2020年4月15日 (水)

税金は正しく使ってほしい!

 東京都内では救急車で救急搬送される患者さんが「新型コロナウイルス感染の疑いがある」と病院に報告すると、受け入れてくれる病院がなかなか見つからない事例が増えているそうです。病院側にすればウイルス対策がなく、看護師たちを含め院内感染になる可能性のある受け入れはできないでしょう。そんな中、次のようなニュースがありました。 

新型コロナウイルス感染症に対する追加の緊急経済対策として、所得制限を設けず、国民1人あたり10万円を給付するよう要請。首相は「方向性を持ってよく検討したい」と応じた。

 今日にも家賃や食費に困っている人達には10万円でも30万円でもできるだけ早く給付するべきだと思います。しかしそうでない人に今お金を配る必要があるのでしょうか?マスク(466億円?)にしても同じです。

 今お金を使うべきところは感染の疑いのある人や感染した人たちを受け入れる病院とスタッフでしょう。中国のように簡易病院を立ててはどうですか?国境なき医師団は世界中でウイルス感染対応の経験があります。彼らにアドヴァイスをもらい救急搬送の人が一人も断られない体制作りにお金を使ってほしいです。

 また、医療用マスク、防護服、酸素吸入器、人工呼吸器、そして何よりもワクチンの開発のために。

 あれだけ「新型コロナウイルスと闘う」と威勢よく言うのなら、本気で考えてください私が10万円もらっても貯金するだけで、払った税金の一部が戻ってきたとしか思えません。政府には「私が払った税金は有意義に正しく使ってください」と言いたいです。

 最近「むっ」とすることが多くて、少し熱くなっています。四旬節の反動かな?相変わらずアナグマは来るし、わたしを怖がらずにじーっと見つめます。

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ミラノのドゥオーモから


YouTube: Andrea Bocelli: Music For Hope - Live From Duomo di Milano

 イタリアのテノール歌手アンドレア・ボチェリさん。ウイルスに苦しむ人々に向けてミラノのドゥオーモから歌によって希望を与えてくださいました。Panis Angelicus, Ave Maria, Sancta Maria, Domine Deus カトリック教会で歌い継がれている祈り、そしてAmazing Graceです。

 聖母マリア様のご加護を祈り、死にうち勝って復活された主を信頼しましょう。主は光です。

2020年4月13日 (月)

待てなかった

 皆さん、昨日の教皇様の祝福 「Urbi et Orbi」を受けられましたか?私はできませんでした。楽しみに待っていたのです。

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 インターネットで夕方6時(ローマ10時)から教皇様の復活主日のごミサに与りました。説教も無くいつもよりずっと早く終わりました。続けてすぐに祝福があるのかそれとも例年通り8時(ローマ12時)からなのか・・・少し悩んだのですが・・・「きっと教皇様は少し休まれていつもの時間に始めるでしょう」と勝手に思い、私は夕食へ。食事を終えて戻るとなんと祝福は終わっていました。録画を見ると、教皇様はごミサの退場後しばらくして再び登場されていました。

 わたしが待つことよりも夕食の方を選んでしまった結果です。(反省)待つことは大切ですね。そしてどんな場合でもその結果を受け入れることも大切です。

2020年4月12日 (日)

ご復活の主日

21_2 主イエズス・キリストはまことに復活されました

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 イタリアの教会の主日のごミサで唱えられていたアレルヤ唱を見つけました。

 私の知っている「アレルヤ唱」と曲は同じですが歌詞が少し違います。⇩

Signore nostro tu sei risorto 

Tu sei la luce del mondo

Singore nostro tu sei risorto 

Alleluia Alleluia

Alleluia ×10回


YouTube: Alleluia (canto per Cristo)

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 ケーキに卵、キッシュにワインと今年もお祝いができました。カプレーゼとキッシュは娘が作ってくれました。ケーキも娘からのお土産、伊万里の聖母トラピスチヌ修道院のマーブルケーキです。すべてぜ~んぶ美味しかった!

