手に受けるのは特別
YouTube: Pope Francis - Penitential Procession and Holy Mass 2019-03-06
灰の水曜日のごミサ。ご聖体拝領(ビデオ 1:31:00頃から)では司祭は舌に授けていました。手を出しても司祭は舌に置いています。今でも舌で受けるのが正式なのです。手に授けるのは特別な許可があるからです。ヴァチカンのごミサでは司祭はご聖体を舌に授けるように指導されているようです。
YouTube: Pope Francis - Penitential Procession and Holy Mass 2019-03-06
灰の水曜日のごミサ。ご聖体拝領(ビデオ 1:31:00頃から)では司祭は舌に授けていました。手を出しても司祭は舌に置いています。今でも舌で受けるのが正式なのです。手に授けるのは特別な許可があるからです。ヴァチカンのごミサでは司祭はご聖体を舌に授けるように指導されているようです。
ヨーロッパの人はよく歩きながら祈りますね。特にロザリオを繰りながら庭や回廊を歩いているのを見たことがあります。
私の夫も歩きながらロザリオを祈るのが好きです。特にお気に入りの場所が藺牟田池。冬は土日以外だと人はほとんどいません。池はロザリオを繰りながら一周するのに丁度良い距離です。石段も坂もない遊歩道は祈りながら歩くのにピッタリ。
夫はよく一人で出かけますが、たまには私もつきあいます。二人でロザリオを唱えながら歩くと、自分の反省すべきことが色々と浮かんできます。逆に様々な恵みにも気付かされます。夫婦でこういう時間を持てることを主に感謝!
藺牟田池:この池の湖畔をぐるっと一周します。約4キロ。お薦めのコースです。
今日はポーランドの守護聖人聖カシミロ(カジミェシュ・ヤギェロンク:Kazimierz Jagiellończyk)の日です。1458年ポーランド国王カシミロ4世とオーストリア皇女エリーザベトの次男として生まれた彼は25歳の若さで亡くなるまで祈りと善行に務めました。
よくご聖体訪問をし、教会が閉まっている時でも戸扉の前に跪いて祈り、孤児や寡婦、虐げられている人、貧しい人達を助け多くの国民に愛されました。また父である国王は神聖ローマ皇帝フリードリヒの娘クニグンデと結婚させようとしましたが彼はそれを断り独身でいることを望みました。
1484年彼が25歳で亡くなった後、彼を尊敬している多くの人々は彼の取り次ぎを祈り奇跡もおきました。
聖カシミロは特に聖母マリア様を崇敬し貞潔の徳を重んじました。また聖母を讃えるラテン語の詩を作りました。
YouTube: Gorczycki | Omni die dic Mariae [á 4; Resonans con tutti]
聖カシミロの書いた聖母賛歌はとても長いもので、その一部が歌われています。
我が家では猫はペットという考えなので、人間のような待遇はしません。よほどのことがない限りペット病院も縁がありません。しかし、今回ばかりは病院へ連れて行きました。
夕霧の片方の目が飛び出してきたのです。手術で目を取り出すか、このままにしておくか?結局このままにしておくことにしました。10日間毎日抗生剤をエサに混ぜて与え、1日に3回目に軟膏を塗ってあげることになりました。
ところが夕霧が外ネコでよその家(どの家かはわかりません)でも可愛がられていることを忘れていました。今日は朝薬を塗ってもらった後姿が見えなくなりました。1日3回の目薬なのに・・・。もしその家の人が病院へ連れて行って手術を受けさせたらどうしよう
心配しても仕方のないこと、なるようにしかならないのですが。「夕霧早く帰っておいで!」
夕霧です。薬で進行を止めるぞ!
YouTube: Il Volo Music Evolution 2009-2017
ハンサムで歌のうまいジャンルカ(Gianluca)、ムードメーカーで歌のうまいイニャツィオ(Ignazio)、三人の中でも特に歌のうまいピエロ(Piero)。彼ら三人揃ってこそ歌に厚みと深みが増します。クラシックからナポリ民謡、ポップスまで歌いこなすIl Voloは5月に来日予定。横浜・東京・大阪、聴きに行ける方は是非私の分まで楽しんできてください。
それにしてもイニャツィオはどうして刺青をしたのでしょう…とても残念 ![]()
今日は聖ペトロ使徒座の祝日です。聖ペトロ使徒の祝日は6月29日にあります。では「使徒座」の祝日とは何でしょうか?
