主に信頼して
夫が亡くなりあっという間にひと月が経ちました。夫が傍にいなくなってしまった寂しさは、両親がいなくなった時とは違います。おそらく親がわが子をなくした時の寂しさともまた違うでしょう。いずれも経験しなければわからないのかもしれません。
私が今言えることは、「これですべてよかった」ということです。
「すべてには主が決められる時がある」そう、主が決められたことです。主は愛ですから、主がなさることに悪いことはありません。ですから私は「これですべてよかった」と受け入れます。人は必ず死にます。その時は本人が決めるのではなく、私でもなく医者でもありません。主のみ旨です。
とは言っても、キリストを知っている信者さんの中にもこの私の気持ちをわかってもらえない方がいるのですから、ましてやキリストを知らない方は「ああすれば良かった、こうすればもっと生きられたかも」と言われる方がいても不思議ではありません。でも私にすればそれは意味のないことです。
来週は灰の水曜日、四旬節が始まります。悲しみの後には大きな喜びが待っています。今災害や戦争の中で苦しみ悲しんでおられる方々が世界中にたくさんおられます。どんな苦しみや悲しみの中にも必ず希望はあるはずです。希望の光を見失わないように。絶望は主から離れてしまうことです。そして私たちはその方たちへ少しでも希望を与える手助けができるように、自分が出来ることを愛をこめてしましょう。