2021年3月23日 (火)

間違いはいつまで続く?

 

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 『カトリックの祈り』の本を持っていらっしゃる方は102ページを開いて見てください。ミサの式次第の中で「記念唱」と書かれています。司祭様は「信仰の神秘」と唱え信徒が応え、司祭様は続けて「わたしたちはいま、御子キリストの救いを・・・」で始まり「・・・すべての誉れと栄光は、世々に至るまで。」まで続きます。最後に信徒は「アーメン。」と応えるようにと書いてあります。

 この事は今までに何度も書きましたが、相変わらず司祭様の唱えるところ「すべての誉れと栄光は、世々に至るまで。」を信徒たちが元気よく唱えています。典礼を大切にするのなら何故に司祭様方は信徒にこのことを教えないのでしょうか?勿論きちんと主任司祭様が指導されておられる教会(ザビエル教会や溝辺教会等々)もあります。

 信徒が典礼について知らないのは司祭様が教えないから?それとも教えても信徒が頑ななために学ぼうとしないから?親が何度注意してもあらためようとしない子供と同じ?

 教会の典礼委員の方々が率先して手本を示してほしいですね。期待しています。cat (私が頼むとなお一層頑なに拒否されそうですね  weep

 ついでに、奉納行列の時は皆さん座りましょう。奉納行列は奉納の準備です。準備の間は座っていましょう。司祭様が「皆さん、このささげものを、全能の神である父が受け入れてくださるように祈りましょう。・・・」と、祈りへの招きの時に私たちは立ちます。記念唱の所で間違いをしている教会は奉納行列の時も立っていますね。

2021年3月21日 (日)

四旬節はいつまで?

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 「四旬節はいつまで?」 答えは聖木曜日(主の晩餐)のごミサの前までだそうです。「えっ、聖土曜日のごミサの前までではないの?」と、私と同じことを思っている人は多いでしょう。違うのですよ。

 教皇パウロ6世の時に決まったようですが私は知りませんでした。当然聖土曜日のごミサの前までとずっと思っていました。「聖なる過ぎ越しの三日間」を特別な三日間とするため(ずっと以前から特別だったと思うのですが)四旬節から外したようです。でもこれだと四旬節(40日)ではなくなりますよね。灰の水曜日から(6回の主日を除いて)聖土曜日までが40日ですから。

 断食、祈り、施しは四旬節と同じく聖土曜日まで続きます。そして「アレルヤ」も同じく聖土曜日のごミサの前までは歌いません。

 結局中身は変わらないのですから、何をどう呼ぼうとあまり重要ではありませんね。40日間断食、祈り、施しをしっかり心がけることが大切です。ということで、私の心は聖土曜日のごミサの前までが四旬節です。

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2021年3月19日 (金)

聖ヨゼフの祭日

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 教会の保護者である聖ヨゼフ様の祭日です。いつもの金曜日には教会で十字架の道行きをしますが、今日は聖ヨゼフ様のお祝いのごミサに与りました。ごミサでは香も焚かれ、共同祈願は「教会の保護者なる聖ヨゼフに向かう祈り」を唱えました。

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 そして、私は教会の保護、特に典礼の保護を祈りました。いつも典礼を守り大切にされておられる主任司祭S神父様の霊名もジュゼッペ(ヨゼフ)です。S神父様おめでとうございます!そしてヨゼフ様のようなお父様方にも「父の日おめでとう!」

 ヨゼフ様について聖書に書かれている箇所はほんのわずかです。しかしその少ない描写からでもどれ程素晴らしい方であったかがわかります。マリア様と同じように天主に常に従順で信頼しきっていました。マリア様の良き夫でありイエズス様を育てた良き父親でした。

 今の世界中の教会の現状を見ると、今こそヨゼフ様の執り成しが必要だとひしひしと感じます。「教会を護ってください」と祈りましょう。

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 Zeppore di San Giuseppe (聖ヨゼフの揚げ菓子)を作りました。四旬節中ですがこれは特別。ヨゼフ様と同じようにいつも私たち家族を守っていてくれるお父さん(夫)へ感謝のプレゼントです。 lovely

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 模様がよくつかず、いびつですが味は二重丸です。アマレーナは値段が高いので私は普通のサクランボで。happy02

2021年3月17日 (水)

断食・祈り・施し

 四旬節についてフランシスコ教皇様は、「四旬節は私たちの回心の時です。そして『断食、祈り、施し』は、イエス様が説教で示されたように私たちの回心の条件です。清貧と放棄の道(断食)、傷ついた人に対する愛に満ちた行為(施し)、そして御父との親子の対話(祈り)によって、忠実な信仰、希望、愛を具体的なかたちで表せるようになります」と、話されています。