聖ザベリオ宣教会のジョヴァンニ・デリア神父様が「使徒座」について説明されています。(尼崎カトリック教会のホームページより)
・・・日本語で “座” と訳されていますが、もともとの言葉は “カテドラ” です。この言葉の意味は、先生が座わって教えている場所という意味です。だから聖ペトロのカテドラと言えば、ペトロの教える使命を強調しています。聖ペトロは、イエスキリストからこの使命を特別にいただきました。・・・
先日フランシスコ教皇様はアメリカの大司教(元枢機卿)の聖職位をはく奪しました。明後日からは全世界の司教協議会会長によって「未成年者保護」をテーマとする会合がバチカンで開催されます。
そんな中、菊地大司教様のブログで、亡くなられたお二人の教区司祭についてのお話があり、その中で「司祭」として生きることについて書かれている文を読みました。
「司祭」として生きることは、いわゆる職業としての司祭を務めることなのではなく、司祭を生きることそのものであります。「これとこれの、定められた業務を果たせば司祭がつとまる」のではなく、その生涯をかけて、最後の瞬間まで司祭を生きるのだと思います。その司祭を生きる人生は、自分のためではなく、主のために、さらにはすべての人のために、生き、死んでいく人生です。(『司教の日記』2019年2月16日)
とても重い言葉です。改めて司祭職は単なる職業ではないこと、司祭は死ぬ瞬間まで司祭として生きなければならないことを認識しました。
そのためにも私たちは司祭のために祈らなければ、祈りで支えなければいけないと思いました。
教皇庁聖職者省「司祭のための祈り」
主イエスよ。
あなたは至聖なる聖体のうちにおられ、
あなたの司祭を通してわたしたちの間で永遠に生きておられます。
あなたの司祭のことばが、ひたすらあなたのことばとなり、
彼らの行いがあなたの行いとなり、
彼らの生き方があなたの生き方を真に示すものとなりますように。
司祭が神の民を代表して神に語り、
神の民に語りかけ、
勇気をもって奉仕し、
あなたのみ心のままに教会に仕えることができますように。
司祭が現代において永遠の神をあかしし、
あなたに従って歴史の道を歩み、
すべての人のために善を行うことができますように。
司祭がその務めを忠実に行い、
召命と使命を熱心に果たし、
司祭としてのあるべき姿をはっきりと現し、
与えられたたまものを喜びをもって生きることができますように。
聖母マリアに祈ります。
御子に最後まで従われたように
いつまでもあなたの司祭とともにいてください。アーメン。
さて、今頃の時期は来年度の役員決めが話題にのぼり始めている教会もあるでしょう。毎年のことですがこれだけはやめてほしいことがあります。
それは「あなたはまだしていないから」とか「順番だから」と、さもそれが正論だと言わんばかりに押しつけること。これは間違ったやり方だと思います。そして「どうしてできないの?」と理由をしつこく聞くこと。まるで学校のPTAの役員決めの時と同じ。教会の中だからこそ世間のこの悪習はやめましょう。
「だったら役員は決まらない」と言う人がいるかもしれません。でも本当にそうでしょうか?学校と違い教会はキリストを信じる人たちの集まりです。皆さん『できることなら教会のために何かしたい』と思っている、そういう人達ばかりだと思います。今はできなくても時期が来たらしようと思っている人、できるかどうか考える時間の必要な人、家族の理解・協力が必要な人、人それぞれに様々な事情があります。『自分ができたのだからあの人もできるはず』ではなく『自分ができてもあの人にはできない事情がある』ということをわかってあげるのがキリスト者でしょう。
もう少しイエズス様を信頼してみてはどうでしょうか。聖霊の働きを信じて、聖リタに取次ぎを祈っても良いでしょう。必ず主は道(よい解決策)を示してくださるはずです。
主任司祭のA神父様は休暇とお母様のお見舞いのためヴェトナムへ帰られました。ヴェトナムは5日が新年お正月(テト)です。約3週間の休暇、故郷で楽しく有意義な時を過ごせますように。お母様にとってはA神父様に会えることが何よりもよく効くお薬でしょう。
ヴェトナムのテト料理(お正月料理)は南部中部北部地方によって少し違うようですが、共通しているのが「バインチュン(ちまき)」だそうです。作り方は⇩
https://www.youtube.com/watch?time_continue=84&v=IZG_EvbrPm0
Googleで見つけた写真です。テトのお花は北がピンク色の桃の花、南は黄色のホアマイ(梅orアプリコット)、よって上の写真は南の花ホアマイとバインチュン(ちまき)を紹介したものですね。
