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2021年9月 1日 (水)

俳句入門

 今日は8月最後の日。9月からは夫の仕事も始まるので、思いきって二人で「えびの高原」へ出かけました。

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 枝先が黄色く色づきはじめている木々、駐車場を飛び交うたくさんのトンボ、白い花があふれんばかりに咲きほこっている山法師の大木、夏の終わりは近く、秋がそこまで近づいていると感じました。そこでこの気持ちを一句詠みたかったのですが・・・できませんでした。

 その訳は昨夜読んだ『俳句入門』が原因です。ど素人の私が今まで詠んだ句は独りよがりで自己満足の句ばかりでした。稲畑汀子先生のこの本を読んで、初心者がよくやってしまうことがほとんど私に当てはまっているのに気づき、恥ずかしい思いでいっぱいになりました。

Photo  季重には注意しているのですが、頭で作ってしまったり、切字の使い方を間違えたり。先生は「嬉しい」などの感情言葉は避けるように、説明するよりも感動の方を大切に、事実を述べる。十七音しかないのであるから、省略の反面、短くとぎすまされた言葉を残さなければならない。対象を深く見ること。言葉をつめ込まない。等々初心者に教えておられます。

 「感動のないところに詩は生まれない」そして「感動したことを十七文字に託す」「俳句は季題を詠む詩である」という教えで、私は俳句の真の面白さがわかりかけてきました。

 これからは先生の教えておられることを少しずつ実践しながら、俳句を一から始めようと思います。ガンバルにゃん!cat

2021年8月29日 (日)

句集

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 ずっと以前から酒井司教様の句集が出るという話を聞き、まだかまだかと待っていました。そしてやっと念願かないこの句集『神の手』を手にすることができました。

 酒井司教様は湧水の俳号を持つ俳人でもあり、ホトトギスの同人です。つまり俳句のプロですね。この句集を読むと、司教様の温厚なお人柄が感じられます。

 私の母は素人の俳句好きで、特に正岡子規や高浜虚子、稲畑汀子女史の句を好んでいました。こうして句集に触れると、地方の小さな句会にいそいそと出かけていた母の姿を想い出します。

 私も俳句には興味があり、ヘタなりに時々詠みますが、娘に言わせると文法がまちがっているそうです。正直文語の文法はわかりません。

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 そこでこの本⇧を使って文語の文法をきちんと勉強することにしました。『学生の時に真面目に勉強していればよかった』と、後悔しています。

2021年8月10日 (火)

伝統ミサ


YouTube: The Beauty of Tradition and the Latin Mass

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 聖コルベ神父様がお母様に宛てて書かれた手紙の本『母への手紙』を読んでいます。当時の神学校や宣教の様子がよく分かります。その中でこういう一文がありました。

1914年7月1日 ローマ

『学年の終わりに、ピオ十世教皇は、グレゴリアン大学の学生たちに、ご好意にあふれた書簡を寄せられました。・・・・・もっと重要なこともあります。パパ様は、これから学士号を得ようとする神学生は、モデルニズムを拒否する宣誓をするようにとの、新しい規定を示されたのです。ですから、僕も試験が終わった日、みんなと一緒に、聖イグナチオ教会で、この宣誓をしました。これまでは博士号についてだけ、この宣誓が要求されていたのですが、これからは、すべての学位について要求されることになったわけです。

 一昨日、教皇様の謁見に行きました。1万人くらいはいたでしょうか。・・・・・バルコニーにお立ちになった教皇様は、祝福を与え、拍手の中を退出なさいました。・・・』

 *「モデルニズム」は「近代主義」で、哲学・神学・社会の分野で、啓示、信仰、教義の根本的概念を主観的、内在的に解釈しようとする思想。

 教皇ピオ十世によって排斥されたはずですが、今も教会内でこの思想をよく耳にすることがあるような気が・・・私の空耳?

