Basilica di S.Giovanni in Laterano
今日は「ラテラン教会の献堂」の祝日です。ラテラン教会(Basilica di San Giovanni in Laterano)というと遠いローマにある教会で日本人にとってあまり身近に感じませんが、それは教会を単なる建物とだけとしてしかとらえていないからでしょう。
教会とは本来「エクレシア(ギリシャ語)」、つまりキリストのもとに集まった人々のことを意味します。ですからよく教会はキリストの体であると言われます。そして私たち信徒はその体なのです。
ローマのラテラン教会はあの長く苦しい迫害が終わり禁教令が解かれた次の年324年にコンスタンティヌス皇帝によって建てられました。つまり信徒たちは公に集いごミサを捧げることができるようになったのです。このことは私たちすべての信徒にとっても大きな喜びです。
ラテラン教会はローマの司教座聖堂であり、その司教は教皇フランシスコです。ですからラテラン教会は全ての教会の母と呼ばれているのです。
母である教会、キリストの体である教会の誕生を、世界中の教会でお祝いしましょう。
そのとき、イエスは、弟子たちに言われた。不正にまみれた富で友達を作りなさい。そうしておけば、金がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる。(新共同訳聖書)
5日の福音朗読箇所(ルカ16;9)です。この意味がわかりますか?これは日本聖書協会発行の『新共同訳聖書』からの引用です。私はこの訳だとイエスの言っているたとえの意味が理解できません。しかしフランシスコ会訳の聖書を読むと、その意味が分かります。
わたしはあなた方に言っておく。不正なマンモン(富)を利用して、友人をつくりなさい。そうすれば、それが役立たなくなったとき、あなたがたを永遠の住み家に迎え入れてくれるだろう。(フランシスコ会訳聖書)
私はいつも言っていますが、聖書は選ばなければなりません。どれも同じではないのです。このように訳が違えば意味も違ってきます。ごミサでは共同訳を使っていますが、私は家ではフランシスコ会かバルバロ神父の聖書を読んでいます。
ごミサの聖書朗読にはフランシスコ会の聖書を使うべきだと思いますが、なかなかそう簡単にはいかないようです。様々な人達の色々な思惑があるようで・・・。私ならすぐにでもフランシスコ会の聖書に変えるのですが。
聞いたところによるとプロテスタントの教会ではこの「新共同訳」は使わずに、今まで自分たちが使っていた聖書を使い続けている所が多いそうですよ。
洗礼者ヨハネのご両親聖ザカリアと聖エリザベトの記念日です。「エリザベトは男の子を生みます。その子をヨハネと名付けなさい」という主のみ使いのお告げを信じなかったザカリアは、エリザベトが男の子を生み、その名をヨハネと名付けるまで口がきけなくなりました。主のみ言葉通りヨハネと名付けた時ザカリアは話せるようになりました。その時に主を賛美したのがあの「ザカリアの歌」です。
聖母子と聖ザカリア、聖エリザベト、洗礼者ヨハネ(V.Catena 作)
神を ほめたたえよ、イスラエルの神を。
神は民を訪れて あがない、
わたしたちのために力強い救い主を
しもべダビドの家に立てられた。
神は昔、預言者によって語られたとおり、
わたしたちに逆らう者、うらみをいだく者の手から、
わたしたちを救い、祖先をあわれみ、
とうとい契約を心に留められた。
神は先祖アブラハムに約束されたとおり、
逆らう者から わたしたちを救われた。
生涯を清く、正しく、平和に送り、
神に仕えることができるように。
幼な子よ、お前も神の預言者と呼ばれ、
主の前を歩み、その道をととのえ、
罪のゆるしによる救いをその民に知らせる。
すべては神のあわれみの心による。
