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2017年5月 9日 (火)

わたしの羊

16

あなたたちは信じない。わたしの羊ではないからである。わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない。わたしの父がわたしにくださったものは、すべてのものより偉大であり、だれも父の手から奪うことはできない。わたしと父とは一つである。(ヨハネ10:26~30)

 今日の福音箇所です。キリストははっきりと言われます。「あなたたちは信じない。わたしの羊ではないからである。・・・わたしと父は一つである」。

 キリストを信じて彼の羊となるということは、キリストを信じて洗礼を受けることです。そして信じてキリストの羊の群れの仲間になることは父のみ旨でもあるのです。

 韓国では羊の群れがまた増えました。去年は8万6千人強増えて約574万人に。これは総人口の10.9%にあたるそうです。日本では?御父はキリストを信じなくても、その群れに入らなくても良いとは言っていないのに、まるでそう言っているかのようなことを耳にします。「『信じる人は救われる』『踏み絵を踏まない人は救われる』と言うのは原理主義者、なぜなら御父はすべての人を救われるから」とまで言う司祭がいます。これではキリストを信じて洗礼を受けて羊の群れに加わる意味はなく、今まで通りの生活を続けていれば良いことになります。

 御父はすべての人が救われることを望んでいます。しかし「キリストを信じる人に永遠のいのちを与える」と、はっきり言っています。

 すべての人が滅びることがないように永遠の命を受けてほしい。特に自分が大切に思う人に。信者の親が自分の子どもに幼児洗礼を望むのは、親自身が最高の物、一番良いと信じているもの、永遠のいのちを愛する者に与えたいからです。