2017年9月23日 (土)

トマさんのお話し

 『トマさん祈りの部屋』に「愛」について話されたことが載っていました。最後にこのように書かれていました。

『愛とは相手の善を望むこと』です。辛くても、時には意に反しても踏みとどまります。それが愛です。だから「苦しみは愛の試金石」と言われます。困難を通して愛は成長します。現代社会では、そんな愛は古臭いと考えられています。個人の気持ちを最大限に生きることが愛だと勘違いされています。結局は自分の都合が優先して、神につながる愛に成長しません。浅はかな「愛」の繰り返しです。恋愛が多いほど愛を生きていると思い込んでいるのです。■
*2017/08/24 in別府

 確かにその通りです。小説やドラマに映画、人達は簡単にくっついたり離れたり、いったい何人に愛を告白するのでしょうか。そしてそれが良いことのように真似る若者たちの現実。トマさんが言っているように「困難を通して愛は成長する」のです。勿論成長できるためには二人の努力だけではありません。主の恵みがあればこそです。「私たちは主によって生かされている」ことをいつも忘れないでいることです。

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(もとの写真:『ブログ.r』より)

2017年9月21日 (木)

聖マタイ使徒(祝)

Stmatthew_2聖マタイと天使:カラバッジョ

「マタイによる福音」とあるように、新約聖書の最初に載っている良い知らせを書いたのが使徒マタイです。

 マタイは人々から嫌われていた徴税人でした。そんな彼をイエズス様は呼びました。呼ばれたマタイはイエズス様にすぐに従いました。「この仕事が終わったら・・・」とか「ここを片付けてから・・・」とか言い訳をせずに、イエズス様から呼ばれるとすぐにすべてをおいて従ったのです。

Brugghenterhendrickthecallingofstma 聖マタイの召命:ブルッヘン

 マタイと対照的にイエズス様に従いたかったけれどそうできなかった人達もいましたね。自分の財産に執着があった人、亡くなった家族を葬ることを優先した人など。もしイエズス様があなたに声をかけられて「ついてきなさい」と言われたら、あなたならどうしますか?

 明後日23日はカテドラルザビエル教会でビアンネ助祭司祭叙階式があります。彼はイエズス様に呼ばれて「はい」と言って従った人です。司祭様たちは皆そうですね。改めて使徒職について考えさせられました。

2017年9月18日 (月)

壁紙

 今までフラ・アンジェリコの受胎告知の絵をパソコンの壁紙にしていましたが先日子どもたちの写真に変えました。

 画面を開くたびに子どもたちのアップ、綺麗な瞳(←親バカです)にいっせいに見つめられます。子どもたちから「お母さんしっかり!」と励まされているような気持ちになり、『子どもたちのためにもっと頑張らなければ』と気合が入ります。今日の敬老の日にぴったりかな。

 最近フラ・アンジェリコの絵が特に好きになり、色々な作品を本やネットで観ています。若い頃に比べて私の心も少しはきれいになり、天使のような修道士の描いた絵の良さがわかるようになったのかもしれません。coldsweats01

 壁紙にしていた絵はこちら⇩

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これらの絵も良いですね。⇩

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次に壁紙にするのはこの絵かな?⇩

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キリストの手にある紙に書かれていることばは「わたしは世の光である」

2017年9月17日 (日)

台風18号

 20170917131000気象庁


 今回の台風18号もまた近くを通ったのに、強風や大雨もなく無事に過ぎました。

 ラジオからの「強い台風が近づいています」「避難勧告が出されました」との声に、いつものようにパンとカップ麺を多めに買い、水を汲み置きし、懐中電灯とロウソクを用意して、雨戸も早めに閉めて台風が来るのを待ちましたが・・・、それらを使わずに済んだことは幸いでした。

 「台風が南九州市に上陸しました」という放送を聞いても外は変わらず静かでした。私の所はたまたま台風の雨風が弱い所にあたったのでしょう。少しの吹き返しがあっただけですみました。大分や宮崎では雨や風がとても強い所もあったようです。台風は生き物のようにスピードを上げたり落としたり立ち止まったり、右へ行ったり左へ行ったり後戻りしたり・・・、どの部分が大暴れするのか予想できないのでやっかいです。

 今回も被害にあわれた方々がおられます。物の復旧だけでなく、疲れた心の回復もお祈りいたします。

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2017年9月16日 (土)

