カトリック Feed

2025年4月30日 (水)

コンクラーヴェ

 ローマ教皇選挙(Conclave) が5月7日から始まるとのこと。コンクラーヴェのために祈りましょう。

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2025年4月29日 (火)

S. Caterina da Siena

 ローマの第2の守護聖人、イタリアの守護聖人、そしてヨーロッパの守護聖人の一人でもあるシエナの聖カテリーナの祝日です。

 1305年から教皇はローマではなくフランスのアビニヨンに住んでいました。教皇のいないローマの教会は退廃していました。そして聖カテリーナの強い働きかけによって、1377年教皇グレゴリオ11世はローマへ帰還しました。

 教皇グレゴリオ11世が死去するとウルバノ6世が教皇に選出されましたが、これに反対して選出されたのがクレメンス7世です。この二人の教皇により長い間教会は分裂状態となりました。

 聖カテリーナは分裂した教会の一致と和解のために祈り働きました。断食などのために彼女はだんだんと弱り、ご聖体だけしか受けつけないほどに衰弱していきました。臨終の床で聖人は「自分の生命はキリストの花嫁である教会のために全て捧げた」と言われたそうです。

 生涯を教会のために捧げつくした聖人カテリーナこそ、新しい善い教皇様が選ばれるよう主に取り次いでくださるにふさわしい聖人でしょう。

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 聖カテリーナ、主が私たちに素晴らしい教皇様を与えてくださいますように、この願いを主に取り次いでください。アーメン。

2025年4月26日 (土)

ヴァチカンのスイス衛兵

 今日はフランシスコ教皇様の葬儀ミサが行われました。そしていつもの通りスイス衛兵が静かに守っていました。多くの人たちがヴァチカンを訪れますが、意外とスイス衛兵についてよく知っている人はいません。 

 歴代の教皇様を守るために日夜働いているスイス衛兵たちを紹介しましょう。以前にも同じような内容の番組を紹介しましたが、これは比較的新しいものです。


YouTube: VATICANO - 1800-01-01 - PONTIFICAL SWISS GUARDS

2025年4月21日 (月)

フランシスコ教皇様帰天

 

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今日の午後2時35分(日本時間)にフランシスコ教皇様が亡くなられました。教皇様の永遠の安息を祈るばかりです。

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2025年4月20日 (日)

キリストのご復活おめでとうございます!

 

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 十字架上で亡くなられたキリストは復活されました。弟子たちが目にした真実は世界中に宣教され、今こうして私たちもその喜びを祝っています。

 このことを信じることのできる人は幸いです。これこそ信仰の恵み!

 復活されたキリストは弟子たちと共に40日もの間一緒に過ごされてから天に昇っていかれました。私たちも使徒たちのように復活された主と共に過ごせる喜びに感謝し、より強い信仰の恵みを願いましょう。


YouTube: 典礼聖歌411番 わたしは門のそとに立ち


YouTube: 希望の巡礼者~2025年「聖年」の賛歌~ Pilgrims of Hope ~ Hymn for Jubilee Year 2025~

2025年4月16日 (水)

私たちは天国に行く準備ができていますか?

 「私たちは天国に行く準備ができていますか?自分自身に問いかけてください。もし今日死んだら?」

 これはFr. S. Zigrang の説教です。そしてまた次のように話されています。「私たちを地獄から遠ざける助けとなるのが告解(Confession)です。長い間告解をしないと私たちは罪を忘れがちですが、神は忘れていません。神は私たちの悔い改めを辛抱強く待っておられます。しかし神は永遠に待つつもりもありません。私たちが告白を避けると、神に謝罪する機会を逃してしまいます。四旬節は私たちが神に完全なよい告白をするための時間です」。

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2025年4月12日 (土)

パパ様

 フランシスコ教皇様のお姿を見るのは久しぶり。教皇様のために祈りましょう。


YouTube: Rare: Pope Francis, Seen in Public, Without Papal Garments!

