説教について
YouTube: 2022年1月30日 年間第4主日ミサ説教 玉造教会
ごミサの中で神のみことばはとても大切です。だからといって説教を軽視する考えには賛成できません。神のみことばは一番大切、そして説教も大切です。
説教の準備をされているお話は私の心にスッと入り、心を動かされます。それは司教様、司祭様の説教のことばを通して聖霊が働くからだと思います。
そして良い説教を聴くだけでなく、聴いたことは実行しなければなりませんね。
YouTube: 2022年1月30日 年間第4主日ミサ説教 玉造教会
ごミサの中で神のみことばはとても大切です。だからといって説教を軽視する考えには賛成できません。神のみことばは一番大切、そして説教も大切です。
説教の準備をされているお話は私の心にスッと入り、心を動かされます。それは司教様、司祭様の説教のことばを通して聖霊が働くからだと思います。
そして良い説教を聴くだけでなく、聴いたことは実行しなければなりませんね。
今日は聖アンデレ使徒の祝日です。待降節に入り教会の祭壇の前にはプレゼピオが飾られています。横にはアドヴェントキャンドル。降誕祭を待ち望む期待と喜び、しかしそれを迎える心の準備はなかなか進みません。
キリストの教えに反していても聖体拝領をゆるし、一方ではコロナワクチンを受けない信者を「兄弟愛がない」と言って非難する。またあるごミサでは奉献文に勝手に言葉を付け加えたり、教会は何故こうなってしまったのでしょうか?キリストの教会のことを思うと本当に胸が痛みます。このままだとカトリック教会に分裂がおきるかもしれません。
でも真の教会が無くなることはありません。なぜなら「教会はキリストのからだである」と言われている通りです。キリストは永遠!そしてキリストのからだに結ばれている私たちはキリストから命をいただいています。
この待降節の間には特に教会のために祈らなければと思いました。
アメリカからもヨーロッパからも良くないニュースが届きます。日本ではカトリック信者は少ないので問題にはなりませんが、特にアメリカでは深刻です。
教会内に分裂を生み出そうとする人たちの攻撃は、信徒、神学生、司祭に向けられています。そして攻撃するのは教会外からではなく、一部の高位聖職者です。あれも禁止、これも禁止・・・勝手に禁止令を出して・・・本当に悲しいことです。クリスマスまでにはこの愚かな締め付けは止んで、どの教会でもすべての司祭がごミサを立てられ、すべてに信徒が与りたいごミサに与れることができますように。すべての人が喜びのうちにキリストのご降誕を祝うことができますように。
今度の日曜日21日は「王であるキリスト」の祭日、そして次の28日は待降節第1主日になります。今の教会の現状を思うと主の助けを願わずにはいられません。分裂の種をまく人達に聖霊を送ってください。そして苦しんでいる人達に主の憐れみを!
今日は「聖ペトロ教会と聖パウロ教会の献堂」です。聖ペトロと聖パウロのお墓の上に立てられた教会。この二つの教会で献堂の時からずっと正しく有効なごミサが立て続けられてきたのなら、そのごミサはこれからもずっと正しく有効なはずです。
わたしが福音を宣べ伝えても、誇りにはなりません。そうしないではいられないからです。もし福音を宣べ伝えないなら、わたしにとってわざわいです。
コリント人への第一の手紙9章16節です。この箇所を読んでいて思いました。「福音を宣べ伝える」というところを「聖書を読む」と置き換えると、
「私が聖書を読んでも、誇りにはなりません。そうしないではいられないからです。もし聖書を読まないなら、わたしにとってわざわいです」。
それは私の聖書を読む気持ちにピッタリだと気づきました。聖書は神が預言者や福音記者の手を通して書かれたものです。作者は神ご自身です。ですから、一般の本とはまったく違います。私にとって聖書はゆっくりと意味を噛み締めて黙想しながら読むものです。ですから今日の福音朗読個所は特に考えてしまいます。ルカによる福音書16章9節
わたしはあなたがたに言っておく。不正なマンモンを利用して、友人をつくりなさい。そうすれば、それが役にたたなくなったとき、あなたがたを永遠の住み家に迎え入れてくれるだろう。
以前この箇所についての説教を聞いた記憶はあるのですが、内容を覚えていません。自分勝手に解釈してはいけないので、信頼できる人に訊いて説明してもらいます。
ところで毎日の聖書の朗読個所はごミサで使う『聖書と典礼』の最後のページに書かれています。また「霊性センターせせらぎ」「日ごとの福音」各ホームページがあります。これらも上手に利用して、毎日無理せずにゆっくりと聖書を読む時間を作ってみてはいかがでしょうか。
霊性センターせせらぎ https://seseragi-sc.jp/
イタリアでは今月15日すべての労働者にグリーンパス(ワクチンパスポート)の義務化が決まりました。すでにイタリアではワクチン接種率は約80%以上ですが、それでもこの義務化に反対する人は多く、各地でデモやストライキが起きています。
義務化によってグリーンパスの無い人はレストランや劇場に入れません。それくらいならまだ我慢できますが、深刻なのはグリーンパスのない労働者は働けないことです。当然給料もなくなります。ワクチンを打ってグリーンパスを持っている人でも義務化には反対する人が沢山いるのには理解できます。私も以前書きましたが、義務化には反対です。
