2018年8月 4日 (土)

聖マリア・ヨハネ・ビアンネ司祭(記)

 全世界のカトリック司祭の保護の聖人です。自身は清貧に努め、お金も時間も主のためならばおしみなく使った司祭です。アルスの小教区のために一生を捧げました。すべての時間を羊の群れのために捧げた牧者、だから聖人なのですね。

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 聖ビアンネの生涯について読むたびに、当時のフランス革命の影響がいかに悪かったかわかります。私の学校では歴史の先生が「フランス革命(自由・平等・博愛)がどんなに素晴らしいことか」話され、私はそれを鵜呑みにしていました。多くの人がそう教わり信じているでしょう。しかし結局革命は革命です。神を暴力や破壊で否定することが素晴らしいわけがありません。

2018年8月 3日 (金)

りんごケーキ(シャルロトカ)

 今はリンゴの時期ではないですが、南半球のニュージーランドでは7月8月にサイフレッシュという品種のジャズ(商品名)が旬です。適度な酸味もあるので紅玉のない日本の今の時期にはりんごケーキにピッタリです。

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 その「ジャズ」を使ってポーランドのリンゴケーキ「シャルロトカ」を作りました。レシピでは大きいリンゴを4個から8個使うのですが今回はリンゴが小さかったのでちょっと嵩の低いケーキになりました。でも美味しいです。

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林檎ケーキ(シャルロトカ)

材料: リンゴ 4個~8個・1.5kg.(皮と芯を取り小さく切り、砂糖大匙2とシナモン適宜で煮る) 

    薄力粉 300g. 砂糖 大匙5  バター 250g.  卵 1個

    バニラエッセンス 適宜  粉糖 適宜

・ オーブンを180℃に予熱、角型にオーブンシートを敷く。

・ リンゴを煮て冷ます。

・ もみこみ式でパイ生地を作り冷蔵庫で休ませる。

・ 生地を二つに分けて、半分は伸ばして型の底に敷く。

・ 次にリンゴを敷き詰めて、その上に残りの生地を伸ばして手でちぎりながらリンゴを被う。

・ オーブンで約40分(様子を見ながら)焼く。

・ 冷めたら粉糖をふる。

* 生地には卵黄(2個分)だけを使い、卵白(2個分)は固く泡立てて砂糖を入れメレンゲにして煮リンゴを被い、その上にパイ生地を手でちぎって被うレシピもあります。こちらの方が正統なレシピかもしれません。あるいは地方によって若干違うのかも。共通していることは四角い型で焼くことです。

2018年8月 1日 (水)

神のいつくしみの祈り

 今日ご聖体訪問のため教会に寄ったところ、丁度祈りの集いが終わったところでした。月に一回「聖ファウスティナのいつくしみの祈り」をしているとのこと。多分聖ファウスティナが午後3時にキリストの受難と十字架の死を黙想して祈るように言われたので、この時間に祈っていたのでしょう。

 祈りの集いに参加せずに聖ファウスティナの「神のいつくしみの祈り」をしたい方のために

神のいつくしみのチャプレット

主の祈り アヴェ・マリアの祈り 信仰宣言 (各1回)

永遠の父よ、私たちと全世界のすべての罪のあがないのために、あなたの最愛の子、私たちの主イエス・キリストのおん体とおん血、ご霊魂と神性をみ前に捧げます。 (1回)

イエスの痛ましいご受難によって、私たちと全世界にいつくしみを注いで下さい。 (10回)

[5連くり返す]

聖なる神、聖なる全能の神、聖なる永遠の神よ、私たちと全世界を憐れんで下さい。(3回)

 久しぶりに娘から借りたままになっている『聖ファウスティナの日記』を読んでみたくなりました。

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 私は今はロザリオの祈りで十分です。ごミサ、聖書、ご聖体訪問、教会の祈り、ロザリオ・・・告解・・・そして聖ホセマリアの取り次ぎを求める祈り

神よ、御身(おんみ)は聖母の取次ぎを通して、主の司祭・聖ホセマリアに数々の御恵みを与え、専門職とキリスト者としての日々の務めを果たしつつ聖性を求める道、オプス・デイ創立の忠実な道具となさいました。どうか私もまた、日常生活のあらゆる瞬間と状況を主を愛する機会とし、信仰と愛の光をもって地上を照らし、教会と教皇、そしてすべての人々に喜びと真心を込めて仕えることができますように。聖ホセマリアの取次ぎによって、私の願い(ここでお願いをする)をお聴き入れください。アーメン。

主の祈り アヴェ・マリアの祈り 栄唱

2018年7月29日 (日)

ミューズリーのクッキー

 昔はオートミールクッキーをよく作っていましたが、最近はオートミールを食べないので作りません。代わりに作ったのがミューズリークッキーです。グラノーラではなくミューズリーを使います。

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  ⇩ 使ったミューズリーはファミリアのこれ。

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 オート麦フレーク、コーンフレーク、ひまわりの種、かぼちゃの種、ごま、干しりんご、ライ麦粉、アーモンド、ココナッツフレーク、蜂蜜、シナモン、等が入っていて栄養満点。麦が少し硬いせいか、年配の方は食べ辛そうでした。若い人には人気があるのですが。お腹の持ちも良いので軽食にお薦め!