2025年4月10日 (木)

和田誠神父の講話

 40年間ローマで働いておられたカルメル会の和田誠神父様の講話です。「なるほど」「と頷いてしまう新鮮な内容のお話しです。せめて私の小教区の皆さん全員に聞いてもらいたいと願っています。


YouTube: 第5回(2025年4月6日) :和田誠神父「信仰生活の再構築」(音声のみ)

2025年4月 8日 (火)

コリント人への第一の手紙第11章27節

 なぜご聖体を拝領する時には恵みの状態になければならないのでしょうか。⇩

https://www.youtube.com/shorts/-JceLrmIOUI

 長い間ごミサに与らなかった人はゆるしの秘跡を受けて恵みの状態になってからご聖体をいただくのは当たり前のことで、これは教会の教えです。

 しかし残念なことに近頃はゆるしの秘跡は必要ないと教える聖職者もいます。かってに司祭個人の考えで教会の教えを変えないでほしいものです。think

2025年3月28日 (金)

御聖体拝領

私はいつも舌で拝領しますよ。confident

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なぜ舌なの?下のリンクを開いて見てみましょう。

https://www.youtube.com/shorts/lFC65xUcBeE

2025年3月16日 (日)

信仰

 ある人が洗礼の恵みをいただけるように毎日祈っています。この洗礼の恵み=信仰は強要するもの強制できるものではありません。何かの条件にする(例えば結婚)ものでもありません。ですから本人がキリストの教えを受け入れて心から洗礼を望むように、主の恵みを祈ります。

 以前小寺神父様が書かれた信仰についてのブログがあります。多くの人が一般的に「宗教は怖い」という思いはカトリック教会には全く当てはまらないことがわかるでしょう。

「トマさん祈りの部屋」より

「したいからする」信仰

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気分次第や勝手気ままという意味ではありません。神は信仰を強制も強要もしないという意味です。新興宗教の二世問題が注目されています。親から信仰を強要された子どもたちを救済する方法が議論されています。子の不幸を望む親はいません。我が子を救いたいと思って子に信仰を伝えたはずです。ところが結果は正反対になりました。我が子を教団に縛り付け、自由を奪い、幸せも奪いました。本来、宗教とは人を苦しみから解放するものですが、皮肉なことに教団からの解放が叫ばれているのです。どこで間違ったのでしょうか?

 信仰の大前提は自由な心です。信仰は自分で考え、自分で決め、イエスを救い主として受け入れることです。しかしカトリックの洗礼を受ける人も、同じような不安を抱えていると思います。信者になると後で望まないことを要求されたり押しつけられたりするのではないか、という不安です。神は信仰を強要しません。カトリック教会も強要しません。信仰は「自分から、したいからする」ものです。それは、愛を強制出来ないのと同じです。神は愛です。信仰は神の愛を生きることです。強制された時点で愛は死にます。「おそれ」に変わるからです。厄介なことに「おそれ」は人を動かす力があります。
「おそれ」が原動力の信仰は「したいからする」信仰と正反対です。他者から動かされる信仰と自分から動く信仰。「おそれ」から逃げる態度と「おそれ」に打ち勝つ態度、常に不安が伴う信仰と喜びと平和をもたらす信仰です。神は人間から愛されたいのです。言うことを聞かせたいのではありません。人間的な愛情や親切心や思いやりが欲しいのです。義務を果たすだけでは足りません。義務以上の愛が欲しいのです。神との関係は人間関係と同じです。相互の交わりです。「おそれ」は交わりを台無しにしてしまいます。神は裁くのではなく「ゆるす方」です。母親のような慈しみの方です。

 「したいからする」信仰は、気まぐれではありません。気まぐれな人、我がままな人と友人になれません。神様も同じでしょう。友情を育むために相手を思うように、神のために心遣いする、それが「したいからする」です。洗礼は神との出会いです。その後、親しくなるか疎遠になるか、それは本人次第です。神が愛を要求するのではありません。あなた自身が自分に要求するのです。大きく応える人は大きく愛し、小さく応える人は小さく愛します。喜びと平和は愛の大きさで決まります。もちろん、神との約束を守ることも愛の証です。■
*2023/04/16 「いつくしみの主日」説教(文責:小寺神父)

2025年3月11日 (火)

東日本大震災追悼

 今日のごミサでの酒井司教様の説教です。


YouTube: 言葉なき語り部たち

2025年3月 7日 (金)

