2017年1月20日 (金)

気づかされたこと

 平日ミサに与るようになって、何となく傲慢になっているような自分に気づかせてくれたのがトマさんのこの文です。

ミサに「行く」ことが大切なのではなく、ミサを通してイエスと人格的な交わりに至ることが大切なのです。これが信仰の根本であり中心です。この交わりはミサの時だけではありません。むしろ、その後が肝心です。イエスと一つになって生活をし、イエスと同じ心で仕事をすることです。ミサにおけるイエスとの交わりを一日中続けることを、「ミサを生きる」と言います。ミサに行くことが大切なのではなく、ミサを生きることが大切なのですね。(「トマさん祈りの部屋」より)

 日曜日以外も平日のミサに行く人のすべてが良い信者、信仰の篤い信者とは限らず、ミサを生きている人こそが信仰篤い良い信者なのですね。病気で臥せっていて教会に行くことが出来ずに司祭に来てもらい聖体拝領をしている人達がおられます。かえって病者の中にこそミサを生きている信仰篤い人がおられます。

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イシドロ・ソルサノやアレクシア・ゴンサレスのようにミサを生きる人にならなければ・・・heart

2017年1月18日 (水)

ミサ曲

 宗教音楽といえば今まではグレゴリオ聖歌ばかり聴いていたのですが、近頃はバッハやモーツアルト、ベートーベンなどの宗教音楽を聴いています。

 ミサ曲の場合はラテン語、イタリア語、ドイツ語・・・どの言葉でも歌詞の内容(意味)は同じ(キリエ、グロリア、クレド・・・)なのでよくわかり聴きやすいのです。

 今回手に入れたCDは教皇ヨハネパウロ二世が1985年にヴァチカンの聖ペトロ大聖堂であげた荘厳ミサの実況版です。『モーツアルトの戴冠式ミサ曲』指揮はカラヤン、ウイーンフィルの演奏です。私の好きなキャスリーン・バトルも歌っています。


YouTube: Mozart - Coronation Mass - Karajan 1985

 キャスリーン・バトルの歌声の素晴らしいこと!


YouTube: Misa de la Coronación W. A. Mozart (KV 317)

 * カラヤンはオーストリア人でした。私の勘違いでドイツ人と書きましたが、(ナチ党員だったり?)ベルリンフィルで活躍していたのでドイツ人と思いこんでいました。訂正します。

2017年1月15日 (日)

落羽松

 ある冬の一日藺牟田池に出かけました。この池に来ると必ず立ち止まり眺めるのが「落羽松(ラクウショウ)」です。一般には「ヌマスギ」と呼ばれています。この木の根(膝根)は呼吸をするために地上に出ています。水が少ない時にはもっと根が見えるのですが、今回は水に隠れてしまっていて見える根は少ないでした。それでも神秘的な眺めです。

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Dscn1383落羽松と膝根

 大きな椿の木が一本だけ花を咲かせていました。赤、ピンク、絞りと色とりどりの花をつけた木はそこだけが暖かそうでした。

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 たまに自然の中に出かけて冷たい空気を吸い、緑や水や水鳥を眺めて熱くなった頭をクールダウン。せっかく冷ました頭ですが、帰りに温泉に入って温めました。これで頭はより休めたかもしれません。久しぶりに船津温泉でサウナに入りました。冬の温泉はホコホコになりプチ贅沢した気分です。

2017年1月12日 (木)

生命の価値

 今日は菊地司教様の「年頭司牧書簡2017」で相模原市津久井やまゆり園での事件に触れて書かれた一文です。

わたしたちキリスト教の信仰に生きる者にとって、生命の価値を量る権利は、神にしかありません。わたしたち人間にではなく、その人間に生命を与えられた神、生命の創造主である神にしかありません。

どの生命が生存して良いのか、どの生命が生存する価値があるのか。そんなことを判断する権利を神はわたしたちに与えておられません。

 菊地司教様も書いておられますが「犯行に及んだ青年の考え方とまたそれを支持する人もわずかですがいるということの衝撃」は言葉になりません。この人達の闇の部分はどのようにして彼らの心に育ったのでしょうか?