 当時の教皇様の謁見の様子は今と変わりませんね。当たり前のことですが、聖コルベ神父様も伝統ミサを立てておられたでしょう。美しいごミサをheart04

2021年8月 7日 (土)

小平卓保神父様

 今日は小平神父様の命日です。神父様は聖書学者でした。ラテン語・英語・フランス語も堪能でした。『聖書思想事典』は小平神父様が翻訳された事典です。

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 そしてこの本も。⇩Unnamed

 以前紹介した『聖書散歩』も神父様が書かれた本です。

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書評には次のように書かれています。

永遠のベストセラー「聖書」には汲めども尽きない教えがある。 しかし案内書物がなければ、よくわからないのも聖書だ。 「本書は、著者の緻密な聖書学の知識と該博な教養とがドッキングした見事な傑作です。 読者は一人の例外もなく、聖書がこんなに面白く、 また楽しいものであったのかと認識を新たにされることでしょう。 聖書といういわば”神の言葉”の森に足を踏み入れ、 ”永遠の命”に通じる道をたどりたいと願う人々にとって、著者は類まれな案内人です。 この案内人に導かれて「聖書散歩」に参加する人は、 方向を見誤ったり、道を見失ったりせず、安心して楽しく目的目指して進むことができます。 

 小平神父様のごミサでの説教はいつも聖書についての詳しい説明とそれに基づいたお話でした。懐かしいです。「説教」とは その日に読まれた聖書について[説いて教える] 事だと思います。ただの「お話し」にならないように・・・。

 そういえば小平神父様の霊名はビアンネです。ピッタリな霊名ですね。

2021年5月 3日 (月)

聖ホセマリア・エスクリバー著『道』

 久しぶりにオンラインショップパウリーナを見てみると、なんと聖ホセマリアの本『道』の新装改訂版が出ていました。嬉しいです。プレゼントに最適な本ですが、長い間在庫無しで困っていました。

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 ちょっとお高いですが、内容はそれ以上の価値ありです。常に手元に置いておきたくなる本です。是非一読することをお薦めします。

https://shop-pauline.jp/?pid=159368001

2020年3月 6日 (金)

十字架の道行きとノヴェナ

 私は今年の四旬節中の金曜日にはK教会へ行って十字架の道行きをしています。そして、個人的には「聖ホセマリア・エスクリバーへのゆるしのための九日間の祈り」も。九日間だけでなく復活祭まで何度もくり返します。

 この祈りは本当に素晴らしいので他の皆さんにも薦めたくて本の注文をしようと思ったのですが、どこも品切れで再入荷の予定も未定とのこと。手に入らないと言われればますます欲しくなります。

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 四旬節・待降節にこそこのノヴェナの祈りを!再販されますように!(゚∀゚人

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主日のごミサを中止する教会について

 国内でも新型コロナウイルスの理由で主日のミサを信徒無しでたてる教会があるようです。代わりにネットでごミサを配信して、霊的聖体拝領を勧めています。若者はそれでよいとして、スマートフォンやパソコンをしない人たちにはちょっと・・・。

 ごミサに与りたい人もいるのですからごミサを立てて、感染が心配な人は与らなくてもよいし、それは罪にはならないと司教様が説明すればよいのです。またごミサの時は隣の人と離れて座り、体調が少しでも悪い時には絶対に与らないように徹底すること。信徒にごミサに与る、与らないの選択の余地を残してほしいと願います。遊技場やレストランなどは営業中止になっていないのですから。

 S神父様も言っておられました。「自分の命を保とうとする人はそれを失い、わたしのために命を失う人は、それを得るであろう」(マタイ10:39)です。

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2019年12月16日 (月)

今日からノヴェナ

 昨日のごミサで神父様が「明日からクリスマス前のノヴェナ(九日間の祈り)が始まります。」と言われました。恥ずかしいことに私はすっかり忘れていました。神父様が思い出させてくださり感謝!修道会では当たり前のことですが私のような信徒は忘れがち・・・そこがまた信徒と特別な召出しを受けた司祭、修道者との違いでもあります。

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 さて、先月(11月)の10日は聖レオ1世教皇教会博士の記念日でした。教皇レオ1世といえば説教が素晴らしかったことで有名です。いつかその説教集を読みたいと思っていたところネットで見つけました。 

