王であるキリスト(祭)~権威主義について
今日は教会カレンダー最後の日曜日、「王であるキリスト」の祭日です。いよいよ次の日曜日から待降節が始まります。
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権威主義は一般には独裁主義や専制主義を連想させ、「権威」は人を服従させ強制させる力=悪ととらえられているようです。しかしフランシスコ教皇様はこの「権威」についてこう話しておられます。
「他人が正しく、かくあるべきことを実践できるよう助けるために、よい模範を示すことから権威ある者は生まれる。権威は一つの助けであるのに対し、その使い方を誤ると、圧迫的になり、人の成長を妨げ、不信と敵意の空気や、腐敗を生んでしまう」と。(2017.11.5 教皇による祈りの集い)
つまり権威を誤って使った結果が独裁や専制です。権威自体は決して悪いことではないはずです。権威を悪く使おうと思っている人は権威を悪ととらえるし、権威を良いことに使おうと思っている人は権威は良いことととらえます。キリストの権威は良いものでしょう。教皇ヨハネ23世を見てください。私たちに良い模範を示された権威ある方です。
権威を持っている人はそれを正しく使い、まわりの人達はそれを正しく理解して協力することが必要だと思います。権威を表すミトラや杖、祭服などを権威の象徴として毛嫌いするのも的外れなことです。
教皇ヨハネ23世