 人間の驕り、神の被造物でしかない人間が神の代わりになろうとする時、このような闇が生まれるのかもしれません。人間は神の前でもっと謙遜になるべきでしょう。そしてそのことを小さい頃から教え育てなければ・・・心の教育の大切さを改めて考えています。

Photo創世記

 菊地司教様も郡山司教様も相対主義への警告、そして神様の前で私たち人間はもっと謙遜になりなさいと言っておられます。

2017年1月10日 (火)

司教の年頭教書

 元旦の「神の母聖マリアの祝日」に郡山司教様のごミサに与りました。その時に司教様は話したいことは年頭教書に書いたので・・・ということで、説教は主任司祭でした。

 改めて年頭教書を読みました。私たち信徒のために書かれた良い教えです。すべての信徒の皆さんが読んでいることを願います。年頭教書の題は「ともに暮らす家を大切にしましょう」。教書の中で三つのキーワードが心に残りました。以下司教様の教書より。

 一つは「貧しい者の教会」です。これは豊かな人を排除する意味ではなく、神様の前では、誰もが小さく罪深い者で、神なしに生きられない存在であると素直に認める心で生きている人々の集まりだということ。

 そして、そんな私たちがいつの間にか世俗化、物質主義、消費主義、相対主義にあきらめに似た静観主義に陥ってしまっている状態はまさに「イデオロギー植民地主義」。

 知らず知らずのうちに、福音の価値観を置き去りにするほど「束の間文化」に絡めとられ、教会の内にも外にも広がる「束の間文化」が信仰に対する無関心を生んでいる。

 福音の価値観を生きるために、まず家庭の中からラウダート・シ(教皇の回勅:ともに暮らす家を大切に)の精神を生きることから始めて欲しい。

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 郡山司教様は教皇の回勅『ラウダート・シ』を読むことを強く薦めておられます。私ももう一度じっくりと読んでみようと思います。(回勅はもっと安価にして誰でも手に取れるようにしてほしいです)

 今年も郡山司教様が私たち信徒を確かなキリストの救いの道へと導いてくださいますように。

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2017年1月 9日 (月)

主の洗礼

 マタイによる福音書

 さて、イエズスは洗礼を受けるために、ガリラヤからヨルダン川のヨハネのところにおいでになった。しかし、ヨハネはそれを思いとどまらせようとして、「わたくしこそあなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたがわたくしのところにおいでになったのですか」と言った。しかし、イエズスはこれに答えて、「今は、止めないでください。このように、なすべきことをすべて果たすのは、わたしたちにとって正しいことです」と仰せになった。そこで、ヨハネは譲ってお言葉どおりにした。イエズスは洗礼を受けるとすぐ、水からお上がりになった。すると、みるみる天が開けて、神の霊が鳩のように自分の上に下って来るのをごらんになった。そのとき、天から、「これはわが愛する子、わが心にかなう者である」という声がした。(マタイ3;13~17)

 マルコによる福音書

そのころ、イエズスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼をお受けになった。イエズスは水の中からあがると、天が開け、「霊」が鳩のように自分の上に降って来るのをごらんになった。そして、天に声がした。「あなたはわが愛する子、わが心にかなう者である」。(マルコ1;9~11)

 ルカによる福音者

民が皆洗礼を受けていたころ、イエズスも洗礼をお受けになった。そして、祈っておられると、天が開け、聖霊が、目に見える鳩のような姿で、イエズスの上に降り、天からは、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」という声がした。(ルカ2;19~20)

 ヨハネによる福音書

その翌日、ヨハネはイエズスが自分の方に来られるのを見て、こう言った。「見るがよい。世の罪を除く神の子羊だ。『わたしの後から一人の人が来られる。その方は、わたしよりも偉大である。わたしより先に存在しておられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。わたしもこの方を知らなかった。しかし、この方がイスラエルに知られるようになるために、わたしは、水で洗礼を授けに来たのである」。そして、ヨハネはこう証言した。「私は、『霊』が鳩のように天から降り、この方の上に留まるのを見た。わたしもこの方を知らなかった。しかし、水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、こう言われた。『霊がある人の上に降って留まるのを、お前は見る。その人こそ聖霊によって洗礼を授ける者である』と。わたしはそれを見た。それでわたしは、この方こそ神の子であると証しているのである」。(ヨハネ1;29~34)

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 イエズスの洗礼の場面は四福音書すべてに書かれています。それがどれだけ印象深い出来事であったのかがわかります。「イエズスの上に聖霊が鳩のように降って留まった」と、四福音記者は記しています。神は聖父・聖子・聖霊の三位一体であるとわかります。

