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2018年1月

2018年1月31日 (水)

「焼き場に立つ少年」

 

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 「世界平和の日」の1月1日に教皇様が配るように望まれた「焼き場に立つ少年」の写真カードです。

 これは1945年アメリカの従軍カメラマンジョー・オダネル氏が撮った写真で、この少年が誰か、その後どうなったかはわからないそうです。

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 戦争は残酷です。勝った国の人も負けた国の人も、そして巻き込まれた国々の人も、すべての人達が苦しみ、悲しみ、痛みを負いました。

 憎むのは相手や相手の国ではなく戦争です。相手の国を憎むよりも共に戦争をくり返さないように努力すべきではないでしょうか。自分に起こった悲劇が他の人にまた起きないように。キリストが自身を十字架につけた人たちを赦したように、私たちはそう簡単にはできなくてもそうするように努力すべきです。それがキリストを信じる人の生き方でしょう。

 原爆を投下した人やアメリカを責めるのではなく、二度とこのような犠牲者が出ないように核兵器その物の廃絶を訴えている長崎・広島の原爆犠牲者の方々の意識は高く立派だと思います。

 過去を変えることはできません。しかし未来は自由につくることができます。平和な未来を望むならそれを実現するために努力することが大切だと思います。

2018年1月28日 (日)

聖トマス・アクィナス司祭教会博士

 聖トマス・アクィナスが今の使徒的勧告『愛の喜び(Amoris laetitia)』を読んだらきっと・・・⇩

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(ブログ Fr.Z より)

 確かに聖トマス・アクィナスが読んだら驚くでしょう。私などはただひたすら聖トマス・アクィナスの取り次ぎを祈るしかありません。何を祈るかというと、、、解る人には解るのです。

2018年1月25日 (木)

聖パウロの回心

使徒行録の中で聖パウロは自分の回心について語っています。

わたし(パウロ)は、キリキア州のタルソスで生まれたユダヤ人です。ダマスコにいるキリスト者たちを縛り上げ、エルサレムへ連行して処罰するためにダマスコへ出かけました。

ダマスコに近づいた時、真昼ごろ、突然、天から強い光がわたしの周りを照らしました。わたしは地面に倒れ、『サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか』と言う声を聞いたのです。

『主よ、あなたはどなたですか』と尋ねると、『わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスである』と答えがありました。一緒にいた人々は、その光は見たのですが、わたしに話しかけた方の声は聞きませんでした。

『主よ、どうしたらよいでしょうか』と申しますと、主は、『立ち上がってダマスコへ行け。しなければならないことは、すべてそこで知らされる』と言われた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

アナニアは言いました。「わたしたちの先祖の神が、あなたをお選びになった。それは、御心を悟らせ、あの正しい方に会わせて、その口からの声を聞かせるためです。あなたは、見聞きしたことについて、すべての人に対してその方の証人となる者だからです。今、何をためらっているのです。立ち上がりなさい。その方の名を唱え、洗礼を受けて罪を洗い清めなさい。」(使徒行録22:3~16

 サウロ(聖パウロ)はキリストの声を聞き、回心して、自分が今まで迫害してきた人達が信じているキリストについて宣教し始めました。しかしキリストを受け入れないユダヤ人たちにとってはサウロは裏切者です。彼らから何度も命を狙われたようです。

 主はサウロ(聖パウロ)を選ばれました。この聖パウロの回心の箇所を読むたびに主の計らいは私たちの考えの及ばない素晴らしいものだと思います。note神の計らいは限~りなく生涯わたしはその~中に生きる~~note confident

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2018年1月20日 (土)

温泉

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 大寒の今日は暖かな一日でした。以前から夫は温泉に行きたがっていたので出かけました。いつもの船津温泉家族湯です。

 何といってもここにはサウナがついているのが魅力です。夫はこのサウナが目当て。何度も入っていました。

 温泉は体の芯まで温まり、帰宅後は二人共すやすや( ˘ω˘ ) ( ˘ω˘ ) 

 夫は外でお酒は飲まない、外食しない、美食家ではない、ゴルフやパチンコなどしない、ほとんど何も買わない(欲しがらない)、質素な生活が好き。ですからこの家族湯は夫にとっては唯一のささやかなぜいたくですね。

 ところで今年の「灰の水曜日」は2月14日、そうSt.Valentine's Day 。早々に「チョコレートは無し」宣言をしました。happy01

2018年1月16日 (火)

みことばは聞くもの

 タイに行っておられる司教様のブログに「拝聴すべきみ言葉」と言うお話が書かれていました。タイではみ言葉の時には司祭も子供も大人も皆胸の前で手を合わせて拝聴するとありました。鹿児島教区でもそうしようと呼びかけたら冷笑を買うだろうか・・・と。

 えーっ!冷笑する人がいるのですか?手を合わせてみことばを聞くことは当たり前だと思っていました。手を合わさなくてもせめて祈りの姿勢で、そして冊子は閉じて。

 以前にもそれについて詳しく書かれているカトリック荻窪教会学校新聞『こもれび』の「いっしょに学ぼうミサのこと」を載せました。今日はもう一度載せます。皆さんよ~く隅から隅まで読んでくださいね。