『嵯峨野花譜』

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 注文していた葉室麟さんの新作『嵯峨野花譜』が届いたので早速読み始めました。アマゾンでのこの本の紹介文より。

舞台は文政13年(1830年)の京都。年若くして活花の名手と評判の高い少年僧・胤舜(いんしゅん)は、ある理由から父母と別れ、大覚寺で修行に励む。
「昔を忘れる花を活けてほしい」「亡くなった弟のような花を」「闇の中で花を活けよ」……次から次へと出される難題に、胤舜は、少年のまっすぐな心で挑んでいく。
歴史、能、和歌にまつわる、あるいは生まれたままの、さまざまな花の姿を追い求め、繊細な感受性を持つ少年僧が、母を想い、父と対決していくうちに成長をとげていく、美しい物語。

 舞台が大覚寺とあったので、「いけばな嵯峨御流」と関係があるような気がして嵯峨御流のいけばなの写真集(古本ですが)を買いました。まさに小説に出てくるように、自然の花がいける人の心を表している作品ばかりです。

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 葉室さんは歴史・日本画・和歌・茶道・華道など日本の歴史文化に造詣深く、私の知らない世界を教えてくれます。

 

 私はお茶席の花が特に好きです。夏は茶室の竹の花器に一枝か二枝生けてある花の姿が涼しげで。母がお茶を点てていた頃を思い出します。

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写真はブログ『一期一会』より(木槿に朝顔)

2017年9月15日 (金)

指が動かない?

 教会で新しい歌をうたう時、メロディーがうまくつかめません。そこで小さなキーボードを買って練習を始めましたが・・・。

 簡単に弾けると思っていたのに指がうまく動かない。catface 小学生の頃ピアノを習って以来なので、コードも覚えられないし悲惨です。sad

 「これから特訓するぞ~」と張り切っているのに、夫は私の熱しやすく冷めやすい性格を見抜いて、「3ヶ月でやめるだろうな」と言っています。確かにその可能性は大。せめてクリスマスには「聖夜(静けき)」をキーボードの伴奏で歌えるようになります!

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 もし私が投げ出した時には子どもたちに押しつけましょう。happy02

2017年9月14日 (木)

十字架称賛の祝日

神は御独り子を与えたもうほどこの世を愛された。それは、彼を信じる人々がみな滅びることなく永遠の命を受けるためである。神のみ子を世に送られたのは、世をさばくためではなく世をすくうためである。(ヨハネ3:16-17)

 今日は十字架称賛の祝日。

 カテドラルの二階の聖堂と一階の小聖堂にキリストのご像のついた十字架(キリスト磔刑の十字架)を一日も早く置いてほしいと願うばかりです。

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カテドラルザビエル教会

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小聖堂

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Eyhlzeen1玉里カトリック教会     鹿屋カトリック教会

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国分カトリック教会   鴨池カトリック教会

Photo_3大口カトリック教会 他のカトリック教会にはあるのにな・・・キリストのいない十字架なんて・・・プロテスタントの教会みたいdespair

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 昨日は夫が突然「牧場に行こう!」と言い出したので、昼食を早めに済ませて高千穂牧場へ。ここちよい風があり、トンボが飛び回り、もう秋の気配です。

 牧場内を一巡りしたら、後はいつも通りただひたすら夫と対話。信仰のこと、カトリックのこと、子どもたちのこと、進化論にLGBT,体外受精等々・・・。そして美味しいものを食べて心も身体もいっぱいになりました。

Dscn1976_2こちらはお腹を満たしてくれた牧場のピザとサイコロステーキhappy01

2017年9月13日 (水)

二つの教会

 今の中国の様子が書かれたブログを読んで、中国のカトリック事情を少し調べてみました。

 現在中国には中国政府公認のカトリックと政府非公認の地下カトリックがあるようです。中国政府の公認のカトリック団体の代表者らが集うのが「中国カトリック全国代表会議」。

 政府公認の「中国天主教愛国会」の信者は約550万人、非公認の「地下教会」に所属する信者はその数倍だそうです。私が読んだブログに出てくる信者さん方はどちらの教会に属されているのでしょうか。興味あるところです。

 地下教会の指導者は「中国は独自の基準で宗教問題を取り上げ、バチカンに反抗している。私は信仰を汚したくない。教会とバチカンに従いたい」と言っているそうです。

 政治が絡んでいるし、私は直接見たり聞いたりしたわけではないので何も言えませんが、二つの教会(本当は一つのはずです)があることは事実のようです。

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(写真:産経WEST 2017.1.15 より)

