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2022年4月

2022年4月29日 (金)

シエナの聖カタリナおとめ教会博士


YouTube: ROMA - Basilica di Santa Maria Sopra Minerva

⇧ 聖カタリナが埋葬されているローマの「サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ大聖堂」です。ドミニコ会のこの教会には私の大好きな画家フラ・アンジェリコも埋葬されています。またカラファ礼拝堂は私が尊敬する聖トマス・アクイナスの礼拝堂と呼ばれていて、そこには聖トマスが描かれていますし、実際1511年までは彼の遺骨が埋葬されていました。

 聖カタリナの遺体はこの大聖堂に埋葬されていますが、頭部だけはシエナの聖ドメニコ大聖堂にあります。(聖カタリナについては2017年、2020年の4月29日のブログにも書いてあります。)

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2022年4月25日 (月)

おでかけ

 天気予報を見ると、今日のお日様は続かないようで明日は雨マーク。夫の体調はだいぶ良くなりどこかへ出かけたい様子。夫は自然の中にいるだけで心が休まる人なので、急きょ牧場へ出かけることにしました。急いでお弁当を作って、お気に入りのCDとカメラを持っていざ出発。途中鮮やかな紫色の藤の花や色々な色のツツジをいっぱい目にしました。

 今日は羊が沢山放されていました。羊たちがのんびりと草を食む姿を見ていて、平和と命を実感しながら、かつての日本の「欲しがりません勝つまでは」という言葉が頭に浮かびました。こんな言葉が頭に浮かぶなんておかしいでしょう。平和はすぐそこにあるのに、勝ちにこだわり平和を逃してしまう人・・・。悲しいです。

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 さて、平日なのに赤ちゃんや小さな子どもを連れた若い家族が結構見られました(ここにも平和)。牧場の売店でいつもの通りチーズとソーセージそしてパンを買いました。どれも美味しそう!

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 別のお店で夫に買ってもらったピアス⇧です。

 私は途中少しだけ運転をして、残りは夫がしました。帰宅後夫は少し疲れたみたいでしたが、「行って良かった!とても良かった!」と言ってくれたので、私も幸せな一日でした。

2022年4月24日 (日)

Пасха・Великдень 

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Поздравляю с воскресением !

Вітаю з воскресінням !

御復活おめでとうございます!

ロシア正教会・ウクライナ正教会・ウクライナ東方(ギリシャ)カトリック教会の鐘が平和を告げ知らせますように!

停戦ではなく終戦を願い祈ります!

2022年4月17日 (日)

ご復活祭

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私たちの救い主イエズス・キリストのご復活おめでとうございます!

 信者にとって一年間で最も大切な祭日である復活祭です。そして喜びも七の七倍です。

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 子どもたちもそれぞれのカトリック教会でご復活の主日をお祝いしていることでしょう。私たち家族は離れて生活していても、いつも信仰で結ばれているので幸せです。

 今月の24日は東方教会のパスハ(復活大祭)です。とにかく願うことは一つ、ウクライナギリシャカトリック教会とロシア正教会、東方教会のすべての人がキリストに心を向けて平和のうちにこの復活大祭を祝えますように!

 私たちは〇〇人である前に、キリストに結ばれているキリストの民であり兄弟姉妹、キリスト者であることを思い起こさせてください。アーメン。

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ポーランドのピエロギ、ウクライナの卵そしてロシアのクリーチheart

2022年4月10日 (日)

聖週間

 

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 いよいよ聖週間の始まりです。今日の枝の主日では、外に出てオリーブの枝を持って行列をしました。

 今年も聖堂の中の十字架と聖母・聖ヨセフの御像には布がかけられて隠されています。典礼を大切にされている教会のごミサは心が安らぎます。

主の受難・枝の主日-御ミサ

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聖木曜日・主の晩餐-御ミサ

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       (十字架の道行)

