無原罪の聖マリアの祭日
信仰宣言:・・・主は聖霊によって宿りおとめマリアから生まれ・・・
原罪のない聖マリア、神の母聖マリアは私たちと同じ人間ですが特別な方です。聖霊によって懐胎され、最後は天に上げられました(被昇天)。ですから私たちカトリック信者はマリア様を特に崇敬するのです。聖堂にはマリア様のご像があり、マリア様の取り次ぎを祈ります。マリア様は私たちすべての母ですから、マリア様を愛する人は幸せです。
信仰宣言:・・・主は聖霊によって宿りおとめマリアから生まれ・・・
原罪のない聖マリア、神の母聖マリアは私たちと同じ人間ですが特別な方です。聖霊によって懐胎され、最後は天に上げられました(被昇天)。ですから私たちカトリック信者はマリア様を特に崇敬するのです。聖堂にはマリア様のご像があり、マリア様の取り次ぎを祈ります。マリア様は私たちすべての母ですから、マリア様を愛する人は幸せです。
何ごとも心を乱すことなく
何ごとも恐れることはない
すべては過ぎ去っていく
神のみ変わることがない
忍耐はすべてをかちとる
神をもつ者には
何も欠けることがない
神のみで満たされる
(アビラの聖テレジア)
今日の福音は洗礼者ヨハネが私たちに悔い改めて罪の赦しを受けなさい、つまり「告解に行きなさい」と言っています。
待降節には告解をしてキリストのご降誕を迎える準備をします。馬小屋やツリー、リースを飾るのも大切かもしれませんが、先ずは悔い改めて罪の赦しを受け心をきれいにすることがイエズス様を迎える一番大切な準備だと思います。
今日の神父様の説教では「ゆるしの秘跡=告解」の勧めがあったでしょう。特に年に数回クリスマスと復活祭の頃にしかごミサに与らない信徒さんは先ず「ゆるしの秘跡」を必ず受けましょうね。それをしないでご聖体拝領をすると罪を重ねることになるかもしれませんよ。これは私ではなく神父様が話されることですが、教えられていない人が多いようなのでつい出しゃばりました。(。-人-。)
先ずは私が告解に行かなければ!
日本宣教の保護者聖フランシスコ・ザビエル司祭の祝日です。霊名フランシスコ・ザビエルの方々おめでとうございます。
聖ザビエルはイエズス会を創立した一人です。聖イグナチオ・ロヨラに誘われ、生涯をキリストに捧げる決心をしました。彼を決意させた聖イグナチオが彼に言った「たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったならば、なんの益になろうか。」(マタイ16:26)はよく知られていますね。司祭叙階記念のみ言葉に選ぶ方も多いです。
聖フランシスコ・ザビエルが鹿児島の祇園之洲(ぎおんのす)に上陸したのが1549年8月15日です。日本のキリスト教カトリック宣教の始まりです。ですから「日本宣教の保護者」と呼ばれるのです。
[Ⅰ] 聖フランシスコ・ザベリオに倣いて善徳を求むる祈り
ああ天主、主は聖フランシスコ・ザベリオの奇跡と聖役とによりて、わが同胞に主の御教えを伝え給えり。▴願わくは、その栄ある功徳を讃うるわれらをして、その善徳を学ばせしめ給え。われらの主キリストによりて願い奉る。アーメン。
[Ⅱ] 聖フランシスコ・ザビエルへの祈り(『祈りの友』)
聖フランシスコ・ザビエル、あなたは布教の熱意に燃えて、初めて日本にキリストを告げ知らせました。わたしたちはあなたの血のにじむような努力と労苦を思い、心から感謝します。わたしたちが勇気をもって十字架を担い、キリストの国をいっそう広めることができるように助けてください。人々がキリストの教えを尊び、永遠のいのちを受けることができるように神に取り次いでください。アーメン。
いよいよ待降節に入りました。今日は待降節第一主日です。祭壇の横にはアドヴェントキャンドルが1本灯されました。
『心の準備を始めなければ』と、いつも最初のうちは張りきっているのですが、だんだんと気が緩んでしまうのが毎年のことです。今年こそは気を抜かずに良い降誕祭を迎えたいです。そのためにも告解をしに行かなければ!
