パリウムの祝福とごミサ
YouTube: Pope Francis – Holy Mass with Blessing of Pallia 2018-06-29
29日聖ペトロと聖パウロの祭日にはいつもの通りヴァチカンでごミサとパリウムの祝福が行われました。そして前日枢機卿会議で叙任された新しい枢機卿様方も参加されました。勿論前田万葉枢機卿様、そして菊地功大司教様の姿もありました。
YouTube: Pope Francis – Holy Mass with Blessing of Pallia 2018-06-29
29日聖ペトロと聖パウロの祭日にはいつもの通りヴァチカンでごミサとパリウムの祝福が行われました。そして前日枢機卿会議で叙任された新しい枢機卿様方も参加されました。勿論前田万葉枢機卿様、そして菊地功大司教様の姿もありました。
聖イレネオ司教は、司教ポリカルポ(使徒聖ヨハネから直接学んだ)に学び、聖ヨハネの信仰を受けつぎました。
今日のごミサではマタイ福音書7章21-27節が朗読されました。とても興味深い個所です。説教でよいお話を聞きました。
「私たちはいつも『やろう!やろう!』と言って行いますが、どんなに善い行いであっても、信仰によってでも、それが主のみ旨ではなく自分が良いと思ってしている、あるいは自分の満足のためにしているのであれば、それは天の国に通じる道ではない」と。
「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者がみな、天の国に入るのではない。天におられるわたしの父のみ旨を行う者だけが入るのである。その日には、多くの者がわたしに言うだろう、『主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言し、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの奇跡を行ったではありませんか』。『その時、わたしは彼らにはっきり言おう、『わたしはお前たちをまったく知らない。悪を行う者ども、わたしから離れされ』」。(マタイ7:21~23)
主はずいぶん厳しい言葉を言っておられます。私たちも気付かないうちに彼らのようになってしまっているのかもしれません。私たちが何かをする時に、良いことをしていると思い(本当は自分の満足のためにしている)、あるいは便利さや手軽さに惑わされたりしていないでしょうか?本当にこれは主のみ旨なのかよく祈ってからしているでしょうか。今日の説教で私自身も反省しました。
主が望むことを、望む時に、望む故に、私も望みます。アーメン
今日は聖ホセマリア様が亡くなられた日、記念日です。ブログ『トマさん祈りの部屋』にこの事について書かれていました。
大分教会では濱口司教様の司式で記念ミサが捧げられました。そのごミサでオプスデイ日本地域代理ロペス神父様が説教され、トマさんがそれを抜粋して載せておられます。その一部を紹介します。
神は日常生活の中で私たちを待っているのです。イエスはペトロの船に乗り込み、漁に出ようと頼みました。それがペトロのいつもの仕事だったのです。聖ホセマリアは、この箇所を何度も黙想して、世界中で同じことが今も繰り返されていると強調しました。信者の多くはいつもの仕事と家庭生活に殆どの時間を費やしています。そこでイエスは待っています。そこでイエスと出会うのです。
でも多くの人が誤解しています。神様のために何か捧げようと思っても、仕事や家族の世話に忙しくて、それに力と時間を使い果たし、あきらめてしまうのです。聖ホセマリアは「諦めるな!」と繰り返します。私たちは仕事と日常生活を通して、神に仕え、神に出会い、神を愛することが出来るのです!当たり前の中に神は隠れておられます。それを各自がいつもの場所で発見することです。
聖となるために聖職者になる必要はありません。「聖性は、日常の雑事から離れ、たくさん祈る時間がある人だけのもの」だと考えがちですが、そうではありません。・・・あなたの夫、妻を愛し、大切にすることで、聖となりなさい。あなたの兄弟姉妹に奉仕するために、誠実に腕を振るって働くことで聖となりなさい。子供たち、孫たちに、イエスに倣うにはどうしたらいいかを、辛抱強く教えることで、聖となりなさい。社会の利益を図るために働き、自己の利益を捨てることで、聖となりなさい。(ラモン・ロペス・モンデハル神父様の説教より)
この説教を読んで私もまた力が湧いてきました。聖ホセマリアに「諦めるな!聖となれるように頑張りなさい!」と言われているようです。夫や子どもたちのために頑張ります!