 私たちも聖霊による洗礼によって新しく生まれ、主につながります。ですから誕生日よりも洗礼(霊名)記念日を大切にして祝います。

2017年1月 6日 (金)

主の公現

Cimg6482 我が家の可愛い小さな馬小屋にも博士たちが来ました。

 今日は主の公現(日本では8日日曜日)です。3人の博士たちも幼子キリストを拝みにはるばるとベツレヘムの馬小屋までやって来ました。

 つい食べ物の話になってしまいますが、主の公現の日に食べるお菓子でフランスの「ガレット・デ・ロワ」は有名です。この日を祝うお菓子は他の国にも勿論あります。スペインの「ロスコン・デ・レジェス」、ポルトガルの「ボーロ・レイ」、ギリシャの「ヴァシロピタ」、アメリカの「キング・ケーキ」。何れも三人の博士が王であるキリストを拝みに来た事にちなんだお菓子です。

 ギリシャでは特に切り方に特徴があり、最初の一切れは聖父に、次は聖子イエズス様に、次はマリア様に、そして貧しい人のためにと切り、次に年長の人の分から順に切るそうです。各家庭で若干の違いはあるそうですが、最初の一切れを神様のために切るのはどの家庭も同じとか。

 この切り方はクリスマスケーキにも使えますね。最初は聖父と聖子イエズス様のために、次はマリア様、ヨセフ様、羊飼い、クリスマスを祝えない人のために、最後に自分たちのために。とても意味のあることだと思います。

 我が家のロスコン・デ・レジェスです。

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 膨らみ過ぎて輪の形になりませんでした。happy02 でも味はgoo~d!クリームをはさまなくても美味しい、ほんのり甘~いパンです。

2017年1月 1日 (日)

新年おめでとうございます

 

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 新年と神の母聖マリアの祝日おめでとうございます。 2017年元旦は皆様はどのように過ごされていますか?

 「一年の計は元旦にあり」と諺にもあるように、一年の目標を決めて、最初の日の過ごし方を大切にしなければ。

Dscn13022017年1月1日 カテドラル・ザビエル教会

 ということで、今朝はカテドラルへ。イエズス様に新年のご挨拶heart01 娘もカテドラルに来ていて一緒にごミサに与りました。

 「文句を言わず、怒らずに笑顔で主に感謝して毎日を過ごす」これが今年一年私が心がけること。言葉で言うと簡単なようですが行うは難しです。特に私の性格からするとつい・・・言ってしまいそう。

 皆さんは何か目標をたてましたか?実践できますように!happy01

Photo今年は酉年ですぴー。どうして猫年はないのかにゃん!

2016年12月31日 (土)

Te Deum

 大晦日。今年一年の恵みに感謝して、世界の多くの教会では晩課とTe Deumの祈リがあります。

5_2The Vespers and the Te Deum(2015.12.31) 昨年のヴァチカンでの晩課とテ・デウム

   Te Deum

すべてのものの主、神よ、
あなたを たたえて歌う。
永遠の父よ、
世界は あなたを あがめとうとぶ。

神の使い、力あるもの、
ケルビムもセラフィムも 
絶えることなく 
高らかに賛美の声をあげる。

聖なる主、聖なる主、
すべてを治める神、
あなたの栄光は 
天地をおおう。

ともに 声を合わせ、
あなたを ほめ歌う。
救いを告げた預言者の群れ、
けだかい使徒と殉教者。

世界に広がる教会も 
あなたを たたえる。
偉大な父、まことのひとり子、
あかしの力・聖霊を。

栄光に輝く王、
勝利のキリストよ、
とこしえに あなたは 
父のひとり子。

すべての人の救いのために、
おとめから生まれ、
死にうち勝ち、
信じる者に神の国を開かれた。

父の右に座し、
すべてを さばくために、
栄光のうちに 
ふたたび来られる。

とうとい血に あがなわれた 
わたしたちを ささえてください。
諸聖人とともに 
とわのいのちを喜ぶことができるように。


[神よ、あなたの民を救い、
 従う者を祝福し、
 いつまでも
 高め、導いてください。

 日ごとに感謝をささげ、
 世々に あなたの名を ほめたたえる。
 わたしたちを きょうも、
 罪から お守りください。

 神よ、豊かな あわれみを わたしたちに。
 あなたに寄り頼む わたしたちに。
 あなたにかけた わたしの希望は 
 とこしえに ゆるがない。]

 ところでこの「テ・デウム」の祈りは今の『カトリックの祈り』の本には載っていません。昔の『公教会祈祷文』にはあります。どうして省いたのか???

