2020年2月11日 (火)

ミサ典礼


YouTube: あめのきさき カトリック聖歌

 今日はルルドの聖母の日(世界病者の日)です。ルルドはこの曲であふれているでしょう。メロディーは世界共通!カトリック聖歌は歌いやすくて、世界共通の曲も多いです。

 今日は世界中で一緒に、病気で苦しんでいる人とその家族や世話をしている人たちのために祈ります。聖母の取り次ぎが彼らの心の支えとなりますように。また聖母マリア様が希望を与えてくださいますように。

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A priest may not by his own authority change the liturgical texts. That would be a liturgical abuse. The priest does NOT have the option to do that.(5 February 2020 Fr.Z)

 教会法・典礼に詳しいFr.Zは「ごミサの典礼文は司祭が勝手に変更する(言葉を変えたり、何かを付け加える)ことはできない」と書いています。これはとても重要なことです。

 司祭が変えた典礼文を聞いたり、司祭独自の聖書解釈を聴く時のごミサほど居心地の悪いものはありません。

 一般の儀式なら誰がどんなスピーチをしようと私には何の影響もありません。しかしごミサは典礼であって一般の儀式とは全く違うことを理解しなければ。それにはまずごミサとは何であるかをよく理解していなければなりません。そうでなければごミサにコンサートや観劇のような楽しさを求めてしまうことに何の違和感も感じない人が増えてしまいます。

 *(教会でゴスペルを歌いながら高揚して楽しんでいるシーンをよく映画などで見ますが、それはプロテスタントの祈祷集会であってカトリックのごミサではありません。)

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 余談ですが、アメリカの民主党候補者選びの選挙で使われた「選挙アプリ」は不具合が生じて混乱を招きましたね。このアプリと同様に「教皇選挙アプリ(Conclave app」の開発を進めたい人達がいるようです。まさか冗談でしょう!・・・でもロザリオアプリも発売されているし、今のヴァチカンならあり得るかも bearing・・・どうかフェイクニュースでありますように。

2020年2月 8日 (土)

嵯峨御流

 

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「春節」(野花の生け花より)

 以前にも書きましたが葉室麟さんの小説『嵯峨野花譜』で嵯峨御流いけばなを知りました。そして小説を読んで以来ずっと「嵯峨御流」が気になっていました。

 たまたまYouTubeで見たお花が素敵で、それを生けておられたのが嵯峨御流師範の方でした。基礎だけでも習いたいと思ったのですが近くに教室はありません。仕方がないので本を買って読んでみることにしました。

 そもそも「嵯峨御流」とは仏前供養の「嵯峨荘厳華」、生花の「未生流」、盛花・瓶花の「嵯峨流」を総称して、三様式の流名はそのまま残し対外的に「嵯峨御流」と呼ばれているそうです。

 私は二十歳くらいの頃に母に勧められて一度だけ未生流のお稽古場へ伺ったことがあります。お花の先生は勿論のこと生徒さん方も年配の茶道の先生をなさっている方が多く、その凛とした空気、雰囲気に怖気づき二回目はありませんでした。あの時に頑張って通い続けていたら・・・今は後悔しています。

 『嵯峨御流いけばな』です。⇩

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 先日夫と「専心池坊いけばな展」を見に行きました、

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 夫は英国スタイルの華やかなお花が気にいったようです。どの作品もとても美しく華麗で、特に私の好きな椿の生けてある作品の前ではつい長く足が止まってしまいました。そして花器も素晴らしく、お花との調和も見事でした。

 様々な作品を見て、人はそれぞれに好みが違うからこそ良いのだと思いました。また自分の好きな花が生けてあると特に嬉しくて心が温かくなることも。

 生け花は生ける場所と目的によっても違うでしょう。茶室にぴったりな生け花でも教会の祭壇には不向きなことがあります。祭壇のお花は主を賛美するためですから華やかさも必要ですね。国によっても様々な習慣や生け方があると思います。 

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2020年2月 5日 (水)

信心業

 KYOTVで日本の宣教についの紹介がありました。その中で、ある時ご婦人が神父様に「初金」について尋ねたところ、その神父様は「初金や十字架の道行き等の信心業は必要ありません。全部捨ててください。ごミサだけを大切にしてください」と、言われたそうです。この考えはある時期多くの司祭に影響を与えました。

 私はこの話を聞いて妙に納得しました。それは世界的に信徒が少なくなり召出しが少なくなっている原因の一つがわかったような気がしたからです。この話を聞いて私が思ったのは神父様の答とは違い「信心業を大切にする人はごミサも大切にする」ということです。