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 そして何よりもご復活主日のごミサに与ることができたのは最高のお恵みと喜びです。主よありがとうございます。

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 ごミサに与ることのできなかった多くの方々のために祈りました。そしてこの新型コロナウイルスが一日も早く終息しますようにと。

2020年4月10日 (金)

聖金曜日(主の受難)

 聖木曜日のごミサ後から、祭壇の上の物はすべて取り去られ、ご聖体も別室に安置されています。

 イエズス様は苦しみの中侮辱され十字架につけられて亡くなりました。聖母マリア様は最後まで主と共におられ、その苦しみと死を受け入れました。

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 罪のまったく無いイエズス様は私たちの罪の贖いのために十字架上で亡くなられました。ご自身を生贄としてささげられたのです。私たちのためにです。

 主がどれほど私たちを愛してくださっているのか、十字架上の主のお姿を見ればよくわかります。

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2020年4月 9日 (木)

聖木曜日(主の晩餐)

 カトリック教会で最も大切な「聖なる過ぎ越しの三日間」が今晩の「主の晩餐のミサ」から始まります。

 今日聖木曜日は主の晩餐と呼ばれるように、主イエズスが12人の弟子たちと共に過ごす晩餐を記念します。

 この晩餐の時に主イエズス・キリストは「このパンはわたしの体、この葡萄酒は私の血」であり、再びわたしが来るときまでこれを行うようにと定められました。

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主イエズスは死に渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげてから手で分け、そしてこう言われました。「これはわたしの体、あなたがたのためのものである。わたしを思い出すために、このように行いなさい」。食事が終わってから、主は杯についても同じようにして言われました。「この杯は、わたしの血による新しい契約である。これを飲むときはいつでもわたしを思い出すために、このように行いなさい」。実に、あなたがたはこのパンを食べ、この杯を飲むときはいつでも、主がおいでになるときまで、その死を告げ知らせるのです。(コリント人への第Ⅰの手紙 11:24-26)

 

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そして主イエズス・キリストは自ら弟子たちの足を洗いました。

さて、イエズスは、弟子たちの足を洗い終わり、上衣を着て、再び食事の席に着くと、仰せになった。「あなたがたにしてやったことがわかるか。あなたたちは、わたしを『先生』とか『主』とか呼ぶ。そのように言うのは正しい。そのとおりだからである。それで主であり、先生であるこのわたしが、あなたたちの足を洗ったからには、あなたたちも互いに足を洗い合わなければならない。わたしのしてやったとおりに、あなたたちもするようにと、模範を示したのである。」(ヨハネによる福音書 13:12-15)

 ご聖体には特別なかたちで主イエズス・キリストが現存しておられます。信じていればご聖体=イエズス様の前で跪くのは自然なことでしょう。

 なぜご聖体を立ったままで、しかも手で受けるように変えてしまったのでしょうか?(ずっと昔手で受けていた時は今のように直接手にのせるのではなく、白い布を手に広げてその上にのせていたそうです)ご聖体を特別ないのちの糧ではなく、普通の食べ物と同じ扱いにしてしまいました。私はご聖体(キリスト)を立ったままで素手に受けるように変えた人達の意図が未だにわかりません。

 ご聖体についてもう一つ。司祭様方はご聖体を顕示して町中を回り、人々はキリストが共にいてくださることに勇気づけられて祈っています。聖堂に顕示されたご聖体の前でも祈っています。人々はご聖体にキリストを見て、キリストに祈ります。

 ところでとても違和感をおぼえる動画を見ました。それはヘリコプターで空からご聖体の祝福をしている光景です。キリストを見てキリストに祈りそして祝福をいただくことがご聖体顕示だと思うのです。しかし何も気づいていない人々に空からまとめてご聖体で祝福するのはちょっと違うような気がしました。それはまるでご聖体でおまじないをしているようにも見えました。司祭様は良い心でそれをされたのはよくわかりますが、カトリック信者以外の人からは誤解されそうです。(これはあくまでも私個人の感想です)

2020年4月 4日 (土)