2017年9月 9日 (土)

にがごいの佃煮

 Sさん手作りの「にがごいの佃煮」をいただきました。こちらでは「にがごい」と呼ばれているニガウリの佃煮です。ニガウリは豆腐、豚肉と一緒に油炒めでいただくのがポピュラーですが、漬物や佃煮にしても美味しいです。

Dscn1946Sさんの手作り「にがごいの佃煮」

 いただいた佃煮はゴマや鰹節等色々と入っていて、とても美味しかったです。ご飯がすすみます。種を取り、ワタを取り細切りにするのに手間がかかりますが、料理は手間ひまかけただけ美味しくなりますね。

 こういう常備菜があるとお弁当作りの時にとても助かります。

2017年9月 8日 (金)

聖マリアの誕生

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 マリア様の誕生日。お父様は聖ヨアキム、お母様は聖アンナです。

 マリア様はご両親が年を取ってから授かったので、お二人とも毎日神様に感謝しながらマリア様を大切に育てられたと思います。神を愛し柔和で謙遜に育ったマリア様は、キリストの母となるように神から選ばれました。それは大きな喜びと共に、我が子の十字架を仰ぎ見るという苦しみも背負いました。

 マリア様は私たちのお母さんでもあります。マリア様に倣い、いつも神様に信頼して謙遜に生きたいものです。私はもっともっと謙遜をマリア様に倣わなければ。 confident

2017年9月 5日 (火)

ハンダマ

 お花教室の時に「ハンダマ」というお野菜をNさんから頂きました。別名「水前寺菜」「金時草」「春玉」と呼ばれている野菜で、奄美では「ハンダマ」というそうです。

Photo_2  レンジでチンして水気を絞り、酢味噌でいただきました。ぬめりがあり体に良さそうだと思っていたら、やはり鉄分が多く「血の薬」と言われているそうです。モロヘイヤほど青臭さがなく、とても食べやすいでした。天ぷらにしても良いとのこと、数本挿し芽をしたので来年は自家製ハンダマ天ぷらが食べられるかもしれません。楽しみです。

2017年9月 2日 (土)

9月のお花教室

 今日はお花教室でした。生けた花はユキヤナギ、リンドウ、ガーベラ、シネンシス、たましだ です。

 先生がゆきやなぎの無駄な枝を取ってくださったのですっきりとなり、涼しげな作品になりました。今の時期この暑さの中で花を長持ちさせるのは難しそうです。水はたっぷりとあげてくださいとのことでした。

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 教室のあとはいつも茶話会です。今日は神父様も加わり大島紬の話で盛り上がりました。大島出身の方が多いので、皆さん大島紬を見る目は肥えています。わたしも大島紬の着物が好きで、特に竜郷柄が大好き。蛇が苦手な私ですが竜郷柄は別。紬の着物は張りがあり裾さばきが良く、とても着やすいのが特徴です。

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Photo_2竜郷柄


 お花から着物へと話がそれてしまいました。これから秋になると花だけでなく葉の紅葉や実も楽しめます。秋にはどんな花材を扱うのかこれからも楽しみです。

2017年9月 1日 (金)

典礼~大丈夫?

Photo_2(写真:Fr.Zのブログより)

 この写真を見て思わず笑ってしまいました。典礼をいい加減にしている教会はアメリカでも多いのでしょう。以前私の教会の主任司祭だったP神父様は「私の趣味は・・・典礼かな?」と言われたくらい、いつも典礼を勉強されて、私たちにも教えてくださいました。

 例えば、ミサの中での祈りやロザリオは言葉の意味をかみしめてゆっくりと唱えること。ロザリオは時間内に終わらない時は途中まででもよいのでゆっくりと。使徒信条の時、「主は聖霊によってやどり、おとめマリアから生まれ」の所では頭を下げるなど、大切なことを色々と教えてくださいましたが、神父様が移られた後はもう皆さん教わったことは忘れています。とても残念です。

 大阪では典礼委員会が定期的にあるそうです。おそらくそこではローソクも真直ぐにシャキッとしているでしょう。

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2017年8月29日 (火)

洗礼者聖ヨハネの殉教

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 洗礼者ヨハネの誕生ではなく殉教なので、やはりこの構図の絵かな。あまり気持ちの良いものではありませんが・・・。