 信心業は初金ミサ、十字架の道行きだけではありません。ロザリオの祈り・ノヴェナも信心業、ご聖体訪問も信心業です。他にもお告げの祈りや聖母マリアの七つの悲しみの道行き、グアダルーペやルルド、ファティマ、チェンストホーヴァ等の聖母への信心業、またメダイやご絵も信心業の道具の一つです。

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 昔は多くの家庭で信心業を通して親は子どもに信仰を伝えていました。家庭での信仰教育です。親は子どもと一緒にロザリオを祈り、教会の前を通るときには十字を切り、あるいは聖堂に入りご聖体の前に跪いて短い祈りをしました。しかし第二ヴァチカン公会議後信心業を軽視する神父様が増え、結果、子どもたちに信仰が伝わりにくくなりました。ご聖体を一番大切にする信心が育たなければ当然ごミサに与る意味も薄れてしまいます。

 長い年月をかけて形作られ伝えられてきた伝統は人々の知恵と信仰によって生み出されたものです。私は古くから受け継がれているそれらを簡単に捨ててはいけないと思っています。

 近年信心業を勧める神父様方が増えています。今まで教皇様方は一度もロザリオなどの信心業をやめなさいと言ったことはありません。それどころか聖母訪問をし、道行きをし、ロザリオを祈っておられます。

 信仰生活とはごミサに与るだけでなく、その時以外もイエズス様やマリア様を忘れずに、信心業をしながら祈り生活することではないでしょうか。かえって信心業によってごミサを大切にする心が育つのだと思います。

 今日5日は日本26聖人殉教者の祝日です。殉教された聖人の皆さんもきっと信心業が大好きだったと思いますよ。

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作詩:永井 隆

2020年2月 2日 (日)

Candlemas Day

 

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  今日は「主の奉献」(candelaria/candlemas)。この日は昔から多くの国で、たくさんのローソクの光と共にごミサを立てて祝います。それはとても美しいごミサだそうです。私はまだ与ったことはありません。いつか日本で与れる日がくるでしょうか・・・。

 マリア様とヨセフ様は生まれて40日目のイエズス様をエルサレムの神殿で神に捧げました。これは律法で決められていたことです。その様子を描いたステンドグラスがこちら。⇩

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 このステンドグラスには聖ヨセフと聖マリアそして幼子イエズス様を抱いているシメオンと預言者アンナの姿も描かれています。

 今日まで一部の国や地方ではクリスマス(主の降誕)を祝います。

2020年1月30日 (木)

恐怖心が生むもの

 新型コロナウィルスが世界中に広がっています。人から人へと感染、保菌者との接触や咳等の飛沫などによって感染するとのことです。現在食中毒のように食べ物を介して感染が広がっているのではありません。ですから外出時にはマスクをして、常に手洗いを心がければ予防になるようです。

 こういう時に正しい情報を得ずに過度の不安や恐怖心を抱く人がいます。昔HIV感染者が国内で初めて確認された時に、「この病気は外国から入った」という情報に過度に反応して、理髪店の入り口に「外国人お断り」の張り紙を出す店が多くありました。今回のウィルスも同じように見当違いの反応をする人達がすでにいます。

 「恐怖心は人間を小さくし、愛は大きな力を引き出す」映画の中で聴いた台詞です。元はキング牧師のことばかもしれません。恐怖心は偏見を生みます。恐怖心は差別を生みます。気をつけなければ!教会にふさわしいのは「愛」であって「恐怖」ではありません。

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2020年1月28日 (火)

聖トマス・アクィナス司祭教会博士

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 私が特に尊敬する聖人の一人聖トマス・アクィナス。今日は『神学大全』のことは置いておいて、聖トマスの生涯について。

 伯父がベネディクト会のモンテカッシーノ修道院の院長をしていたので、聖トマスも伯父の後を継ぐことを期待されて、5歳の時ベネディクト会の修道院に預けられました。19歳の時に彼はベネディクト会ではなく新しいドミニコ会に入りました。ドミニコ会入会に反対の家族は彼を強制的に連れ戻し城に幽閉しました。しかし1年余りの幽閉後ついに家族も折れて彼は自由の身となり、パリのドミニコ会に入り勉学を続けました。彼の偉大な才能を見出したのが教授の大聖アルベルトでした。当時まわりの学生たちから「馬鹿な牛」と呼ばれていた彼を大聖アルベルトは「あなたたちはこのトマスを馬鹿な牛と言っているが、この馬鹿な牛の声がいつか世界中にとどろくだろう」と言われました。(いつの時代にもいじめをするとても愚かの人たちがいるものです)そしてその言葉通り聖トマスは全世界、教会に影響を及ぼす偉大な学者となりました。