カトリックローマ司教のお膝下で教会は大丈夫でしょうか?教会の入り口に「グリーンパスのない人は入れません」と貼り紙をしますか?まさかね。
こんな時にこそ教会は声をあげてほしいですが・・・。もしかしてイタリアの教会は義務化に賛成?そんなことはないですよね。世の中も教会も何か少しおかしくなっているような気がして心配です。
フランスのカトリック教会内での児童性的虐待問題を調査する独立委員会は3日、1950年以降に児童を虐待していた司祭や教会関係者が2900~3200人に及ぶことをAFPに明らかにした。【10月3日 AFP】
児童性的虐待は重い罪です。司祭の立場を利用してそのような行為をすることは一般の人よりも罪は重く、主の裁きはより厳しいでしょう。またそういう司祭たちを庇った人達の罪も重いです。
そういうことをよくわかったうえで私がここで言いたいのは、すべての司祭がそうだったのではないということです。それどころか、キリストの教えを守ろうと努力しながら、貧しく弱く苦しんでいる人たちのために働いていた司祭たちの方が圧倒的に多かったのも事実です。罪を犯した司祭だけを見て、すべての司祭がそうであるかのような誤解はしないでください。
そしてこのような犯罪を犯す理由を司祭の独身制のせいにする人もいますが、それも誤りです。独身制のない一般社会(結婚している人達)の中にも性犯罪を犯す人達はいます。犯罪を犯すのはその人個人の問題であり制度の問題ではありません。
フランスの教会の信徒たちの中には教会を離れる人も多く出るでしょう。空っぽになる教会もあるかもしれません。召出しも少なるなるかもしれません。
でも私はそれでよいと思います。しっかりと根のはった信徒だけは残り、本当に良い司祭をめざす若者だけが召命を受け、残った司祭たちと共に教会を立てなおすでしょう。私はそう信じています。
悪で盛り上がった多くの傷をすべて切開して、膿を全部出し切って傷を治しましょう。治るまでにどれくらいの時間がかかるかわかりませんが、必ず主も助けてくださるはずです。
前にも書きましたが、新型コロナワクチン接種率は国によって大きな差があります。ワクチンを望む人達すべて平等に受ける機会を作りましょう。
国境なき医師団も訴えています。⇩
https://www.msf.or.jp/news/detail/headline/ac20210915mt.html
ワクチンはとても大切だと思います。でも理由があってワクチンを受けないことを選んだ人に強制しないでください。ワクチンを接種したからといって絶対に新型コロナに感染しないわけではありません。
ワクチン証明書があれば入館、入場、入店できるが接種していない人はダメ・・・それは善いやり方ではないと思います。こういう考えが広まれば、そのうち教会も「ワクチン接種証明書のある人だけごミサに与れます。ワクチンがまだの人は受けてから来てください」なんてことになるかも・・・日本ではありえないでしょうが、アメリカ等では現実になるかもしれません。
今日は守護の天使の記念日です。私たちが皆正しい考えと行いを選ぶことができますように、守護の天使達よあなたが護るべき人を護り導いてください。
コロナワクチンの3回目の接種が計画されているようです。先進国ではすでに3回目の接種が始まっている国もあります。一方アフリカでは1回目の接種すら国民の2割に満たない国もあります。
先ほど私の家の前を街宣しながら通る衆議院選挙の候補者。彼は「国は外国の援助にお金を無駄遣いしています」と、当たり前のように言っていました。国会議員の中にこういう考えの人が多ければ、当然いつまでたってもアフリカの発展途上国の人達にはワクチンは届かないでしょう。
「世界は一つ」「人間はみな平等」等と口にはするけれど、実際には目を閉じて現実に気づかないふりをしている人も多いようです。
「持たない人には持っている人がわける」人として当たり前のことだと思うのですが。
先日息子が棚にしまってあったウオッカを見つけ、そのラベルに書かれていた名前についてどういう意味か父親に尋ねていました。そのウオッカの名前は「SOBIESKI」。
SOBIESKIとはJan3世 Sobieski「ヤン3世ソビェスキポーランド国王」のことです。
1683年にオスマン帝国が15万の兵を率いてウイーンに進撃した時に、わずか3千の騎馬隊を率いてヨーロッパを守り神聖ローマ帝国を勝利に導いた英雄です。
ヴァチカン美術館にはソビェスキの間に『ソビェスキ、ウイーンを開放する』(ヤン・マティコ作)の絵が展示されています。私もヴァチカン美術館を訪れた時にこの絵を見ました。絵のテーマを知っていたので胸が熱くなったのを覚えています。
また以前ブログで紹介したと思いますが、映画も制作されています。とても良い作品のせいか、今この映画のDVDは中古でもアマゾンで高値がついています。もし機会があればぜひ観てみてください。
歴史を学ぶことは面白いです。一本のウオッカから話が広がりました。こんな家族の会話が大好きです。
今日は「日本205福者殉教者」の記念日です。この世の命よりも来世の命を大切にした人達です。何よりもどんな時にもキリストにつながっていなければならないと、私たちに信仰の模範を示してくださいました。
私たちは今こそ彼らから学ぶべきです。新型コロナと迫害、どちらの方がより恐ろしいですか?彼らが命がけで守ったものは何ですか?