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 ついでに白浜司教様が典礼勉強会で奉納行列の時には座るように、それは行列であってまだ奉納ではない。その後の奉納の時に起立するように。そうすることによってメリハリをつけて奉納がよりはっきりと現されると。でもね、せっかく白浜司教様が指導してくださっても神父様方や典礼委員の皆さんには伝わっていないのですよ。残念 catface

2018年1月14日 (日)

駐ヴァチカン大使たち

 

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 1月8日にフランシスコ教皇様は各国の駐ヴァチカン大使に会われました。日本からは中村芳夫大使が出席されていました。中村氏はカトリックですので適任ですね。

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中村大使のお姿も見えます。

 カトリック人口の少ない日本から大使としてお仕事は大変だと思いますが、大使ご自身がカトリックでヴァチカン・カトリックについて理解がおありになるので、その点ではやりやすいのではないでしょうか。これからのお仕事に期待しています。

2018年1月11日 (木)

ドアを蹴破る

 どうでもよいことなのですが、アメリカの刑事ドラマを見ていて気づいたのです。

 よく主人公が家のドアを蹴破って入るシーン、これって日本では無理ですよね。少なくとも我が家のドアは蹴破れません。もし蹴破ろうとしたら足を骨折するかも。weep なぜなら我が家の玄関ドアは外に開くから。蹴破れるのはアメリカやヨーロッパのように内側に開くドア。

 ホテルの部屋のドアは日本でも内側に開くようです。外開きにするとたまたま廊下を通っている人に当る可能性があるから。台風の時には玄関ドアは外開きの方が安全ですね。

 どちらのドアにしても良い点悪い点があるでしょう。本当にどうでもよいことでした。coldsweats01

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こちらは内、外、両開き、便利だにゃん。(誰のお家か知りません)

2018年1月 9日 (火)

洗礼式


YouTube: Pope Francis Holy Mass Baptism of the Lord 2018-01-07

 主の公現の日、ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂で行われた赤ちゃんの洗礼式です。ウ~ンかわゆす!lovely 赤ちゃんの洗礼はいつ見ても可愛くて、心を和ませてくれます。赤ちゃんを中心にお父さんお母さんそしてお兄ちゃんやお姉ちゃんの愛に包まれた幸せいっぱいな家族を見ると、本当に心が温まります。

2018年1月 8日 (月)

主の洗礼

 今日は主の洗礼。「なぜ神の子、罪のないイエズスが洗礼者ヨハネから洗礼を受けたのか?」疑問を持つ人もいるでしょう。

 私たちの洗礼は洗礼者ヨハネが「悔い改めよ、天の国は近づいた」と人々に語ったように、自分の罪を悔い改め、回心のしるしとしての洗礼でした。

 イエズスは勿論罪はありませんし、回心する必要もありません。イエズスの洗礼は「・・・イエズスも洗礼を受けられたが、そのとき祈られると、天は開け、聖霊ははとのような形をとってその上に下り、『あなたはわたしの喜びとする私の愛する子である』言う声が天から聞こえた。(ルカ3;21~22)」と聖書に記されているように、イエズスが神の子としてはっきりと現されるためでした。そしてイエズスが神の子として神のメッセージを伝える預言者としての活動をはじめることをはっきりとあらわしています。

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主の洗礼:Giotto 

2018年1月 7日 (日)

主の公現

 主の公現(本当は6日ですね)

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主の公現:Murillo

 3人の博士たちは馬小屋にいる幼子イエズスに神を見ました。それは幼子イエズス・キリストを通して神の栄光が現れていたからです。

 多くの画家たちがこの場面を聖書に基づいて描いています。どの絵の博士たちも幼子イエズスに贈り物をささげ、ひれ伏して拝んでいます。そしてこの3人の博士たちはユダヤ人ではなく、みな違う国の人達です。最初に羊飼いたち(ユダヤ人)に、次に3人の博士たち(諸国の人)に、イエズスの顕現はまずユダヤ人に、そして諸国の民に現されました。つまり人種に関係なくすべての人達にです。そしてもう一つ、学問のない羊飼いから学問のある博士まですべての人に現されたのです。

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5_rubens Rubens

2018年1月 6日 (土)

国境なき医師団


YouTube: いとうせいこうの「『国境なき医師団』を見に行く」

 作家いとうせいこうさんが「国境なき医師団」に同行取材して本を出版した記念のトークイベントの模様です。(You Tube 4:10頃から始まります)

 「国境なき医師団」のメルマガで知ったビデオです。2時間超のビデオですが、話に引き込まれて一気に見てしまいました。是非皆さんも見てみてください。

2018年1月 5日 (金)

免償について

 ご降誕祭の時に私はUrbi et Orbi で「免償」を受けたいと書きました。ところがこの「免償」を知らない信徒の方がおられることを知りました。また免償について誤解されている人もかなりいるようです。

 免償についてはカルメル会『祈りの友』の付録に書かれています。勿論『カテキズム』にも。私は『祈りの友』の方がわかりやすく、詳しく説明してあるのでお薦めします。では、『祈りの友』から免償について少しだけ要点のみ。