春になると

 猫たちの餌を横取りしていた正体は「ニホンアナグマ」。息子が教えてくれました。私はずっとハクビシンだとばかり思っていました。

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 北海道以外全国に生息しているそうです。この辺りは空き地が多いので、穴を掘って住み家にしているのでしょう。冬の間ずっと姿を見ないと思っていたら、どうやら冬眠していたようです。春になって目覚めて活動を再開した模様。家に住みつくハクビシンでなくてよかった。

 でも常連客になられても困るので、猫たちが食べ終わったらお皿はすぐに下げるようにします。自分がいかに田舎に住んでいるかを実感しました。

 春になるとアナグマが目覚め、鶯が鳴き、菜の花が咲きほこり、桜吹雪が舞います。春っていいですね  heart

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高千穂牧場:桜と菜の花と鶯の声  noteホーホケキョ~ !

2020年4月 3日 (金)

ただ驚く!失望・・・そして希望

  ここ数日は何とも言えない失望感に襲われ、時々不満がこみ上げました。今日十字架の道行きをしてご聖体をいただき、やっと「主よあなたが望むことを私も望みます」と言えるようになりました。

 今は祈るだけです。主はすべて知っておられるので、ここで私の思いを書く必要もありません。

 

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ロシアでも祈っています。


YouTube: МОЛИТВА ВО ВРЯМЯ РАСПРОСТРАНЕНИЯ ВРЕДОНОСНАГО ПОВЕТРИЯ АРТ ГРУППА ЛАРГО

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2020年4月 2日 (木)

カトリック信仰


YouTube: Eucharistic Procession through empty streets of Italy

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YouTube: Catholic Protection Procession - Fr. Mark Goring, CC

2020年4月 1日 (水)

中野司教様からの通達

鹿児島教区長 中野裕明司教様からの通達です。

  1. 全小教区において今年の聖週間の典礼は非公開にする。
  2. 各人は、家庭で信仰の核心である、イエスの死と復活の神秘を黙想し、感染終息のために希望を失わないで祈る。
  3. すべての死者、特に新型コロナウイルスで亡くなつた方々のために祈る。
  4. 現在、感染者の救済のために英雄的に尽力している医療従事者のために祈る。
  5. 感染拡大を最小限に抑えるために、健康な人々が、欲望を抑え、自己犠牲の精神を実践できるように祈る。

【特別な注意事項】
現在、鹿児島教区では、主日のミサの実施については、各主任司祭の裁量にゆだねています。したがつて、「ミサ中止」ではなく、「公開ミサ中止」あるいは「ミサ自粛」という意味です。これは、それぞれの小教区が慎重な討議の上、決定したことです。従つて自分の教会でミサがないという理由だけでミサのある教会に行かないようにしてください。「公開ミサ」を中止した理由を尊重してください。そうでないとミサを中止した理由がなくなります。

2020年3月30日 (月)

来週は聖週間

 

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 新型コロナウイルスが広がる中、今まで国からの指針に従ってきた教会の方針に何か釈然としないものを感じています。不安や恐れからあまりにも保身に走り過ぎているような気がします。でも国分教会はそうではありません。

 「主は『恐れるな』と言っておられます。たとえこの世のいのちを失っても、永遠のいのちを信じているのなら、何も恐れることはありません」と。自分が新型コロナウイルスに感染して亡くなるか、他の病気で亡くなるか、事故や災害で亡くなるか、老衰で亡くなるか、私たちにはまったくわかりません。司祭様が率先してこの世の死を恐れるのではなく、私たちには永遠のいのちがあることを話して励ましてくださることを願います。

 主キリストはご聖体を制定され、私たちの罪の贖いのために十字架上で亡くなられました。そして復活され、今も私たちと共にいてくださいます。健やかな時も、死を迎える時も主は共にいてくださいます。恐れることはありません。

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 主が私たちへ回心への呼びかけをされています。主の声に耳を傾け、このウイルス感染の終息を願いましょう。

2020年3月29日 (日)

ごミサに与れる幸せ

 

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 県内でも新型コロナウイルスの感染者が出ましたが、27日はいつもの通りK教会で十字架の道行きをして、今日は同じ教会で主日のごミサに与ることができました。ご聖体を顕示されその前で祈り、祝福を受けることもできました。S神父様に感謝!

