これからも夫のことば通り、いつも主のいつくしみに感謝して、聖母マリア様の保護を願いながら信仰生活を続けたいと思います。
我が家のイエズス様
YouTube: In Epiphania Domini - Evangelium
10年前ベネディクト教皇様の主の公現ミサ(福音朗読)
主の公現は1月6日ですが、日曜日の今日7日に移動されています。今日は幼子イエズス・キリストを通して天主の栄光がすべての人に現れたことを祝います。
3人の博士たちは救い主イエズス様を拝み礼拝するためにはるばるベトレヘムまでやって来ました。フランシスコ教皇様は「博士たちが礼拝したように、私たちも祈るだけでなく、主を礼拝するための場所と時間を持ちましょう」と言っています。教会だけでなく家の中にも家庭祭壇を置き、主を礼拝することが大切ですね。
国によっては子どもたちはクリスマスではなく公現祭の日にプレゼントをもらいます。
本来は主の公現祭の後の最初の日曜日が「主の洗礼」ですが、今年は主の公現祭が7日に移動されたことによって、主の洗礼は翌日の8日月曜日になります。降誕節は主の洗礼の日までなので、この日までクリスマスのお祝いをする国は多いです。しかし降誕節を2月2日のカンデラリア(聖燭祭・聖母マリアの清めの日)まで40日間お祝いする国もあります。
キリストの洗礼 : フラ・アンジェリコ
主よ、あなたが望むことを愛します。
12月31日の聖家族の日の夜から、1月1日の神の母聖マリアの祭日の日の朝まで病院の待合室で過ごしました。夫の救急搬送、緊急手術、先生方からは「難しい」と言われ、覚悟を決めました。
『人は必ず死ぬのだから、今がその時と主が決められたのだ』と思い、夫の罪がすべて赦されて夫の霊魂が守護の天使と共に天に帰れるように祈りました。また意識がある時に病者の塗油、祝福を受けて夫も天の国へ行く準備ができていたと思います。
しかしまだその時ではなかったようです。治療を続けた結果ICUを出て救急病棟に移りました。しかしまだ予断を許さない状況です。主のみ旨ははかり難いものです。
先生方とスタッフの皆さんの働きには感謝しかありません。皆さんに主のご加護を祈ります。
こんな状態だったので、ラジオを聴くこともなく能登半島地震も後になって知りました。被災されたすべての方が絶望することなく、希望をもって困難を乗り越える力を主に願いました。
聖ステファノ殉教者、聖ヨハネ使徒福音記者、幼子の殉教者そして聖家族と祝日が続きます。特に降誕祭の翌日の聖ステファノの殉教は『迫害を受けた時に信徒ならこうありたい』と私たちを勇気づける理想の姿です。
幼子の殉教は主のみ旨は時には私たちの思いとはまったく違うということを教えてくれます。ある人達はこの世の命に執着して、いつも健康で出来るだけ長生きすることに異常なほど熱意を注ぎます。健康に気を遣うことは良いことですが、しかし主はこの幼子たちのように突然命を奪ったり、予期しない病を与えることもあります。そう、私たちは主のみ旨の内に生かされているのです。幼子たちはこの世での命は短くてもまっすぐに天国へ行きました。この世で長く生きることはできなかった幼子たちは誰よりも早く天の国で素晴らしい恵みをいただいたのです。そのことがわからなければ殉教は理解できないでしょうし、この世の命に執着し続けることでしょう。
今年はクリスマス・イヴと同じく聖家族の祝日も主日と重なりました。平和の基は家族です。小さな家庭の中に平和を築けなければ、広い世界で平和を築くのは困難でしょう。
私たちはクリスマスに幼子イエズス・キリストに近づいたのですから、今こそ家族の中でお互いを赦し、受け入れ合えるはずです。だってイエズス・キリストこそが平和だから。
家族の間で憎み争うほどのことはなくても、お互いに何かわだかまりや不満はあるかもしれません。すべてゆるし合いましょう。そして気持ちよく神の母聖マリアの祭日を迎えましょう。
イエズス・キリストのご降誕おめでとうございます!