 まず「免償」を「罪を赦してもらうこと」と間違って解釈している人がいます。特に歴史の授業で習ったルターの宗教改革に出てくる免罪符についての歪められ誤った説明のせいでしょう。

 免償とは準秘跡です。昔から教会は信者の罪を赦すときに償いを命じました。償いは特定の祈りをとなえたり、善業を行います。この償いの一部あるいは全部を免除されるのが免償です。

 免償を受ける条件は三つあります。部分免償は

①大罪のない心。大罪があればゆるしの秘跡を受けておくこと。

②免償を受けたいという意志

③免償を得るために、教会が定めた事柄を果たすこと。

全免償を受けるには、上記の条件に加えて

1⃣小罪さえもない心

2⃣ゆるしの秘跡を受けること。

3⃣ご聖体拝領(全免償を受けようとする日が望ましい)

4⃣教皇のために祈ること。主の祈りと天使祝詞を唱えること。

 部分免償がついている祈りと信心業の一部

・射祷を唱える。

・償い(痛悔)の心で、自分から正しい楽しみを控える。

・ご聖体訪問

・要理の勉強

・ロザリオを唱える

・聖書朗読

 等々

 全免償がついている祈りと信心業

・少なくとも三十分ご聖体の前で礼拝し、黙想する。

・三十分聖書を朗読し、黙想する。

・聖金曜日の式に参加して十字架礼拝の時に十字架に接吻する。

・十字架の道行き

・タントゥム・エルゴ[聖体降伏(賛美)式]

・テ・デウム

・初聖体の式にあずかる人。

・初ミサをたてる人と、そのミサに与る人。

・教皇から全世界に与えられる祝福を受ける。(Urbi et Orbi)

等々他にもあるので詳しくは『祈りの友』を見てください。

 免償制度自体は、キリスト者の生活のすみずみまでが、キリストに生かされたものであり、また、そうあるべきものとする秘跡的性格をもつものです。・・・・・祈りや善業がもっている霊的な価値は神だけがご存知です。・・・・・全免償は一日一回しか受けられません。部分免償も全免償も、代願の形式で、いつでも死者に譲ることができます。この熱心な代願は、煉獄で苦しんでいる(罪の償いを果たしている)霊魂、特に自分とかかわりのある人(の償いを免償)を天国により早く送り出す方法です。『祈りの友より』

 

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カルメル会編 『祈りの友』 

2018年1月 4日 (木)

屋久島うみがめ館~解散

 スタッフの減少や高齢化のため、屋久島うみがめ館は解散するというニュースがありました。

 ここではウミガメの上陸・産卵回数などの生態調査を続けています。毎年、国内のアカウミガメのおよそ半分にあたる5000回以上の上陸があるそうです。

 「調査が途絶えれば2、3年で砂浜が荒れて産卵が減少する可能性があり、残念だ」と館の代表の方は心配しておられます。

 ウミガメにとって安心して産卵できる場所がどんどん少なくなってきているようです。せっかくここまで33年間頑張ってこられたのに残念ですね。どこかの大学がウミガメ生態研究のために引き継げないものでしょうか?大学の研究で続けるのが一番良いと思うのですが。地震や火山の調査には大学がかかわっているのに、貴重なウミガメの生態研究には手を貸してくれないのでしょうか?

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2018年1月 1日 (月)

神の母聖マリア

 

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 明けましておめでとうございます。そして神の母聖マリアの祭日おめでとうございます。

 また今日は「世界平和の日」でもあります。教会暦ではすでに新しい年を迎えていますが、一般の暦の一月一日はやはり新たな一年の始まりを意識します。

 今年ごミサに与ることから2018年が始まりました。今年も主と共に歩めますように。heart04

 ところでカトリックの家でも門松やしめ縄、鏡餅を飾るところがあるとか。そしてそれに何の疑問も持たないようです。家長が神道や仏教徒だとそうなるのかもしれません。

 「門松」は年神を自分の家に迎え入れるためのもの(依代・よりしろ)です。年神とはその年の家族の健康や商売がうまくいくことを約束してくれる神のこと。お正月は年神が地上に降りてくる時期なのです。

 「鏡餅」は家に入られた年神を迎えるために供えるお供物で、お正月の間年神はそこに宿ります。ですから「鏡開き」には鏡餅を皆で食べることによって、そこに宿った年神の力を分けていただくのです。一年間の健康と幸せを願いながら。

 ついでに「おせち料理」も年神へのお供え物です。また、かまどの神に休んでもらうために作り置きをして、家族の繁栄を願い、縁起物をめでたさが重なる重箱に詰めたものです。

 日本で「神仏混合」というものがあります。まさかエキュメニズムを拡大解釈して「神仏キリスト混合」が生まれた??「日本のキリスト教」「日本人になじんだキリスト教」という言葉を耳にするとつい余計なことを心配してしまいます。

 何はともあれキリストの望むことを望む時に望む故に私も望み受け入れながらこの一年を過ごしたいと思います。そうすればきっといつも満ち足りた心でいられるでしょう。

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YouTube: Pope Francis Vespers and Te Deum 2017-12-31