神の深いあわれみにより
夜明けの太陽はわたしたちに臨み、
闇と死の影にある人を照らし、
わたしたちの歩みを平和に導く。
最後の「神の深いあわれみにより夜明けの太陽はわたしたちに臨み、闇と死の影にある人を照らし、わたしたちの歩みを平和に導く」の所は、特に朝一日の始まりの中で神のあわれみによる深い安らぎと希望を感じます。
今日一日神は私と一緒にいてくださいます。何も心配することはありません。主の望まれることを愛しましょう。
今日は死者の日。本来は煉獄で苦しんでいる霊魂の救いのために祈る日です。亡くなった私たちの家族や友人がいつ煉獄から天国へあげられたかはわかりません。ですから私は毎日亡くなった家族や友人のために祈ります。そして特に今日は煉獄で苦しむすべての霊魂の救いのために祈ります。
世界中で飢えや暴力、苦しみの中で大人の悪の犠牲となって亡くなった子どもたちはキリストが天国へ招いたでしょう。子どもたちはこの世ですでに大人たちによって煉獄の苦しみを受けたから。
死者の日は私たちに罪と煉獄、地獄について考える機会を与えてくれます。死後を考えることは今の生き方を考えることでもあります。子どもたちを苦しめている大人たちはその罪の深さに気づいてほしいです。
骸骨の格好をしてはしゃぐのもいいでしょう。でも死者の日をそれだけで終わらせるのは悲しいことです。10月31日のハロウィンも全く同じです。
The commemoration of the Saints
今日は諸聖人の祭日です。9世紀以前は殉教した聖人だけを祝っていましたが、今は殉教者以外の聖人たちも一緒に祝います。
聖人たちはすでに天の国で主と共におられます。つまり私たちの希望です。天国にいる聖人たちに倣いたいです。
洗礼を受けた人には洗礼名があります。大人になって洗礼を受けた人は自分の好きな聖人の名前をもらうことができますが、私のように赤ちゃんの時に洗礼を受けると自分で名前を選べません。当然親が選びます。親は一番良いと思う名前を付けてくれたはずです。いずれにしても自分の洗礼名の聖人についてよく知り、その聖人に倣い、その聖人を目指して生きることが大切です。
赤ちゃんの時に洗礼を受けた人は堅信の時に自分の好きな聖人を選んで堅信名にしたらよいでしょう。
今日は巷ではハロウィンというお祭りのようですが平日なので一足早く昨日と一昨日の夜都心では大騒ぎしたようです。子どもが仮装して家々をまわりお菓子をもらうのは可愛いですが、大の大人が仮装してはしゃぐのは見ると「恥ずかしい」と思うのは私だけでしょうか。しかもただ仮装して騒ぐだけ・・・。
それはさておき、今日は「ロザリオの月」最後の日。明日は諸聖人、そして明後日は本当の「死者の日」です。
「ロザリオの月」最後の日の今日は特に教皇様のためにロザリオを祈りたいと思います。教皇様の発言には?と思ったり、マスコミに悪い意味で利用されたり、アテイストに歪曲されたりと様々な苦難があります。教皇様が聖ペトロの後継者としてカトリックの教えを正しく伝えることができますよう主のご加護と聖霊の恵みを祈りましょう。フランシスコ教皇様に不満を持っておられる方こそ教皇様のために祈りましょう。
娘が訪ねてきてケーキを作ってくれました。少し早い私の誕生日プレゼントです。ちょっと凝ったロールケーキです。バニラ・ココア・抹茶の味が楽しめて生クリームがたっぷり巻かれたロールケーキはとても美味しかったです。何と言っても娘が作ってくれたのでその味は格別。美味しいケーキとモンクの珈琲でとても優しい気持ちになりました。
ロールケーキのレシピ
卵・・・3個 砂糖・・・80g. 小麦粉・・・60g. ココア・抹茶・・・各小さじ1 バニラエッセンス・・・適宜
生クリーム・・・200cc. 砂糖・・・15g. ブランデー適宜(使わなくても良い)
