聖ホセマリア・エスクリバー著『道』
久しぶりにオンラインショップパウリーナを見てみると、なんと聖ホセマリアの本『道』の新装改訂版が出ていました。嬉しいです。プレゼントに最適な本ですが、長い間在庫無しで困っていました。
ちょっとお高いですが、内容はそれ以上の価値ありです。常に手元に置いておきたくなる本です。是非一読することをお薦めします。
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5月は聖母の月です。薔薇や百合にマリーゴールド、ポピー、菖蒲に藤の花と様々な花が咲きほこる季節です。暖かな光に包まれたマリア様にピッタリの季節ですね。
そして1日は労働者聖ヨゼフの日でした、ヨゼフ様は労働者です。大工仕事をしながらマリア様と共にイエズス様を育てました。
私たちが働く時に、もし助けが必要なら聖ヨゼフ様に執り成しを願いましょう。聖ヨゼフ様は教会の保護者でもあるのですから、その執り成しはきっと効果があると思います。
そして2日は聖アタナシウス教会博士の記念日でした。アレキサンドリアの教会主任アリウスが考えた異端の教えに反論したのが助祭のアタナシウスです。
アリウスは人たちが認めやすい教えにしようと考え、キリストの神性を否定して「キリストは単なる人間であり、神から遣わされた人である」と教え始めました。(奥義を曲げて世間に合わせようとしたのですね)そして多くの司教や司祭、人々がこの教えを受け入れ始めました。
そこで教会の分裂を避けるためにコンスタンチノーブル近くの町ニケアでの公会議が招集されました。その公会議でアリウスに強く反論したのがアタナシウスです。その結果アリウス派は退けられました。この時に決まったのが私たちがごミサで唱える『ニケア・コンスタンチノープル信条』です。
教会によっては『使徒信条』を唱えていますが、私はやはり『ニケア・コンスタンチノープル信条』を唱えるべきだと思います。ごミサはできるだけ短く、簡単に、はやく終わらせたい?いえいえ、大切な所は省略しないで、余計なおしゃべりを省略しましょう。
昨日29日はシエナの聖カタリナと同じくヴェローナの聖ペテロの記念日でもありました。実は私はこの聖人について知りませんでした。Fr Z.のブログで知りました。
それによると、彼はドミニコ会員で異端のカタリ派に説教していましたが、1252年に暗殺されました。犯人は後に回心したようです。彼はまた優れた異端審問官でもありました。
異端審問と聞くとすぐに眉をひそめる人が多いでしょう。そう、私たちは学校で異端審問がどれほど極悪非道かを教わりました。しかしFr.Zは書いています。「異端審問はよく理解されておらず、多くの嘘と黒い偽りの伝説におおわれています」と。魔女狩りなどは異端審問とはまったく別のものです。
以前にも「フランス革命」について書きましたが、私たちは極端に偏った歴史を教わってきました、最近ではトランプ前大統領に関する極端に偏った報道があります。
話がそれてしまいました。異端審問は今は教理聖省の役目です。とても大切です。だからこそ慎重に行わなければなりません。そして先ずは回心を促すことです。相手が回心するようにその間違いを懇切丁寧に説くことです。教会内でカトリックの教えとは違うこと、反することを公に言ったり書いたりすることを止めさせることは必要です。そう書くとすぐに「言論の自由だ!」と叫ぶ人がいますが、その人たちは人間中心に物事を考える人であって、すべてをキリスト中心に考えていない、生活の中心にキリストのいない人たちだと思います。
今の時代だからこそ、主の不変の教えを伝え続けるために検閲官や審問官が必要なのです。主の教えを曲げて世間に合わせるのではなく、世間を主の教えに合わせるように導くのが宣教だと思います。
今までに何回かイタリアへ行きましたが、最後に行った時が一番素晴らしく思い出に残る旅でした。その時は丁度この日にサンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ大聖堂でごミサに与ることができました。ここには聖カタリナの遺体が安置されています。またミケランジェロの「復活のキリスト像」やフィリッピーノ・リッピの「聖トマス・アクイナスの勝利」のフレスコ画もある大聖堂で、行かれた方も多いと思います。
シエナの聖カタリナとアヴィラの聖テレジアは私が大好きで崇敬する女性の聖人です。この二人の強さに憧れます。聖カタリナはドミニコ会の第三会員でありながら教皇様の間違い(教皇の不可謬性以外のこと)にもはっきりと意見した聖女です。この強さは彼女の信仰の強さの証です。
錦江湾公園へ行って困ったこと。これから初めて錦江湾公園へ行く人のために。バラ園の所のトイレしか利用していないので、そこに限っての話しです。
① すべて和式。
② トイレットペーパーが無い。切らしているのではなく設置していない。
膝の痛い人とか足腰の弱い人は障害者用のトイレを使っていましたね。外国からの人も困るでしょう。またトイレットペーパーが置いていないのは大問題です。(なぜ置かないのか理由はわかりませんが) 置かないのならティッシュの自販機を設置するなど何かするべきです。
コアラやホワイトタイガーにお金をかける前に、先ずは人のために洋式トイレとトイレットペーパーを備えてほしいものです。
それにしてもトイレットペーパーを置いていないトイレは初めてでした。今はウォシュレットの所も増えているというのに和式しかないとは・・・久しぶりの「びっくりぽんや~!」
で、わたしはどうしたかって?近くにいた婦人がティッシュを一個くださいました。助かったにゃん!