 私は毎年四旬節の終わりの頃になると『今年の準備も足りなかった』と反省してしまいます。でも不完全であっても前年よりはわずかでもよくなるようにと励んでいます。幸いなことに年を重ねるごとに物への執着が少なくなってきました。

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 今日は「日本の信徒発見の聖母」の記念日です。

 『日本人のカトリック信徒は日本にはもういない、カトリックの教えは絶えてしまった』と思っていたプチジャン神父様の目の前に現れた男女十数名の人達、「ここにおります私どもは、みなあなた様と同じ心でございます」という信仰告白を聞いた神父様の驚きと喜びは計り知れません。大きな喜びのうちに主に感謝したことでしょう。その日は1865年の四旬節17日目にあたる3月17日でした。

 200年以上の迫害に耐えて、キリストの教えを信じ主を信頼し続けてきたこの信徒たちの純粋で強い信仰、私たちも倣わなければなりませんね。

2021年3月14日 (日)

Laetare Sunday

 

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 今日は「歓びの主日」あるいは「バラの主日」とも呼ばれている「レターレの主日」です。中野司教様の司式のごミサに与りました。司教様の良い説教を聴いて、善や悪、何が真理で何が偽りかわかりにくい今の世の中で、私自身がよく見極めなければならないと思いました。

 祭服のバラ色は気持ちを明るくしてくれます。復活祭が近づいていると実感します。そして聖血礼拝修道会聖ヨセフ修道院製のレターレを食べて、シスターたちと神父様方と司教様方そして今病に伏しておられる方々のために祈りました。

Photo レターレと堂免屋の加治木饅頭

今日は復活祭の卵の新しい作り方を試してみました。

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 デコパージュで飾る方法です。悪くはないのですが、いつもの通り玉葱の皮にするか迷っています。

2021年3月 8日 (月)

信仰の熱意

 

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 昨日のごミサで朗読されたヨハネ福音書3章の箇所「あなたの熱意が神を食いつくす」は、私の心に残りました。トマさんは昨日のごミサの説教でわかりやすく話されています。⇩

 「神殿に参拝する人のことを思い少しでも便利なようにと信仰心から商売をする人がいつの間にか信仰より商売の方に熱心になっている。無償の愛で奉仕することを数や量で考えてしまい、『私はいつも沢山祈り犠牲をし、奉仕・宣教活動もしたので他者より優れた信仰を持っている』と勘違いして他者を下に見る。熱意は大切ですが方向違いの熱心さは危険です。アダムとエヴァ、堕天使も誤った方向違いの熱意が原因でした。上るのではなく下ることです」、[トマさん祈りの部屋]

 いつも謙遜の心で神の愛に応えるようにしなければ、そして信仰の面で決して他者を下に見ることのないように、自分の熱意が神を食いつくすことのないように気をつけます。逆に「私たちは教会のためにこんなに頑張っているのにあなたは何もしていない」と、言われている私ですね。happy02

2021年3月 7日 (日)

「あわれみ」と「いつくしみ」は違う

 教会暦で今年は「聖ヨセフ年」です。「聖ヨセフの連願」と「教会の保護者聖ヨゼフに向かう祈り」(聖ヨセフへの祈り)の口語訳が出ています。すでに祈られている方もおられるでしょう。Fr.Zも「ヨセフの連願」を祈ることを勧めています。

 今回の連願の訳では「あわれみ」と祈っていたところを「いつくしみ」と変えています。「あわれみ」と「いつくしみ」では意味が違うと思うのですが・・・、しかし典礼や聖書学専門の学者の方々が決められたことですから仕方のないことですね。

 とは言っても、私は今まで通りに『連願」は文語で祈りますし、「聖ヨセフへの祈り」の方は長いのでこれも今まで通り別の祈りを唱えます。(不従順な私です coldsweats01
  

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       Kyrie,eleison.

         R. Christe,eleison.

         Kyrie,eleison.

         Christe,audi nos.