① 卵を共だてにして砂糖も加えて泡立てる。小麦粉を加えてさっくりと混ぜて、生地を三等分にする。(手順は普通のロールスポンジと同じ)
② 生地にそれぞれココア・抹茶を加えて、何も入れない生地にはバニラエッセンスを入れる。
③ 鉄板にクッキングシートを敷いてココア生地、抹茶生地をとびとびにおき、間を埋めるように白い生地をおいて表面をならす。トントンと空気を抜いてから予熱したオーブン(180度)で12分位焼く。
④ 冷めたら生地の端(巻いたとき下になる部分)を斜めに切り落とす。表面にブランデーを少々塗り、生クリーム200cc.と砂糖15g.をホイップしたものを生地に広げて塗り巻く。
⑤ 冷蔵庫で冷やして落ち着かせる。
⑥ 好みで飾りをする。
* 共だての時には最初に湯煎すると泡立てやすいです。逆に生クリームはボウルを氷水にあてて泡立てると良いです。
久しぶりに美術の本を読みました。婦人之友社から出版されている『生きる 描く 愛する』です。
著者は美術評論家の(故)田中穣氏でこの本に取り上げられている画家は42名、それぞれの画家の代表作が一点載っていて、画家についてまたその作品について書かれています。
日本画家では上村松園、上村松篁、奥村土牛、加山又造、小倉遊亀(表紙の絵)など、洋画家は小磯良平、佐伯祐三、安井曾太郎、梅原龍三郎、荻太郎など日本を代表する画家ばかり。絵の好きな人にとってはたまらない一冊です。
「リュクサンブール公園」 佐伯祐三
実はこの本も古本で買いましたがほぼ新品状態の本が届きました。その値段1円です。いくら本離れが進んでいるとはいえ、この素晴らしい内容の本が1円とは・・・。良い物が安く手に入るのは嬉しいのですが、何か物の価値が狂っているような・・・世の中おかしいですよ。
さて、 この本を読んで日本画に縁のなかった私は日本画にぐ~んと引き寄せられました。上村松園や松篁も素晴らしいのですがこの表紙絵の小倉遊亀さんの作品に心奪われました。他にも「舞う舞妓」等の人物画や静物画(特に牡丹や椿)、どれも素晴らしい作品です。人物の肌の温かみ、舞の気迫、花びらのやわらかさと花瓶の陶器の硬さ等々、その物を見極める確かな目と表現力に圧倒されました。ご本人も想像では描かないとおっしゃっている通り、実際に彼女の目で見たものを彼女を通して表現されているからこそ彼女にしか描けない世界が生まれるのだと思います。
小倉遊亀の作品
思うところがあってロザリオを探していました。祈る道具であるロザリオはピンからキリまであります。当たり前のことですが祈りの価値がロザリオの値段に比例するのではありません。あくまでも使う人の好みや使いやすさ(手になじむ)などで選びます。また巡礼に行った時の記念として求める人もいます。洗礼や初聖体でプレゼントされる人もいるでしょう。
教会関係やそれに準ずる店ではロザリオは聖具なので利潤追求のために売られることはありません。ですからだいたいその素材と作り方(機械か手編み)によって値段は決まっています。例えば、
左上:銀手編み白檀¥17301 右上:一般的なもの¥1296 左下:天然石¥11880 右下:アクリル¥500 (パウリーネ・ドンボスコ社・パウルスショップより)
ところがこんなロザリオを見つけて久しぶりに「びっくりぽん!」(十字架等は金や銀ではありません)
念のために言っておきますが、このお店はとても良心的でキリスト教の製品を取り扱っています。私もよく利用しています。このロザリオ以外は妥当なお値段なので、お店のせいではなく仕入れ値そのものが高かったのでしょう。
メジュゴリエがヴァチカンから認められず批判されることが多いのもどうやらこのへんが原因の一つかもしれません。