 来年は教会を離れている多くの人達が秘跡の恵みに気づき、回心して教会に戻ってきますように。

 また教皇様のために祈りましょう。2017年も教会の教え=主(神)の教えが守られますように。

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2016年12月30日 (金)

聖家族

 毎年12月30日は「聖家族の祝日」です。せめて家庭内では和解といつくしみの愛を持って平和でありたいものです。お互いに許し合い、理解しようと努め、そして何よりも相手のために祈ること。

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 私たちは「主の祈り」を毎日唱えています。「・・・み心が天に行われるとおり地にも行われますように・・・」とは、まず主のみ心を私たちが家庭で行わなければならないということではないでしょうか。「主の祈り」を無意識に唱えるのではなく、その意味を深く考え、実行する決意を持たなければそれは口先だけの祈りとなります。

 31日一年最後の日は「Te Deum」(感謝の祈り)をします。しないのは日本だけ?勿論ヴァチカンでも夕方5時(日本時間1日午前1時)から「Celebration of the Vespers and the Te Deum」があります。


YouTube: Te Deum Laudamus - Catholic Gregorian Chant Hymns

2016年12月28日 (水)

忘れてはいけない祝日

 今日28日は「幼子殉教者」の祝日です。マタイによる福音書では2章16節から18節に記されています。

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 「ヘロデはベツレヘムとその地方全体にいる二歳以下の男の子を、ことごとく殺させた」とあるようにそれは残酷な悲しい出来事でした。しかしこの幼子たちがキリストのために命を落とした最初の殉教者であることはとても意味のあることです。ですから私たち教会は幾世紀もの間この出来事を忘れずにいます。

  と、書きましたが、日本ではあまり知られていませんね。みんなお正月の準備で頭がいっぱいなのか。せめてカトリックの信者くらいはこのことに心にとめましょう。クリスマスの後の降誕節には聖ステファノの殉教、聖ヨハネ使徒祝日、この幼子殉教そして聖家族と大切な日が続きます。

2016年12月25日 (日)

深夜ミサと Urbi et Orbi blessing

 ヴァチカンからのクリスマス深夜ミサの模様をビデオで見ました。毎年のことですがヴァチカンのイエズス様の愛らしいこと。明るくて可愛くて希望の光を感じます。

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 クレド(信仰宣言)の時に「・・・聖霊によりておんからだを受け処女マリアより、人となりたまえり。・・・」の所では教皇様はいつもは深く頭を垂れておられますが今日は跪いて祈られました。枢機卿様方も跪いておられます。昔と同じようにマリア様への崇敬の気持ちがかたちとなって現れていてとても美しいでした。

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5 普通のごミサの時にも『信仰宣言』の「主は聖霊によって宿り、おとめマリアから生まれ」(ニケア信条:聖霊によって、おとめマリアよりからだを受け、人となられました。)のところでは頭を下げましょうと、以前確かパコ神父様教えてくださったのに、いつの間にか皆さん忘れてしまったようです。

 今夜は教皇様の祝福「ウルビ・エト・オルビ」の生中継(19:55頃から)。「ウルビ・エト・オルビ」は年に2回、ご復活祭と降誕祭にある祝福です。今はパソコンを通してライブでも受けられます。一昔前ならローマまで行かなければなりませんでしたが、今は遠く東の国のそのまた果ての田舎の家の中ででも祝福をいただけます。しあわせ~~~heart04そう、形はどうあれ祝福を受ける側の心が大切なのです。

クリスマスおめでとう!

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 娘とスペインから帰省した二男が加わり久しぶりに賑やかになりました。長男は今年もイタリアで教会の手伝いです。たとえ一緒に顔を合わせてクリスマスを祝えなくても、お互いによくわかり合っていますし、主の祝福があるので離れていても幸せです。

 私たちはプレゼント交換はしませんが、イエズス様へのプレゼントに今年もオプワテクをしました。私たちがお互いにゆるし合い、相手をいつくしんで幸せを祈ることはイエズス様への何よりの誕生日プレゼントでしょう。

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2016年12月23日 (金)

クリスマスを迎える準備(2)