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聖金曜日・主の受難-みことばの典礼

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聖土曜日・復活徹夜祭-御ミサ

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 聖週間の間はこのブログもお休みして、静かに祈り過ごしたいと思います。 

2022年4月 6日 (水)

『永遠の今を生きる』(2)

 

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 今から約40年近く前に書かれた本ですが、現代にも通じる内容です。というよりも、すでにあの時代に問題提起されていたのに、何も手を打たずに今に至っているというのが現状でしょう。あの頃よりももっと信徒は減り、聖職者への召し出しも減り、逆に閉める教会は増え、カトリック経営の学校・幼稚園の廃校廃園も増えました。尻枝神父様が危惧された通りになりました。

 是非この本を読まれることをお薦めします。今のカトリック教会の危機を脱する方法として、「楽しいミサにしましょう」とか「世間に合わせて教会も変えましょう」、「今までの古い教えを新しく変えましょう」とか、全く間違った方法を耳にします。これではますます信徒も召出しも減っていくでしょう。あの頃に神父様の考えを聖職者の皆さん方がもっと真摯に聞いていたら、教会はこのような状態にまではならなかったと思います。

 本を販売しているサイト「paradise」です。⇩

https://paradisejp.official.ec/items/47097209

2022年4月 5日 (火)

『永遠の今を生きる』より


YouTube: ЗАПОЮТ АКАФИСТ СОЛОВЬИ | АРТ ГРУППА ЛАРГО

 以前紹介した尻枝神父様の著書『永遠の今をを生きる』の中に、ルフェーブル大司教様の問題について書かれていました。当時ヴァチカンで働いておられた神父様はこの問題をより身近に受け止められていたことでしょう。

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 ルフェーブル大司教様は「私の意志はそのまま神の意志である」と言ってはばからなかったり、また第二ヴァチカン公会議を異端と決めつけました。尻枝神父様は「もっと謙遜な人間であってほしかった。少なくとも教皇様のことばには従ってもらいたかった」と。そして「私はパパ様の近くにあって、その御心痛のほどを目の当たりにしました」と書いておられます。

 しかし同時にこうも書かれています。

・ ルフェーブル事件は、カトリック教会に大きな反省を促す機会を与えてくれました。・・・もし第二ヴァチカン公会議後の行き過ぎや誤謬や脱線がなかったならば、恐らくルフェーブルの異端(当時そう言われていた)も生まれなかったでしょう。

・ 公会議後の典礼改革のもたらした多くの利点を否定するつもりは毛頭ありません。それでもなお、次の点について真剣に問うてみる必要があると思います。①公会議後の典礼改革は、ある点で、それは典礼の低俗化であり、改悪ではなかったか。②典礼文の邦訳や、祭儀の単純化(日本では跪くとか額ずくといった動作が、すべて廃止された)は、どの点まで、司牧的にまた霊的に賢明であり、有効であったのか。③典礼の合理化や平明化は、逆に典礼行為を通して現れる神の行為の神秘を感じさせなくなってはいないか。

・ まことに神秘の体験こそ、可視的な典礼行為を通して、そこに目に見えず、手に触れられない神の現存と、その救いの業を、私たちに感得させる超自然的アンテナだからです。・・・ルフェーブル派がラテン語ミサに固執するのは、まさにそこにある沈黙と神秘の体験を重んじたからです。

・ 『典礼憲章』は明らかにラテン典礼におけるラテン語ミサの重要性を述べ(36)、信者たちがミサの共唱部分をラテン語で唱え、また歌えるよう教育する必要を説いています(54)。にもかかわらず現在、ラテン語のミサが唱えられ、グレゴリアン聖歌が歌われることは先ずありません。

・ エキュメニズム、諸宗教対話などで、他宗教、宗派の人々を尊敬することが、キリスト教の真理の相対化やぼかしに繋がってはならないのです。・・・つい日本人的な感性に押し流されて、キリストの真理をゆがめたり、薄めたり、黙したりしてしまいます。それは安易な妥協であり、信仰の裏切り以外の何ものでもありません。・・・対話、対話と言って喜んでこの世に迎合し、カトリックの真理をぼかしてしまう危険を憂えたルフェーブル大司教は、カトリックの真理の絶対性を揚げて、宗教対話やエキュメニズムに断固反対したわけです。しかし真理をうやむやにする対話は決してヴァチカン公会議が力説している対話ではありません。

