このブログを始めてから約10年、無料の容量も残り少なくなりました。容量を増やすために古い記事を削除することにしました。2012年から2015年12月までの4年間の記事です。
四旬節に入る今日は物に執着しない貧しい心になるのにふさわしい日です。スッキリしました。
灰の水曜日、頭に灰をかけてもらい、「主よ、罪人の私をあわれんでください」と心の中で願います。年ごとに自分がいかに罪人であるかを自覚し、主にすがる思いは強くなります。
教会の教義を疑ったり、キリストの教えに反する活動をしたり、病気などの理由なく日曜日や守るべき祝日のごミサに与らないことは大罪です。軽い気持ちでごミサを休みズルズルとそのまま・・・。当然大罪の状態のままゆるしの秘跡を受けずにご聖体拝領をすることも大罪です。罪に罪を重ねることのないように。
このような大罪を犯していなくても、自分の口から出る言葉で他人を傷つけたり、愚かなこと(恨み、妬み等)を考えたり、感情のままに怒ったり、不正を見聞きしても何もせず正義を行わなかったり、尊敬と愛情を示さなかったり・・・このような小罪は誰にでもあります。
四旬節の間に必ずゆるしの秘跡を受けて罪をゆるしてもらいましょう。主から離れることのないように。何年もゆるしの秘跡を受けていない人はとても勇気がいるでしょう。でもそういう人こそ回心すれば主はとても喜ばれると思います。そして自身が心の安らぎと平安を得て幸せな気持ちになるでしょう。
放蕩息子の帰還 (ポンペオ・バトーニ 作)
昨日長崎大司教区の中村大司教様着座式がありました。高見大司教様ご苦労様でした。そして中村大司教様、これから長崎大司教区だけでなくすべての信者をキリストの真理の道へと導いてください。
皆さんは寝る前に良心の糾明をして回心の祈りを唱えると思います。私はこの「回心の祈り」がどうもしっくりこないので、未だに「痛悔の祈り」を唱えています。そう、告解の時の祈りです。この祈りは自分が主にしっかりと向き合い、自分の罪の赦しを心から願えるからです。二つの祈りを比較してみるとよく分かると思います。
回心の祈り
全能の神と、兄弟の皆さんに告白します。わたしは思い、ことば、行ない、怠りによって、たびたび罪を犯しました。聖母マリア、すべての天使と聖人、そして兄弟の皆さん、罪深い私のために神に祈ってください。
痛悔の祈り
ああ天主、われ、主の限りなくきらいたもう罪をもって限りなく愛すべき御父に背きしを深く悔やみたてまつる。御子イエズス・キリストの流し給える御血の功徳によりて、わが罪をゆるし給え。聖寵の助けをもって今より心を改め、ふたたび罪を犯して、御心に背くことあるまじと決心したてまつる。
以前ごミサの時の「回心の祈り」は「告白の祈り」といって、下記の祈りでした。「これわがあやまちなり、わがあやまちなり、わがいと大いなるあやまちなり」のところでは、自分の胸を打ちながら祈ったものです。他の国では今もそうしています。
告白の祈り
全能の天主、終生童貞なる聖マリア、大天使聖ミカエル、洗者聖ヨハネ、使徒聖ペトロ、聖パウロ、および諸聖人にむかいて、われは思いと言葉と行いとをもって多くの罪を犯せしことを告白し奉る。*これわがあやまちなり、わがあやまちなり、わがいと大いなるあやまちなり。これによりて、終生童貞なる聖マリア、大天使聖ミカエル、洗者聖ヨハネ、使徒聖ペトロ、聖パウロ、および諸聖人に、わがためにわれらの主なる天主に、祈られんことを願い奉る。願わくは全能の天主、われらをあわれみ、われらの罪を赦して終りなき命へ導き給え。*アーメン。願わくは全能にして慈悲なる主、われらをあわれみ、罪の赦しを与え給え。*アーメン。
告白は兄弟の皆さんにもしなければならないものでしょうか?私は神にするものだと思うのです。そのためにもゆるしの秘跡があるのではないでしょうか。ゆるしの秘跡を持たない人たちは、お互いに告白しあい、ゆるしを願うのかもしれません。
今日は聖ヴァレンティヌス司祭殉教者の日です(同名の司教も殉教しています)。世間でいうヴァレンタインデーですね。昨日主任司祭は「明日はヴァレンタインデーです。チョコレートを・・・」と話していましたが、聖ヴァレンティヌス司祭については一言も触れませんでした。残念!