 私が聖トマスに魅かれるのは学問だけではありません。それは彼の深い祈りの生活です。学問に行き詰った時にはいつも聖堂に入り、深い祈りの中で答えを見つけ出そうとしたそうです。 

 そして素晴らしいご聖体に対する祈りの聖歌を書きました。今でも教会で歌い続けられている「Tantum ergo」「O salutaris」「Panis angelicus」の歌詞は聖トマスが書いたものです。


YouTube: The Roger Wagner Chorale - Panis angelicus (Franck)


YouTube: O Salutaris Hostia

2020年1月25日 (土)

聖パウロの回心

 今日の聖書朗読の「聖パウロの回心」の箇所(使徒言行録22:3~16 or 9:1~22)は、毎回読む度に感動します。あれ程キリスト教徒を嫌い迫害していたサウロ。彼は熱心なユダヤ教徒であったばかりに本当のキリストを知ろうとはせずに、キリスト教徒を迫害することこそがユダヤ教徒として立派に生きることと考えていたのでしょう。ですから主はサウロに突然劇的に回心の恵みを与えられました。キリストを知ったサウロはパウロとなり、以前のユダヤ教徒の熱心さ以上に熱心なキリスト教徒となりました。

 私たちも聖パウロほど大きな出来事ではなくても、何らかの回心の恵みをいただいたことが必ずあると思います。Conversion

2020年1月23日 (木)

信仰宣言

 この信仰宣言「クレド」の動画は、揺らいでいた私の心を落ち着かせてくれます。

 「・・・聖霊によって、おとめマリアよりからだを受け、人となられました。・・・」ここで跪かれる教皇様。教皇様の祈る姿は私を勇気づけてくださいます。


YouTube: Credo III (...et incarnatus est...)

2020年1月22日 (水)

思い煩うことなかれ

マタイによる福音書 (6章33~34節)

まず、神の国とそのみ旨を行う生活を求めなさい。そうすれば、これらのものも皆、加えて、あなたがたに与えられるであろう。だから、あすのことを思い煩ってはならない。あすのことは、あす思い煩えばよい。その日の労苦は、その日だけで十分である。

 最近思い煩うことは、カトリック教会の教えを曲解・歪曲して教えられること。例えば「昔はこう教えられましたが今は違います」と話されると、カトリックの教えは不変のはずなのに、カトリック教会の真の教えやイエズス様のみ心、マリア様のみ心(偽出現を含め)の理解は変わるのでしょうか?

 マタイの福音書に書かれている「今日何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようか・・・」と言う悩みはありませんが、イエズス様の教え、聖書に書かれていること、カトリック教会の教えについてこれから教会はどうなっていくのだろうという不安はあります。

 この事について夫と何度も話してみて学びました。これらのことを思い煩うのは愚かなことだと。カテキズムにははっきり書かれています。また何よりも主はこの現実を知っておられます。最後の審判を下されるのは主なのですから、私が思い煩うことはありません。他人の言動に一喜一憂するのではなく、ただ秘跡を大切にして、「神の国とそのみ旨を行う生活」を求め続ければよいということに気づかされました。

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2020年1月18日 (土)

ニャンズに苦情を言う人達へ

 

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 猫が畑を荒らすと言っている方、意外とタヌキやハクビシン、モグラの仕業と間違えているのかもしれませんよ。もう少し穏やかな心でニャンズたちを見守っては?

 女人禁制のアトス修道院。でもニャンズたちは例外。雌猫でもOK!