メッセージ

 5日フランシスコ教皇様の病院からのメッセージ

https://www.youtube.com/shorts/FaiwclVf_w8

教皇様のために祈りましょう。

十字架の道行き

 今日から毎金曜日には十字架の道行きがあります。私は毎年カトリック国分教会へ行っています。今年も同じく国分教会へ。

 十字架の道行きの道しるべである各留は、見てその場面がよくわかるものが良いですね。

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      小平カトリック教会の十字架の道行き

 

2025年3月 5日 (水)

四旬節の始まり

 灰の水曜日、四旬節の始まりです。毎年この日は『良い復活祭を迎えるためにしっかり準備をしよう』と決心するのですが・・・。聖木曜日の朝を迎えると『今年も満足できる準備では無かったな~』とちょっとうなだれる気分になります。でも今年こそは (⁎•ᴗ•⁎)و

 頭に灰をかけてもらったり、十字架のしるしをしてもらうと、私は確かにちりであり、ちりに帰るとわかります。なによりも主の前で謙遜になり、信頼できるのは主だけだと悟ります。

 四旬節の間は私たちは祈り、節制、慈善の行いによって回心につとめて過ごします。主のことばを熱心に聞いて、祈りに励み、またゆるしの秘跡を受けて回心します。そして主の嫌う罪を私たちも忌み嫌うよう努めなければなりません。自分の回心だけでなく、罪人のためにも祈りましょう。

 毎日摂生に努めて、灰の水曜日と聖金曜日には大斎・小斎を守りましょう。また自分が節制をした分を貧しい人達への施しや献金にしましょう。また病気の人や孤独な人達のことも忘れずに。

 テントやバラック小屋で電気や水道もなく医療も満足に受けられない生活を強いられ、忘れ去られている貧しい国々の難民たちに愛の手を差し伸べましょう。その手段としてカリタスジャパンや国境なき医師団への寄付があります。lovely

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              写真はRLI HPより

 皆様も復活祭を迎えるための良い準備ができますように。

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 * 入院しておられるフランシスコ教皇様の代理として、アンジェロ・デ・ドナーティス枢機卿様が一連の儀式(聖アンセルモ教会~聖サビーナ教会でのミサ)を司式するそうです。

2025年2月25日 (火)

聖年公式巡礼「聖年の祝祭」

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17_2 世界中からヴァチカンに若者が集まります。若者だからこそ主からの特別なメッセージがあります。自分自身にとって感謝と大きな喜びの恵みある巡礼になると思います。

2025年2月23日 (日)

フランシスコ教皇講話集

 歴代教皇様の講話集はペトロ文庫より出版されています。以前はよく読んでいたのですが、フランシスコ教皇様になってからあまり読んでいませんでした。

 先月洗礼について教皇様が何を話されているのか知りたくて『ミサ・洗礼・堅信』という講話集を(あまり期待せずに)読み始めました。ところがミサについての個所がとても良くて、ミサの素晴らしさにあらためて気づかされました。

 ミサについての本は沢山出版されていますが、この講話集は教皇様が様々な人たちを対象に話されているので、優しい言葉で要点をついた内容です。あらためてミサの素晴らしさ、ミサに与る心構えを学びました。

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 ミサに関する内容の一部

1 ミサはもっとも崇高で卓越した祈りであり、まさに、みことばと、イエスのからだと血を通しての、神との愛の出会いなのです。

2 祈るということは・・・沈黙するすべを心得ていることです。イエスとともにあっての沈黙です。ミサに行くと、五分ほど前に到着して、隣の人とおしゃべりを始めるかもしれません。でもその時間はおしゃべりの時間ではありません。・・・イエスと会うのに備えて集中する時です。沈黙はとても重要です。

3 ミサをささげに聖堂にはいるときには、こう考えましょう。「イエスがわたしたちのためにいのちを投げ出してくださったゴルゴタへ行くのだ」。そうすれば、見世物ではなくなります。この実に美しもの、つまりイエスの勝利であるミサからわたしたちを遠ざけてしまう、おしゃべり、批評、そうしたものは消えていきます。