(Prelature of Opus Dei より)
今日はご降誕祭Christmasです。皆さんChrist の Mass に与りましたか?きっと聖堂は美しい聖歌につつまれて、馬小屋には聖母や聖ヨセフ、羊飼いたちに囲まれた可愛いイエズス様が、飼い葉おけの中で安らかに寝ていたでしょう。
救い主は私たちと同じ赤ちゃんの姿でこの世に来られました。なんて美しい神秘でしょう。せめて今日だけは一日中イエズス様を見つめていたい、そんな気持ちです。
JASNA GÓRA Basilica (バジリカ ヤスナ・グラ )でのGolec uOrkiestraの「しずけき」
YouTube: GOLEC uORKIESTRA - CICHA NOC, KONCERT KOLĘD I PASTORAŁEK DVD +CD, JASNA GÓRA
そしてポーランドの子どもたちのクリスマスの歌
YouTube: A wcora z wiecora - Golec uOrkiestra [TEKST]
Kカトリック幼稚園の子どもたちは毎年クリスマスのミサでこの「世界ではじめのクリスマス」を歌います。みんな長~い歌詞をよく覚えていて、元気よく歌います。本当のクリスマスを知っている子どもたちです。
YouTube: 世界ではじめのクリスマス "Sekai De Hajime No Christmas" (The Very First Christmas) | 歌と演奏:NCM2 CHOIR
昨晩はいつものようにOpłtekでお互いに一年間の感謝をしました。このポーランドのクリスマスの良い習慣はずっと続けていきたいです。
ヴァチカンでもクリスマスツリーとプレゼピオの準備ができました。あとは幼子イエズス様を待つだけです。
今年のプレゼピオは伝統的で良いですね。ただ羊飼いではなく何故か聖フランシスコと仲間たち(多分)が囲んでいるのはちょっと不思議な気がします。もしかして教皇様を喜ばせるため?私はやはり羊飼いにしてほしかった
ところでベトレヘムの聖誕(降誕)教会でのクリスマス、今年はどのように迎えるのでしょうか?このような時・場所でこそ、幼子の姿のイエズス様はわたしたちの希望の光となります。
今日はGaudete Sunday、3番目のローズ色のロウソクに火を灯し、司祭様はローズ色のカズラでごミサを捧げます。クリスマスまで一週間!
祈りは
昔から戦争や災害で世の中が不安になると聖母が現れたり、聖母のご像が血の涙を流したりするようです。すでに天の国に上げられた無原罪の聖母が私たちを励ましたり、警告したりするのはわかるのですが、聖母が泣く?ということには疑問に思っている人もけっこういるようです。
ある村の聖母像が血の涙を流すというので調べたところ豚の血だったとか、メジュゴリエ巡礼で買ってきた聖母像から流れた血の涙は男性の血液だったとか。ファティマの聖母顕現の頃と違い、今は科学技術によって空に聖母像を描くこともできる時代ですから、聖母の偽出現や偽奇跡には気をつけましょう
そこでグアダルーペの聖母顕現はどうでしょか?私はこちらは本物の聖母ご出現だと信じています! なぜならカトリック教会が公認しているから。
因みに秋田の聖母や津和野の聖母、ラ・バンの聖母、すべての民の聖母、奇しき薔薇の聖母、ガラバンダルの聖母、他にも多くはまだ教会の公認はありません。中には地元の司教のみ認可しているものもあります。
1531年12月9日メキシコのテペヤックの丘でインディオのファン・ディエゴに聖母がご出現されました。私はずっと勘違いをしていて、グアダルーペは地名だと思っていました。ところがグアダルーペ=聖母のことのようです。描かれるグアダルーペは褐色の肌と黒い髪の聖母です。
1895年教皇レオ13世によって承認され、また2002年ファン・ディエゴは列聖されました。ファン・ディエゴに起こった聖母顕現と奇跡はよく知られているのでここでは省きます。
Canto Catolico がグアダルーペの聖母賛歌を歌っています。美しい歌声をどうぞ!
