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2017年5月31日 (水)

St.Joan of Arc

 昨日5月30日は聖ジョアン・オブ・アークの日でした。と言われてもすぐにわからない方も多いでしょう。聖ジャンヌ・ダルクといえばわかりますね。何度か映画にもなっています。

 1412年に生まれ12歳(13歳?)の時に「神の声」を聴きフランスのためにイギリスと戦いました。1430年に捕虜となり1431年1月から異端審問が開始され5月30日火刑に処せられました。その時彼女は19歳。

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 私はなぜ彼女が聖人なのか、しかも多くの聖人達の中で特に人気があるのかずっと不思議に思っていました。なぜなら彼女は戦争に勝つための兵士でした。戦争をする人が聖人?

 しかし最近になって乙女ジャンヌ・ダルクが聖ジャンヌ・ダルクであると理解できるようになりました。

 彼女がフランスを救いなさいと言う「神の声」を聴いた時にはどんなにか驚き恐れたことでしょう。しかし彼女は主を信頼して聖母マリアのように神の言葉に従いました。

 また戦場でも彼女は人を殺すことはせず、「イエズス マリア」と書かれた旗を持って先頭に立ち、部隊を鼓舞して兵士の士気を高めました。

 そして彼女が聖人たる所以の一つが異端審問です。

Reynzrzr1異端審問の間監禁されていた塔・火刑された場所に建つ像

 異端審問は司法権のないコーション司教をはじめ彼女に敵対する人ばかりでの審議、神学的質問の罠(しかし彼女は見事に答えています)、裁判記録の改ざん、彼女が字の読めないことを利用して「無罪判決の証書」と偽って、「魔女認定の証書」にサインまでさせ、彼女を無理矢理魔女にしてしまったのです。 

 教皇の裁判を望んだのに却下され、神の声も聞こえず、不安や悩みにくるしめられました。しかし再び大きな救いと勝利を約束する神の声を聞きました。火刑の前に告解をした司祭に「今晩私は神の恵みによって天国にいるでしょう」と言いました。火刑は神が約束された勝利と救いの国への旅立ちでした。

 火刑(1431年)から25年、カトリック教会は間違いを正しました。1456年教皇カリストゥス3世のもと復権裁判で無罪を宣告。1909年教皇ピウス10世から福者に、1920年教皇ベネディクト15世から列聖されました。彼女はフランスの守護聖人でもあります。かつては「教会の長女」とまで呼ばれていたフランスの現状を見ると聖ジャンヌ・ダルクの執り成しを祈らずにはいられません。

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