         R. Christe exaudi nos.

         Pater de caelis Deus,

       R. miserere nobis.

       Fili,Redemptor mundi,Deus,

         R. miserere nobis.

         Spiritus Sancte Deus,

         R. miserere nobis.

         Santa Trinitas,unus Deus,

         R. miserere nobis

        (ラテン語の連願の冒頭部分)

しつこいようですが、

 miserere=慈悲=あわれみ なのでmiserere nobis は「我らを憐れみ給え」口語なら「わたしたちをあわれんでください」、私は今まで通りの方が良いと思います。

 私たちは皆罪人です。主の前に頭を垂れて胸を打ちながら「罪人の私、傷ついている私を、主よどうか憐れんでください」と祈ります。たとえば、恵まれた環境で元気に生まれたばかりの赤ちゃんには「主よこの子にいつくしみを!」と祈っても、「主よ、この子をあわれんでください」とは多分祈らないでしょう。「いつくしみ」は誰にでも(しあわせな人にも)あたえられる愛です。

 教会の保護者である聖ヨセフ様、罪人の私たちを主があわれんでくださるよう執り成してください。アーメン。


YouTube: Litaniae S. Joseph

 * 下記のブログに「あわれみ」と「いつくしみ」の違いについて書かれています。私もこの方の考えに同感です。⇩

https://blog.goo.ne.jp/gloriam/e/2dcebf546015af6ed9344cdb0321063b
  

2021年2月23日 (火)

聖ペトロから266代目

 昨日は「聖ペトロの使徒座」の祝日でした。聖ペトロから266代目の教皇が今のフランシスコ教皇様です。

 よくわかる動画を見つけたので載せます。これを見ると聖ペトロから続いているカトリックがわかるでしょう。


YouTube: All Popes of the Catholic Church: St Peter - Francis

cat おまけ:昨日は「にゃんこの日」でもありました。

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(写真:.r より)

新しい祈り

 今日の聖書の朗読に、

『あなたがたが祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない。・・・あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。だから、こう祈りなさい。』

とキリストは言われて、『主の祈り』を教えてくださいました。私たちはどんな時にもまず主の祈りを唱えます。それだけでも十分なのですが、プラス何かの意向をもって祈りを唱えるのが普通です。例えば『アヴェ・マリア』『病者のため』『司祭のため』『聖人の取り次ぎを願う』等々。

 数日前にFr.Zが祈りを紹介しました。それはインターネットが普及し始めた頃にできた祈りで『インターネットに接続する前の祈り』です。現代社会では多くの人がインターネットを利用しています。このブログを見ているあなたもそうですね。

 ネット上には良いことばかりが載っているのではなく、悪もいっぱいあります。ネットを使って誰かを攻撃したり、悪に誘う人もいます。私たち自身がネットを正しく使うように心掛けなければなりません。

 この祈りはすでに50以上の言語に訳されています。勿論日本語もあります。インターネットに接続する前にこの祈りを唱えることは価値あることだと思います。

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2021年2月21日 (日)

聖歌は祈り


YouTube: Yo soy el camino firme | Música católica

 以前紹介した歌⇧がいつの間にか21万回以上も再生されていました。やはり良い曲はすぐに広まるのですね。

 ところで四旬節に聴くと特に心にしみる祈りの曲があります。「アニマ・クリスティ(キリストの魂)」です。本当に美しい祈りです。


YouTube: Anima Christi (Marco Frisina)

キリストの魂、わたしを聖化し、
キリストの体、わたしを救い、
キリストの血、わたしを酔わせ、
キリストの脇腹から流れ出た水、わたしを清め、
キリストの受難、わたしを強めて下さい。
いつくしみ深いイエズスよ、
わたしの祈りを聴きいれてください。
あなたの傷のうちにわたしをつつみ、
あなたから離れることのないようにしてください。
悪魔のわなからわたしを守り、
臨終の時にわたしを招き、
みもとに引き寄せて下さい。
すべての聖人とともに、いつまでもあなたを、
ほめたたえることができますように。アーメン。

2021年2月19日 (金)

十字架の道行

 四旬節に入って最初の金曜日です。今日は十字架の道行きがありました。平日なので参加者は少ないでしたが、少ないなりに静かに、主キリストの受難を思いながら祈れました。

 今日から聖週間の前までの毎金曜日には十字架の道行きがあります。できるだけ参加しようと思います。皆さんもできる方は是非一緒にしましょう。

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2021年2月17日 (水)

「主に立ち帰れ」

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 主に立ち返るように。主は憐れんでくださる方。わたしたちの神に立ち返るように。まことに、主は寛大に赦してくださる。(イザヤ書55:7)

 わたしは決して悪人の死を喜ばない。むしろ悪人がその道から立ち返り、命を得ることを喜ぶ。(エゼキエル書33:11)

         

 私は今夜ごミサに与り、灰の式では、「あなたはちりであり、ちりに帰って 行くのです」の言葉と共に頭に灰をかけていただきます。

 COVID-19によってカトリック信徒は今まで以上に「主に立ち帰る」ことが必要だと感じたでしょう。逆にウイルスを恐れるあまり主から離れてしまった信徒もいました。

 今日がすべてのカトリック信徒にとって「私たちは主の御手のうちにあり。主に生かされていて、最後に主の裁きがある」ことを思い起こし、主に立ち帰るきっかけになればと願います。