 イタリアでは多くの司祭も亡くなられています。感染した人に「病者の塗油」を授けることで自身が感染された司祭が多いそうです。医療機器が不足する中、自分の酸素吸入器を他の人に譲って亡くなられた司祭もおられます。おそらく司祭は皆「自分は特別なことをしたのではなく、司祭としてあたりまえのことをしたまで」とおっしゃるでしょう。

 医療従事者の方々もたくさん感染し、亡くなられています。彼らの働きにはただただ感謝!主は彼らの働きを知っておられます。亡くなられた司祭、医療従事者の皆さんは今は天の国で主と共におられると思います。

 私のようにごミサに与りご聖体拝領のできる人たちばかりではありません。できない人たちのために「霊的聖体拝領」の祈りがあります。

 しかしなぜかこの祈りは『カトリックの祈り』の本にはありません(「聖体を訪い奉る時の祈り」なら載ってます)。そこでカルメル会の「祈りの友」(86ページ)に載っていた祈りを掲載します。

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 霊的聖体拝領の祈り (1)

主イエズス・キリスト、▴あなたがご聖体の秘跡のうちにまことにおいでになることを信じ、すべてに超えてあなたを愛し、わたしの心に迎えたいと望みます。今、秘跡によるご聖体を受けることができないわたしの心においでください。

あなたが、今わたしの心にまことにおいでになったことを信じて感謝いたします。いつもあなたと一致したいと望むわたしが、あなたから離れることのないようにしてください。

霊的聖体拝領の祈り(2)(オプスデイ『祈りのハンドブック』)

主よあなたの尊いみ母が、あなたをお受けになったときの清さと謙遜と信心をもって、また聖人たちの心と熱意をもって、わたしもあなたをいただくことを望みます。

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 たとえ公開ごミサはできなくても、ご聖体顕示があれば幸せです。聖櫃から出されているご聖体を訪問することは、いつもの聖櫃に隠れておられるご聖体訪問とは違います。

 イタリアでは司祭がご聖体を顕示して人気のない町中を回っておられます。人たちは窓から十字をきったり、戸を開けて跪いたり、車から降りて跪いて十字をきる人も。ご聖体はそれを信じる人にとっては信頼と希望です。

2020年3月26日 (木)

Jim Capaldi

 ある一つのUSBに保存してあったフォルダの写真がほとんど破損していました。ウイルスに感染?不良品?USBに保管しているからといって絶対に安全ではないのですね。機械を過信してはいけません。

 失ったものは仕方ありません。私がいつも言っている通り「形ある物はいつかは壊れて無くなる」です。

 暗いニュースや大切なものをなくした喪失感に落ち込んでいても仕方がありません。好きな曲を聴いて気持ちを奮い立たせることに。

 この曲「Don't Be A Hero」は歌詞全体の意味(ファラオの娘が何とか・・)はよく理解できないのですが、曲とCapaldiの声に魅かれて40年以上も聴き続けています。

 初めはレコードで、後に自分でレコードからCDにコピーして(ノイズがいっぱい)聞いていました。彼は15年前にすでに亡くなっていますが、最近彼の中古のCD「Oh,How We Dance」を手に入れました。おかげで良い音で聴けるようになりました。


YouTube: Jim Capaldi Don't Be A Hero


YouTube: Oh How We Danced Track 7: How Much Can A Man Really Take


YouTube: Oh How We Danced Track 8: Oh How We Danced

2020年3月25日 (水)

神のお告げ(祭)

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 「お告げの祈り」は毎日朝・昼・晩、3度祈ることを勧められています。ヴァチカンでの仕事について紹介された浜尾枢機機卿様のTV番組で、お告げの鐘が鳴ると皆一斉に仕事の手を留めて廊下に出て「お告げの祈り」を唱えておられた光景を思い出します。また昔から普通の信徒たちも同じ様に仕事の手を留めて祈っていました。特に農民や漁師の人達。長崎では今もそうしているのかもしれません。

 近年私を含め多くの人たちは以前ほど祈らなくなったと思います。一番大切にすべきことを後回しにしている結果です。主を一番大切にする心が育てば教会離れや司祭不足(召命者減)等の問題もすぐになくなるでしょう。