CNNのニュースに出ていた記事です。
(CNN) ローマ法王フランシスコがこのほどイタリア・ローマ市内で行った講演で、障害をもつ子どもを産まないための人工妊娠中絶を、ナチス・ドイツの優生思想になぞらえた。
講演はイタリアの家族協会代表を対象に16日に行われた。フランシスコ法王はこの中で、真の家庭は男性と女性で構成されるというローマ・カトリック教会の教えも強調している。
法王の発言内容は、事後にローマ法王庁が確認した。それによると、障害をもつ子どもの中絶については、「妊娠初期に子どもが健康か、それとも何かあるかの検査を行い、まず最初に『追いやってしまおう』と提案するのがファッショナブルだと、あるいは少なくとも普通だと聞いた」と発言した。
その上で、「私はそのことに苦痛を感じる。前世紀には、ナチスが民族浄化のために行った行為に関して全世界が憤った。現代の我々はそれと同じことをしている。ただしより綿密な方法で」と語った。
民族浄化を掲げて健康な子どものみ出産を認めたナチスの思想は優生思想と呼ばれ、身体的、精神的障害をもつ人の妊娠中絶や不妊手術も行われた。
フランシスコ法王は家族の多様化にも言及し、「神のイメージにおける人間の家族とは男性と女性であり、それが唯一だ。男性と女性は神を信じていないかもしれない。だが互いに愛し合い、結婚によって結ばれる。たとえ信仰はなくても、彼らは神のイメージの中にある」と語っている。
教皇様は家族についてもはっきりと述べられました。ところがカトリックも参加している今年12月刊行予定の『新共同訳聖書』にはジェンダーの人に配慮して「父」を「親」に、「妻」を「伴侶」と訳しているそうです。聖書は小説とは違います。プロテスタントのことは知りませんが、カトリックがこれに同意するとは・・・。
「神様は、天国の入り口に立っておられて、頭を下げながら、やってくる人々を迎えておられる。『すみません。大変な旦那をあげてしまってホントにごめんなさい』」離婚した女性に対する神様の言葉だという。
私はこれを読んでジョークだと思いました。ところがどうやらM司教様が思い描く神様のいつくしみの姿で真面目な話らしいのです。
ということは私が死んで神様の前に立っても、神様は私に「あなたの犯した罪は私の配慮が足りなかったせいです。ごめんなさい」と言われるのでしょうか?そう言われても私は嬉しくありません。そうではなく「あなたが心から悔い改めて償いをはたしたのであなたの罪を赦します」と言われる方がどれだけ嬉しいことか。「主のいつくしみに感謝します」と素直に答えるでしょう。
M司教様は神様のいつくしみについて『放蕩息子のたとえ話』を使って話したようです。しかしその解釈は少し違うのではないでしょうか。私が理解する限り、謝ったのは父親ではなく息子の方でした。あれほどまでに悔い改めて自分の所に帰ってきた息子の姿を見て父は喜び許したのです。父が悔い改めた息子を喜んで許すことが愛、いつくしみではないでしょうか。
聖パウロの「ローマの人々への手紙」(2章4節)にも書かれています。「神の慈しみはあなたを悔い改めに導くためのものである」と。
以前にも書きましたが今は亡き小平神父様は『沈黙』の感想で「なんと人間に都合のよい神をつくり出していることか」と書かれていました。正にそのような考え方が広がろうとしているように感じます。神が人に謝ったり、キリストが話した教えと違うことを言ったことにしたり(たとえ話の解釈)・・・。キリストは人間の姿でこの世に来られましたが神です。
神は私たち人間を神に似せて創られました。逆にギリシャ神話の神々や日本神話の神々と同じように人間に似せた神をつくってはいけません。神は私たちを創造され、私たちは神の栄光をあらわし賛美するために創られたのではありませんか。
ヨハネによる福音書 12章47-48節
わたしの言葉を聞いて、それを守らない人がいても、わたしはその人を裁かない。わたしが来たのは、この世をさばくためではなく、この世を救うためである。
山野内倫昭被選司教と、大阪教区、ホセ・アベイヤ、酒井俊弘両被選司教の叙階式の日程が決まりました。おめでとうございます。
山野内倫昭被選司教
日時: | 2018年9月24日(月・祝)午前11時00分より |