 ご復活祭を迎える準備の始まりです。きれいな心で主キリストを迎えることがきますように。そのためにも告解(ゆるしの秘跡)をしましょう。そして、毎日愛の犠牲を主に捧げましょう。


YouTube: Attende Domine - Gregorian Chant for Lent


YouTube: God of Mercy and Compassion

2021年2月 6日 (土)

シロちゃん近況

 以前二度目のケガをして、病院へは連れて行かずに治療していることを書きました。一度目と同じような傷で、傷口は広がるばかり・・・。病院へ行かずに治す方法を試行錯誤しました。その結果先月完治しました。

 傷口を舐めないように最初に着けたエリザベスカラーはクッションタイプでしたが、足元が見えずにダメでした。

 次に服を着せたのですが、袖なし、袖あり、3着すべてどこかに脱ぎ捨ててしまいこれもダメ。

 最後は普通のエリザベスカラーにしたところ、足元が見えるので庭を走り回り、寝る時も苦にならないようでした。時々顔とお尻を拭いてあげました。

 傷口には初めはネコ用の消毒液や殺菌クリームをネットで買い使いましたが効果はなく、傷は広がりました。そこで私が使っているイソジンクリーム(殺菌消毒)を、後からは赤色ワグラス(傷を治す)を塗りました。どちらの薬も人間用なので絶対に舐めないように注意しながら使い続けると数日で明らかに効果が現れました。。そして見事に完治

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 エリザベスカラーをつけたまま頑張っている頃のシロちゃんです!

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 今はカラーも取れて、毎日毛づくろいを入念にして元気に過ごしています。happy01

2021年2月 2日 (火)

Candelaria

Candelaria
 「主の奉献」の祝日です。Candlemas あるいは Candelaria 、「聖燭祭」と呼ばれてきました。今日までクリスマスを祝う所も少なくありません。実は我が家も今日クリスマスの飾りを片付けます。クリスマスから40日目「マリアの清めの日」とも言われています。他の国では今でもローソクの祝福をする教会があります。伝統を大切にしている教会です。lovely

  ところで余談ですが、「聖燭祭」とググるとクレープの写真ばかり。いくらフランス語圏でこの日クレープを食べるからと言って「2月2日はクレープの日」と言われるとちょっと本末転倒のような気もします。我家では今日2月2日は「主の奉献の祝日」で、そのお祝いにクレープを食べます。happy01

 私もクリスマスの飾りを片づけの後にクレープを作って食べました。

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手作りはおいしい!

2021年1月28日 (木)

聖トマス・アクイナス司祭教会博士記念日


YouTube: Adoro te devote | Música Católica

Letra: Santo Tomás de Aquino
Música: Anónimo

Adoro te devote

Adoro te devote, latens Deitas,
Quae sub his figuris vere latitas:
Tibi se cor meum totum subiicit,
Quia te contemplans totum deficit.

Visus, tactus, gustus in te fallitur,
Sed auditu solo tuto creditur.
Credo quidquid dixit Dei Filius:
Nil hoc verbo Veritatis verius.

In cruce latebat sola Deitas,
At hic latet simul et humanitas;
Ambo tamen credens atque confitens,
Peto quod petivit latro paenitens.

Plagas, sicut Thomas, non intueor;
Deum tamen meum te confiteor.
Fac me tibi semper magis credere,
In te spem habere, te diligere.

O memoriale mortis Domini!
Panis vivus, vitam praestans homini!
Praesta meae menti de te vivere
Et te illi semper dulce sapere.

Pie pellicane, Iesu Domine,
Me immundum munda tuo sanguine.
Cuius una stilla salvum facere
Totum mundum quit ab omni scelere.

Iesu, quem velatum nunc aspicio,
Oro fiat illud quod tam sitio;
Ut te revelata cernens facie,
Visu sim beatus tuae gloriae. Amen

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 偉大な神学者であり哲学者聖トマスアクィナス。

 「トマスはそれについてこう言っている・・・」とか「トマスの考えでは・・・」夫と息子たちの会話でしか知ることのできない(『神学大全』は私の頭では無理)聖トマスですが、それだけでもこの聖人の偉大さは伝わります。彼以上の神学者はこれから先も現れないでしょう。

 聖トマス・アクイナスは学生の保護の聖人でもあります。学生、研究者、学問に携わる人は聖トマスに取次ぎを願うとよいかもしれません。

2021年1月25日 (月)