ごミサに与り、そして私の好きな「BARKA」を聴いて待降節の始まりです。
今年は柚子の生り年でした。柚子酒と柚子ジャムを作り、実はそのままお風呂にも入れて柚子風呂で楽しみます。
柚子酒を作るのはとても簡単ですが、ジャムの方は手間も時間もかかります。でも喜んで食べてくれる人がいればその労苦は苦ではなく楽しみになります。今年も美味しいジャムができました。
よく洗ってヘタを取ります。
茹でこぼしてアク取りを3回します。水につけて6~8時間置きます。できればアルミの鍋ではなく酸に強いホーロー鍋を使ってください。
つけておいた水は捨てます。皮は刻み、中身は種を取り除き小袋も刻み、これらに砂糖を加えて一緒に煮ます。柚子と砂糖だけでできたほろ苦いジャムです。
今回はこの3倍の量のジャムができました。作り過ぎ? いえいえ、柚子ジャムは調味料として、またお菓子の材料として、柚子茶としても使えるので大丈夫です。
この世を作り上げるのは教会の責任ではなく、信徒の責任。その信徒を育てるのが教会の責任。(トマさんの英語ミサの説教より)
その通りです。教会は信徒を育てなければなりません。その信徒を育てる教会の司祭、司祭を育てる神学校、神学校がどれほど重要か、神学校の責任は重いです。
信徒と司祭は同じではありません。秘跡を行う権能を授けられている司祭はそれなりの神学的知識が必要です。神学校でその正しい神学的知識を学んで神学生は司祭に育ちます。そして司祭は正しい神学的知識を信徒に教え信徒を育てます。(勿論知識だけではありません)
当たり前のことなのにそれが当たり前でなくなってきているような・・・、福岡の大神学校紹介の動画を見て少し不安を感じました。私の思い過ごしでしょうか?
神学生のためにもっともっと祈らなければ、そして司祭への召し出しが増えますように。
⇩ Sedes Sapientiae神学校(ローマ)のビデオ
教皇様達の中でも聖レオ1世教皇様は教皇として特に優れた崇敬できる教皇様です。
ローマの司教であるレオ1世教皇はローマの人達への説教を大切にし、キリストの教えをわかりやすく話しました。また「キリストは人間であって神ではない」「キリストは神であって人間ではない」と言う人々に対して、「キリストは真の神であり、真の人間である」と厳然と断言しました。
フン族のアッティラ王がローマを侵略するために近づいて来た時、教皇は「ローマ市民の回心を望む神からの呼びかけです。神の回心への呼びかけを無視して回心しなければ罰がくだるだろう」と、説教されました。レオ1世教皇は大教皇と呼ばれる3人の教皇の一人です。
すべての教皇様方は全教会をまとめ指導していかなければなりません。常にキリストの教えに忠実であり、その教えに反する悪と戦うことも必要でしょう。現教皇様も教皇レオ1世のようにキリストの教えに忠実に、そして毅然とした態度で私たちを導いてくださいますように。それには必ず聖霊の助けが必要です。皆さん現教皇様のために祈りましょう。
今日の福音朗読(マタイ25章)は「10人のおとめのたとえ」です。キリストは天の国をたとえられて話されました。10人のおとめがそれぞれにともしびをもって、花婿を迎えに出て行く話ですね。おとめたちのうち賢い5人は壺に油を用意し、愚かな5人は油の用意をしていませんでした。花婿の到着が遅れて、愚かな乙女たちは賢い乙女たちに「油を分けてください」と頼みましたが、賢いおとめたちは「分けてあげるほどはありません。それより、店に行って買って来なさい」という話です。結局愚かなおとめたちは間に合わず婚宴の席には入れませんでした。
「婚宴は神の国の姿、主人はキリスト、賢い乙女は神に従う人、神の国の訪れはいつかわからないので常に神に従って目を覚ましていなさい」という教えは何度も聴いてきました。しかし今までずっと「賢い乙女たちが油を少しも分けてあげない」ことにひっかかっていました。