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場所: | 浦和明の星学園 ジュビリホール 336-0926 さいたま市緑区東浦和6−4−19(地図はこちら。) |
ホセ・アベイヤ、酒井俊弘両被選司教
日時: | 2018年7月16日(月・祝)午前11時00分より |
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場所: | 大阪教区カテドラル聖マリア大聖堂 540-0004 大阪市中央区玉造2−24−22 (地図はこちら。中心のマークが聖マリア大聖堂) |
酒井神父様の叙階式に行きたいのですが、無理ですね。you tubeで叙階式の動画が見られますように。
ロシアNOWのサイトで「イラクサ」の料理が載っていました。イラクサが食べられる?写真を見ると確かにイラクサです。調べてみると、
[日本の「イラクサ」は Urtica thunbergiana で、ヨーロッパや北米のセイヨウイラクサ Urtica dioica(英名:Stinging nettle)も「イラクサ」と訳されることが多いが、日本に野生するイラクサとは別種である。] と、書かれていました。でも写真を見ると同じものに見えます。
⇩ロシアのイラクサ ⇩日本のイラクサ
セイヨウイラクサはビタミンが豊富で、ロシアではスープにしたりジャムにしたり様々な料理に使っているようです。日本のイラクサではダメなのでしょうか?
若い葉を取りよく洗って湯でてから料理に使うそうです。そして忘れてはいけないのが、葉を採取する時の手袋です。
今月の花材は オオデマリ(枝)、リアトリス(紫色)、デルフィニュウム(青色)、ガーベラ(橙色)、ギボシュです。
2本のオオデマリは角度が同じにならないように、そして2本の間に空間をつくる。ガーベラの花の向きに注意すること。またギボシは3枚同じところから出ているように(自然に)生ける。やはり私はまだ平面的にしか見ていません。先生が手直ししてくださると立体的になります。左右だけでなく奥行きも考えなければ。毎回学ぶことが沢山あり、楽しいです。
先生の説明によると「ギボシュ」は橋の欄干に飾ってある「擬宝珠(ぎぼし)」の形に似ていることからそう呼ばれているそうです。「擬宝珠」は伝統的な建築物の装飾で神社、寺院の階段、廻縁の高欄、橋の欄干などにあります。牛若丸と弁慶が出てくる京都五条の橋の欄干に擬宝珠があります。
五条橋の擬宝珠 ⇧ 京の五条のはしの上~大の男の弁慶は~長い薙刀ふりあげて~牛若めがけて切りかかる~ ⇩
イエズスの聖心(みこころ)の祭日には主イエズス様の無限の愛を思い起こして、その聖心をたたえます。その一つとして「イエズスの聖心の連祷」を唱える人は多いでしょう。
『カトリックの祈り』の本にも「イエズスの聖心の連願」が文語体で載っています。私は文語体の祈りが好きです。イエスではなくてイエズス、神ではなくて天主、・・・給え、等々。
・・・・・
唯一の天主なる聖三位 ▴われらをあわれみ給え
慈しみと愛とに充ち満ちているイエズスの聖心・・・・・
えいちと知識とのすべての宝を含めるイエズスの聖心・・・・・
われらの罪のあがないなるイエズスの聖心・・・・・
御身に希望し奉る者の救いなるイエズスの聖心・・・・・
諸聖人の楽しみなるイエズスの聖心・・・・・
・・・・・
昨日の日曜日に「キリストの聖体」を祝った教会は多かったでしょう。先日紹介した前田大司教様の本に書かれていた話です。
…人間は霊魂と肉体とからなっているのですから、肉体の健康のために朝・夕の体操が必要であるのと同じ様に、霊魂の健康のためには朝・夕の祈りが必要なのです。・・・
肉のごと霊にも必死良夜かな
現代は、身体の美容、健康、そして「この世の命」に多くの人が必死になっています。しかし、心や魂の美容、健康、そして「永遠のいのち」のためにどれだけの人がひっしになっているでしょうか。
確かに前田大司教様のおっしゃる通りです。信者さんたちの間でも体の健康や長生きの秘訣、美容の話題には事欠きません。しかし、魂についてはなかなか話題になりませんね。反省します。
やはり魂の美容や健康、永遠のいのちのためには祈りとご聖体が一番必要でしょう。キリストの聖体の祝日を機に魂の健康と成長のことを毎日意識して過ごそうと思います。
