自分が両親の年になるとつくづく思います。私が若い頃一時期祈りを忘れた頃がありました。でもその間も親は私のために祈ってくれていたことを。私が祈りを忘れても守護の天使と親の祈りで護られていたのですね。
聖モニカも息子アウグスティヌスのために祈り続けました。親なら自分のことより子どものために祈るのは当たり前のこと・・・。でもその当たり前のことに気づいていない親もいます。子どものことを嘆くばかりで、その子のために祈らない。祈りの力は私たちの想像を超えるものです。子どもたちのために祈れば、主はその祈りに報いてくださいます。
ということで、今日は夫に誘われて藺牟田池へ行きました。いつもの通り池のまわりをロザリオをしながら一周しました。
絶滅危惧種のベッコウトンボを1匹だけ見ました。ラッキー!
朝の空腹時の血糖値がなんと156!!! (゚o゚;)~ ガーン ! なぜ?なぜ?・・・やはり昨日のストレスが原因か?帰宅後無意識のうちにしょっちゅう口に何かを入れていたのかもしれません。(入れていたのですね。)ストレスとは恐ろしい~!(ストレスのせいではなく私の意志の弱さのせいですが)
気を取り直して、今日は間食を一切しないことにします。食後のデザートもなし・・・かも。
さて、私の思い書きたいことはたくさんあるのですが、書くのは難しいですね。誤解なく真意が伝わるかどうか・・・。
教会を離れてしまった人たちについて。この人たちの教会に来なくなった理由や原因が実は私たちにあることに気づいていないのではないでしょうか。
教会から離れてしまった人たちを呼び戻そうとしてあることを考えますが、そもそもそのことが教会を離れる原因であることに気づいていないのです。例えば教会での役目(仕事)が負担だけれど「No」といえない。ところが役目を与えればその人はそのために教会に来るようになると思っている人がいます。ますますその人にプレッシャーをかける事になります。またある人は陰で中傷(悪口を言われる)されたことが原因かもしれません。そもそも私たちが教会に行くのは先ずごミサに与るためであって、掃除や諸活動のためではないということです。当たり前ですが陰口や悪口などのおしゃべりをするためでもありません。
病人は別として、ごミサが嫌で(信仰の迷い、喪失)来られないのか、それとも様々な活動や人間関係が嫌で来られないのかを知ることは大切です。それを知るにはまず神父様がその人の話しを聞いてあげることでしょう。そして原因が諸活動であるならば私たちがその人の希望を考慮し、人間関係なら私たちが回心してその人を迎えてあげるべきです。自分は嫌なこともやりたくないことも教会のため、キリストのために喜んでしているというのは本当に立派です。素晴らしい信仰だと思います。でもその信仰心を相手にも同じように求めるのはいかがなものでしょうか。
「何事も皆が平等にしなければならない」という考えには疑問を持ちます。世間一般ではそうであっても教会ではそうあってほしくありません。聖パウロはローマ人への手紙で書いています。
・・・神がおのおのに分け与えてくださった信仰の度合いに応じて自分を評価し、程よく見積もるようにしなさい。私たちの体には多くの部分があるが、それらの部分がすべて同じ働きをしていないのと同様に、大勢のわたしたちも、キリストにおいて一つの体であり、一人びとり互いの部分なのです。わたしたちは与えられた恵みに従って、異なった賜物を持っているので、・・・奉仕の賜物であれば奉仕し、また教える人は教え、励ます人は励まし、施しをする人は惜しみなく施し、つかさどる人は心を尽くしてつかさどり、慈善を行う人は快く行うべきです。(ローマ人への手紙12章3節~8節)
庭の一角が空いたので何か木を植えたいと思い春の木市へ出かけました。
ミモザは綺麗ですが根の張りが弱く台風で倒れたことがあるので却下。イペーも我が家の土には合わないらしく枯れてしまいました。数十年前モクレンの木がありとてもよく育っていたのですが、電話線に引っかかるというので切ってしまいました。今空いている所は電話線も電線もなく、なんといってもモクレンの花の咲いた樹形はとても美しいのでモクレンを植えることに決めました。
さてそこで花は何色にしよう?夫と話し合うのですがこれがなかなか決まりません。真白、クリーム色、黄色、紫色、桃色それとも赤・・・。そして買ったのがこれです。
