聖霊降臨(祭)
五旬祭の日が来て彼らが一緒に集まっていると、突然、天から激しい風が吹いてくるような音が聞こえて、彼らの座っていた家に満ち、火のような舌が現れ、分かれておのおのの上に止まった。すると、彼らはみな聖霊に満たされ、霊の言わせるままにいろいろの国のことばで話し始めた。(使徒行録2;1~4)
使徒行録に書かれている聖霊降臨の場面です。「聖霊に満たされた」とありますが、「聖霊」とは一体どういうものでしょう。「聖霊」だけ取り上げても十分ではないでしょう。「聖父と聖子と聖霊」三位一体の神、その聖霊を通していつも御父と御子キリストに結ばれています。
聖霊の働きについて『聖霊降臨までの10日間の祈り』の中から抜粋します。
・使徒言行録(2;1~4)を読むとき、いろいろの民族の中に教会を発展させはじめられた神の偉大な力を感じます。従順と十字架上でのご死去とそのご復活によって、キリストが死と罪に対して得られた勝利を、神ははっきりとお示しになったのです。復活の栄光の証人となった使徒たちは、聖霊の力を自らのうちに感じました。新たな光が彼らの知性と心を開いたのです。
・剛毅の霊である聖霊は彼らを確固たる自信に満ちた大胆な人間に変えました。
・聖霊降臨は、過去の思い出でもなく、歴史のかなたに残された教会の黄金時代でもありません。私たち一人ひとりのもつ惨めさや罪を超えた、今日の、そしてあらゆる時代の教会の現実の姿なのです。…(主は)ご復活とご昇天の後、私たちを聖化するために、永遠の御父と一緒に、聖霊をお遣わしになったのです。
・教会における聖霊の存在と働きかけによって、神のお与えになる平和と喜び、そして、永遠の至福を垣間見ることができるのです。
・使徒信条を唱えるとき、全能の神と、ご死去ののち復活された御子イエス・キリスト、生命の主であり与え主である聖霊への信仰を宣言します。そして「一」「聖」「公」「使徒継承」の教会は、聖霊によって生命を与えられたキリストの神秘体であると、信仰告白します。…聖霊降臨のもたらす神からの勝利と喜びと平和の使徒は、すべてのキリスト者の考え方、受け止め方、そして生き方の確固とした基礎であるべきなのです。
・聖霊とは、キリストがこの世で獲得された聖化の業を行うために、キリストから遣わされた霊なのです。
・もし聖霊がおいでにならぬなら、主イエスよと呼びかけることはできない。…もしも聖霊がおいでにならないとすれば、信頼をもって祈ることはできないだろう。…もし聖霊がおいでにならなかったとすれば、教会には、英知の言葉も知識の言葉もないだろう。…もし聖霊がおいでにならなければ、教会は存在していないだろう。
・聖霊の賜物の中でも、すべてのキリスト者にとって特に必要なものが一つあると言えるでしょう。それは上智の賜物です。上智の賜物によって、神を知り、そして味わうにつれ、この世の事柄を正しく判断できるようになるからです。
・三位一体の神の第三のペルソナを愛し、心の底から励まし叱責する神の霊感に耳を傾けましょう。
・聖霊に従って生きるとは、信仰・希望・愛をもって生きることに他なりません。…信仰の教えに精通するまで黙想すること、ご聖体においてキリストと出会うこと、匿名の祈りではなく、神と、顔と顔を合わせた個人的な対話をすること、私たちの生活は根本的にこのような内容をもたなければなりません。
・皆、同じ洗礼を受けました。神からの賜物や各人それぞれの状況が、文字通り種々様々であったとしても、神の賜物を分配する聖霊は一つであり、信仰も希望も愛も同一のものなのです。…「あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか」(一コリント3;6)
・聖霊との交わりーそして聖霊を通して御父と御子との交わりーを深め、慰め主なる御方と親しくなる生活様式を定めるために、一般的にではありますが、次の三つの基本的な事柄に留意しなければなりません。すなわち、素直、祈りの生活、および十字架との一致です。
・キリスト者の生活は、唯一にして三位なる神との絶え間ない対話を必要とします。聖霊のお招きになる親しい交わりとはその対話のことです。…私たちを聖化してくださる聖霊としばしば交わる習慣を持つようにしましょう。
・キリスト者が聖霊の力を強く自分の中に経験するとき、自己の挫折することはなくなるはずです。その挫折とは、実は個人的惨めさにも拘らず、あらゆる場所でキリストの忠実な証人として、再び立ち直るようにという招きにほかならないからです。
最後に聖ホセマリア・エスクリバーの『道』から
57 もっとひんぱんに聖霊と付き合いなさい。<知られざる偉大な方>である聖霊、彼こそ聖化する御方である。あなたが神の聖殿であることを忘れてはならない。慰め主は霊魂の中心においでになる。聖霊に耳を傾け、その霊感に素直な心で従いなさい。