 今度は我が家のクリスマスの準備です。ナティヴィティを飾り、アドヴェントローソクをかざり、クリスマスツリーに、玄関のドアにはリースを。毎年わくわくしますね。

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 そして大切なのがオプワテクの準備です。オプワテクも色々な種類があり、白以外にピンクやブルー、グリーンそしてご聖体と区別するために四角形だけだったのが近頃はご聖体と同じ丸い形もあります。私は四角形だけの方が良いと思うのですが。

 オプワテクが手に入らない時には普通のパンでいいのです。食パンを四等分に切ったり、フランスパンを薄く切っても良いでしょう。要はお互いの心が大切なので。

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 皆さんにもお勧めします。クリスマスにはheartOplatek(オプワテク)

2016年12月21日 (水)

この時期だけのスペシャル

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 この時期だけ味わえるスペシャル珈琲が「ジングル・ベル・ジャヴァ」です。「ミスティック・モンク・コーヒー」が毎年クリスマスの時期(11月と12月)にだけ販売するコーヒー。

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 どうスペシャルなのかと言うとほんのりとバーボンの香りがするのです。フレーバーコーヒーはほとんどが甘ったるい香りの強い物が多いのですが、これは甘ったるい香りよりもちょっぴり大人の香りです。豆もアラビカ種を使っているので(モンクコーヒーの豆はすべてアラビカ種)とにかく美味しいのです。毎年この時期を楽しみにして注文する人が多いのもうなずけます。

 ミスティックモンクコーヒー 皆さんも是非お試しください。

2016年12月20日 (火)

讃美歌

 柏木博子さんのCDを聴いています。メゾソプラノの声なのでとても聴きやすくて・・・うっとりします。本当に良いお声です。どの曲も馴染みのあるクリスマスの曲なので特に心に響きます。

 プロテスタントには良いクリスマスの曲が沢山あります。しかも馴染みのある曲ばかり。一方カトリックの典礼聖歌には・・・weep。以前クリスマスの深夜ミサで、今まで歌ったことのない知らない典礼聖歌を歌うことになりテンションがぐっと下がったのを思い出しました。誰がどうしてあんな曲を選んだのかわかりません。

 クリスマスの時こそ誰もが知っている聖歌をカトリック聖歌集(プロテスタントの曲も入っています)の中からミサ閉祭後にたくさん歌うようにしたらもっとクリスマスの喜びを分かち合えるのにと思います。また入祭と閉祭の歌は初めて教会に来られた方も一緒に歌えるようなクリスマスの曲を選んだ方がよいですね。

 話は戻りますが、柏木博子さんのCDをクリスマスのごミサが始まる前に聖堂に流したらよいと思います。クリスマスの雰囲気を徐々に盛り上げてくれることでしょう。そして何よりおしゃべりの騒々しさが無くなり、静かな祈りへ導く雰囲気を作ってくれそうです。

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2016年12月18日 (日)

エサイのねより

 今日CDをいただきました。歌っておられるのは柏木博子さんといって私のお花の先生のご親戚の方です。

 少し調べたところドイツではとても有名な方でミュンヘン国立劇場をはじめドイツ国内の数々の歌劇場で客演されておられます。道理でその声は豊かで温かみがあり、心癒されます。素晴らしいです。CDの題は「クリスマスによせて」、讃美歌が中心でドイツのクリスマス・ソングも入っています。その中に「エサイのねより」の曲があります。勿論ドイツ語で歌われています。

 プロテスタントでは待降節の曲としてとても有名です。実は私の母は「友の会」に入っていたので、我が家にもプロテスタントの讃美歌の本があるのです。讃美歌96番は日本語でも歌われています。

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エッサイの切り株から、一つの芽が萌え出で、その根から、一つの若枝が出て実を結ぶ。

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讃美歌96番

 今年のクリスマスはこのCDを聞いて、豊かな気持ちで過ごせそうです。

2016年12月17日 (土)

生け花教室

 今年最後の生け花教室でした。今年の4月から始めてはや8回目。始めは何もわからずに剣山の向きから教わり、生け花の基本を少しずつ習い、新しい花との出会いもありました。とにかくここまで続けられたのは生け花の良さを教えてくださった先生と、楽しく続けられる雰囲気を作ってくださる生徒の皆さんのおかげです。先生と生徒の皆さんに感謝!