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 届いたのは1965年出版の古い本です。中は鉛筆で引いた線や書き込みがあり、前の所有者がしっかりと読みこんでいた跡がありました。そして出版社名などの記された後ろのページには前の所有者の印が押されていました。その印を見てびっくり!「ネメシェギ」とあります。そうペトロ・ネメシェギ神父様です(多分)。ネメシェギ神父様はこの本の編集者でもあります。これは本棚の飾りにしてはいけない!私もしっかりと読まなければと思いました。happy02 

2019年12月 7日 (土)

聖アンブロジウス司教教会博士

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 今日12月7日は聖アンブロジウス司教の記念日です。ミラノの司教であった聖アンブロジウスはミラノの守護聖人です。

 ミラノ司教アウクセンティウスが亡くなった時にミラノの民衆はアンブロジウスを次の司教にと望みました。しかし彼はそれを拒否してミラノから逃げ出そうと試みましたが捕まってしまいます。そして民衆があまりにも熱心に要求するのでそれを受け入れることにしました。

 しかし彼はまだ洗礼を受けていませんでした。そこで早速カテキズムを学び洗礼を受けた後司祭に、そしてすぐに司教に叙階されました(374年12月7日)。

 アンブロジウス司教は当時異端とされていたアリウス派を一掃して正統な信仰を擁護し、また信徒の信仰教育のために素晴らしい説教をしました。洗礼志願者へ、独身生活について、聖書解釈などの説教は有名です。そしてよく知られていることですが、マニ教に傾倒していたアウグスティヌスを回心に導きました。

 以前フランシスコ教皇様がミラノを訪れた時に立てられたミサはアンブロジウス典礼(ミラノ典礼)でした。また12月31日に歌われる『テ・デウム』はアンブロジウス聖歌です。

 私はまだ読んでいませんが、この本は聖アンブロジウスが書いた『秘跡論』と『秘跡についての講話』です。読みたい本が次々に出てきて切りがないですね。

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2019年11月 6日 (水)

サラ枢機卿の本

 以前紹介したサラ枢機卿様の本の英語訳が出版されました。枢機卿様はフランス語で書かれていたので、この英語訳は多くの方が待っておられたと思います。私の夫もその一人です。

 私は英語ができないので、いつも夫の読後に内容を聞いています。この本は私も楽しみにしていました。フランス語、英語のできる方はどうぞ読んでみてください。特に司祭に薦められています。Amazon で買えます。

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2019年8月26日 (月)

『如己堂随筆』と『ロザリオの鎖』

 永井隆博士の本は『長崎の鐘』を学校で教わったことで永井博士についてわかったような気になり、他に博士が書かれた本をじっくりと読んだことはありませんでした。学校ではただ「原爆の恐ろしさ」ばかりが印象に残り、「カトリック信仰」についてはほとんど記憶にありません。

 これは学校教育のせいかもしれません。宗教はタブー視されているせいでしょう。フランス革命についても同じです。永井博士=原子爆弾の脅威のイメージばかりが強くて、永井博士=カトリック信仰は学校では教わりませんでした。

 ある人の『如己堂随筆』の感想を読んでみて、この本を私も是非読みたいと思い早速買い求めました。そして読んでみての感想は『自分自身が恥ずかしい』の一言です。私はカトリック信者として偉そうにこのブログを書いていたことを本当に恥ずかしく思いました。永井隆博士のカトリック信者としての生き方、信仰にただただ心打たれました。主は博士にこれらのことを書かせるために限られた時間をお与えになったのでしょう。

 まだ読んでおられない方は是非読んでみてください。カトリック信者は自分の信仰について黙想するきっかけにになると思います。またカトリック信者でない方はカトリックの教えについて知ることができるでしょう。これらの本に出合えたことを主に感謝します。

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2019年6月10日 (月)

聖ホセマリア・エスクリバー記念ミサ

 

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 6月26日(水)は聖ホセマリア・エスクリバーの記念日です。15日(土)東京をかわきりに29日(土)まで各地で記念ミサがあります。日本だけでなく世界各地でも記念ミサが挙げられます。私は毎年のことですが、『今年も記念ミサに与れないな~』と、ちょっぴり寂しい気持ちになります。

 記念ミサに与ることはできませんが、いつもの通り『道』を読み、取り次を願う祈りをします。また聖ホセマリアが大好きなロザリオの祈りも。

 そして『道』をまだ読まれていない方にお勧めします。

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 そして、続けて『拓』を読んでみてください。この2冊は必ずあなたの心の糧となるはずです。

