待降節
いよいよ待降節に入りました。今日は待降節第一主日です。祭壇の横にはアドヴェントキャンドルが1本灯されました。
『心の準備を始めなければ』と、いつも最初のうちは張りきっているのですが、だんだんと気が緩んでしまうのが毎年のことです。今年こそは気を抜かずに良い降誕祭を迎えたいです。そのためにも告解をしに行かなければ!
ごミサに与り、そして私の好きな「BARKA」を聴いて待降節の始まりです。
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いよいよ待降節に入りました。今日は待降節第一主日です。祭壇の横にはアドヴェントキャンドルが1本灯されました。
『心の準備を始めなければ』と、いつも最初のうちは張りきっているのですが、だんだんと気が緩んでしまうのが毎年のことです。今年こそは気を抜かずに良い降誕祭を迎えたいです。そのためにも告解をしに行かなければ!
ごミサに与り、そして私の好きな「BARKA」を聴いて待降節の始まりです。
今年は柚子の生り年でした。柚子酒と柚子ジャムを作り、実はそのままお風呂にも入れて柚子風呂で楽しみます。
柚子酒を作るのはとても簡単ですが、ジャムの方は手間も時間もかかります。でも喜んで食べてくれる人がいればその労苦は苦ではなく楽しみになります。今年も美味しいジャムができました。
よく洗ってヘタを取ります。
茹でこぼしてアク取りを3回します。水につけて6~8時間置きます。できればアルミの鍋ではなく酸に強いホーロー鍋を使ってください。
つけておいた水は捨てます。皮は刻み、中身は種を取り除き小袋も刻み、これらに砂糖を加えて一緒に煮ます。柚子と砂糖だけでできたほろ苦いジャムです。
今回はこの3倍の量のジャムができました。作り過ぎ? いえいえ、柚子ジャムは調味料として、またお菓子の材料として、柚子茶としても使えるので大丈夫です。
この世を作り上げるのは教会の責任ではなく、信徒の責任。その信徒を育てるのが教会の責任。(トマさんの英語ミサの説教より)
その通りです。教会は信徒を育てなければなりません。その信徒を育てる教会の司祭、司祭を育てる神学校、神学校がどれほど重要か、神学校の責任は重いです。
信徒と司祭は同じではありません。秘跡を行う権能を授けられている司祭はそれなりの神学的知識が必要です。神学校でその正しい神学的知識を学んで神学生は司祭に育ちます。そして司祭は正しい神学的知識を信徒に教え信徒を育てます。(勿論知識だけではありません)
当たり前のことなのにそれが当たり前でなくなってきているような・・・、福岡の大神学校紹介の動画を見て少し不安を感じました。私の思い過ごしでしょうか?
神学生のためにもっともっと祈らなければ、そして司祭への召し出しが増えますように。
⇩ Sedes Sapientiae神学校(ローマ)のビデオ
教皇様達の中でも聖レオ1世教皇様は教皇として特に優れた崇敬できる教皇様です。
ローマの司教であるレオ1世教皇はローマの人達への説教を大切にし、キリストの教えをわかりやすく話しました。また「キリストは人間であって神ではない」「キリストは神であって人間ではない」と言う人々に対して、「キリストは真の神であり、真の人間である」と厳然と断言しました。
フン族のアッティラ王がローマを侵略するために近づいて来た時、教皇は「ローマ市民の回心を望む神からの呼びかけです。神の回心への呼びかけを無視して回心しなければ罰がくだるだろう」と、説教されました。レオ1世教皇は大教皇と呼ばれる3人の教皇の一人です。
すべての教皇様方は全教会をまとめ指導していかなければなりません。常にキリストの教えに忠実であり、その教えに反する悪と戦うことも必要でしょう。現教皇様も教皇レオ1世のようにキリストの教えに忠実に、そして毅然とした態度で私たちを導いてくださいますように。それには必ず聖霊の助けが必要です。皆さん現教皇様のために祈りましょう。
今日の福音朗読(マタイ25章)は「10人のおとめのたとえ」です。キリストは天の国をたとえられて話されました。10人のおとめがそれぞれにともしびをもって、花婿を迎えに出て行く話ですね。おとめたちのうち賢い5人は壺に油を用意し、愚かな5人は油の用意をしていませんでした。花婿の到着が遅れて、愚かな乙女たちは賢い乙女たちに「油を分けてください」と頼みましたが、賢いおとめたちは「分けてあげるほどはありません。それより、店に行って買って来なさい」という話です。結局愚かなおとめたちは間に合わず婚宴の席には入れませんでした。
「婚宴は神の国の姿、主人はキリスト、賢い乙女は神に従う人、神の国の訪れはいつかわからないので常に神に従って目を覚ましていなさい」という教えは何度も聴いてきました。しかし今までずっと「賢い乙女たちが油を少しも分けてあげない」ことにひっかかっていました。
そして今日やっとS神父様の説教ですっきりしました。
「この油は乙女たちの信仰のたとえです。自分の信仰を他人に分けてあげることはできません。分けてあげられないかわりにアドバイスしてあげました」
ごミサの説教はとても大切ですね。私たちの信仰教育です。説教で他人の批判や家族への不満等は聴きたくありません。私たちが倣うべき良い行いの話(聖人についてとか)なら聴きたいです。
愚かな乙女たち キリスト 賢いおとめたち