2018年10月 3日 (水)

大天使聖ミカエルへの祈り

 

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 フランシスコ教皇様は10月のロザリオの月にあたり、ロザリオの聖母への祈りに加えて大天使聖ミカエルへの祈りも願われました。

 「大天使聖ミカエルへの祈り」はヴァチカン公会議まではよく祈られていました(日本では『大天使聖ミカエルに向う祈り』の方)。教皇様が祈るようにと言われても今日本では「大天使聖ミカエルへの祈り」を知らない人が多いでしょう。

大天使聖ミカエルへの祈り

大天使聖ミカエル、戦いにおいてわれらを護り、悪魔の凶悪なる謀計(はかりごと)に勝たしめ給え。天主のかれに命を下し給わんことを伏して願い奉る。あゝ天軍の総帥、霊魂をそこなわんとてこの世をはいかいするサタンおよびその他の悪魔を、天主の御力によりて地獄に閉込め給え。アーメン。

至聖なるイエズスの聖心、われらをあわれみたまえ(この部分を3回繰り返す)

大天使聖ミカエルに向う祈り(日本でよく祈られていた)

天軍の栄えある総帥、大天使聖ミカエルよ、かつて悪魔の大軍が全能なる天主に反きし時、御身は『たれか天主にしくものあらん』と叫び、あまたの天使を率いてかれらを地獄の淵に追い落とし給えり。故に公教会は御身をその保護者となし、特に日本公教会は、御身をその守護者と崇め奉る。願わくは霊戦に当りてわれらを助け、悪魔を退け給え。われらをして御身にならいて、常に天主に忠実ならしめ、その御旨を尊み、その御戒めを守るを得しめ給え。かくてわれら相共に天国において、天主の御栄えを仰ぐに至らんことを。御身の御取次によりて天主に願い奉る。アーメン

 ヴァチカン公会議後「大天使聖ミカエルへの祈り」が軽視されたのと同じように「告白の祈り」からも大天使聖ミカエルは消えました。「全能の天主、終生童貞なるマリア、大天使聖ミカエル、・・・」と始まる祈りだったのに、今は「全能の神と、兄弟の皆さんに・・・」です。また私が子どもの頃はこの告白の祈りの時に「これわがあやまちなり、わがあやまちなり、わがいと大いなるあやまちなり。」と、自分の胸を打ちながら祈ったのをよく覚えています。

 新しい回心の祈りとなってから大天使聖ミカエルだけでなく洗者聖ヨハネ、使徒聖ペトロ、聖パウロ、諸聖人が消え、胸を打つところもなくなりました(日本だけ?)。どんどん祈りが簡単に短くなるのはまるで「長い祈りは大変だから簡単に短くした方が楽でしょう」という悪魔のささやきのようにも聞こえます。またロザリオの祈りも速い!「何をそんなに急いでいるの?」と言いたくなります。祈りの言葉の意味をよく黙想しながら祈りたい。もっとゆっくりと祈りましょうよ。

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2018年10月 2日 (火)

ツイートbot

 最近息子がツイートbotを始めました。トマス・ア・ケンピス『キリストにならう』を自分で日本語訳しながらのツイートbot。なかなか良いです。その中から印象に残ったものを。

・長生きを望むばかりで、よく生きることに心を用いないのもまた空しい。

・自分をよく知る人は自分を低く評価し、人からの賞賛も喜ばない。

・現世のみについて気を使い、来世の事柄に備えないのもまた空しい。

・あなたよりも博識で法律に通じている人が多くいるのに、どうしてあなたは人よりも優れた人だと思おうとするのか。

・自分自身を何ものでもないと思い、常に他人について高く評価することは、大きな知恵であり完全さである。

 ITやAIはどんどん進化するばかり。私はとてもついて行けません。ツイート+bot???  botとはロボットのことだそうです。ITやAIは正しく利用すれば素晴らしいです。ただそれを悪用するととんでもないことになります。

 だから科学の世界にこそ哲学が必要なのです。どんな機械でもそれを動かすのは人間。その人間がどういう考えを持っているのか、どういう考え方をしているのかが大切です。

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(哲学中~人間について考えています。)