白モクレンとバルカンです。実をいうと木市にあったのは白が数本と白以外は紫が1本そしてこのバルカンが1本だけでした。やはりモクレンは秋の木市の方が豊富に出るのかもしれません。
とにかく根付いてくれますように。( ◜◡◝ 人
日々いろいろなことが起きます。嬉しいことなら良いのにちょっと心が重くなることも。
「聞いて悟りなさい。口に入るものは人を汚さない。口から出るものこそ人を汚すのである」。(マタイ15章11節~12節)
そうですね。何気なく話したことが大ごとになったり、誤解を生んだり・・・さんざんです。こんな時に聖ホセマリアの言葉が頭に浮かびます。
・せいぜい時間の無駄にしかならないような無益な思いは、遠くへ投げ捨ててしまいなさい。
(すぐに投げ捨てます。)
・あなたのエネルギーと時間は神のものであり、道端で吠えかかる犬に石を投げたりして、無駄にしてはならない。無視しなさい。
(気にせずに無視します。)
・心の痛みは神の愛の試金石であることを忘れてはならない。
(忘れません。)
・信心に凝り固まった人と信心深い人との違いは、聖人ぶった人と本物の聖人との違いに等しい。
(信心に凝り固まった人にはならないように気をつけます。)
・神の御母は慎みのこの上ない模範である。聖ヨセフにさえ、あの神秘を明かさなかった。あなたに欠けている慎みを聖母にねがいなさい。
(聖母に倣い慎みを身につけます。)
これからは余計なおしゃべりはしないように気をつけます。主も聞いておられるのですから。これからも主に信頼して、主が望むことを愛します。
「子ども家庭庁」が発足しましたね。少子化対策として児童手当の支給・妊娠から出産・子育てまでの一貫した支援・保育行政そして児童虐待、いじめ、貧困対策など、子どもに関わる業務を幅広く担当するそうです。
少子化もいじめもず~っと言われ続けていますが、現状はほとんど変わらずといったところですね。
子育てについては人それぞれに思いや考えがありますが、私の場合は専業主婦で子どもを育てました。結婚当初、夫は私に外で働いたらいいと言っていましたが、私が専業主婦を望みました。自分が専業主婦として子育てをしたかったからです。経済的には配偶者控除があったので助かりました。夫はいつも子どもたちを入浴させ、寝かしつけてくれました。アイロンがけや皿洗いに掃除、買い物も手伝ってくれました。子どもが熱を出すと病院へ連れて行くのは夫。妻が専業主婦の夫は「男尊女卑の考えの人」というのは大きな間違いです。そう言う人は「仕事に貴賤なし」ではなく「貴賤あり」と思っているのでしょう。外で働くよりも家事は劣る仕事だと。
私のように自ら専業主婦を望み自分で自宅で子育てをしたいという女性もいることを忘れないでほしいです。外で働くことだけが労働ではありません。
ある大学の専門家の先生が「ドイツのように男女の給与の格差をなくし、すべての妻が外で働けるように日本は『妻は家庭で子育て、夫は外で働く』という古い意識を改革しなければならない。そのためには配偶者控除を廃止しなければ・・・」と、話していました。もしあの頃配偶者控除がなければ私は子どもは3人ではなく1人しか生まなかったかもしれません。
幸いなことに別の先生は「専業主婦として家庭で子どもを育てたいという女性もいる」と、話されました。その人たちのことも考えなければならないと。
私のような考えの人は少数かもしれませんが、私の同級生はほとんどが専業主婦で子どもを育てました。今の少子化対策は根本から考えがずれているような気がします。ですからいくらお金をつぎ込んでも、こんなに長い年月をかけても改善しないのではないでしょうか?配偶者控除を無くしたら私のような考えの人も子どもを産まなくなりますよ。
子どもの服を縫ったりお菓子を作ったり、子育ては楽しいこともいっぱい。子どもたちが巣立った今はお菓子を作っても夫と二人だけで血糖値を気にしながら食べています。
紅茶バナナケーキ
先日祭壇のお花について話し合っていた時に、ある方が「祭壇(教会?)の花には枝物は使わない方が良い。木は十字架を連想させるから。」と聞いたことがあると話されました。私は???『十字架を連想させるのなら逆にとても良いことでは?』と思ったのですが、先ずは「枝物は使わない方が良い」ということが事実か確かめてからと思い、帰宅後に調べてみました。
結果『ローマ・ミサ典礼書の総則』、『花と典礼』、『典礼奉仕への招き』『香部屋係のハンドブック』いずれにもそのような記述はありませんでした。