2018年7月27日 (金)

リンゴ椿

 我が家にある椿の中で一本だけ巨大な実(種)をつける木があります。どうやら「リンゴ椿」別名「屋久島椿」と言われるヤブ椿の変種のようです。

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 花はヤブ椿と変わりありません。しかしその実は普通のヤブ椿の何倍も大きいのです。中の種は普通の大きさで、外皮だけが以上に厚いのです。

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真ん中が本物のリンゴ

 この種を植えて発芽させたら同じリンゴ椿に成長するのでしょうか?試してみます。花が咲くまで何年かかるかな?

2018年7月26日 (木)

聖ヨアキムと聖アンナ(記)

 マリア様のご両親聖ヨアキムと聖アンナの記念日です。お二人については福音書には何も書かれていません。外伝には書かれているようですが・・・。

 自分の娘があのような生涯を送ることを受け入れたご両親はマリア様と同じく「み心のままに」と主のみ旨を受け入れた信仰篤き人です。また心の清いマリア様を育てたのはただ聖霊の恵み・主の計らいだけではなくご両親の努力があればこそでしょう。放任主義で何もせずに主に任せっぱなしではなかったはずです。ご両親はマリア様に神様のことをいつも話し、祈りを教え、深い信仰を伝えたと思います。

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聖アンナ・聖マリア・聖ヨアキム もう一つの聖家族です。

2018年7月25日 (水)

聖ヤコブ使徒(祝)

 今日は使徒聖ヤコブの祝日です。きっとスペインの家庭ではヤコブのケーキを焼いて祝っていることでしょう。

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ヤコブのケーキ

 使徒ヨハネの兄弟でスペインの守護聖人の聖ヤコブは使徒の中で最初に殉教したと言われ大ヤコブと呼ばれています。

 サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼は有名ですね。大聖堂にはサンティアゴ=聖ヤコブの遺骸が収められていると言われ、世界中から多くの人が巡礼に訪れます。

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サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路

2018年7月23日 (月)

主が望むこと

主が何をお前に求めておられるかは
お前に告げられている。
正義を行い、慈しみを愛し
へりくだって神と共に歩むこと、これである。(ミカの預言6-8)

 今日の朗読の最後の部分です。「正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神と共にあゆむ」と。毎日これらのことを意識して生活するように努めなければ・・・でも難しいことです。意識して努力しなければなりません。意識せずに自然とそう生活できる人は本当に幸せです。正に信仰の人です。

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2018年7月22日 (日)

聖マグダラのマリア(記)

 よく「自分探し」をする人の話を聞いたり、「そのままのあなたでいいよ」とかいう言葉聞くたびに、「そうかな?違うと思うな~」と感じていました。私の疑問をスッキリとしてくださったトマさん、さすがトマさんです。

 『トマさん祈りの部屋』からの一部コピーです。⇩

一昔前、「自分探し」が流行りました。・・・本当の「自分らしさ」は、どこにあるのでしょうか?・・・・・世間的な物差しで人生を測ると、勝つか負ける、成功か失敗、幸運と不運などに区別されます。しかし、人間は偶然の産物ではなく、神の愛によって生まれ、育まれ、完成するものです。そこには世間的な価値観では測れない霊的な側面があります。神と自分の関係に気付いた人だけが、本当の意味で「自分らしさ」を理解し、納得できます。・・・・・「あなたは、今のままでいいよ」とか、「無理しなくても、今のあなたがあなたらしい」という自己肯定を勧める言葉が氾濫しています。神が描いた各自のキャラクターを生きるという意味なら正解ですが、自分勝手なキャラクターを生きることは、物語を台無しにします。神のキャラクターを台無しにする自分勝手を罪と言います。「怠惰、高慢、虚栄心、わがまま、下品な好奇心、悪口、言い訳、依存心など」は、けっして「そのまま」でよくありません。これらは心の不純物で、神がお望みの自分を妨げますから、取り除く努力が欠かせません。戦うことで、「自分らしさ」が輝き出て、全体の神の物語が生きるのです。2018/07/11 聖ホセマリア著『道』第1章「性格(キャラクター)」解説より

