9月10日にポーランドのウルマ家の両親と子ども7人の列福式がありました。7人目の子どもはお母さんのお腹の中にいました。私は列福式のニュースで初めてこの家族について知りました。大戦中にユダヤ人をかくまったポーランド人が沢山いたことは聞いていましたが。収容所に入れられたポーランド人も沢山いました。ヨハネパロ2世教皇様が言っていたようにどんな戦争も悪ですね。
[VATICAN NEWS から]
列福式
YouTube: Uroczysta msza św. z okazji Beatyfikacji Józefa i Wiktorii Ulmów i ich Siedmiorga Dzieci.
結婚を機に洗礼を求めて勉強された方が、「信者は一応日曜日にミサに行けばよいと思ってましたが、いろいろ大変ですね」と言ったそうです。それについて松永久次郎司教様はこう書かれています。「正にその通り、本当にキリスト信者であるというのは、ある意味では大変なことです。なぜなら、時をきめて、例えば盆と正月に行って拝めばよろしい、時々お墓参りに行けばよろしいというのではなく、ずっと一年中、朝から晩まで、神さまが私たちのお父さんであるということを、心にしっかりと刻んで生きていかなければならないからです。これが信者です。そして、そのことが姿・形となって現れるのが、お祈りなのです。」と書かれています。
長崎の方ならこの本を知っておられるでしょう。松永久次郎司教様が書かれた『祈りと秘跡』です。前半は祈りについて、後半は秘跡について書かれています。今頃になって私も読みました。とても分かりやすく、今忘れられている大切なことが書かれています。信仰生活がマンネリ化している人、洗礼を受けたばかりの人、カトリックに興味のある人にもお薦めします。
「親のための祈り」の箇所から
信者にとって、他人のために祈るほど、自分のためになることはないのです。たとえ、まずいお祈りでも他人のためにささげるときは、自分のためにお恵みのもとになります。子供を守りたいなら、親のために祈るように子供に教えていてください。親のための祈りが子供を守ります。そしてそれがあとで、家族の祈りという大切なお祈りになっていきます。・・・親のために祈ることも、人間にとって大切なことの中に入ります。親のために祈る子供の姿は、とても美しいものです。神さまの祝福をまっすぐにひきだすような、美しさをもっています。そんな美しさを子供に与えてほしいと思います。
勿論「子供のための祈り」や「夫婦相互のための祈り」についても書かれています。そして神学生や司祭職について、確かに神学生、司祭職の中には、人間として欠点をもち、尊敬に値しないと思われるお方もいるでしょう。しかし、彼らの人間的欠点を温かくおおいながら、彼らを神さまに召されたもの、神さまに近い役割を果たすものとして、尊敬してください。特に子供たちの前でそうしてください。こんなことが純粋な信仰を育てるのに役立ちます。
この頃からすでに教会の危機が芽生え始めていたのかもしれません。今まで当たり前だったことがそうでなくなり始めた・・・祈りをあまりしなくなり、子供に祈りを教えない、主日のミサより他を大切にする、告解を軽視し、司祭に暴言を吐く・・・。これら信徒の怠りを司教・司祭様方がもっと早く諭し教え導いていたら今のような状況にはならなかったかもしれません。また司祭も一般信徒と同じような服装をして趣味に力を入れ、忙しいを理由に黙想や祈りをおろそかにする司祭の生活態度見れば、特に司祭になりたいと思う子供はいなくなるでしょう。良い司祭に出会えた子供は自分もそうなりたいと思うはずです。長崎や奄美の教会は召命が多いことで有名でしたが、今はとても少なくなりました。どの国でもミサに与る信徒は減り、神学生も減り続けています。
皆さん毎日祈りましょう。子供のため、家族のため、病者のため、戦争や迫害で苦しんでいる人達のため、亡くなった人のため、教皇・司教・司祭・修道者のために、そして教会のために。
夜になると虫の音が聞こえ始めました。「涼しくなったらどこかへでかけたいな~」と言っていた夫。まだまだ暑い日が続きますが確実に秋は近づいています。そろそろ計画だけでも立てて良いかな?