6月といえば聖ホセマリアの記念ミサです。私は今年も行けませんが、ミサに与れる方は是非いらしてください。
酒井俊弘神父様は大阪のカトリック夙川教会で主司式されます。東京・京都はオプス・デイ日本の地域代理者ラモン・ロペス神父様、大分は浜口司教様、長崎は高見大司教様が主司式をされます。
私は毎日オプス・デイとセデス・サピエンチェ神学校のためにお祈りしています。そして楽しい時も、悲しい時も、苦しい時にも、怒っている時にも、いつも聖ホセマリアの取り次ぎを願い祈っています。オプス・デイの会員ではありませんが、オプス・デイを心から愛しています。
ごミサの前にゆるしの秘跡の時間を設けているのもオプス・デイらしいでしょう。ゆるしの秘跡を大切にしているからですね。
この前の日曜日は三位一体の祝日でした。この日にはよくごミサで三位一体の説明のために何かに例えた話を聞きます。しかし今まで納得できるような良い例えを聞いたことはありません。というよりも「それは違うでしょう!」と言いたくなることがしばしば。
そもそも神様をこの世のものに例えるのには無理があります。この世のものはすべて神の被造物なのですから、無限の造り主を有限のつくられた物に例えるのは無理。
水やワインに例えたり、人の顔や手に例えたり・・・どれに例えても形態や見え方が変わるだけで同じものです。三位一体の時に説明したように父と子と聖霊にはそれぞれにペルソナがあるのです。一つのペルソナではありません。これを無視すると間違った三位一体の説明になります。
今日Fr.Zのブログを読んで、日曜日からずっとモヤモヤしていたことが晴れました。(ロザリオのおかげかな?)Fr.Zのブログにも同じようなことが書かれてあったからです。三位一体の間違った例えについて。
The Trinity is like…
Arianism – the sun, which produces light and warmth
Tritheism – the same wine in three bottles
Partialism – the egg which has shell, white and yolk or a shamrock with three leaves
Modalism – water, which is ice, fluid or steam
ですから三位一体を何かに例える必要はないのです。私たちが信じるのは父と子と聖霊の唯一の神です。それでいいのです(と私は思います)。
ところで今日は典礼暦では三位一体の主日後の木曜日「キリストの聖体」の祝日ですが、国によっては次の日曜日(今年は6月3日)に祝われるようです。教皇様も3日の日曜日の夕方6時からミサをたてて、その後ご聖体行列があります。
ご聖体は私たちの霊的食物です。私たちの内的成長に欠かせないものです。このキリストからの最高の贈り物に感謝します。
実は最初にこの本を手に取った時、一瞬で読む気が失せたのです。その理由は本の帯です。なんと私の大の苦手なA.Cさんが書いていて、しかも本の中にも前田大司教様との対談が載っていたのです。「前田大司教様はA.Cのファンなのか・・・、それなら私とは合わないのかも・・・」と思ってしまったのです。
しかしせっかく興味を持って(通販なので詳しい内容や帯のことは知らず)買い求めた本なのでとにかく読んでみよう、A.Cさんとの対談はとばせばよいと思い読み始めました。
「読んで良かった」素直な感想です。やはり枢機卿になられる方の話ははっきりしていて、あいまいな優しさ?ではないです。勿論100%書かれていることに同意見ではありませんが(例えば化粧品の話など)、キリストや教会の教えに関しては納得です。ご自身の病気についてのお話も私にとって良い教えとなりました。A.Cさんとの対談も話されているのはもっぱら前田大司教様の方ばかりなので、気にせずにスッと読めました。
頭から拒否するのではなく、すべては意味があり主は与えられているのですから、それを受け入れることが大切だと今回のことでもわかりました。
ところで肝心の俳句についてですが素人の私には批評できません。皆さんが読んでみてそれぞれに感じてください。