2018年10月 1日 (月)

ロザリオの月

 

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 いよいよロザリオの月になりました。今月は小さき聖テレジアの記念日に始まり、守護の天使、アッシジの聖フランチェスコ、そして中野神父様の司教叙階式、聖ヨハネ23世教皇、大聖テレジア、聖マルガリタ・M・アラコク、聖ルカ福音記者、御受難会の創立者十字架の聖パウロ、聖ヨハネ・パウロ2世教皇と喜びの日が続きます。いつもより多め?にロザリオを祈ることにしましょう。

 ところで、私たちが聖母像に向かってロザリオを唱えていると、いまだに「偶像崇拝だ」と言う人がいるようです。もう少し(もっと)カトリックについて学べばそれは偶像崇拝でないことがよくわかるでしょう。勉強不足ですね。

 5月の聖母の月と、今月のロザリオの月はマリア様に関する月なので、なんとなく優しく柔和な気持ちになります(気持ちだけで・・・口は相変わらずcatface)。ところで他の月も特別な呼び名があるのをご存知ですか?

 3月は「聖ヨセフの月」、6月は「聖心の月」、11月は「死者の月」ですね。店頭にはもうハロウィン商品が並び始めましたが、あなたがカトリックならハロウィンで騒ぐのではなく11月1日に諸聖人、2日にはすべての死者のために祈りましょう。私はハロウィンでの大人のバカ騒ぎが嫌いです 。ばか騒ぎをする大人が嫌いなのではなく、大人のばか騒ぎが嫌いなので、誤解のないように。think

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今日の福音から~ヨブ記1章21節

「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主が与え、主がお取りになった。主の名は祝されますように」。

2018年9月30日 (日)

台風一過

 昨日の怒りも台風と共に過ぎ去りました。聖母に倣うには努力が必要です。今度NHK受信料徴収の人が来たら忍耐忍耐で沈黙して、相手があきらめるまでじっと待つことにします。 


YouTube: Il Volo & Massimo Ranieri - Quando L' Amore Diventa Poesia

 実は私の怒りが収まったのは上記の曲を見つけたことにもよるのです(単純 coldsweats01)。私の好きなマッシモ・ラニエリが「Quando L'amore diventa poesia」をIl Volo と一緒に歌っている動画。ラニエリは年をとりましたが歌の上手さは変わりません。大好きな曲を久しぶりに聞きました。 

2018年9月29日 (土)

怒る

 

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 久しぶりに怒ってしまいました。それはNHK受信料! 

 NHKから委託を受けた会社の社員が来ていきなり「こちらに引っ越されたのは最近ですか?」と、トンチンカンな質問をする。「ずっとここに住んでいますよ」と答えると「いえ、引っ越してきていることになっている」「いつ引っ越してきたのですか?」と。ここで少しむっときてしまう。

 そしてその人は「受信料を払っていないので云々・・・」。私が「我が家にはテレビもワンセグのついたものもありません」と答えると、ずっと前に来た人(年配の方)は「わかりました。また利用するようになった時にはお知らせください」と言って帰ったのですが、今回の人(若者)は違いました。我が家にはTVもワンセグのついた機器も無いと言っているのに(事実ありません)、「説明を云々・・・」。私は「テレビもワンセグも無いから払いません」と言ってもしつこい、しつこい、しつこい。まるで私がウソを言っているような感じです。

 ついに私の怒りが爆発して「NHKさんしつこいですよ!!」と言ってドアを閉めました。お昼の12時半、昼食時に来て、相手の話すことをきちんと聞かず、マニュアル通りに一方的に話そうとするNHK受信料徴収員。

 少し前にも別な人?が来てその時には息子が、その前は夫が対応したようですがやはりしつこかったと言っていました。夫と息子は私のようには怒らなかったようですが(人間ができている!)。

 でも一番悪いのはNHKなのです。見ている人から受信料を取りたければ受信料を払う人だけが見られるようにスクランブルをかけたらよいのです。テレビを見てもNHKは見ていないという人もいるのですから。

 我が家にも以前はテレビがありきちんと受信料は払っていました。衛星放送を見ていた時にはその料金も払っていました。しかし今は全く見ていないし見る機器も持っていないのに毎回上記のようなやり取りでイライラするのはおかしいです。私が持っていないことを証明するのは無理です。だから私がテレビやワンセグでNHKを見ているとNHKさんが証明を試みたらどうですか?そうしたら無いことが証明できるでしょう。

 大都市ではその筋の人ではと思われる人が徴収に来て、怖くて断れないと言う話を聞いたことがあります。NHKの印象を悪くしている一因ですね。

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私怒っています!