 自分の罪を指摘されたから、その人を恨んで復讐する、典型的逆恨みですね。でも気をつけないと私たちも同じようなことを体験するのでは。本人のために悪いことを改めてもらおうという思いで言っても、逆に恨まれてしまうことってありますよね。洗礼者ヨハネほどではありませんが。とにかく相手の忠告は素直に聞くようにしましょう。

 さて本題に入って、洗礼者聖ヨハネと呼ばれる通り彼の活動の中心は「洗礼」でした。彼は人々に回心して神に心を向けるようにと説き、回心のしるしとして洗礼を授けました。回心の必要のないキリストにも洗礼を授けましたが、このことについては「主の洗礼」の時にあらためて書きます。

17polo_veroneseキリストに洗礼を授ける洗礼者聖ヨハネ  Paolo Veronese

 多くの預言者は迫害されました。預言者がキリストのみことば=真理を語り、改心を説くときにそれを受け入れることのできない人達が必ずいます。領主ヘロデ・アンティパスと彼の兄弟の妻ヘロデヤもそうでした。ヘロデとヘロデアの結婚をヨハネにとがめられて、二人はヨハネを憎みました。結果、ヘロデアの悪知恵でヨハネの首ははねられてしまいます。

 真理を語ると殺される・・・今の時代、殺されるとまではいかないとしても、真理を語ると批判、非難されたり、嘲笑されたりする時もあるでしょう。これはいつの時代にもありますが、特に近年それは顕著です。でも恐れずに真理を語りましょう!

2017年8月28日 (月)

St.Aurelius Augustinus

夜はふけて日が近づいた。だからやみに行われる業を捨てて、光のよろいをつけよう。昼のように慎んで行動しよう。酒盛り、酔い、淫乱、好色、争い、ねたみを行わず、主イエズス・キリストを着よ。よこしまな肉の欲を満たすために心を傾けることはするな。(ローマ人への手紙:13.12~14

  ある日アウグスティヌスが庭にいた時に、隣の家から子供のような声で「取って読め」という声が聞こえました。アウグスティヌスは、これを「聖書を開いて最初に見える言葉を読め」という神の命令だと思い、急いで部屋に引き返して聖書を開きました。最初に目に触れたところが上記の「ローマ人への手紙」の箇所でした。

 アウグスティヌスはこの頃、神のみ旨を行おうとする新しい意志と悪い習慣のうちに留まろうとする古い意志との争いに葛藤して、心は揺れていました。ところが このローマ人への手紙の一節を読み終わると、迷いはたちどころに消えて、心は平安に満たされました。 

 「主イエズス・キリストを着る人になりなさい」とよく言われます。「私のような人間にはむりです」と思う人は多いです。しかし聖アウグスティヌスはあれだけ堕落した生活をしていたのに、回心するとそれからは見事にキリストを着る人となりました。私たちも聖アウグスティヌスを見習い、キリストを着るものとなれるように聖アウグスティヌスの取り次ぎによって主に祈りましょう。

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   聖アウグスティヌスの祈り

主よ、み前にあやまちを告白します。

そのために受けた傷をも。

おかした罪の重さをはかれば、

その受けるべきものは大きいものを

そのために受ける苦しみは少ない。

おかしたことは大きいのに

そのために耐えるものは軽い。

罪の痛みをおぼえながらも

罪をおかすかたくなさは変わりません。

あなたのムチに打ちひしがれても

心のゆがみは変わりません。

にがい思いに苦しみながらも

かたい心のうなじは柔らかになりません。

悲しみに息も絶えだえになりながらも

行いにおいて自分をあらためもしません。

あなたが、時を許せば、いつまでもなおらず、

きびしく当たられれば、それを耐えられません。

こらしめの時、なおそうと悔やんでも

喉もと過ぎれば熱さを忘れます。

あなたが手を出されると、

すぐにします、と約束するのに、

その刀をひかれると

その約束を果たしません。

あなたが打てば

許してくださいと叫ぶのに

許されれば、また打たれるようなことを

してしまいます。

主よ、罰に値する自分の罪を悟らせてください。

もし、許されなければ、

滅びてしまうことを知っています。

全能の父なる神よ、

無から造られて、あなたに願う

わたしたちの願を聴き入れてください。アーメン。

2017年8月24日 (木)