家族から「間食はダメ!」と言われれているのに、甘いものを作って間食してしまいます。「間食ではなくデザートならいいかも・・・」と、言い訳してケーキを作る私です。
他人から相談された内容を関係のない人達に話す、聞きたくもない他人の悪口を聞かされる・・・こんな時には甘いものを食べたくなります。ストレス解消に食べてしまう最も悪いパターンですね。
これから間食はやめます!でもお菓子はデザート用にこれからも作りますにゃん。
* 以前相談した内容がいつの間にかその問題とは全く関係のない人達、自分の知らない人達にまで広まっていたことがありました。これには傷つきました。相談を受けた方はその問題を解決するためにだけ関係のある人に話し、その人も他言してはいけません。「相談された内容は秘密に」これは常識です。
良きキリスト者となるために、先ずは毎日聖書を読んで主のみことばを聞き、聖母マリア様のことを想いながらロザリオを唱えること、そしてできるだけ秘跡(ご聖体とゆるし)に与ること。
日本の聖人は皆「殉教者」です。ですから殉教しなければ聖人になれないと思っている人もいるようです。聖ホセマリアが言っているように、殉教しなくても誰でも聖人「証聖者」になれる可能性はあります。でも、そこを目指すのはそう簡単でやさしい道ではありません。
尊者、福者。聖人になれなくても、そこを目指して頑張っている私たちの姿をキリストはご覧になっているでしょう。そして私たちが真直ぐに天国へ行けなくても、煉獄の時間を少しは短くしてくださるかもしれませんね。
中学校の同期のグループ(同窓会)のメールが時々届きます。同期の人の中には医者になられた方が多いのでメールの内容も医療に関するものがあり、何も知らない私にとってはありがたい情報です。
以前下記の質問があり、先日その答えが送られてきました。
質問: 新型コロナウィルス感染症に関して以下のうち、正しいものはどれか?
YouTube: Pescador de hombres | Música Católica
ポーランド語でよく耳にする「バルカ」ですが、Canto Catolico がスペイン語で歌っています。本当に美しい歌ですよね。特にこのCanto Catolico はハーモニーが美しく、心が安らぎます。
この曲を聴くとヨハネ・パウロ2世教皇様のことが思い浮かびます。
( St.John Cantius Church in Chicago)
Covid-19 の影響で、教会のごミサも密にならないように色々と工夫されているようです。
土曜日の夜のごミサは主日のごミサに事情があって与れない人のためのものです。ですからできるだけ主日(日曜日)に与るようにしなければなりません。
ところで、A教会では日曜日のごミサが密になるので、班ごとに日曜日と土曜日の夜のごミサに分けました。しかし夜のごミサに与る人が少ないので、土曜日の午前中にも主日のごミサを立てることになりました。???
おかしいと思いませんか? 主日のごミサを増やすならば日曜日に2回に増やすべきでしょう。司祭様は土曜日に土曜日のごミサと主日のごミサを2回合計3回立てているのでしょうか?
信徒たちは主日の日曜日にごミサに与りたいと願っている人が多いと思います。日曜日のごミサを午前に1回、午後(夕方でも)に1回の2回に増やして、土曜日の夜は今まで通り日曜日に事情があって与れない人(班にかかわらず)のためにごミサを立てるのが良いと思うのですが。私の考えは間違っていますか?
主日のごミサは特に大切です。日曜日にごミサが密にならないように、2回でも3回でも日曜日のごミサの回数を増やせばよいのです。司祭様は1日に立てられるごミサの数は決まっていると思うので(それ以上になるなら司教様の許可を得て)、司祭様が1人の教会は日曜日に2回、二人おられるところは3~4回に増やしたら密の問題は即解決です。
勿論A教会の土曜日に主日のごミサを2回することは司教様の許可を得ていることなので私がとやかく言えることではありませんが、私としてはすっきりしない事なので書きました。
Fr.Z のブログに載っていた動画⇩
YouTube: Богослужение по-детски...