大天使聖ミカエル・聖ガブリエル・聖ラファエル(祝)

 

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  今日は三大天使の祝日。カテドラルで天使ミサ(Missa De Angelis)がある・・・はずはなく、多分イタリアの教会では天使ミサがたてられ、グレゴリオ聖歌が聖堂いっぱいに流れていることと思います。

 「ハイドン協会合唱団」のコンサートで「神の聖ヨハネ・ミサ曲」を聴いてから、やたら宗教音楽が気になり、特にミサ曲にはまってしまいました。ハイドンの聖チェチーリアのミサ曲も良いですが今日は天使ミサ曲(作曲者不詳)の中から『栄光の賛歌・Gloria』を聴きたいと思います。


YouTube: 天使ミサ曲-Gloria 栄光の賛歌

2018年9月28日 (金)

台風が来る前に

 

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 今年は酔芙蓉がきれいに咲きました。台風が来る前に写しておくことに。酔芙蓉はその名前の通り、朝は花色が白く、夕方になるとお酒に酔ったように赤くなります。

 撮っている時には気が付かなかったのですが、写真を見てびっくり!毛虫が・・・。花が咲く前に毛虫を見つけて駆除したのですが、駆除が足りなかったようです。

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 この毛虫には毒はないようですが、以前ブルーベリーについていた毛虫にふれた時は「イタッ!」と大声を出してしまいました。イラガの幼虫で別名「デンキケムシ」。毛虫には毒のあるものが多いので要注意です。

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遠くからでもよく目立つ花です。

2018年9月27日 (木)

聖ビンセンシオ・ア・パウロ(記)

 

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 聖ビンセンシオ・ア・パウロについてはサレジオ会や愛徳姉妹会を通して皆さんよく知っていることと思います。

 聖ビンセンシオ・ア・パウロは神学研究に励み、司祭養成や信徒の黙想会指導に力を入れ、農夫から王まで多くの人にキリストについて教えました。そして特に貧しい人達の救済のために働いたことは有名です。ですから彼は慈善団体と病院の守護者と言われています。

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 病気の人や貧しい人達を愛することはキリストを愛することです。時々そのことを忘れて無関心になってしまうことがあります。それはキリストを愛していないこと、キリストを無視しているのと同じことです。

 今日の聖書朗読の旧約は『コヘレトの言葉』の冒頭のあの有名な個所です。「コヘレトは言う。なんという空しさなんという空しさ、すべては空しい。・・・」。フランシスコ教皇様の中国に対するニュースを聞いて私もついつぶやいてしまいます。「なんという空しさ・・・」。地下教会の人々のために祈ります。

2018年9月21日 (金)

罪人だから招かれる

 

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 聖マタイといえばユダヤ人の徴税人、当時ユダヤ人の間で嫌われていた職業でした。イエズス様はそんなマタイを呼ばれました。ここでも主のなさることは不思議です。皆から好かれている人気者を呼べば、それだけで多くの人がついてくると思うのは人間の考え、主の思いは違いました。

 そしてマタイの家で食事をしている時にファリサイ派の人達に向かってこう言われました。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」と。

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(昨日20日の朗読場面:ルカ7章36-50節) 

 そう、私がキリストに呼ばれた(洗礼を受けた)のも、私自身が罪人だからです。この世に罪の全くない人はいないでしょう。皆罪人です。ですからイエズス様はすべての人を招いておられるのです。あなたも、あなたも、そしてあなたも。

2018年9月20日 (木)

聖アンデレ金と同志殉教者(記)

 

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 韓国の司祭の保護者聖アンデレ金は1846年に迫害の厳しかった韓国で殉教しました。司祭になってわずか1年後のことでした。