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 ネズミを捕るニャンズたちは可愛がられていますよ。

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2020年1月14日 (火)

音楽・ロシア正教クリスマス・本

 最近気になっている音楽と本です。LARGOは以前にも紹介しましたがロシア正教のグループです。彼らの動画と正教のクリスマスを見ると、カトリックが手放した素晴らしいもの(主への崇拝の表現)を持ち続けている正教を少し羨ましく思います。


YouTube: Величит Душа Моя Господа|Арт-группа Ларго

 ロシア正教会のクリスマスミサ(1月7日ユリウス暦クリスマス)プーチン大統領の姿(59:00頃~)もあります。


YouTube: LIVE: Russia's Patriarch Leads Christmas Mass in Moscow

 もう一つ気になるのが近日(明日15日?)発売される教皇ベネディクト16世とサラ枢機卿の共著の本です。私たち信徒が今不安に思っていることへの答え(希望)が書かれているのでは?と期待しています。

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2020年1月12日 (日)

主の洗礼の祝日

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 洗礼者ヨハネから洗礼を受けるイエズス

 今日は主の洗礼の祝日。

そのとき、イエスが、ガリラヤからヨルダン川のヨハネのところへ来られた。彼から洗礼を受けるためである。ところが、ヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った。「わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたが、わたしのところへ来られたのですか。」しかし、イエスはお答えになった。「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。」そこで、ヨハネはイエスの言われるとおりにした。イエスは洗礼を受けると、すぐ水の中から上がられた。そのとき、天がイエスに向かって開いた。イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった。そのとき、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と言う声が、天から聞こえた。(マタイ3:13~17)

 私たちの受ける洗礼は罪の赦しの悔い改めの洗礼ですが、イエズス様の洗礼は私たちの場合と違います。イエズス様の洗礼によって今日の第一朗読で読まれたイザヤ書、「(主は言われる。)見よ、わたしの僕、わたしが支える者を。わたしが選び、喜び迎える者を。彼の上にわたしの霊は置かれ彼は国々の裁きを導き出す。・・・主であるわたしは、恵みをもってあなたを呼びあなたの手を取った。民の契約、諸国の光としてあなたを形づくり、あなたを立てた。見ることのできない目を開き、捕らわれ人をその枷から闇に住む人をその牢獄から救い出すために。」(イザヤ書42章1~4節、8~7節)が成就したのです。

 今日のロザリオは「栄えの玄義」ではなく「光の玄義」から唱えることにしましょう。特にまだ洗礼の恵みを受けていない人たちのために。

2020年1月 8日 (水)

家族の祈り

 時々行くMカトリック教会ではごミサの後にいつも「家族の祈り」を唱えます。『カトリックの祈り』の本には「聖家族に対しておのが家族のためにする祈り」が載っていて、A教会ではこちらの祈りを時々唱えています。

 「家族の祈り」は残念なことに祈りの本『カトリックの祈り』『祈りの友』どちらにも載っていません。良い祈りなのでご存知ない方のためにここに載せます。

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家族の祈り

わたしたちの父である神よ、わたしちの家族にくださった、

すべての恵みに感謝します。

わたしたちが互いに耳を傾け、支え合うことができますように。

怒り、争い、不安におちいることなく、

愛と喜びと、平安のうちに、ゆるし合えますように。

悩んでいるほかの家族のさまざまな思いに

心を留めることができるように、

わたしたちの心に愛を注いでください。何よりも、

わたしたちの家族が、あなたの愛と一致のしるしとなりますように。

わたしたちの主イエズス・キリストによって。アーメン。

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2020年1月 6日 (月)

主の公現 (Epiphania Domini)

 1月6日は「主の公現」です。しかし日本では平日には教会へ行けない人が多いので、今年は昨日5日の主日に「主の公現」を祝いました。昔は公現祭から降誕節の終わる主の洗礼まで荘厳に祝っていたそうです。

 今日は東方の3人の博士たちがイエズス様に贈り物(黄金・乳香・没薬)を持って来ました。それぞれ違う国の3人の博士たちがイエズス様を拝むことはすなわち、イエズス様を通して主の栄光がすべての人に現されたことを意味します。ですから「主の公現」と言われるのですね。

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2020年1月 1日 (水)

神の母聖マリアの祭日

 

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 2020年、さて今年はどんな一年になるのでしょうか?皆様こんな一年であって欲しいという思いは色々あると思います。

 私も思いが実現できるように努力しなければ、たとえそれがどんなに微力であっても。

 今年は夫婦二人だけのお正月。二人で教会へ行きごミサに与りました。お屠蘇で乾杯してお雑煮をいただいて、静けさの中で少しはお正月の雰囲気を味わっています。

 皆様良いお正月をお過ごしくださいね!