聖ヴァレンティヌスについて私の知っている話は二つあります。
一つはローマ皇帝が兵士の結婚を禁止した際に、兵士たちをあわれに思い密かに結婚式を行ってあげました。しかしそれが皇帝に知られ処刑されたという話。
もう一つはローマ皇帝がキリスト教を迫害していた時、ヴァレンティウスに説教を止めさせるようにローマ判事に命じました。ところがヴァレンティウスの祈りによって判事の娘の病が治ったことにより、逆に家族全員洗礼を受けました。それを知った皇帝は激怒し、ヴァレンティウスと判事らを処刑しました。
どちらの話にしても結婚の秘跡、洗礼の秘跡、キリストのために殉教したことは確かです。
今日は新型コロナワクチン3回目の接種日です。何回も言っていますが、理由があってワクチンを受けていない人もいます。その人達に対してワクチンを受けていないという理由だけで入場を断ったり、解雇するのは絶対に間違っています。3回ワクチンを打った人でもうつしたりうつされたりしています。ワクチンが絶対なのではなく、科学が絶対でもない事を忘れないでほしいですね。
YouTube: 2022年2月13日 年間第6主日 堅信式 ミサ説教 北須磨教会
良いお話しだな~ d(´▽`)b
YouTube: LOURDES - Ave Maria de Lourdes + Salve Regina
病院やホスピスで生活されている方、自宅で療養されている方・・・、赤ちゃんからお年寄りまで病と共に生活しているすべての人たちの傍に聖母はいつもいてくださいます。
それでも忘れてならないことは病院にも行けずに治療も受けられない人たちが大勢いることです。世界中にどれだけの人が今も涙を流していることか。このような人達を聖母は特に愛されているでしょう。最も助けを必要としている人々に希望の光と心の平和を願い、聖母のおん助けを祈りましょう。
マタイ 7章21節
わたしに向かって『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るのではない。天におられるわたしの父のみ旨を行う者だけが入るのである。
聖ホセマリア著『道』
686 あの人はあなたに対して悪いことをした。それは認めよう。しかし、あなたは神に対してもっと悪いことをしたのではないか。
758 神の御旨を完全に受け入れるなら、必ず、喜びと平和、つまり十字架の幸いを得る。そのときこそ、キリストのくびきは快く、その荷は軽いことが理解できるのである。
♬~神のみ旨を行うことは私の心の喜び~♬ と、聖歌にもあるように、主のみ旨をすべて受け入れそして行えばきっと心は平和になるでしょう。いつもそんな自分でありたい!
今日は26聖人殉教者の祝日です。彼らも天主を信頼してそのみ旨を喜んで受け入れました。
聖職者の方々が毎日祈られる聖務日課『教会の祈り』は、今は信徒でも祈っておられる方がいます。
先日息子から教えてもらったネット版「教会の祈り」はとても便利です。今まで本を使っていましたが本は結構重たいのです。携帯なら軽く、しかもネット版なら文字を大きくして読めます。老眼の私には何よりもありがたいです。
ネット版「教会の祈り」⇩
⇩
YouTube: 2022年1月30日 年間第4主日ミサ説教 玉造教会
ごミサの中で神のみことばはとても大切です。だからといって説教を軽視する考えには賛成できません。神のみことばは一番大切、そして説教も大切です。
説教の準備をされているお話は私の心にスッと入り、心を動かされます。それは司教様、司祭様の説教のことばを通して聖霊が働くからだと思います。
そして良い説教を聴くだけでなく、聴いたことは実行しなければなりませんね。
YouTube: La Oración | Te suplicamos Señor | Música Católica
(字幕を日本語に設定すると歌詞の意味がわります)
今日は聖パウロの回心の祝日です。この祈りの歌を聴き、聖パウロの手紙をゆっくりと読みます。聖パウロに少しでも倣うことができますように!
YouTube: Madre del Silencio (letra) - canto Católico
このブログを始める時には『聖母に倣いて』という気持ちで書こうと思い、このタイトルをつけました。しかしいつの間にかその思いは薄れてしまい、『聖母マリア様なら、こんなことは言わないはず・・・』というような事を書き始めていました。
Madre del silencioでは「沈黙の中で天主はマリア様の心に語られました。天主の声を聞くために、聖母マリア様あなたの沈黙と平和を私たちにお与えください。天主が私たちに話しかける時にそれを聞く方法を教えてください」と歌っています。
ブログを書く前には沈黙して、キリストや聖母の御心に適うことかよく考えてから書かなければと教えられました。
今日の「主の洗礼」で降誕節のお祝いも終わり、クリスマスツリーや馬小屋を片付けてしまう教会がほとんどでしょう。でも我家では「主の奉献」の日まで片付けません。それは夫の習慣に従っているからです。
キリストは生まれてから40日目に神殿で奉献されました。神殿でシメオンは「主よ、今こそあなたは、お言葉どおりこの僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。」と、主を讃えました。私はこの日までご降誕をお祝いするのは理に適っていると思います。
ところで、罪のない神であるキリストが何故洗礼を受けるのか?と、疑問に思っている人もいるかもしれません。キリストの洗礼は私たちが受ける洗礼の意味とは違うのです。
それは「イザヤの預言」に書かれていることが成就するためでした。そしてキリストが洗礼を受けると天が開け、聖霊がイエスの上に降って来て、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえました。
これはキリストの救いの業の始まりを示すものです。洗礼者ヨハネは人々に「悔い改めよ」と言いましたが、キリストは「悔い改めよ、天の国は近づいた」と言っている通りです。