私たちの教会を救うのは誰?
以前にもこのブログに載せたことのあるフルトン・シーン大司教様(1919~1951)の言葉です。意味深い言葉ですし、今の時代にこそ必要とされる言葉ですね。
司教様はよくラジオで宣教されていました。そのお話を今もYouTubeで聴くことができます。当たり前のことですが正しいカトリックの教えを話されています。
しかし今の私たちには、その話の内容は当たり前でなくなりつつあるように思えます。
聖書の中のたとえ話の解釈も今までの教会の教えではなく、司祭個人の勝手な解釈(または誰かの本からの引用?)を聞かされたりします。『えっ!その解釈は違うでしょう』と思わず声に出してしまいそうになることも・・・。
司祭司教様が私たち羊を狼から守る善い牧者であると同時に、私たちも善い牧者の声を聴きわけ見極める賢さを身につけましょう。司祭司教様の正しい導きによって私たちが善い生活を送れますように。司祭司教様のために祈りましょう。
司祭のための祈り
神よ、あなたによって恵みの分配者となった司祭に、聖霊の息吹を注いでください。▴あなたのことばにいつも開かれた心、誘惑や試練に負けない心、謙遜に犠牲を行うキリストの心を、司祭のうちに強めてください。司祭が叙階の恵みにこたえ、あなたと人々のために忠実に使えることができますように。主リストによって。アーメン。