・ 私たちの犯した過ちを改めてゆけば、ルフェーブル派の分裂の原因を取り除くことになります。

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 尻枝神父様の書かれたこの内容は日頃から私が考えていたことを見事に言い当てています。特にヴァチカン公会議賛成派の逸脱した典礼には胸の痛む思いでした。ミサ典礼が平明化されるとそれに伴って説教の内容も⤵。しまいには「説教は重要ではない」とまで言われて、私はショックを受けました。

 公会議後召出しも信徒数も減る一方ですね。尻枝神父様のようによく考え、間違いを反省して改めようとする人が増えない限り、カトリック教会はもっと減り続けるでしょう。

2022年4月 3日 (日)

歴史はくり返される


YouTube: 【名曲解説】チャイコフスキー:序曲「1812年」!戦争の影響で演奏中止が相次ぐこの名曲はいったいどんな曲なのか?この曲はロシアの勝利を表した曲なのか?

 「ロシアは悪」というイメージを徐々に刷り込まれ、良識のない人はロシア人への個人攻撃までする始末です。チャイコフスキーの序曲だけですめばよいのですが、連日のマスコミ報道を聞いていると、これからもっとエスカレートしていくようで怖いですね。

 ウクライナの今の大統領が就任した時にロシアの大統領は会って話し合いたいと申し出ましたが拒否されました。あの頃から二国間の関係にはずれが生じ始めていたように思います。


YouTube: ЦАРИЦЕ НЕБЕСНАЯ АРТ ГРУППА ЛАРГО

 

2022年4月 1日 (金)

主の祈り


YouTube: Padre Nuestro (Latín) cantado por San Juan Pablo II (1979)

Salve Regina


YouTube: Salve Regina (tono simple) | 450 voces – coro virtual | Música Católica

ウクライナとロシア

 ウクライナとロシアの戦争を一歩引いて冷静に考えてみましょう。

 武器を使って殺戮することは最悪なことです。戦争は悪です。武力で相手国をねじ伏せるのは悪です。誰でもわかる当たり前のことです。勿論ロシアだってよくわかっていることです。だれもこんな事はしたくありません。しかし、NATO軍やアメリカ軍が協力してくれると思いこみ、ロシアを挑発し続けたウクライナ。それに忍耐しきれずに武力侵攻という苦渋の選択をしてしまったロシア。しかし今のアメリカや西側からの報道を見聞きすると一方は正義、一方は悪だけの構図しか見えません。

 ロシアがウクライナに侵攻するまでの歴史や正確な経緯を把握しなければなりません。またウクライナは多民族国家です。ウクライナ人だけでなくロシア人もポーランド人もたくさん住んでいます。それらの人たちの今までの生活もよく知ったうえで冷静に判断すべきでしょう。

 イラン・イラク戦争の時、私たちはアメリカやイギリスの報道だけを信じて、フセイン大統領を嘘つきで化学兵器を使おうとする極悪非道な人だと信じこみました。

 日本の歴史もよく考えてみましょう。太平洋戦争に至るまでの経緯、終戦を迎えるまでの経緯、そして戦争中のマスコミの報道のあり方。

 「戦争は悪です。正しい戦争などありません」と、教皇ヨハネパウロ二世も言っています。ロシアは侵攻を直ちにやめ、ウクライナも武器を置きましょう。両国ともお互いキリストの教えに立ちかえり、回心して殺し合うことを止めましょう。フランシスコ教皇様はウクライナだけでなくロシアのためにも祈りましょうと呼びかけています。


YouTube: ロシアとウクライナをマリアの汚れなきみ心に奉献する