地図を見ながら、日帰りが出来てまだ行ったことのない良い所はないかと探していますが、なかなか見つかりません。子どもたちが小さい頃に行った長島は色々な施設ができて、あの頃とは随分変わっているようです。また「平成の名水百選」に選ばれた志布志の「普現堂湧水源」にはまだ行ったことがありません。志布志方面も良いかもしれません。
普現堂湧水源⇧
地図を見ながらあれこれと考えるのも楽しいですね。
年金生活の私たちですが、二人で行く「日帰りのお出かけ」は唯一ささやかな贅沢かもしれません。(*´∀`*)
でもガソリン高いな~(||゚Д゚)
ブログ記事をうっかり削除してしまいました。あらためて書き直します。
今月の1日から明日4日まで教皇様はモンゴルを訪問しています。教皇様のモンゴル訪問素晴らしいことですね。
今までも教皇様は中東やアルバニア、スリランカ、などを訪問されました。教皇様のこうした訪問は「カトリック信者の少ない国の中で暮らす人たちや貧しくて聖地巡礼もできない人たちのことを教会は決して忘れてはいない」というメッセージが込められていると思います。教皇様自ら足を運んでこれらの人々を励まし勇気づけることは素晴らしいキリストの恵みだと思います。
モンゴルカテドラル:祭壇の中央にはキリストのいる大きな十字架、その両脇には聖ペトロと聖パウロの聖画、壁には十字架の道行きが続きます。外観もどっしりとした落ち着きのある建物です。
モンゴルのカトリック教会⇩
2020年
YouTube: In The End - Linkin Park. 266 musicians from 35 countries #QuarantineMob Rocknmob
2023年
YouTube: Evanescence - Bring Me To Life. Rocknmob Moscow, 450+ musicians
今年の7月初めには1000人のミュージシャンによるコンサートがルーマニアで、そして7月終わりにはモスクワで450人の演奏がありました。⇧ (ロックコンサートなのでtattooの人や悪魔のシンボルなどは見なかったことに
)
35ヶ国の人たちが参加して2020年に出来たことが今はできません。いつになったら出来るようになるのでしょうか?![]()
洗礼者ヨハネの殉教はあまりにも有名です。多くの画家たちも描いています。そこに登場するのはヘロデ王、妻ヘロデア、娘サロメそして洗礼者ヨハネ。母親にそそのかされて「ヨハネの首を」と言わせられるサロメも可哀そうですね。もしもヘロディアが愛情豊かな母親だったら・・・と思うと子育ては大切です。親が子供に善悪を教えないと子供は平気で悪事を行い、悪いことをしても罪の意識を持たない子になってしまいます。(;°-°;))) そのような子が親になると(>д<*)コワイ サロメもお母さんと同じような大人になってしまったのでしょうか?
洗礼者ヨハネの様に、たとえ命を落とすことになるとしても主の教えをはっきりと言える信仰の恵みを願います。
ヨハネの首を盆にのせて持つサロメ。ヘロデアは大満足、ヘロデ王は複雑な気持ち。サロメはどんな気持ちだったのでしょう?
今日はチェンストホヴァ(Częstochowa)という町のヤスナグラ・パウロ修道院(Zespół klasztorny paulinów na Jasnej Górze)の中にある聖母の祝日です。「チェンストホヴァの聖母」「ヤスナグラの聖母」あるいは「黒い聖母」と呼ばれ親しまれ崇敬されています。
チェンストホヴァ聖母巡礼の人たちが何日も前から続々と集まっています。ポーランドの人たちがどれほど聖母を愛しているかがわかるでしょう。
(一昨日着いた巡礼団)⇩
YouTube: Szczyt Pielgrzymkowy w relacji video
下の動画は8月4日聖母の聖画のある祭壇でのご聖体顕示の時の模様です。ご聖体の前では皆がひざまずいてロザリオを唱えます。昔から日本でもそうでした。ご聖体拝領の時にもひざまずいていました。しかし今はご聖体顕示の時は椅子に腰かけたままの人も・・・聖変化の時にひざまずかなくなったせいですね。ご聖体(キリスト)を崇拝する心が薄れつつあるのでしょうか?