いい加減なことを教えられた彼女が気の毒です。十字架は新しい命の印、永遠の命へと導く希望の証です。ですから聖堂には十字架にかけられたキリストがおられるのです。彼女にあのようなことを教えた人はきっと十字架を死刑の道具にしか見えていないのかもしれませんね。
『花と典礼』より枝物を使った生け花です。
桃の枝を使って⇧
レバノン杉の枝を使って⇧
オミクロン株対応のワクチン接種(5回目)を受けました。ついこの間4回目を受けたような気がしますが。まあ自分が出来ることはできるだけして、後は主にお任せします。ワクチンを打っていてもコロナにはかかりますから。
ワクチンの効果のある期間はどんどん短くなり、 新種の変異ウイルスが見つかると、それ対応のワクチンが開発されて・・・私たちはこんなにワクチン漬けになっても大丈夫なのでしょうか?数十年後にこのワクチンの弊害が出ないことを願います。
COVID-19が広がり始めた頃、多くの教会は神への信頼よりもCOVID-19の方を恐れて教会の入り口を閉じました。聖週間もその扉は開くことはありませんでした。幸い私はいつも扉の開いているカトリックK教会のごミサに与れました。あの時S神父様への信頼はより強くなりました。(誤解のないように:「神への信頼」とは新型コロナにかからないという意味ではありません。)
どんな時でもご聖体訪問をしたい人がいる限り、教会の扉は絶対に閉じてはならないと思います。ごミサに与りたい人がいる限り、公開ミサを絶対に無くしてはいけないと思います。教会は教会です。学校や娯楽施設、飲食店等とは違います。今後二度と教会を閉じたり、公開ミサを無くすことがないように祈ります。
28年経ちました。阪神・淡路大震災の記憶がよみがえります。あの自然の破壊力の前で人間は無力でした。でもその時、被災者の方たちはお互いに助け合い、励まし合い、そして国内だけでなく世界中から多くの支援をもらい力を合わせて復興に取り組みました。
人間の力は弱いけれど、人間が本来持っている素晴らしいもの=愛の力はすごいです。神は人間を神に似せて造られたといわれる通りです。この復興は人間の素晴らしさを証明しました。
これからもこのような自然災害が起きるでしょう。それらを避けることはできません。でもわたしたちはそこから立ち上がることはできます。皆が助け合って乗り越えられます。阪神・淡路大震災が証しています。
今日は震災で犠牲になられた方々のために祈りましょう。
神の母聖マリアの祭日おめでとうございます。そして、新年おめでとうございます。
今年の元旦も教会でごミサに与ることができました。主キリストと共に一年のスタートを切れることはお恵みです。
私たち夫婦はおせち料理が苦手なので、おせちはお雑煮と筑前煮だけにして他は準備をしませんでした。というより、クリスマスのお祝いがまだ続いています。ワインにキッシュ、グラタン、パネットーネ
今日は「世界平和の日」でもあります。毎年初詣をする多くの人は、『今年は世界が平和でありますように』と願っているようですが、毎年その願いはかないません。各国の指導者たちは自国の軍事力を強めることに力を注ぎ、「平和を願う」と口にする国民の多くが実はそのことを支持しています。「防衛」と言えば正当化されるようですが、どれだけの武器があれば確実に自国を戦火から守れるのでしょうか?
平和を築くためにできた憲法九条を守る会「九条の会」の呼びかけ人の方々、井上ひさし氏、梅原猛氏、奥平康弘氏、小田実氏、加藤周一氏、鶴見俊輔氏、三木睦子氏、皆さん亡くなられて、ご存命なのは大江健三郎氏と澤地久枝氏のお二人だけになりました。憲法九条を支える人たちがいなくなると、世の中も徐々に憲法九条改正に傾き始めています。
新年早々重い話になりました。憲法九条改正案が聞こえ始め、防衛費が膨らんでいく現実を見ていると、平和はゆっくりと少しづつ遠のいているように感じます。
さて、今年はどんな一年になるのでしょうか?今年も「世界平和の日」の今日から憲法九条を守り、平和を築いていきましょう!
酒井司教様は昨日の動画の中で「『悲観しようと思えばいくらでも悲観する材料があります』でも二人の教皇様はこう言っておられます。マタイ福音書14章の箇所から、『主に信頼をおくことだけです』『主は手を伸ばして私たちをつかまえ救ってくださる』」と。そう、主に信頼して、私たちができることを精一杯しましょう。
「平和を守ろう」より「平和を築こう」ですね。
主キリストが私たちの救いのために幼子の姿で生まれてきてくださったことに感謝!