そして今日やっとS神父様の説教ですっきりしました。
「この油は乙女たちの信仰のたとえです。自分の信仰を他人に分けてあげることはできません。分けてあげられないかわりにアドバイスしてあげました」
ごミサの説教はとても大切ですね。私たちの信仰教育です。説教で他人の批判や家族への不満等は聴きたくありません。私たちが倣うべき良い行いの話(聖人についてとか)なら聴きたいです。
愚かな乙女たち キリスト 賢いおとめたち
ネコのシロがケガをしました。多分他のネコに噛まれたのだと思います。初めはほとんどわからないくらいの傷でしたが、いつまでたっても治らずにかえってひどくなるばかり。
今までのネコたちはケガをしても傷を舐めて自然と治していました。病院へ連れて行ったことはありません。しかし今回だけは動物の自然治癒力だけではどうにもならないようです。
ケガをしてから約3週間
病院へ行って、傷を縫ってもらいました。
2週間後に抜糸します。10日間は毎日抗生剤を飲ませます。
そこで登場するのが「ちゅ~る」です。このちゅ~るに薬を混ぜてやると一気に完食。『薬を飲んで(食べて?)くれるかな?』との心配は無用でした。
とにかくこの「ちゅ~る」はすごいですね。シロは開ける前から袋に噛みついてきます。大好物の「ちゅ~る」、でも贅沢なおやつなので特別な時だけね。
「 ちゅ~る」にも色々な味がありますが、シロはどの味でもOK!
Fr.Zのブログにカトリック信徒から興味ある質問とFr.Zの答えが載っていました。
[質問] 私はトランプ氏もバイデン氏も好きではありません。投票しなくても良いですか?
[Fr.Zの答え] 税金を払う、投票する権利を行使する、そして自国を守ることは義務付けられています。・・・私はまず候補者に「好感が持てる」という理由だけで人々がその人に投票するのに戸惑います。それは浅いです。・・・それは思慮深い投票の選択の基礎となることはほとんどありません。
・・・カトリックであると言って中絶を促進または弁解する人、・・・個人的には、中絶という本質的な重大な悪を助長する人には投票できません。私は、良心を持っているカトリック教徒が中絶を促進する候補者に投票できるとは思いません。他の問題が中絶と同じくらい重要であるというのは 嘘です。中絶は人生のもっと重要な問題です。
中絶賛成候補者に投票することは、悪の協力です。・・・間違っています。・・・
重要な選挙であると理解していて棄権するのは、選挙権を行使して公益に参加するという道徳的義務に違反すると思います。
Fr.Zは候補者を好き嫌いで選ぶのではなく、政策や公約で判断して投票しなさいと言っています。
どの国のどの選挙でも候補者が「良さそう(悪そう)だから」とか「話し方が好き(嫌い)だから」とか浅い考えで選ぶのはやめましょう。その候補者の政策や公約によって選んで投票しましょうね。、
今日は一日中本の整理をしました。写真に写っている本の約3倍の量の本を片付けました。
近頃は本の処分に困ります。以前は図書館へ寄贈していましたが今はなかなか受け入れてもらえません。
本のリサイクルショップでは内容に関係なく本の傷み具合だけで値がつくので、値の付かない本はまた持って帰らなければなりません。自治会のリサイクルに出すにはハードカバーやビニールコーティングの表紙は取り除いて出さなければなりません。これが結構力のいる仕事なのです。鹿児島市内は外す必要はなくて、そのまま出せるそうです。自治体によって違いすぎますね。
バザーに出しても古本は売れません。売れるのは漫画本ばかり。大人も子供も本離れ?
結局手元に残す本以外はすべてリサイクルボックスへ車で運びました。『もったいないもったいない』と思い今まで10年以上保管してきましたが、結局ほとんどの本は手に取ることはありませんでした。
片付けてすっきりしました。次はCDかな・・・。
ニャンどん、よくぞ言ってくれました。