聖ルカは福音書『聖ルカによる福音』の著者です。彼はギリシャ語のできる医者であったので、教育があり教養豊かでした。ですから彼のギリシャ語の原文は優しく美しい文章だそうです。マリア様についてのお告げの場面や「マリアの賛歌(Magnificat)」は日本語訳でもまさに気高く美しいです。これだけマリア様について書けるのは聖ルカがマリア様に会ったことがあるからではないかと言われています。
同じく『使徒行録』も聖ルカが書いたものです。聖ステファノの殉教場面などは何度読んでも感動します。
聖パウロは聖ペトロが使徒と認めるほど信仰篤くキリストの教えを熟知していました。聖パウロに同行して宣教旅行をした聖ルカはおそらく旅行の間も聖パウロから多くの話を聞いたことでしょう。
画家でもあった聖ルカが描いたのでは?と言われているイスラエルの聖マルコ教会にある聖母子像です。あくまでも言い伝えですので。
聖ルカが書き記したキリストについて、今日は時間をかけてゆっくりと読みたいと思います。
今日のごミサの説教は「忍耐強く祈りなさい」でした。ある人は大きな試練や災害にあった時「どうして神はこんなことを私に・・・」と思い、神から離れ祈りをしなくなります。逆にそんな時にこそ忍耐強く祈り神にすべてを委ねる人がいます。「主よ、あなたに信頼します」と言う聖ファウスティナのように。
聖体賛美式(聖体降福式)もありました。聖体(聖体に特別なかたちで現存しておられるキリスト)によって祝福を受けることはキリストから直接祝福を受けることです。その時に椅子に腰かけたままより(跪けない人を除いて)跪いた方がふさわしいと思うのですが。
ご聖体(特別なかたちで現存するキリスト)の前で跪いて祈る教皇様
ある教会での聖体賛美式(聖体降福式)
とにかく聖体賛美式があることはとても良いことなのでずっと続けてほしいです。
5月13日がファティマの聖母の祝日ですが、昨日はファティマ(ポルトガル)で聖母出現が管区司教様によって正式に公認された(1930年10月13日)記念日で、毎年この日も祝っています。前晩からロザリオの祈りがあり、当日は多くの司教、司祭、巡礼者と共にごミサがあります。
来年は聖母が3人の子どもたち(ルチア・フランシスコ・ヤンシタ)の前にご出現(1917年5月13日)されて100年目です。おそらく教皇様は来年ファティマを訪問なさるでしょう。
ファティマといえば「第三の預言」ばかり取り上げられ話題となりますが、要はマリア様が私たちに回心を求められているということが大切です。私たち一人一人が素直にマリア様のことばを聞いて、回心すればよいのです。マリア様がご出現されるのは私たちを悔い改めの道に導くためです。
ファティマの聖母と冠
(水色の丸い飾りの下)には聖ヨハネパウロ二世教皇が銃撃された時の弾があります。マリア様のご加護を感謝して教皇が捧げたものです。
今日は「ロザリオの聖母マリアの祝日」です。それはレパントの海戦(1571年10月7日スペイン・ベネツィア・ローマ教皇の連合艦隊がオスマン帝国艦隊に勝利)の日です。
教皇ピオ5世は「無敵と言われたオスマン帝国艦隊に神聖同盟が勝利したのはロザリオの祈りを聖母に捧げたから」ということでこの日を「ロザリオの聖母マリアの祝日」としました。ヨーロッパにとって今日はとても意味のある祝日なのですね。そして1883年教皇レオ13世は10月を「ロザリオの月」として聖母に捧げられました。
私は「ロザリオの祈りは何よりも強い武器」だと教えられました。苦しい時、悲しい時、不安な時、怒りがこみ上げる時、そして嬉しい時、幸せな時、主に感謝する時にも、いつでもロザリオの祈りを聖母に捧げること。聖母は必ず主にとりなしてくださるから。電車やバスの中で、駅のホームで、病院の待合室で、散歩しながら・・・いつでもどこでもロザリオを祈ることはできます。
夫婦だけになっても毎晩二人で一緒にロザリオを祈れることは主のお恵みです。