国境なき医師団(MSF)が50周年を迎えました。今までの主な紛争地域への援助活動を見ると、いつもどこかで人間同士は殺し合っていることがよく分かります。そして殺し合いを命じる人ではなく子供たちや弱い人々が圧倒的に犠牲になっています。
MSFが人道支援活動を行った紛争地域の一部
1971年国境なき医師団設立のきっかけとなったナイジェリア東部ビアフラ戦争(1967年勃発)
1975年ポルポト政権から逃れるカンボジア市民を援助
1976年中東・レバノンの内線
1980年ベトナム軍のカンボジア侵攻
1984年エチオピア飢餓・軍事政権による援助物資の横領発覚
1991年湾岸戦争に続く内乱で難民になったクルド人への救援
1992年ソマリア内戦(1988年勃発)人道的支援を理由にアメリカ中心の多国籍軍の過剰な軍事介入を非難
1994年ルワンダで民族大量虐殺(ジェノサイド)が発生
1995年ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争(1992年勃発)での虐殺や強制移住が起きていることを国際社会に訴えた
1995年チェチェン紛争(1994年12月)で市街地が壊滅状態の中、医療・人道支援を開始
1999年コソボ戦争(1998年内戦激化)NATO軍の軍事介入を「人道的介入」と正当化する発想を非難
2002年アンゴラ飢餓対応(政府軍と反政府軍の停戦合意後)
2003年イラク戦争
2004年アフガニスタンから撤退(1980年から24年間援助活動を行う。2009年に活動を再開する)
2009年スリランカ内線
2009年スーダン、ダルフール紛争(2003年勃発)スタッフが拉致される事件が発生
2012年シリア内線(2011年勃発)援助を開始するが2014年スタッフが拉致・拘束される事件が発生
2013年ソマリアからの撤退 内戦が勃発した1991年から22年間援助を続けてきた間に合計16人のスタッフが殺害された。2017年に援助活動を再開
2015年イエメン紛争激化
2015年アフガニスタンの外傷センターがアメリカ軍の空爆を受けて、患者とスタッフ42人が亡くなる。紛争地でのMSF関連施設への砲爆撃は75件106回
2017年ロヒンギャ難民危機
紛争地域への援助だけでなく、スマトラ沖地震、ハイチ大地震、東日本大震災などの自然災害への救援、HIVやエボラ、新型コロナウイルスなどの感染症対策、乳児、子どもへのワクチン、栄養失調の治療、妊婦への支援、難民への援助等々MSFは活動しています。
最後に下記のレポートを是非読んでみてください。「MSFとアフガニスタン」とでも言いましょうか。またMSFへの寄付も忘れずにお願い致します。
https://www.msf.or.jp/news/detail/headline/afg20210824nt.html
今日は8月最後の日。9月からは夫の仕事も始まるので、思いきって二人で「えびの高原」へ出かけました。
枝先が黄色く色づきはじめている木々、駐車場を飛び交うたくさんのトンボ、白い花があふれんばかりに咲きほこっている山法師の大木、夏の終わりは近く、秋がそこまで近づいていると感じました。そこでこの気持ちを一句詠みたかったのですが・・・できませんでした。
その訳は昨夜読んだ『俳句入門』が原因です。ど素人の私が今まで詠んだ句は独りよがりで自己満足の句ばかりでした。稲畑汀子先生のこの本を読んで、初心者がよくやってしまうことがほとんど私に当てはまっているのに気づき、恥ずかしい思いでいっぱいになりました。
季重には注意しているのですが、頭で作ってしまったり、切字の使い方を間違えたり。先生は「嬉しい」などの感情言葉は避けるように、説明するよりも感動の方を大切に、事実を述べる。十七音しかないのであるから、省略の反面、短くとぎすまされた言葉を残さなければならない。対象を深く見ること。言葉をつめ込まない。等々初心者に教えておられます。
「感動のないところに詩は生まれない」そして「感動したことを十七文字に託す」「俳句は季題を詠む詩である」という教えで、私は俳句の真の面白さがわかりかけてきました。
これからは先生の教えておられることを少しずつ実践しながら、俳句を一から始めようと思います。ガンバルにゃん!