2019年12月31日 (火)

感謝のごミサ

 一年間のお恵みを主に感謝して、Kカトリック教会のごミサに与りました。12月31日、ごミサに与る人は少なくても毎年感謝のごミサを立ててくださるS神父様。「人が少ないからごミサは立てない(またはTe Deumはしない)」と言う司祭様が増える中で、たとえ与る人が少なくても感謝のミサを立ててくださる神父様は司祭の守護者聖ビアンネを思い起こさせます。

 一年を1月1日神の母聖マリアのごミサに始まり、12月31日感謝のごミサ(or Te Deum)で締めくくる。なんと幸せなことでしょう。

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2019年12月29日 (日)

聖家族

 一昨日は使徒聖ヨハネの祝日、昨日は幼子の殉教、そして今日は聖家族のお祝いです。主が今年も一年間私たちの家族と共にいてくださったことを感謝します。

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 カトリック新聞のクリスマス特集号で酒井俊弘大阪教区補佐司教様が「ほんもののクリスマス」について書かれていました。その中で聖家族について『クリスマスの中心であるイエス様自身が、実は贈る喜びそのものです。人類のために自分のいのちをささげに来られたのですから。聖母マリアと聖ヨセフも、そうです。聖母マリアは救い主の母となることを、聖ヨセフは救い主とその母を守ることを任されました。自分の全てを与えようという3人の間には、贈る喜びが満ちあふれていたことでしょう。』と、書いておられます。

 聖家族は家族の中で自分を与えることの模範を私たちにしめしています。贈る喜び・・・確かに家族が喜ぶと私はもっと嬉しくなります。これからも夫や子どもたちのためにもっともっと自分を与えたい。confident

 31日には私たち家族への沢山のお恵みに「Te Deum」で主に感謝します。


YouTube: Te Deum laudamus

2019年12月28日 (土)

お花教室

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 今日はお正月用のお花を生けました。花材は若松、葉ボタン、千両、シンビジュームと獅子頭の柄のピック。花器もお正月用に白く大きなものにしました。

 私がこのお花教室に入ったのが2016年4月です。約3年半、途中で止めることなく、私にしてはよく続いています。目に見えて上達はしていませんが、毎回季節ごとに違う花を生けることで心の安らぎを得ています。

2019年12月26日 (木)

聖ステファノ

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 聖ステファノは使徒たちによって選ばれた最初の7人の一人で、彼の殉教にはサウロ(パウロ)もかかわっていました。そしてキリスト教の最初の殉教者として多くの国々で崇敬されています。

 少し長いですが教皇ベネディクト16世の聖ステファノについての話しを抜粋します。

ステファノは死ぬ前にこう叫びます。「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」。これは、詩編のことば(詩編31・6)を自分のことばとし、カルワリオでのイエスの最後のことばである「父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます」(ルカ23・46)に従ったものです。そして最後にステファノは、イエスと同じように、石を投げる人々の前で大声で叫びます。「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」。わたしたちは次のことに気づきます。一方で、ステファノの祈りはイエスの祈りを繰り返します。他方で、この祈りをささげる対象は異なります。なぜなら、この祈願は主ご自身、すなわちイエスに向けられているからです。ステファノはイエスが栄光を受けて父の右の座におられるのを仰ぎ見ながらいいます。「天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」。・・・・・わたしたちも自分の祈りを、神のことばに耳を傾け、イエスとその教会と交わりをもつことによって深めなければなりません。・・・・・わたしたちの祈りは、神の右の座におられるイエスを仰ぎ見るものとならなければなりません。イエスは、わたしたちの、わたしの日々の生活の主だからです。

 聖ステファノのようにいつもイエズス様を中心に生活しなければ・・・ついついイエズス様を忘れて過ごしてしまう時の多い私は反省!catface

 happy01 聖ステファノの洗礼名、堅信名の皆さんおめでとうございます!

2019年12月25日 (水)

祝福~ Urbi et Orbi

 毎年クリスマスと復活祭には教皇様の祝福を楽しみにしています。confident ローマとは時差があるので、うっかりしていると祝福を受け損ねてしまいます。カトリック信者の多い国ではラジオやテレビでライブ配信されますが、日本ではインターネットに頼るしかありません。ヴァチカン25日12:00から、日本時間今日(25日)20:00からです。https://www.youtube.com/channel/UC7E-LYc1wivk33iyt5bR5zQ

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 いつものKカトリック教会は祭壇がとても美しく、イエズス様を迎える喜びにあふれていました。隣の幼稚園の園児たちもお行儀が良くてとても可愛らしいでした。Gさんが美しい声で答唱詩編をうたわれたので、おもわず詩編に引き込まれてしまいました。フランス人やポーランド人のご家族も一緒でしたよ。
 

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