聖パウロの回心

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 聖パウロの回心の祝日です。

・・・わたしは地面に倒れ、『サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか』と言う声を聞いたのです。『主よ、あなたはどなたですか』と尋ねると、『わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスである』と答えがありました。(使徒言行録22:7~8)

 主キリストを信じる人だけでなく、すべての人は主に生かされていることがわかります。多くの人たちはそのことに気づいていません。聖パウロのように回心の恵みをいただける人は何と幸せな人でしょう。主に生かされていることに気づける人は本当に幸せです。生まれる時も死ぬ時もそれを決めるのは主です。主に生かされていると悟ればもう何も恐れることは無くなるでしょう。

2021年1月17日 (日)

レアチーズケーキ

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 レアチーズケーキ

 久しぶりにミシンを出して手仕事を始めました、はぎれや古い帯をといて小物を作っています。

 一方、次男はレアチーズケーキを作りました。これがとても美味しいのです。わざわざお店に買いに行く必要はありません。夫も絶賛!

 ケーキ皿の下には私が作ったマットを敷いて記念写真を一枚。

2021年1月14日 (木)

禁止令

 

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 以前ご聖体を手で拝領する時は、献金でお金を触った手で拝領しウイルス感染の可能性が高いことを書きました。すると教会は舌での拝領を勧めるのではなく、ミサ中の献金を中止し、拝領直前に手を消毒してマスクをしたままご聖体を手に受けてからマスクを外していただくことを勧めました。そして口での拝領は望ましくないと実質禁止令が・・・・。

 おかしなことになっています。もしマスクにウイルスがついていたら、それを外す時には絶対に指に着かない、消毒液で安全なのでしょうか?そもそも、手も舌もどちらも安全性は完全ではないのですから、完全でない以上比較すること自体意味はありません。一方だけを認めて他方を実質禁止するのは間違っています。手でも舌でもどちらでも良いはずです。ということで私は司祭様から舌での拝領を拒否されない限り舌での拝領をお願いします。

 あるお医者さまが話していましたがウイルス感染は口、鼻、目からです。口、鼻からの飛沫感染はマスクで防げますが、マイクロ飛沫の場合マスクの種類によっては防げないかもしれません。また私たちは目についてはあまり意識していません。ウイルスの付いた手で目を触ることによって感染しているケースもあるでしょう。

 次は「ごミサ中に目を触るのは禁止!」と言うお触れが出そうです。happy02

 病院や介護施設などは他の所よりももっとしっかり感染予防をしていますが、それでもクラスターがおきています。そう、絶対に安全ということは無いのです。ですから教会も「あれは禁止、これも禁止」とするのではなく、良識の範囲内でとどめましょう。

2021年1月12日 (火)

悲観せずに

  新年早々にサラ枢機卿様の典礼秘跡省長官退任のニュースや教皇様の話し等に少し気持ちが沈んでいました。こんな時にこそ聖ホセマリア!と思い、「トマさん祈りの部屋」をのぞいてみるとこんな文章がありました。

・・・「神と共に生きる」とは、もっと真心をもって働き、もっと親切になり、いつも朗らかでいて、悲観せず、神に信頼して、前向きに生きることなのです。そのためにこそ、イエスは聖体に残り、ミサを通して私たちのところに来られるのです。■2021/01/06(文責:小寺神父)

 特に「悲観せず、神に信頼して、前向きに生きること」は、今の私にピッタリな言葉です。そう、サラ枢機卿様が退任されても長官時代の教えは残っています。本もあります。悲観せずに主を信頼しましょう。もしかしたらもしかして次の教皇様は・・・それは年齢的に無理ですね。

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    heartロベール・サラ枢機卿heart

2021年1月 4日 (月)

降誕節

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 昨日は「主の公現」の祭日でした。3人の博士たちはそれぞれの国から黄金・乳香・没薬を携えて幼子キリストに捧げ、跪いておがみました。博士達の前に眠っておられる幼子は小さくかよわい人間の赤子ですが、同時に真の神であり、王の中の王、死んで復活される永遠のいのち、すべての人々の罪を贖うためにご降誕されました。

 次の10日は「主の洗礼」です。この日までご降誕祭は続きます。まだまだお祝いですよ!heart04

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 わが家のにゃんず、シロ・ボナヴェントゥラ、と キジ・キリアン そして野良のトウフ・ブルーノ、オモチ・アクィナス、ダンゴ・サレジオ、モモちゃんと新顔のノリマキ・ベネディクトから「おめでとにゃん!」

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 「ねこ年」っていつくるのかにゃん?