東方正教会の子どもですね。いつもお母さんと教会に行っていることがよく分かります。可愛いですね。
神のいつくしみの大聖堂(Sanktuarium w Łagiewnikach-Poland)
復活節第2主日は「神のいつくしみの主日」です。以前は「白衣の主日」と呼ばれていましたが教皇ヨハネ・パウロⅡ世の時に変わりました。
「神のいつくしみ」とは、イエズス様が聖ファウスティナに「神のいつくしみの王」として現れたことに始まります。そしてイエズス様は彼女に「(私は)復活祭の後の最初の日曜日に『神のいつくしみ』が祝福されることを望みます。その日曜日は 最初のいつくしみの祝日です。」と告げられました。
シスター・ファウスティナによる神のいつくしみのイメージの発行・神のいつくしみへの崇敬について記述することは教皇庁によって禁止された時期(約20年間)もありました。しかし、カルロ・ヴォイティワ大司教様(教皇ヨハネ・パウロ2世)の働きかけによって彼女の著作物を禁止する命令は取り消されました。おかげで今は彼女の日記を読むこともできます。神の慈しみの御絵を飾ることもできます。ご絵の前で聖ファウスティナに取り次ぎを願う祈りもできます。
聖ファウスティナと同じポーランド人であるヨハネ・パウロ2世教皇様は2000年4月30日彼女を列聖しました。
神のいつくしみは普通は「慈しみ」と書きますが「愛しみ」という書き方もありますから、「神のいつくしみ」とはまさに「神の愛」ですね。
今日は二人の男の子の初聖体がありました。二人共百合の花を手に入堂。聖変化の時には跪いてご聖体を拝みました。ごミサの後には聖書のプレゼント!
これからはご聖体をいただくことによりイエズス様のいのちをいただきながら、イエズス様の教えをもっともっと学んでください。侍者も頑張ってね! おめでとう!!
(今日に限って携帯を持たずごミサへ。写真を撮れませんでした。残念)
YouTube: O Filii et Filiae ( O Sons and Daughters )
皆さん今年のご復活祭はどうですか?昨年は復活祭の聖なるごミサに与れなかった方も多かったと思います。私は幸いにも去年も今年も教会でご復活のミサに与ることができました。リモートでのごミサは霊的聖体拝領など公開ミサとはやはり違いますよね。
昨年は教会の新型コロナウイルス感染症への対応に疑問を感じることもありましたが、今年は去年ほどではないので安堵しています。(教会によっては未だに理に適っていないおかしな対応もありますが)
ともあれ、主のご復活は私たちの光・希望です。
主のご復活おめでとうございます!アレルヤ!
聖金曜日、今日は「聖なる過ぎ越しの三日間」の二日目です。「みことばの典礼」があります。
(Fra Angelico)
YouTube: Philippe JAROUSSKY & Julia LEZHNEVA _ Pergolesi: "Stabat Mater dolorosa"
「スターバト・マーテル」(悲しみの聖母)
悲しみの母は立っていた
十字架の傍らに、涙にくれ
御子が架けられているその間
呻き、悲しみ
歎くその魂を
剣が貫いた
・・・・・
愛しい御子が
打ち捨てられて孤独に死に
魂を手放すのを見た
さあ、御母よ、愛の泉よ
私にもあなたの強い悲しみを感じさせ
あなたと共に悲しませてください
私の心を燃やしてください
神なるキリストへの愛で、
その御心にかなうように
聖なる母よ、どうかお願いします
十字架に架けられた(御子の)傷を
私の心に深く刻みつけてください
・・・・・
あなたと共にまことに涙を流し
十字架の苦しみを感じさせてください、
私の生のある限り
十字架の傍らにあなたと共に立ち
そして打ちのめされる苦しみを
あなたとともにすることを私は願います
・・・・・
キリストよ、私がこの世を去る時には
御母によって私を勝利の栄誉へ
至らしめてください
肉体が滅びる時には
どうか魂に、栄光の天国を
与えてください。アーメン
YouTube: Pergolesi - Stabat Mater (complete/full) - Nathalie Stutzmann
(大天使ガブリエル)
「聖霊があなたに臨み、いと高きおん者の力が
あなたを 覆うでしょう。
それゆえ、お生まれになる子は聖なる者で、
神の子と呼ばれます」。
(聖マリア)
「わたくしは主のはしためです。
おことばどおり、この身に成りますように」。
そして、みことばは人となられました。神は人間の姿でお生まれになりました。
『お告げの祈り』を唱える度に、この素晴らしい神秘に心打たれます。『信仰宣言』の時も同じで、「・・・主は聖霊によって宿りおとめマリアから生まれ・・・」の祈りを口にすると自然と頭を垂れてしまいます。
今日は天主がお出来になれないことは一つもなく、またそのみ業がいかに素晴らしいかを再認識しました。マリア様の天主への完全なる従順に倣い、四旬節の残りの日々を私も『主が望むことを愛します』と言って過ごせるようにと祈ります。