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2025年2月23日 (日)

フランシスコ教皇講話集

 歴代教皇様の講話集はペトロ文庫より出版されています。以前はよく読んでいたのですが、フランシスコ教皇様になってからあまり読んでいませんでした。

 先月洗礼について教皇様が何を話されているのか知りたくて『ミサ・洗礼・堅信』という講話集を(あまり期待せずに)読み始めました。ところがミサについての個所がとても良くて、ミサの素晴らしさにあらためて気づかされました。

 ミサについての本は沢山出版されていますが、この講話集は教皇様が様々な人たちを対象に話されているので、優しい言葉で要点をついた内容です。あらためてミサの素晴らしさ、ミサに与る心構えを学びました。

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 ミサに関する内容の一部

1 ミサはもっとも崇高で卓越した祈りであり、まさに、みことばと、イエスのからだと血を通しての、神との愛の出会いなのです。

2 祈るということは・・・沈黙するすべを心得ていることです。イエスとともにあっての沈黙です。ミサに行くと、五分ほど前に到着して、隣の人とおしゃべりを始めるかもしれません。でもその時間はおしゃべりの時間ではありません。・・・イエスと会うのに備えて集中する時です。沈黙はとても重要です。

3 ミサをささげに聖堂にはいるときには、こう考えましょう。「イエスがわたしたちのためにいのちを投げ出してくださったゴルゴタへ行くのだ」。そうすれば、見世物ではなくなります。この実に美しもの、つまりイエスの勝利であるミサからわたしたちを遠ざけてしまう、おしゃべり、批評、そうしたものは消えていきます。

4 主日に感謝の祭儀を行うことは、教会生活の中心です。・・・キリストなしでは、わたしたちは日々の疲れに、また日常の心配事や将来への不安に支配されてしまいます。主日に主に会うことで、自信と勇気をもって今日を生き、希望をもって前に進む力が与えられます。だからこそわたしたちキリスト者は、感謝の祭儀を通して日曜日に主に会いに行くのです。・・・私たちが本当に必要としているものを神から受けるためにミサに行くのです。

5 ことばの典礼では聖書は、書であることをやめ、神が発した生きることばとなります。・・・そして、わたしたちは信仰をもってそのことばを聞くのです。・・・神が語り、わたしたちは神に聞き、そして聞いたことを実行に移すのです。・・・ミサで朗読が始まったら、神のことばに耳を傾けましょう。

6 品位ある朗読台、朗読用聖書の使用、よい朗読者と詩編唱者の準備が必要です。ことばを間違って読んだり、全然わかっていなかったりする人ではなく、読み方を心得ている人が必要です。・・・ふさわしく朗読するためにはミサの前に準備し、練習すべきです。そうすれば、聞こうとする静かな雰囲気が作られます。

7 教会は、信者がそのミサで聖別されたパンから主のからだを拝領し、できれば聖体拝領が両形態でおこなわれて、聖体の宴のしるしがより完全な形で表されることを強く望んでいます。カトリック教会の教義では、いずれかの形態のみでも欠けることのないキリストのすべてが拝領されることになっているとしてもです。

8 信者は列を成して聖体に近づきます。そして司教協議会の決定に従って、敬意をもって立って、あるいはひざまずいて、口か、許可されていて本人が望むなら手で秘跡を受けます。

 本にはミサの始まりから閉祭まで詳しく書かれてます。

 私が抜粋した個所、特に2と5と6は私の小教区にも当てはまることです。ミサ前のおしゃべり、朗読用の聖書ではなくパンフレットを使い、聴衆は神のことばを聞かずに、パンフレットに目を落として、一斉にページをめくる音がガサガサ....典礼の勉強会で「パンフレットは置いて、朗読者の神のみ言葉を聴きましょう」と教わったことを話しても何も変わりません。教皇様が話されても変わらないのに私が話して変わるわけないですよね。catface