ずっと以前から酒井司教様の句集が出るという話を聞き、まだかまだかと待っていました。そしてやっと念願かないこの句集『神の手』を手にすることができました。
酒井司教様は湧水の俳号を持つ俳人でもあり、ホトトギスの同人です。つまり俳句のプロですね。この句集を読むと、司教様の温厚なお人柄が感じられます。
私の母は素人の俳句好きで、特に正岡子規や高浜虚子、稲畑汀子女史の句を好んでいました。こうして句集に触れると、地方の小さな句会にいそいそと出かけていた母の姿を想い出します。
私も俳句には興味があり、ヘタなりに時々詠みますが、娘に言わせると文法がまちがっているそうです。正直文語の文法はわかりません。
そこでこの本⇧を使って文語の文法をきちんと勉強することにしました。『学生の時に真面目に勉強していればよかった』と、後悔しています。
YouTube: 50 aniversario de la ordenación sacerdotal de Mons. Fernando Ocáriz
オプス・デイのオカリス司教様は8月15日に司祭叙階50周年を迎えました。「おめでとうございます!」
オカリス司教様の優しい微笑みと、穏やかなお話しはいつも私の心を癒してくださいます。
庭仕事や掃除の好きな人っていますよね。その人にとっては庭や室内をきれいにすることは楽しく、せずにはいられない事のようです。
さて、私は?実は庭の手入れも室内の掃除も夫がしています。なんとアイロンがけまでも・・・。私はもっぱら料理専門です。夫曰く「君は私が外で働いている間に子育てを頑張ったから、今は休んでいいよ」と言ってくれます。
本当は夫は庭仕事や掃除が好きなのでは?そう勝手に思いながら、庭や部屋の掃除やアイロンがけの苦手な私はいつも夫の言葉に甘えています。そして夫に感謝!!!
夫婦とはお互いの足りない所を補い合い助け合って、そして感謝の気持ちを伝えることが大切なのかな・・・と、思う今日この頃です。
なぜこんなことを書くかと言うと、最近離婚のニュースが多いから。
フランシスコ教皇様は無事に手術を終えて、順調に回復され退院されました。嬉しいことです。その喜びもつかの間、ちょっと気になるニュースを耳にしました。
教皇様は伝統ミサ(トリエントミサ等)を小教区では禁止されたようです。第二ヴァチカン公会議後のミサを認めない人達への対抗処置としてこのようなお触れを出したのか?でもこれでは何の解決にもならず、かえって分裂の溝を深めるだけだと思うのですが・・・。
私はどちらのミサも有効だと思いますし、もし同時に二つのミサがたてられれば、伝統ミサの方に与ると思います。伝統ミサを禁止するなんて、とても失望しました。もしこのことが事実なら、教皇様が考えを改めてくださることを祈ります。
今日鹿大付属中学校の同窓会メールが届きました。私たちの学年の「名簿を作ります」という知らせです。
・何らかの名簿があって然るべき
・連絡を取りたい時に名簿があると便利
・どこまで情報を載せるかは個人の自由とする
・嫌な方は空欄にする
・同期の間ではフランクな関係を持ちたい
などの意見が寄せられ、作ることに決まったそうです。さすが同期生の皆様、良い判断をされています。私も名簿を作るのには賛成です。名簿には本来の目的があります。何にでも「個人情報保護法」を当てはめようとするのはおかしな話ですし、そのことに気づかないでいる人が多いのにも驚きます。
私は教会の信徒名簿を持っていません。役員の方だけが持っています。個人情報云々と言われる以前は信徒全員が名簿を持っていました。とても便利で、洗礼を受けて新しく仲間になられた方や、他の小教区から移られた方も身近に感じられました。名簿は役員だけが持てばよいというものでもありません。皆が持ってこそ役立つと思います。
加治木カトリック教会: ザンパロ神父様と若い頃の根占神父様も