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2019年3月17日 (日)

『天と地をつなぐ道』

 今日のごミサの説教を聞いていて、すぐ頭に浮かんだのが聖ホセマリアの『道』に書かれていた言葉です。

・・・鷲のように天空高く舞い上がることができるのに、なぜ飼い鳥のような飛び方をするのか。

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 聖ホセマリアについて書かれた本『天と地をつなぐ道』が発売されました。聖ホセマリアを知るための聖人伝です。と同時にオプスデイの歴史を知ることもできます。

 私はずっと前に出版された古い本で読みました。もう手に入らないと思っていたところ、また再版されたので早速買い求めました。友人にも読んでもらいたいから。

 聖ホセマリアを知らない方やオプスデイを誤解している方々にお薦めします。心を開いて読めば必ず心の糧となります。

2019年1月28日 (月)

聖トマス・アクィナス司祭教会博士

 


YouTube: O Salutaris Hostia - Catholic Eucharistic Hymns


聖トマス・アクイナスの記念日が今年もきました。聖トマス・アクイナスといえば『神学大全』。以前これの易しい解説本はないかと書きました。すると娘が『トマス・アクイナス・理性と神秘』(山本芳久著)という本を持って来てくれました。「この本は優しいし、弟がトマスの研究に惹かれる気持ちがわかる」と言っていたので読み始めました。

 確かに易しく書いてあります。しかし哲学の基礎のない私には簡単ではありません。ゆっくりと同じところを何度も読み返しながら読み進んでいる状態です。

 本を読むのは楽しいですね。以前「欲しい物は買わない。必要な物を買う」と書きましたが、本を買う時に一番悩みます。『この本は本当に必要か?ただ単に欲しいだけか?』と。ほとんどの場合「必要」と思って買うのですが、いつも後悔するのは小説の類です。しかし聖人に関する本や典礼、祈り、説教集、回勅などは心と信仰の糧となるのでいつも買ってよかったと満足しています。

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 「学ぶ」という点では私も生涯学生です。

2018年10月 7日 (日)

音楽について

 今呼んでいる本がこちら。⇩

81yo1v5gl9l_2 岡本神父様の『良い音楽は神の姿を映し出す』。ひと口に音楽といってもそのジャンルは広く、音楽について書かれた本も教科書に載っているような有名な曲ばかりに偏っています。

 しかしこの本は神父様が書かれているので宗教音楽が中心。最近ミサ曲にはまってしまった私にピッタリの内容でした。

 グレゴリアン聖歌は勿論のことアンブロジオ聖歌など中世音楽から東方教会の聖歌、バロックではモンテヴェルディやバッハ、ペルゴレージなどについて。古典派はハイドンやモーツァルトなどを、ロマン派のシューベルト・ショパン・ヴェルディ・グノー、・・・20世紀はフォーレやドビュッシー等の宗教音楽について書かれています。

 とても興味深く読んでいます。特に中世音楽については学校でも習った記憶がないくらい何も知りません。今まではただグレゴリアン聖歌をCDで聴くだけでした。

 宗教音楽には天主に対する深い崇敬を感じます。特にグレゴリアン聖歌の素晴らしさ、それはまさに祈りです。教会のごミサで再び普通にグレゴリアン聖歌が歌われることを切に望みます。教会の合唱団やオルガニストの方達もそれを望んでおられると思います。


YouTube: Canto Gregoriano, MISSA DE ANGELIS, Schola Gregoriana Mediolanensis, Giovanni Vianini, Milano, Italia

2018年5月30日 (水)

『烏賊墨の一筋垂れて冬の弥撒』

 

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 実は最初にこの本を手に取った時、一瞬で読む気が失せたのです。その理由は本の帯です。なんと私の大の苦手なA.Cさんが書いていて、しかも本の中にも前田大司教様との対談が載っていたのです。「前田大司教様はA.Cのファンなのか・・・、それなら私とは合わないのかも・・・」と思ってしまったのです。