 さて、今日はクリスマスのためのアレンジメントでした。花形はホリゾンスタイルといってよく結婚披露宴の雛壇に飾ってある形だそうです。花材は黄金ヒバ、バラ(赤)、白デンファーレ、スプレーカーネーション(ピンク)、ヒペリカム(赤い実)、ブプレリューム、ヒムロ杉です。

 初めてのアレンジメントでこんなに豪華な作品ができるなんて嬉しいです。さっそく部屋に飾らなければ・・・と、心は逸るのですが何しろ狭い家なのでこの作品を置く場所をがなかなか見つかりません。

Cimg6497 帰省する子どもたちのために二階の部屋に飾りましょう。

 来年はもっともっと花に親しみ、回数を追うごとに生け方にも慣れて、そして様々な形、大きさの花器にも挑戦して見たいと思います。

 早速今年の暮にはお花を生けて新しい年を迎えたいと思います。習ったことは生かさなければね。wink

2016年12月14日 (水)

重なる時は重なる

 今月初め、夫の車が通勤途中で突然動かなくなり、車を押して安全なところへ移動させてから修理の人に連絡するという事がありました。帰宅すると今度はお風呂のタイマーが壊れて動かず。どちらも部品を注文しなければならないので直るまで時間がかかります。

 良いことも悪いことも重なる時には重なります。でも気持ちよく受け入れましょう。思い煩ったところで何も変わりませんから。かえって息子が帰省する前に起こってよかったです。これが空港へ迎えに行く途中の山道だったら大変だったでしょうし、お風呂を楽しみにしている息子もせっかく帰ってきたのにお風呂に入れなければかわいそうでした。

 「すべてはそれにかなった時がある」とはコヘレトの言葉通ですが、どんな時でもどんな事でも受け入れましょう。

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 そしてまた、相次ぐ司教様の訃報。糸永司教様に続いてオプス・デイ属人区長ハビエル・エチェバリーア司教様が亡くなられました。

 エチェバリーア司教様は12月の属人区長の手紙の中で「・・・複雑で感情を煽る現代社会においては、気づかないうちに周りの慌ただしさに巻き込まれて慌てふためき、傍らにおられる主を見つめることをせずに過ごす危険があります。全てをお与えになるイエスが、多くのことを私たちに求められるのは至極当たり前のことです。このことを理解しないと、神の無限の愛を知ったり、その愛に深く入り込んだりすることができなくなります。」と書いておられます。

 また「お告げの祈りを丁寧に愛をこめて唱えること、・・・・・特に、信心生活の細かな点に気を付けて改善を図りましょう。・・・・・三位一体に受け入れられ十字架によって救われたことを自覚しつつ、ゆっくりと十字架を切ること、食卓での祝別や感謝を自然体でしかし信心を込めて実行すること、篤い信仰の具体的な表明として「永遠の馬小屋・ご聖櫃」の前で丁寧な挨拶をすること、喜んで施しをすること、12月上旬には無原罪の聖マリアの祭日を準備しながら、ご像やご絵の聖母に愛情を込めて挨拶すること・・・・・」と、待降節の間の行いについて具体的に私たちに教えてくださっています。

 オプス・デイのホームページで今までの司教様の手紙をゆっくり読み返してみます。エチェバリーア司教様は天に召されても教えは残ります。

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(オプス・デイのホームページより)

2016年12月12日 (月)

映画から学ぶ

 若い頃は洋画が大好きでよく一人で3本だてを見に行きました。結婚してからは全く見に行く時間もなく過ぎましたが、子育てが終わり最近では時間がたっぷりあります。

 しかし昔と比べて映画代は高く、入れ替えがあり1本を1回しか見られません。そして新作ばかりです。そこでもっぱらレンタルDVDかパソコンで無料シネマを楽しんでいます。

 映画で知った雑学は数知れず。歴史、人物についてはもちろんのこと飲み物や食べ物、国の風俗や習慣、宗教様々なことをパソコンのない時代、映画は教えてくれました。

 最近見た2本の映画はどちらもワインに関するものです。私はワインについての知識は全くありません。ただ自分の好きな安いワインをお祝いの日に少し飲むだけ。でもこれらの映画を見て、すこしワインに興味を持ちました。

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 パソコンのアマゾンで見たのは『天使のわけまえ』と『サイドウェイズ』という映画です。『天使のわけまえ』の方は良い作品でしたが『サイドウェイズ』の方は私にはちょっと・・・。もう一作ワインに関する映画で是非見てみたいのが『ボトル・ドリーム』です。

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 絵画や彫刻と同じで前もって少しの知識があればもっと楽しめるのがワインではないでしょうか。勿論年代物や有名銘柄のようなお高~いものは飲めませんが。happy02