YouTube: Himno a la Virgen de Guadalupe | Canto a la Virgen María
無原罪の聖マリア(無原罪の御宿リ Immaculata Conceptio Beatae Virginis Mariae)の祭日です。
1904年12月8日「無原罪の御宿リ教義宣言五十周年記念」日のロンカリ神父(教皇ヨハネ二十三世)の日記より。
「ローマ中が競い合って聖母をたたえ、聖母への愛を示そうとはりきっていた。信者でいっぱいの大聖堂、荘厳を極めた祝祭、地上で最もあがめられているこの場所で、汚れなきマリア像が後ろの高所から、輝く光に照らされて、盛装された教皇にほほえみかけているようで、世界各地から集まってきた枢機卿や司教、その他の聖職者一般信者にも、あいさつしているかのようだった。そして盛大なミサが執り行われている間、ペロシ作曲の聖歌が聖堂中に響いたが、それはまるで天使の合唱のように、この巨大なクーポラを高く昇っていった。なんとすばらしい信仰の光景、何とすばらしいマリアの勝利!」
と書かれています。人々の篤い信仰と美しく荘厳なミサの光景が目に浮かびます。私たち日本の教会も無原罪の聖マリアの祭日をもう少し大切にしてお祝いしたらよいと思います。
ナイジェリアの美しい聖母賛歌です。
YouTube: Immaculate Mary || song
今日は新型コロナウイルスワクチン7回目を受けに行きます。約3か月前に受けたばかりなのですが、持病のある私は受けておいた方が良いと思って。以前感染した時にもとても軽い症状と後遺症もまったくなかったのはワクチンのおかげだったと思います。中にはワクチンが合わずに亡くなられたり、後遺症で苦しんでおられる方もいると思います。けれど、ただ安易にワクチンは危険だからといってすべての人に受けないように勧める人も私の周りにいますが、それはどうなのでしょうか。私のようにワクチンの効果のある人もたくさんいると思うのですが。
これはFr.Z’s Blogに載っていたアメリカ合衆国での話です。ある司祭が聖変化の時には立つように言い、言われた信徒は困っています。アメリカでは聖変化の時には跪くように求められているからです。一方日本司教団が決めたのはこれとは正反対で「立ちなさい」です。
Priest told my CCD class NOT to kneel at the Consecration
From a reader…
QUAERITUR:
An assistant priest at my parish is telling my ccd class not to kneel during the Consecration of the Eucharist during mass. Any advice?
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First step, contact the pastor and ask him. Secondly, contact the diocesan office of Divine Worship.
Many priests say silly things – sadly, ordination does not infuse the ordinand with wisdom or even smarts. In the 1970’s, there was a movement to violate liturgical law and make the faithful stand during the consecration. In some places, this practice became “normal” even though it was a violation of the law (and also stupid).
The current norms in force in the United States require that the faithful kneel from the end of the Sanctus through to the end of the Canon.
聖変化の時に立つのと跪くのとではどちらがふさわしいと思いますか?日本では「立ちなさい」と決められているようなので、私も立っていますが・・・。いつも違和感を感じています。 せめて跪きたい人はそうしても良いという選択肢を認めてほしいです。ただの統一感だけを理由に全員立つように決めるのは違うような気がします。アメリカで跪くように求められているのは統一感のためではなく、キリストの前でのふさわしい姿勢が跪くことだからだと思います。動作の意味が大切なのでは?
永遠(とわ)のいのちぞ 与え給え
秘跡にこもりて 主来たります
いざ迎まつらん へりくだりて
(カトリック聖歌71番)