 せめて一日のうちに1度は「お告げの祈り」を祈るようにしましょう。「お告げの祈り」は数多くあるお祈りの中でも特に美しいお祈りです。私は天使祝詞は今も文語体で唱えています。皆さんは口語で「アヴェマリアの祈り」をどうぞ。heart

2020年3月23日 (月)

主日のミサ

 鹿児島教区では公開ミサ実施については各小教区の主任司祭の判断に任せられています。ミサを中止するところ、中止しないところ、条件付きのところ(マスク着用など)と様々です。

 そんな中、中野司教様がごミサに与れない人のための祈りを紹介されています。

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   公開のミサに与れない日々の祈り

ー新型コロナウイルスによる感染症の集団感染危機に直面してー

憐れみ深い父なる神よ、今、私たちは新型コロナウイルスによる感染症の集団危機に直面しています。どうか主よ、この危機を私たちが乗り越えることができるように、恵みと力をお与えください。私たちが不要な恐れにふりまわされることなく、適切な行動をとることができますように。四旬節に当たり、私たちがまず日頃の生き方をふりかえり、回心することができますように。感染が止まり、感染している方々に必要な医療と助けが与えられ、治療方法が1日も早く見つかりますように。主イエス・キリストによって、アーメン(東京大司教認可)

2020年3月22日 (日)

喜びの主日

 今日は四旬節第四主日。バラ(色)の主日、キリストのご復活が近いことを知らせる喜びの主日です。

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 ところで私たちと同じように中国のカトリック信者の皆さんもご復活祭を心待ちにしていることでしょう。でも彼らは私たち以上に犠牲の四旬節を過ごしていると思います。

Photo この本も誰か翻訳してください!

 ゼン枢機卿様の本です。私たちは中国の隣りに住みながら、そこに住んでいるカトリック信者の現実について知っているようで実はよく知りません。

 沈黙できない、書かずにはいられないゼン枢機卿様の心情を思うと、私はせめてこういう本があることを皆さんに知っていただきたいと思いました。教皇様はゼン枢機卿様が何も言わずに静かに沈黙することを望んでおられるようです・・・政治的にはそうなのかもしれませんが割り切れない気持ちです。

 3月の教皇様の祈りの意向は「中国の教会が福音にたゆまなく忠実であり、一致を育んでいくことができますように」です。そしてこう付け加えておられます。「中国のキリスト教徒たちが、真のキリスト者であると同時に、よき市民であることを願っています。」と。同時に二人の主人に仕えることができるのでしょうか?

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 中国といえば去年の大晦日に教皇様の腕を強く引っ張り何かを訴えようとしていた女性を覚えていますか?その後無事に教皇様に謁見できました。良かったですね。

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2020年3月19日 (木)

聖ヨセフ(祭)

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 私はこの構図で描かれている聖家族のイコンのヨセフ様が好きです。右の手をマリア様の肩においてそっと抱き寄せ、左手はイエズス様を優しく包みこんでいます。ヨセフ様の人柄がよく表されています。マリア様もヨセフ様を心から信頼しているのがわかります。

 主のみ旨の通りにマリア様とイエズス様を受け入れ、家族を守り続けたヨセフ様は正しい人、義の人で忠実な人、まさに全教会の守護の聖人です。

 聖ヨセフ様の祭日のごミサは夜7時に国分カトリック教会であります。

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 約2週間前:国分カトリック教会の庭のミモザ、鮮やかです!