 韓国では1870年までに約2000人もの信徒が殉教したそうです。今も聖アンデレ金殉教者たちのあつい信仰は韓国の信徒達を励まし支えているのでしょう。私たちもその信仰心に倣い聖アンデレ金に取り次ぎを祈ります。

2018年9月16日 (日)

Daily Prayer for Priests

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 ある一部の聖職者と奉献生活者による権力の乱用や性的虐待、そしてそれを長い間無視したり隠ぺいしてきた一部の高位聖職者。被害者本人だけでなくその家族も長い間苦しみ続けてきました。

 フランシスコ教皇様は今回『神への民への書簡』を私たち信徒に書かれました。その中で「被害者とその家族の痛みはわたしたちの痛みでもあります」と書かれています。私もその通りだと思います。

 また、当時枢機卿であった教皇ベネディクト十六世の『十字架の道行き』のことばを引用されて、「何とひどい汚れが、教会の中に、また、すべてイエスのものであるはずの司祭たちの間に見られることか。何という傲慢、何という自己満足。……弟子たちの裏切り、イエスの御からだと御血の不謹慎な拝領は、確かに、あがない主の最大の苦痛であり、彼の心を刺し貫くものです。魂のもっとも奥深いところから主イエスに向かって、主よ、あわれんでください、と叫び声をあげるほかありません。『主よ、わたしたちを救ってください』(マタイ8・25参照)」と書かれています。つまり当時(教皇ベネディクトが枢機卿の頃)から、あるいはもっと以前からあのような悪事は高位聖職者方の耳に入っていたのでしょう。 

 私たちは教会の一部、教会共同体で起こったことは私たちと無関係ではありません。手紙は続きます。「・・・全世界で共同して取り組む必要があります。起こったことを知ることは、回心に向けたあらゆる歩みにとって欠かせない重要なことですが、それだけでは十分ではありません。今日、神の民であるわたしたちは、身も心も傷ついた兄弟姉妹の痛みを身に受けるよう招かれています。・・・わたしたちも、一人ひとりの人間を傷つけるあらゆる出来事を糾弾しなければなりません。連帯するためには、あらゆる種類の堕落、とりわけ霊的な堕落と闘わなければなりません。・・・過去を振り返り、どんなにゆるしを求め、与えた危害を償おうと努めても、決して十分ではありません。こうした事態が二度と繰り返されない文化、隠ぺいし継続させる余地を与えない文化を築くために、未来を見据えながらどんなに努力しても、努力しすぎることはありません。被害者とその家族の痛みはわたしたちの痛みでもあります。だからこそ、弱い立場に置かれた未成年者と大人を守るために尽力しなければならないことを改めて再確認することが緊急に求められているのです。・・・虐待という罪の前で、悔い改めの念と勇敢に立ち向かう決意を表すのに欠かせない回心と内的な塗油の恵みを、聖霊がわたしたちに与えてくださいますように。

 Fr.Zのブログに『司祭のための毎日の祈り』という新しい祈りが載っていました。英語の祈りですがとても良い祈りなので日本語に訳してもらいました。私は二度とあのような犯罪が起きないようにこの『司祭のための毎日の祈り』を毎晩唱えています。

 

     司祭のための毎日の祈り

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2018年9月15日 (土)

悲しみの聖母

 

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 「十字架称賛」の祝日の翌日は「悲しみの聖母」記念日(Beata Maria Virgo Perdolens)です。この日には「聖母マリアの七つの悲しみの道行き」を祈ったり、「スターバトマーテル」が歌われたりします。残念ながら国内の教会ではほとんどありませんが。

 鹿児島のカトリック谷山教会では17日(月)にハイドンのスターバトマーテルが歌われます。なかなかこの曲を聞く機会はないので、今回の演奏会はお薦めです。

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 スターバトマーテルはキリストの十字架のもとに立つ聖母マリアを歌った作品です。数多くの作曲家が作品を作りました。歌詞の内容(一部)はこちら⇩

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2018年9月14日 (金)

十字架称賛(祝)

 十字架称賛の祝日です。皆さん祝日ですよ。

 イエズス・キリストは私たちの罪の贖いのためにご自分をいけにえとしてささげ、十字架にかけられました。

 私は十字架を見上げる度に、イエズス様のその苦しまれる姿に、ただ感謝の気持ちでいっぱいになります。そして「イエズス様、罪人の私を憐れんでください」と祈るばかりです。

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2018年9月13日 (木)

教皇様が日本に・・・!?