主任司祭の代わりにごミサをあげてくださったのがチョン神父様です。神父様は去年司祭不足のこの教区に韓国から手伝いに来てくださり、ここの教区司祭となられました。この教区の韓国人の神父様は七名となりました。心強いです。
「キリストは一つ、教会も一つ」、どの国の司祭様であっても私たち信徒にとっては皆同じ神父様です。韓国やヴェトナム、フィリピ、イタリア、ドイツ他外国から日本に来られて働いてくださる神父様方にただただ感謝!![]()
フランシスコ教皇様がアブダビでごミサをあげました。
YouTube: Pope Francis – Abu Dhabi - Holy Mass videonews 2019-02-05
アラブ首長国連邦の人口の約90%が外国人で、その約120万人がキリスト教徒とのこと。フィリピンやインドなどからの労働者達も多いようです。教皇様がアブダビでごミサをあげられたことはイスラム社会の中で働くキリスト信者たちにとってはとても大きな喜びだったことでしょう。私はそれでも・・・う~ん・・・複雑な思いです。
1862年6月8日教皇ピウス9世によって列聖された日本26聖人殉教者の祝日。私は書きませんが、毎年この日に特に思うことがあります。
今日は26人の聖人たちばかりでなく、日本で迫害を受け苦しまれた人達、殉教された人達、すべての人のために祈ります。そして彼らに取り次ぎを願います。
日本26聖殉教者の信仰を求むる祈り
主イエズス・キリスト、主は十字架の刑によりて、聖ペトロ・バブチスタ、聖パウロ三木、およびその他の殉教者をして、主の御鑑にならわしめ、日本国民の信仰の初穂として、かれらの鮮血を治め給えり。▴願わくは、二十六聖殉教者の御取次によりて、堅固なる信仰と迫害に堪うる勇気とをわれらに得しめ給え。アーメン。(「カトリックの祈り」より)
Candelaria(聖燭祭)、また「マリアの清めの祝日」とも呼ばれている「主の奉献の祝日」は地方によってはクリスマスの終わりでもあります。ローソクを祝福してもらい、フランスではクレープを食べてお祝いします。(今もするのかは知りませんが、この由来は以前ブログに書きました。)
また今日は教皇ヨハネ・パウロ2世が定めた「世界奉献生活者の日」でもあります。ベネディクト16世はある年のこの日に「キリストが修道者を選ばれます。いや、むしろ修道者はあますところなくキリストから捕らえられるのだと言えましょう」と話されました。
先月観想修道院に行く機会がありました。そこの修道女たちの奉献生活はまさにキリストから捕らえられている姿でした。キリストからとても愛されている彼女たちを見てちょっとうらやましく思いました。
教皇様は今日は主に多くの修道者たちの召命を祈り求めるためのよい機会だとも言っておられます。
御召を求むる祈り
主イエズスよ、主はかつて使徒たちに向かいて「穫り入れは多けれども働く者は少なし。故に働く者をその穫り入れに遣わさんことを、穫り入れ主なる御父に祈れ」と宣えり。▴願わくはわれらのうちより、司祭または修道者となりて働く多くの人々を選びて、主の公教会に遣わし給わんことを、われらの母なる童貞聖マリアの御取次によりてこいねがい奉る。アーメン。
使徒の元后、▴わららのために祈り給え。
ミセスユニバースロシア代表のスヴェトラーナ・イサエワさん
美しい49歳の彼女が若さを保つ秘訣を明かしました。
① 笑顔を絶やさない。
② 怒らない。
③ 少食を心がけ、たくさん活動する。
④ できるだけ歩く、あるいは犬を飼い、たくさん散歩する。
⑤ 人生を愛し、不平不満を言わない。
⑥ 過去を振り返ってばかりせず、今、この時を生きる。
⑦ 睡眠をしっかりとる。
⑧ 愛し、愛される存在となる。
(「RUSSIA BEYOND」より)
な~るほど。私が実行していることは⑦だけだから、彼女のように若く見られないのね・・・ってなわけないでしょう!これは土台の違いです。「美しい人はより美しく、そうでない人はそれなりに…(年を取る)」ですね。
確かに彼女の言う「若さを保つ秘訣」の8か条は素晴らしいし、いつまでも美しくいられればそれに越したことはありません。しかし、
「怒らないでいつも笑顔、不平不満は言わずに少食で満足して、よく働き、車は使わず(贅沢せず)に歩くこと。そしてなによりも他人を愛して自分も愛される人となる」。私にしてみればこの事の方が若さを保つよりもずっとずっと難しそうに思えます。私は今日も眉間にしわを寄せて不満をブツブツ・・・老けてゆくばかり・・ ![]()