4 主日に感謝の祭儀を行うことは、教会生活の中心です。・・・キリストなしでは、わたしたちは日々の疲れに、また日常の心配事や将来への不安に支配されてしまいます。主日に主に会うことで、自信と勇気をもって今日を生き、希望をもって前に進む力が与えられます。だからこそわたしたちキリスト者は、感謝の祭儀を通して日曜日に主に会いに行くのです。・・・私たちが本当に必要としているものを神から受けるためにミサに行くのです。

5 ことばの典礼では聖書は、書であることをやめ、神が発した生きることばとなります。・・・そして、わたしたちは信仰をもってそのことばを聞くのです。・・・神が語り、わたしたちは神に聞き、そして聞いたことを実行に移すのです。・・・ミサで朗読が始まったら、神のことばに耳を傾けましょう。

6 品位ある朗読台、朗読用聖書の使用、よい朗読者と詩編唱者の準備が必要です。ことばを間違って読んだり、全然わかっていなかったりする人ではなく、読み方を心得ている人が必要です。・・・ふさわしく朗読するためにはミサの前に準備し、練習すべきです。そうすれば、聞こうとする静かな雰囲気が作られます。

7 教会は、信者がそのミサで聖別されたパンから主のからだを拝領し、できれば聖体拝領が両形態でおこなわれて、聖体の宴のしるしがより完全な形で表されることを強く望んでいます。カトリック教会の教義では、いずれかの形態のみでも欠けることのないキリストのすべてが拝領されることになっているとしてもです。

8 信者は列を成して聖体に近づきます。そして司教協議会の決定に従って、敬意をもって立って、あるいはひざまずいて、口か、許可されていて本人が望むなら手で秘跡を受けます。

 本にはミサの始まりから閉祭まで詳しく書かれてます。

 私が抜粋した個所、特に2と5と6は私の小教区にも当てはまることです。ミサ前のおしゃべり、朗読用の聖書ではなくパンフレットを使い、聴衆は神のことばを聞かずに、パンフレットに目を落として、一斉にページをめくる音がガサガサ....典礼の勉強会で「パンフレットは置いて、朗読者の神のみ言葉を聴きましょう」と教わったことを話しても何も変わりません。教皇様が話されても変わらないのに私が話して変わるわけないですよね。catface

2025年2月21日 (金)

フランシスコ教皇様のために祈りましょう

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2月18日 Xより

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2月19日 Xより

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 呼吸器感染症のため今月14日よりローマのジェメッリ病院 (Agostino Gemelli Hospital)に入院しておられるフランシスコ教皇様はその後二重肺炎(左右両肺炎)と診断されました。薬物治療の効果もあり、20日には症状は少しずつ緩和しているようで、ベッドから起きて朝食をとられるまでに回復されておられるようですが、何といっても88歳というご高齢なので楽観視できませんね。

 教皇様のために祈りましょう。

2025年2月19日 (水)

痛みは神様からの贈り物

 最近とても良いお話しの動画を見つけました。前回「愛」についての話をされていたフィリピンのソクラテス・B・ビジェガス大司教様の動画(Father Soc)です。どのお話しもとても良い内容でわかりやすいです。ここに紹介するのは①誰にでもある痛みについてと、②聖年の巡礼者である私たちに向けてのお話し、そして③希望についてです。

https://www.youtube.com/shorts/FzgO3dnRDDE

https://www.youtube.com/shorts/Hbuj9Ew-xvc


YouTube: Living in HOPE

 すでにわかっている事でも、ビジェガス大司教様のことばで語られると、あらためて心にすっと入ります。チャンネル Father Soc を登録しました。lovely 今までの大司教様のお話を聞くのが日課となってしまいました。(こういう説教をいつも聴きたいな~confident

2025年2月14日 (金)

悲しい出来事

 

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 先週、聖ペトロ大聖堂の主祭壇の上に登り、六つの燭台を蹴落として祭壇布をはがす事件が起きました。ルーマニア出身の精神に重度の障害のある男性だそうです。この男性が適切な治療を受けてよくなることを祈ります。

 聖年の年、大聖堂には例年にも増して世界中から多くの人たちが巡礼、観光に訪れているでしょう。巡礼が目的以外の人の中には無神論者(Atheist)や、彼のように精神を患っている人もいると思います。聖なる扉を通るすべての人に回心の恵みがありますように。