 ブログに色々なことを書いていますが、それはあくまでも私の考えややり方です。私はそれを他の人に押しつけるつもりは毛頭ありません。誤解のないように。

 例えばごミサに与る時の服は、仕事に行く途中や帰る途中ならば当然仕事着でしょう。服よりもごミサに与ることの方がはるかに重要ですから。ご聖体拝領も私は口で受けますが、他の人が手で受けても気にしません。ベールは被っても被らなくても、聖変化やご聖体を受けた後に跪いても、立っていても、座っていてもその人の自由です。ごミサの間に体調が悪ければずっと座っていても良いのは当たり前のこと。

 私がこうするから他の人も同じようにという気持ちはありません。誤解されないように書くのは難しいですね。

 ところで嬉しいニュースです。フランシスコ教皇様が来年日本に行きたいという希望を語られました。実現すれば良いですね。ローマまで行けない人たちは沢山います。その方たちが教皇様を近くに見て、そのごミサに与ることができますように。

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2018年9月12日 (水)

マリアのみ名の祝日

 今日は「マリアのみ名」の日ですが、私にとっては祝日です。なぜなら私の洗礼名がマリアだから。つまり今日は私のお祝い日です。

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 ということで、ケーキを作りました。これは自分のための小さくて可愛いケーキです。もちろん家族のためにもそれぞれに作りましたよ。喜びはみんなで一緒に。 lovely

 「マリアのみ名」の日は日本では軽視されていますが、ヨーロッパではよく知られた日です。

 1683年9月12日ポーランドの王ヤン3世ソビェスキはヨーロッパに侵略してきたオスマン帝国軍を阻止するためにヨーロッパ連合軍の指揮官として戦い勝利しました。その戦いの時に自分と兵士たちすべてをマリア様に委ねました。

 教皇インノケンティウス11世はこの勝利に感謝して教会で祝い、その後教皇ピオ10世は9月12日を「マリアのみ名」の祝日として定められました。

 このことからもわかる通り、海の星マリア様はいつも私たちを照らし、光で導き、マリア様の名を呼ぶ人を守り助けてくださる、主への一番の取次者です。マリア様に願えば必ず主に取り次いでくださいます。もちろんその願いが叶うかどうかは主ご自身がお決めになることですが。でもマリア様は必ず取り次いでくださいます。カナでの結婚式の話を思い出すでしょう。

 だからいつもロザリオを祈ります。アヴェマリアの祈りをheart

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2018年9月10日 (月)

日本205福者殉教者(記)

 

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 今日は日本205福者殉教者の記念日です。数多くのキリシタン迫害の中でも特に大殉教と呼ばれる1622年9月10日の立山での殉教。

 80歳で火刑になった老女、晴れ着を身にまとい天国へ行く準備をした寡婦、殉教のお恵みを自分の幼い子にも与らせたいと願った母親。日本人だけでなくスペイン・ポルトガル・イタリア・メキシコ・ベルギー・オランダ・韓国など様々な国のカトリックの司祭・修道者・信者たち205名が殉教しました。6人の子どもたちも殉教しました。

 「彼らのように主よわたしの信仰の火も燃え立たせてください」と、祈らずにはいられません。

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2018年9月 8日 (土)

9月のお花

 なんとお花教室にカメラを持っていくのを忘れて生けたお花を撮れませんでした。今回写真は無し。

 花材はクルクマ・アンスリューム・リンドウ・ワレモコウ・スプレーカーネーションでした。リンドウやワレモコウで秋を感じます。アンスリュームは初めて使う花材でした。可愛らしい形で薄いピンクに葉先だけ濃く色づいています。

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 アンスリュームの和名は大紅団扇(オオベニウチワ)、サトイモ科で600種類もあるそうです。ハワイではバレンタインに贈る花として人気があるようです。日本では花は5月から10月頃まで咲きますが、ハワイは暖かいので2月でも咲いているのでしょう。