2020年3月14日 (土)

オカリス司教様

Ut in gratiarum semper actione maneamus (常に感謝の内に留まりますように)。神に対する絶え間ない感謝の内に生きていきましょう。感謝は信仰の行為であり、希望、そして、愛の行為なのです」(手紙、1973年3月28日、n. 20)。

 これはオカリス司教様のオプスデイメンバーへの手紙の一部です。私はいつも不平不満はよく口にするのに、主への感謝は朝晩の祈りの時くらい・・・。「常にいつも、絶え間ない感謝のうちに生きる」ことができたらもっと明るく満たされた日々になることでしょう。


YouTube: Mons. Ocáriz in visita a Napoli

 オプスデイの属人区長オカリス司教様が去年ナポリを訪問した時の動画です。

 聖ホセマリア・エスクリバー神父様と同じくオプスデイの属人区長様は代々、自ら各地に出向いてメンバーの人達と直接対話をしてこられました。メンバーそれぞれの思いや疑問、悩み、願い等に属人区長様自ら答えてくださいます。それはもちろんメンバーでない私にも嬉しい答です。

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フランシスコ教皇様とオカリス司教様 

 動画の最後の方でオカリス司教様は「教皇様のために祈ってください」と願っておられます。今一度教皇様のための祈りを祈りたいと思います。

神よ、教皇フランシスコを守り、強めてください。移り変わりの激しい世にあって、教皇が私たちの信仰をかため、いつも変わることのないあなたのことばをふさわしく説き明かすことができるように導いてください。永遠の牧者であるキリストよ、あなたは教会を建て、その頭としてペトロを選びました。ペトロの後継者である教皇のことばを素直に受け入れる心を、わたしたちにお与えください。アーメン。

2020年3月12日 (木)

「天に宝を積む」

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 卒業する学生の皆さん、トマさんの話は高校生に限らず、卒業するすべての学生に贈りたい話です。

 [トマさん祈りの部屋より] 高校を卒業する皆さんは、いよいよ自分の人生を歩み始めます。その第一歩を踏み出すに当たり、最後の言葉を送りたいと思います。『天の国に宝を積め』、イエスの教えです。「この世」に富を蓄えても、死んだら無一物で何も持っていけません。死んだ時に私たちが手にしているのは、所有していたものではなく、人々に「与えた」ものです。それが唯一自分に残るものなのです。自分の時間を与える。自分の愛情を与える。自分の大切なものを与える。誰かのために自分を与えるのです。こうして「天国に宝を積む」のです。(2020/02/14 高校三年生、最後の朝の説教より:小寺神父)

 世間一般では名誉やお金を手に入れた人が成功者と言われています。そしてそれを目標に頑張るようにと親、先生方は生徒を激励します。名声やお金を手に入れることは悪いことではありません。でもそれで終わりではありません。手に入れたものを他人のためにいつでも喜んで手放せる、そこが大切なのです。そうできるのがキリスト者、キリストの教えを生きる人です。

 「人それぞれの能力は神が与えてくださったもの。それは自分のために使うためではなく、他の人のために使うために神が与えられた」とは、私の友人から聞いた言葉です。トマさんが言っていることと同じですね。

2020年3月 6日 (金)

十字架の道行きとノヴェナ

 私は今年の四旬節中の金曜日にはK教会へ行って十字架の道行きをしています。そして、個人的には「聖ホセマリア・エスクリバーへのゆるしのための九日間の祈り」も。九日間だけでなく復活祭まで何度もくり返します。

 この祈りは本当に素晴らしいので他の皆さんにも薦めたくて本の注文をしようと思ったのですが、どこも品切れで再入荷の予定も未定とのこと。手に入らないと言われればますます欲しくなります。

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 四旬節・待降節にこそこのノヴェナの祈りを!再販されますように!(゚∀゚人

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主日のごミサを中止する教会について

 国内でも新型コロナウイルスの理由で主日のミサを信徒無しでたてる教会があるようです。代わりにネットでごミサを配信して、霊的聖体拝領を勧めています。若者はそれでよいとして、スマートフォンやパソコンをしない人たちにはちょっと・・・。

 ごミサに与りたい人もいるのですからごミサを立てて、感染が心配な人は与らなくてもよいし、それは罪にはならないと司教様が説明すればよいのです。またごミサの時は隣の人と離れて座り、体調が少しでも悪い時には絶対に与らないように徹底すること。信徒にごミサに与る、与らないの選択の余地を残してほしいと願います。遊技場やレストランなどは営業中止になっていないのですから。

 S神父様も言っておられました。「自分の命を保とうとする人はそれを失い、わたしのために命を失う人は、それを得るであろう」(マタイ10:39)です。

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