聖バルトロマイ使徒(祝)

 今日は聖バルトロマイ使徒(=ナタナエル)の祝日です。今日の福音朗読もバルトロマイが初めてキリストに出会う場面です。キリストはナタナエルについてこう言っています。

イエズスは、ナタナエルが自分のほうに来るのを見られ、ナタナエルについて「見よ、偽りのない純粋のイスラエル人を」といわれた。(ヨハネによる福音書 1;47

 聖バルトロマイは主にアルメニアで宣教、そこで殉教したようです。

Photo聖バルトロマイ使徒 (システィーナ礼拝堂:ミケランジェロ)

 皮膚をはがされて殉教したので、この絵では自分の皮を持っています。何ともすさまじい殉教です。聖バルトロマイ使徒のように強くて篤い信仰を万分の一でも欲しいです。

2017年8月21日 (月)

St.Pope Pius Ⅹ

今日は聖ピオ十世教皇様の記念日。

 20世紀初頭の混乱した社会を、キリストの精神に従って建て直そうと力を尽くした。近代主義を排斥し、伝統的価値を擁護するとともに、典礼の刷新、教会法典の編纂、聖職者の教育の強化に貢献した。彼は強固な意志と知性に恵まれ、その業績と徳の高さから人びとに敬われた。(Laudate: 「聖人カレンダー」より)

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 カトリック教会の伝統的価値を大切にされた教皇様、尊敬します。lovely

2017年8月17日 (木)

『パウロの信仰告白』

 次男に薦められて『パウロの信仰告白』を読み始めました。以前にも紹介した『キリストの友となるために』の著者マルティーニ枢機卿様が書かれた本です。『キリストの友…』もこの『パウロの信仰告白』も司祭の黙想指導をした時の講話です。

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 聖書学博士であり、グレゴリアン大学の総長を務められた枢機卿様はイエズス会特有?のある点でとても進歩的?な考えを持っておられリベラル派・改革派と呼ばれました。私の考えとは違いますが(私は保守派?)。しかし学者として素晴らしい方で度々司祭の黙想指導をされました。『パウロの信仰告白』は司祭だけでなく一般の人にも薦められています。

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2017年8月15日 (火)

聖母の被昇天(祭)

 8月15日は世間一般では終戦記念日とお盆ですが、私にとってはそれよりもずっと大切な聖母の被昇天の祭日です。私のブログのアドレス assumpta もここからとってあります。

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Giotto: 聖母マリアを迎えに来たキリスト。キリストの腕に抱かれているのは聖母の魂

Peter_paul_rubens Rubens: 聖母が天にあげられる場面

 今年はヴァチカンからのごミサ中継はないようです。聖母の被昇天、祭日なのに・・・ローマの猛暑のせいかな?

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 ところで、以前書いた「毒麦」のたとえ話で、「私たちの心の中には良い麦と毒麦がある」というのは教父アウグスチヌスの解釈でした。というので、勿論教父の解釈が正しく私が間違っていました。知識不足でごめんなさい。

2017年8月14日 (月)

St. Maksymilian Maria Kolbe

 自分の教会の保護聖人を知っていますか?名前は知っているけれどどんな人(どんな意味)かは知らないという人もいるでしょう。そういう方はこの機会に調べてみては?お子さんの自由研究になるかも。

 今日は私の教会の保護者聖マクシミリアノ・マリア・コルベ神父様の殉教記念日です。強制収容所アウシュビッツである人の身代わりを申し出て、餓死室で殉教されました。コルベ神父様の殉教は有名ですが、神父様が特にマリア様を信頼していたことはとても大切なことです。この生き方があったからこそあのような最期を迎えることができたのだと思います。

Photo長崎:執筆中のコルべ神父様

Photo_2ポーランド:修道院の部屋


 子供の頃白いバラと赤いバラを持った聖母が現れて「どちらが欲しい?」と聞かれ、コルベ少年は「両方欲しい」と答えた話は有名ですね。聖母を崇敬する両親に育てられたコルベ少年は白いバラ=司祭職と赤いバラ=殉教どちらも得ました。いつも聖母の取り次ぎを祈り『無原罪の聖母の騎士』という雑誌を執筆出版して布教しました。日本に来てからもすぐに日本語で『無原罪の聖母の騎士』を出版しました。

Photo_3昔の『無原罪の聖母の騎士』と最新号