« トラ次郎 | メイン | 聖ヨセフ(祭) »

2017年3月17日 (金)

日本信徒発見の聖母(祝)

35

 1864年長崎にフランス人のためのフランス寺(大浦天主堂)が建てられました。その時はまだ日本は禁教でした。そして1865年「日本26聖殉教者堂」と命名され、この年の3月17日あの感動的な出来事が起きました。

 洋風建築のフランス寺は物珍しさからそれを見物に来る人達がいました。プティジャン神父が祭壇の前で祈っていると、15人位で浦上から見物に来ていた中の一人で杉本ゆりと名乗る中年の女性が彼のもとに近づき、「ワレラノムネ、アナタノムネトオナジ(私たちの信仰はあなたの信仰と同じです)」「サンタ・マリアの御像はどこ?」とささやきました。プティジャン神父は驚き喜びます。

 約二百五十年あまりの迫害、弾圧、殉教、宣教師追放の間、密かに信仰を守り続けた長崎浦上村の潜伏キリシタンたちには、代々守り伝えられた三つの伝承がありました。

①七代経ったらパードレ様がローマから船でやってくる。

②そのパードレ様は独身。

③サンタ・マリアのご像を持ってやってくる。

 プティジャン神父が本当のカトリック司祭であると確信を持った彼女たちもやっと250年間待ち続けた神父に会うことができ、これからはひそかにミサに与り秘跡も受けられるとどれほど喜んだことでしょう。おそらくプティジャン神父よりも喜びはもっともっと大きかったと思います。

 しかしまだ禁教は解かれていません。この後またひどい迫害・弾圧が起こります。けれども結果的にプティジャン神父からのニュースで知った世界の国々は明治政府に圧力をかけて、ついに明治政府は禁教令を廃止しました。

 私はこの喜びの日をもっと日本中で祝うべきだと思います。

Photo大浦天主堂