 しかしせっかく興味を持って(通販なので詳しい内容や帯のことは知らず)買い求めた本なのでとにかく読んでみよう、A.Cさんとの対談はとばせばよいと思い読み始めました。

 「読んで良かった」素直な感想です。やはり枢機卿になられる方の話ははっきりしていて、あいまいな優しさ?ではないです。勿論100%書かれていることに同意見ではありませんが(例えば化粧品の話など)、キリストや教会の教えに関しては納得です。ご自身の病気についてのお話も私にとって良い教えとなりました。A.Cさんとの対談も話されているのはもっぱら前田大司教様の方ばかりなので、気にせずにスッと読めました。

 頭から拒否するのではなく、すべては意味があり主は与えられているのですから、それを受け入れることが大切だと今回のことでもわかりました。

 ところで肝心の俳句についてですが素人の私には批評できません。皆さんが読んでみてそれぞれに感じてください。

2017年9月16日 (土)

『嵯峨野花譜』

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 注文していた葉室麟さんの新作『嵯峨野花譜』が届いたので早速読み始めました。アマゾンでのこの本の紹介文より。

舞台は文政13年(1830年)の京都。年若くして活花の名手と評判の高い少年僧・胤舜(いんしゅん)は、ある理由から父母と別れ、大覚寺で修行に励む。
「昔を忘れる花を活けてほしい」「亡くなった弟のような花を」「闇の中で花を活けよ」……次から次へと出される難題に、胤舜は、少年のまっすぐな心で挑んでいく。
歴史、能、和歌にまつわる、あるいは生まれたままの、さまざまな花の姿を追い求め、繊細な感受性を持つ少年僧が、母を想い、父と対決していくうちに成長をとげていく、美しい物語。

 舞台が大覚寺とあったので、「いけばな嵯峨御流」と関係があるような気がして嵯峨御流のいけばなの写真集(古本ですが)を買いました。まさに小説に出てくるように、自然の花がいける人の心を表している作品ばかりです。

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 葉室さんは歴史・日本画・和歌・茶道・華道など日本の歴史文化に造詣深く、私の知らない世界を教えてくれます。

 

 私はお茶席の花が特に好きです。夏は茶室の竹の花器に一枝か二枝生けてある花の姿が涼しげで。母がお茶を点てていた頃を思い出します。

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写真はブログ『一期一会』より(木槿に朝顔)

2017年8月17日 (木)

『パウロの信仰告白』

 次男に薦められて『パウロの信仰告白』を読み始めました。以前にも紹介した『キリストの友となるために』の著者マルティーニ枢機卿様が書かれた本です。『キリストの友…』もこの『パウロの信仰告白』も司祭の黙想指導をした時の講話です。

Carlo_maria_martini_sj_2Cardinale Carlo Maria Martini(1927.2.15~2012.8.31)


 聖書学博士であり、グレゴリアン大学の総長を務められた枢機卿様はイエズス会特有?のある点でとても進歩的?な考えを持っておられリベラル派・改革派と呼ばれました。私の考えとは違いますが(私は保守派?)。しかし学者として素晴らしい方で度々司祭の黙想指導をされました。『パウロの信仰告白』は司祭だけでなく一般の人にも薦められています。

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2017年8月 7日 (月)

『聖書散歩』を読む 

 今日はビアンネ小平卓保神父様の命日です。久しぶりに神父様の書かれた本『聖書散歩』を、また読んでみました。読むたびに神父様から教えられているようで、主任司祭の時にもっとお話を聴いていればよかったと後悔しています。

 聖書学者と名乗られる方はたくさんおられますが、小平神父様は名実ともに『聖書学者』でした。英語、ラテン語はもちろんフランス語も堪能で、イスラエルでも学ばれ(ヘブライ語)旧約聖書の世界ユダヤ教にも詳しい方でした。

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 この本は以前にも紹介しましたが『散歩』と題されている通り、内容は読みやすいエッセイです。そのテーマはお酒に始まり恥、希望、孤独、旅、自由、主の祈り、償い、購い等々私たちの生活に身近なことを聖書からわかりやすく書いてあります。