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2018年9月 3日 (月)

祭服

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 素直に「美しい!」 主の前にへりくだる心と主を敬う心が荘厳さの中に表れています。人それぞれに感じ方は違うでしょうが私はこういうごミサに与りたいです。

 助祭様・司祭様・司教様・枢機卿様・教皇様の服装が違うのには意味があり、またTPOがあるようにoccasion(場合)に応じた服装は教会にもあると思います。

 主の前では司祭も信徒と同じ人間なのだから普段もごミサの時にもローマンカラーはいらないし、いつもの普段着、作業着で良いという考えの人もおられますが、私は違います。少なくとも私は家で家事をする時とごミサに与る時はけじめをつけます。28stole_2

聖ヨハネパウロ2世教皇



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マルティーニ枢機卿

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ピウス11世教皇の祭服

Photo祭服:竹田キリシタン南蛮文化ウィークより~綺麗ですね heartheartheart

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フランシスコ教皇

2018年9月 1日 (土)

ポンチキ~ロシア

 ポンチキといえばポーランドのドーナツですが、ロシアでもポンチキというそうです。ただしロシアのポンチキにはジャムは入れずに形もまん丸です。

 カロリーたっぷりのポンチキを食べて夏バテした体にエネルギー補給をしましょう。ということで作ってみました。ロシアのポンチキです。

材料

小麦粉 200g.  B.P. 小匙 1/2 (粉と一緒にふるう)

卵 2個 砂糖大匙3~5(好みで) 塩 少々 バニラエッセンス

トヴォーログ(カッテージチーズ) 300g. 粉糖 適宜

・トヴォーログの代わりにカッテージチーズを潰してなめらかにする。

・卵、砂糖、塩、バニラエッセンスをまぜたものをカッテージチーズとよく混ぜる。

・そこに粉とB.P.をふるったものを少しずつ加えて混ぜる。

・10分位生地を休ませて、おちつかせる。

・小さなボール状に丸めて油で揚げる。

・冷めたら粉糖をかけて飾る。

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 レシピを見てわかる通り、砂糖が大匙3と少ないです。ふつうのドーナツの甘さを想像していたらがっかりするかもしれません。が、ほんのり甘いこのドーナツもいけますよ。

 チーズが入っているので中はもっちりふんわりで美味しいです。朝食、ブランチ、子どものおやつ、大人のティータイムにお薦めです。

2018年8月28日 (火)

キリストは神

 昨日は聖モニカ、今日は聖アウグスチヌス、明日は洗礼者ヨハネの殉教と記念日が続きます。

 今日のマタイ福音書を読んで改めてわかりました。キリストはすべての人を招かれましたが、すべての人が招きに応じたわけではありませんでした。そしてキリストは厳しいことも言っています。

そのとき、イエスは言われた。「・・・律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。杯や皿の外側はきれいにするが、内側は強欲と放縦で満ちているからだ。ものの見えないファリサイ派の人々、まず、杯の内側をきれいにせよ。そうすれば、外側もきれいになる。」(マタイ23:25-26)

 キリストはすべての人に好かれるために、自分の信徒を増やすために、甘く優しい言葉だけをかけてまわりませんでした。相手が怒ろうが時には厳しいことも言っています。キリストは畑にまかれた種のたとえのように、よい土にしっかりと根を下ろし、陽を浴びてすくすくと成長する種とそうでない種があることを教えています。

 永遠のいのち・天の国にすべての人を招いても、その恵みを自ら選ばない人もいることをキリストは知っています(神様だから)。ですからすべての人がキリストに従わないからといって、それはキリスト(神)のせいではなく、キリスト(神)の教え方の失敗でもないでしょう。

 キリストは人の子として生まれたましたが私たち人間とは違います。現代はあまりにもキリストの人間性を強調して神性を軽視する傾向があるのではないでしょうか。誤ったいつくしみと愛の結果が何年も隠ぺいされ続けたチリやアメリカ、ドイツ、アイルランド等の事件です。

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聖アウグスティヌス教会:聖モニカ礼拝堂