YouTube: Codzienny Różaniec w Kaplicy Cudownego Obrazu (16:15 piątek 4.08.2023 Jasna Góra)
考えられないことですが、ご聖体拝領の時にひざまずいて受けようとした人にご聖体を授けない司教・司祭がおられるのも事実です。(゚ロ゚*) キリストはどんなにか悲しんでおられることでしょう。
YouTube: Pater Noster sung by JPII in Holy Name Cathedral Chicago
教皇聖ヨハネ・パウロ二世のラテン語の主の祈り⇧
教皇様方のラテン語の主の祈り⇩
YouTube: Pater Noster sing by the Popes | 1939 - 2013
最近聖ヨハネ・パウロ二世教皇様のことを思い出しています。教皇様の動画を見ていると、教皇として進化論についてとかアッシジでの祈りの集い、またピオ十世会に対して等私としては納得できないことも色々とありますが、それでもとてもあたたかみのある素晴らしい教皇様だったと思います。
YouTube: Giovanni Paolo II - I momenti più dolci
聖母の被昇天後八日目の今日は「天の元后聖マリア」の記念日です。 そして昨日は私が特に尊敬している聖ピオ十世教皇様の記念日でした。聖ピオ十世教皇様についての動画です。⇩(字幕はスペイン語しかありませんが)
ヨーロッパには聖人の名前のついたお菓子やカトリックの祭日に食べるお菓子が沢山あります。サンタクララ、サンタマグダレナ、サンジュゼッペ(聖ヨセフ)、サンティアゴ(聖ヤコブ)、サンマルク(聖マルコ)、サンアントニオ、サンセバスチャン、ラファエロ、コロンバ、ガレット・デ・ロワ、ロスコン・デ・レジェス、クリーチ、パスハ、クレープ、天使の髪の毛、聖人の骨、等々。
まだ作ったことのない聖クララのドーナツや聖アントニオのケーキ・・・そして諸聖人の日に食べるマジパンで作った聖人の骨にもいつか挑戦してみたいです。

(上から)サンアントニオ(パドヴァ)のアマレットとケーキ、サンマルクケーキ・サンセバスチャンケーキそして聖人の骨
どのケーキも手が込んでいて作るのは難しそうですね。でもいつか作るぞ!![]()
息子から「ブラウン神父」シリーズの作者G.K.チェスタトンの1976年に出版された本が新たに文庫本として発売されたと聞きました。息子の薦めでこの『聖トマス・アクィナス』という本を早速買いました。聖トマス・アクィナスの専門家からも無条件の称賛を得ている本です。最初のはしがきに、
今よりももっと世に知られて然るべきひとりの偉大な歴史的人物の一般向けの概説書―それが偽らぬ本書の狙いである。もし本書が聖トマス・アクィナスに関してほとんど聞いたこともないような読者を導いて、彼についてのさらに優れた書物へと誘う働きをすることになれば、本書の目的は達せられるであろう。
と、書かれています。
「一般向けの概説書」と書いてあったので読み始めたのですが、少しは哲学用語を知っていなければ理解できない箇所もあります。(私が知らないだけかもしれませんが
)私は息子に「これはどういうこと?」と訊きながら読み進んでいます。それさえわかれば面白い内容です。皆さんもこの本を読んで、聖トマス・アクィナスについてもっと知りましょう。
もう一冊は澤地久枝さんが書かれた本です。「憲法九条の会」発起人の一人です。戦争を体験した彼女から発せられる声は真実であり、また編集者であった彼女の裏付けをしっかりととった内容は確かなものです。これからの時代を築いていく若い皆さんに読んでもらいたい本です。
聖母が亡くなり、彼女は魂と共にその身体も天に上げられました。聖母マリア様は神である救い主キリストを生んだ神の母なのでその特別な恵みをいただいたのですね。無原罪である聖母が魂だけでなく身体も天に上げられたのは不思議ではありません。ご復活後に昇天された主を信じるなら聖母も天に上げられたことを信じることができるでしょう。東方教会ではマリア様は亡くなったのではなく眠りにつき(生神女就寝祭)、魂だけ天に上げられて、天の国で新しい体をもらったと言われています。