ヴァチカンでのクリスマス夜半のミサです。
YouTube: 24 December 2022 Holy Mass during the Night, Pope Francis
先月、後発白内障と診断され、レーザー治療を勧められました。そして両目とも治療が終わり、はっきりときれいに見えるようになりました。
視力が落ちている人は目薬やサプリメントで改善しようとせず、一度眼科へ行って診てもらった方が良いと思います。私も毎日サプリを飲んで、目薬をさしていましたが少しも良くなりませんでした。当たり前ですよね。目の疲労ではなく、レンズを包んでいる袋が濁ってしまっていたのですから。こんなに簡単な治療ですっきり見えるようになるのですから、高いサプリメント代にいつまでもお金を払うよりも眼科へ行って治療してもらうのが正解です。治療は短時間で全く痛くありません。お勧めします。
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夜は対向車のライトがまぶしくて運転しないようにしていましたが、これからは大丈夫です。(*´∀`)~♥
よく見えるようになったので、霧島(えびの)までドライブに。途中紅葉は・・・あまりないでした。
白内障の手術を受けて6年くらい経ちました。去年頃から遠くが見えにくくなり、車の運転をする時にも気になり始めました。夫が目の治療に眼科へ通っているので、ついでに私の予約もしてもらいました。
そして今日眼科へ行って診てもらったところ、視力低下の原因は「後発白内障」のせいだとわかりました。レーザー治療をすれば三度目の白内障はおきないそうです。
白内障手術をしたら新しいレンズでずっと見えると思っていましたが、再び視力が落ちることもあるのですね。人間の体は複雑で、機械とは違い部品を換えればそれでOKというわけにはいかないものだと、あらためてわかりました。
レーザー治療をしても視力が回復するかどうかはわかりませんが、できることはしてみようと思います。だめなら眼鏡をかければ済むことなので。結果は主にお任せです。
シロちゃんのおめめは綺麗です
最近はビザンチンのアラビア語の祈りを聴いています。心が静まり落ち着きます。
下の祈りは栄光の賛歌(グロリア)と同じかな?とても美しいです。たまにはこのような祈りに耳を傾けるのも心地良いものです。
YouTube: المجدلة الكبرى - الأب بيتر حنا
YouTube: معنا هو الله - يا رب القوات - تراتيل بيزنطية - Byzantine Music - SUBSCRIBE NOW !!
これは英語の訳がついているのでよくわかりますね。
夏休みで帰省していた息子は仕事先へ帰ってしまい、私たちはまたいつもの生活に戻りました。息子がいないとなんとなく生活に張りがなくなりますね。
今回息子は「七夕ちゃん」を連れて来ました。おとなしくて、ほとんど一日中動きません。じーっとしています。最初はその姿にびっくりしましたが、見慣れるとその丸っこい体が何とも言えずかわいく見えます。どうやら女の子なので、なかないようです。男の子だと「ゲロゲーロ」とうるさいらしいです。
七夕ちゃん ⇧ 同じカエルでも「ど根性ガエル」のピョン吉とは似ていないですね。七夕ちゃんはクランウェルツノガエルという種類だそうです。ジーと見ていると、それなりに可愛く見えてくるから不思議です。
台風14号については何日も前からラジオで、「今までに経験したことのない大型で強い台風。車が横転したり、古い家屋は屋根が飛んだり倒壊する恐れがあります」と注意喚起していました。
『築50年経つ我が家は二階の屋根が飛ぶかもしれないな~』と頭をよぎったのですが、こればかりは防ぎようもなく考えても仕方のないことなので、いつもの通り家の周りを片付けて停電と断水に備えて準備をして台風を待ちました。そう、いつものように主に信頼して主のみ旨にお任せです。
18日の日曜日午後5時過ぎから風や雨の音が聞こえ始め、夜の7時から8時頃にはピークに。風がほぼおさまったのは夜9時ごろでした。わずか数時間の強風でした。家が揺れることもなく、雨漏りもせず、予想していたほど強くなかったことを主に感謝しています。唯一の被害といえばミモザの木が傾いたことくらいです。
猫たちもどこかに避難していたのでしょう。今朝は無事に戻っていました。今は吹き返しがあり、時々強い風が吹いています。後片付けは風がおさまってからにしましょう。
これから台風を迎える地方の方々は台風が衰えたからといって侮ることなく、しっかり備えをしてくださいね。