 今日はその中から遠藤周作の『沈黙』についての箇所を紹介します。

神を作る

……『沈黙』のクライマックス、ロドリゴが踏絵を踏む場面は次のようになっています。「司祭は足をあげた。足に鈍い重みを感じた。それは形だけのことではなかった。……この足の痛み。その時、踏むがいいと銅板のあの人は司祭に向かって言った。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。踏むがいい。……こうして司祭が踏絵に足をかけた時……」(219ページ、新潮文庫)

 よく注意して読みましょう。「踏むがいい」という声が聞こえる前に、ロドリゴは足をあげているのです。言い換えれば、ロドリゴは、すでに自分で神をつくっているといえるでしょう。実際には、こんな都合のいい声が聞こえてくるはずがありません。彼は実に寛大な神をつくり出したことになります。この危険は、私たちにもあります。大審問官ほどでなくても、教会は聖書の神に忠実に従っているでしょうか。自分の尺度で神をつくっていないでしょうか。聖書研究会などに行っても、聖書に線でも引いて、それを行動の原理にしているカトリック信者はほとんど見かけません。自分で思いこんだり、つくったりした神に仕えている場合が多いのではないでしょうか。私たちの信仰は、人間の思惟ではなく、聖書の啓示に基づいているはずです。(『聖書散歩』158p.~159p.)

 最近「沈黙」の映画がリメイクされ、その感想を多くの司祭は曖昧に答えています。しかし小平神父様は原作についてカトリックの教えに基づきはっきりと書いています。だからと言って彼は厳しく気難しい人ではなく、逆にいつも優しくいつくしみ深い方でした。

 同性婚、離婚、再婚、精子バンク等々混沌とした現代では一部の司祭、信徒は自分に都合のよい神をつくろうとしているように思えます。今こそキリストの教えと聖書に基づき、信徒をしっかりと導く小平神父様のような司祭が必要ではないでしょうか。

2017年7月 1日 (土)

バルバロ訳聖書

 昨年の11月頃聖書について書きました。そこでは共同訳聖書よりフランシスコ会訳聖書をお薦めしました。しかしフランシスコ会訳も注釈など・・・色々気になるところがあります。共同訳よりフランシスコ会訳、フランシスコ会訳よりバルバロ訳、結論として、バルバロ訳が一番と良いということに落ち着きました。ペトロ白柳大司教のIMPRIMATURもありますから。勿論フランシスコ会訳にもあります。IMPRIMATURがあるのとないのとでは大違い。カトリック信者ならやはりこれがある聖書を使わなければね!

 聖書学者の方々や異論のある方も多いでしょうが、私はバルバロ訳を使います。

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聖書 バルバロ訳

2017年6月26日 (月)

サクスム

 今日はオプス・デイの創立者聖ホセマリア・エスクリバーの記念日です。今月10日には東京で駐日教皇大使チェノットゥ大司教様の司式で聖ホセマリア記念ミサがささげられました。

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 そして聖ホセマリアが亡くなられた後にオプスデイの長として働かれた福者ドン・アルバロ・デル・ポルティーリョの生涯についての本が出版されました。

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 教皇ヨハネパウロ二世と親しかったドン・アルバロはその優しい温厚なお顔からは想像もできない苦しい時代をサクスム(岩)のような強い意志で生きてこられました。ご自身が多くの苦しみを体験したからこそ、今苦しんでいる人達のことが良く理解でき、寄り添い、優しく包み込めたのでしょう。

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 本によると昔はオプス・デイに対する攻撃もひどいものだったそうです。特に聖ホセマリアや福者アルバロを悲しませたのは教区や修道会、信徒によって攻撃されたことでした。それはホセマリア神父が列聖される時にもある修道会の一部の人による根拠のない非難中傷がありました。いまだにオプス・デイ嫌いの人達は本当のオプスデイを知らず、昔の根拠のない非難中傷をうのみにしているせいかもしれません。

 教皇パウロ六世や教皇ヨハネパウロ二世は特にオプスデイに理解がありました。私がオプスデイに出会えたことは主の大きなお恵みだと思います。聖ホセマリアの『道』を読まなければ、このブログを書き始めることもなかったでしょう。この『サクスム』を読んで、より一層オプスデイを知ることができました。「食わず嫌い」という諺があります。『サクスム』はオプスデイ嫌いの方に特にお勧めします。confident