日本にキリスト教(カトリック)を伝えた聖フランシスコ・ザビエル(イエズス会)はこの聖母の被昇天の日に鹿児島の祇園之洲(ぎおんのす)に上陸しました。また聖イグナチオ・ロヨラと共に7人でイエズス会を創立した日も聖母の被昇天の日です。
1999年「聖ザビエル渡来450年祭」の時にできた聖歌『ザビエル賛歌』はとても力強く、聖ザビエルの宣教への思いがよく歌われていると思います。聖母の被昇天の日は聖母賛歌とザビエル賛歌両方歌いたいですね。
来週の14日(月)は殉教者聖マクシミリアノ・マリア・コルベ(Święty Maksymilian Maria Kolbe)神父様の記念日です。コルベ神父様については上の動画を見てください。
私が高校生の頃ポーランドの若者と文通をしていました。私がカトリック信者でコルベ神父様に興味を持っているのを知りコルベ神父様について書かれた雑誌や教会の冊子等を沢山送ってくれました。雑誌類はポーランド語で全く読めませんでしたが、多くの写真が載っていたのでとても嬉しかったのを覚えています。
私の母は1982年(昭和57年)10月10日のヴァチカンでのコルベ神父様の列聖式に参列しました。全国から80余名の参加、鹿児島教区からシスター3名と信徒は母一人でした。コルベ神父様の列聖式なら一人でも是非参加するべきだと母の背中を押しました。
因みに父の洗礼名はマキシミリアノ・マリア・コルベです。
私たちの教会は聖マキシミリアノ・マリア・コルベに奉献された聖堂で、コルベ神父様は私たち教会の守護聖人です。
家族で夫の故郷ポーランドへ行った時に、コルベ神父様が殉教されたオシヴェンチム(アウシュヴィッツ)収容所の餓死室にも行き祈ることができました。その時の気持ちは言葉では言い表せません。
聖マキシミリアノ・マリア・コルベ神父様の聖遺物
(姶良カトリック教会)
このように私にとってコルベ神父様はとても身近な聖人です。
ワールドユースデイリスボン大会も閉会し、世界中から集まった若者たちはそれぞれ自国へ帰って行きます。日本から参加した若者も今帰国の途についている人達がいるでしょう。
私はこの大会に参加した若者の中から主の召命に応える人が沢山でることを祈ります。特に私の教区はもうすぐ助祭となる神学生の後に続く人はいません。神学生が一人もいない教区なんて・・・信徒の皆さんはこの重大な問題にさえ無関心です。このワールドユースデイに参加した若者たちが帰国後自分の信仰の恵みをまわりの若者に伝えることにより、その信仰の炎はより大きく広がり、主の呼びかけに応える若者が現れることを願います。
教会のために召し出しを願う祈り
いつくしみ深い神よ、
▴あなたの民を顧み、イエズス・キリストのために
生涯を捧げる司祭、修道者の召命をお与えください。
聖霊の恵みと力に支えられて、
多くの青年があなたの招きに応え、
あなたの愛に強められて、兄弟に奉仕する心を
与えられますように。主キリストによって、アーメン。
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神よ、わたしは、あなたの国の証人となる人々が、
数多く出るように祈ります。▴キリスト信者の心に
聖霊の息吹を注ぎ、あなたの招きの声を強く響かせ、
召し出しに応える清らかな愛を燃え立たせてください。
さまざまな立場で、自分の召し出しを考えている人々が、
あなたの呼びかけにすすんで応えることができるように
してください。教会の母マリアよ、わたしたちの願いを
聞き入れ、あなたの子イエズスに取り次いでください。
アーメン。
ワールドユースデイリスボンも最終日。アンジェラスの前に次回の開催地は2027年ソウルと発表されました。(2025年は聖年でした)
YouTube: Lisbon, XXXVII WYD, Holy Mass and Angelus, 6 August 2023, Pope Francis
ワールドユースデイも現地では5日目の朝を迎えようとしています。4日目に十字架の道行きがあったというので、私も動画を見ながら一緒に祈れたらと思い、アップされた動画を見たのですが・・・『う~ん、これが十字架の道行きか~!』という感想です。十字架の道行きをしながら祈るのではなく、「十字架の道行き」というパフォーマンスを観客が見るという感じですね。ですから最後に観客から拍手が・・・。
今まで各国で行われたワールドユースデイを見て私が思ったことは、これは巡礼(毎日のミサ・講話・黙想・祈り・カテケージス)というよりも、若者が集まり楽しく過ごすお祭りという印象です。ですから今回の十字架の道行きのやり方もありなのかな。ホームステイに感動し、ミュージックコンサートに盛り上がり、楽しそうに歌い踊る若者たち。参加している国によってはご聖体顕示の前で跪いて静かに祈る若者もいましたが。
帰国後に元の生活と同じ生き方をするのではなく、信仰の実りを生かした生活に少しでも変えることができることを願います。例えば日曜日のミサに必ず与る、ゆるしの秘跡を度々受ける、朝晩祈る、悪への傾きをやめる等々。そして何よりも私が一番望むことは司祭・修道者への召し出しに応える若者が増えることです。
毎回世界各国でワールドユースデイは開催されてきました。本当なら大会ごとに教会は若者であふれるはずなのに、逆に若者は教会から消え続けています。神学校も閉鎖されていきます。お金をかけてこのお祭りを続ける意義が本当にあるのか、このままで良いのか今再考する時期かもしれません。
次回の開催国はアジア?日本は信者が少ないので無理でしょう。お隣の韓国なら可能かもしれません。あるいはアフリカ?それとも今回で最後?大会最終日の派遣のミサ後の発表が楽しみですね。
聖ヨハネ・マリア・ビアンネ司祭記念日です。司祭の模範であり保護者である聖ヨハネ・マリア・ビアンネ司祭の取次によって「すべての司祭を護り、司祭に主の教えを正しく伝える知恵与えてくださるように」主に願います。
YouTube: Батюшка наш Батюшка, Арт-группа Ларго
正教会の司祭もカトリックの司祭もその役目は同じです。
主キリストの働き手となった司祭に感謝します。たとえどんな性格の人であろうと彼らを主の働き手として呼んだのは主キリストです。教皇・司教・司祭を認めないのは主キリストを拒否するのと同じようなものだと思います。
ワールドユースデイリスボンの2日目。酒井司教様のリスボンからの動画です。これを見ると私もポルトガルへ行きたくなります。
今回のワールドユースデイリスボン大会で日本からの参加者がお世話になったポルトガルのコインブラは鹿児島と繋がりがあることを知りました。
日本で初めての受洗者ベルナルドは鹿児島(薩摩藩)の武士だったようです。聖フランシスコ・ザビエルが日本に滞在した間に、いつも師に付き添いました。1551年ザビエルは日本を離れる時ベルナルドを含め4人の日本人をゴアまで同行させました。ゴアでザビエルと別れた3人(1人はザビエルに同行)はイエズス会の学校で勉強します。ザビエルは鹿児島出身のベルナルドと山口出身のマテオ2人をヨーロッパへ行かせるつもりでした。しかしゴアでマテオは客死します。そして1553年9月ベルナルドは1人リスボンに着き、コインブラの修道院で暮らしながらイエズス会の養成を受けました。
彼の信仰心と向学心は素晴らしく、1554年イエズス会に入会を許されます。そして聖イグナチオ・ロヨラの要請でローマへ。ベルナルドがイグナチオに会った頃にザビエルの訃報がローマに届きました。ベルナルドはもともと健康には恵まれていなかったので、ローマでの勉学を長く続けることができず、スペイン、リスボンを経てコインブラに戻ります。ヨーロッパ最古のコインブラ大学で勉学を続けますが、しかし健康は回復できずに1557年2月(3月?)に帰天しました。お墓はコインブラにあります。
小平卓保神父様は『鹿児島に来たザビエル』の中で次のように書いています。
「ザビエルを巡る人物群の中で、私は個人的にはベルナルドに格別の親しみを覚える。彼は日本の、それも鹿児島の最初のヨーロッパ留学生であり、しかも神父を志していた。・・・・・ヨーロッパでのベルナルドの評判はあまりにも良い。日本発見後わずか12年目の1555年に、イタリアとローマを訪れた最初の日本人ベルナルドに、当時の資料は惜しみない賛辞を贈っている。幕末、ヨーロッパに留学した19人の薩摩藩士の碑が西駅(中央駅)前に建っている。彼らよりも300年前のベルナルドのことも、県民皆が知って誇りにしてほしいものである」
私を含め信者の中にも鹿児島のベルナルドを知らなかった人は多いと思います。日本で初めて洗礼を受け、日本で初めてヨーロッパへ留学し、日本人で初めてイエズス会の会員となった薩摩のベルナルドをもっと誇りにしましょう。![]()