 その通りですね。「そのままのあなたで」とか「ありのままのあなたで」とか言われると、何て優しい甘いささやきに聞こえます。でも、キリストは罪人を呼んだ時に「そのままのあなたで良い」とは言っていません。呼ばれた人は皆キリストに倣う生活をするよう変わりました。聖マグダラのマリアは生活を改めて、二度と同じ罪を犯しませんでした。キリストは姦通の女(マグダラのマリア?)に会った時に「わたしもあなたを罪に定めない。今のあなたのままでいいよ」とは言われず、「私もあなたを罪に定めない。行きなさい。そしてこれからは、もう罪を犯してはならない」と言っておられます。

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聖マリアマグダレナ

2018年7月19日 (木)

デーツ

 私はデーツが大好きで、安いとつい買ってしまいます。そのまま食べるのも美味しいのですが、今回はこの甘さを利用してデーツマフィンを作りました。

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材料: ブランデー漬けデーツ 約15~20個位

    ホットケーキミックス粉 200g.

    砂糖 70g.またはデーツシロップ大匙2~3(好みで加減)

    卵 2個

    バター  50g.(ヘルシーにしたければオリーブ油50ml.)

    生クリーム 100ml.(牛乳でも可)

・オーブンは180℃に予熱しておく。

・ブランデーに漬けたデーツの実は種を取って刻む。

・卵を泡立て器でよく混ぜ、砂糖(またはデーツシロップ)、生クリーム、溶かしバター(さましたもの)を加えホットケーキミックス粉とデーツも加えて混ぜる。(卵を泡立てるほどに良く膨らむ)

・マフィン型の半分くらいまで生地を入れて約20分位様子を見ながら焼く。 

 デーツはとても甘いのですが、風味がありません。そこでデーツをブランデー漬けにして使いました。多分ラム酒でも美味しいと思います。次はフルーツケーキを作る時に入れようと思います。

 デーツシロップもよく使います。蜂蜜と同じようにトーストやパンケーキに塗ったり、煮物をする時には砂糖代わりに、カレーの隠し味にも。

 ペースト状のデーツもあるようですが、私はまだ使ったことがありません。多分ケーキやパンを作る時の生地に練りこんだり、あるいは餡と同じようにお団子につけたり、ジャムのようにトーストに塗ったりして使うのかもしれません。一度買って試してみようと思います。

2018年7月16日 (月)

大阪教区司教叙階式

 ホセ・マリア・アベイヤ司教様、パウロ酒井俊弘司教様おめでとうございます。前田枢機卿様の司式で叙階式ミサがたてられました。

 叙階式です。⇩

https://www.youtube.com/watch?v=NJZj6Ke1Id4

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2018年7月15日 (日)

7月のお花

 

Dscn2915_2   昨日はお花教室でした。今月の花材は枝物の錦木、白い花が美しいシャローム、水色のルリ玉あざみ、赤い実のピペリカ、そして鮮やかの黄色のオンシジュームです。

 花器の水色とルリ玉アザミの色が似ていて、一体感が出ました。シャロームが涼しげです。錦木の葉は緑から真っ赤になるそうです。青葉の緑色も爽やかで良いですが、きっと秋に真っ赤に紅葉した錦木も綺麗いでしょう。

 夏らしくガラスの花器に生けてみました。冬は陶器のぬくもり、夏はガラスの涼しさ、また竹の素材も良いですね。

2018年7月14日 (土)

聖カミロ・デ・レリス司祭(病人と医療従事者の守護聖人)

 

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 ローマの聖マグダラのマリア教会へ行った時に、一つのチャペルの前に聖カミロの御絵が沢山置かれていました。私は後で知ったのですが、この教会に聖カミロが埋葬されていたのです。私もご絵を一枚いただき、病気の人のために聖カミロに取り次ぎを祈りました。

 1550年に生まれた聖カミロの性格は短気で攻撃的で、しかも賭博やお酒が好きな生活をしていました。しかし、ある修道士の説教を聞いて回心し、悪い習慣を断って病院で働き始めました。そして聖フィリッポに司祭になることを薦められて、34歳で司祭になり、2人の同志と共に「病人のしもべ」(Ministers to the Sick)という修道会(後のカミロ修道会:Camillians)を創立しました。

 カミロ修道会は病人に仕える聖職者修道会です。会員は肩や胸に赤い十字架をつけて活動し、この修道会の活動が赤十字運動のもととなりました。聖カミロ・デ・レリスは、病者と医療従事者の守護聖人です。

2018年7月13日 (金)

聖ハインリッヒ

 

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 今日は聖ハインリッヒの霊名日です。聖ハインリッヒ=ハインリッヒ2世はバイエルン侯ハインリッヒの息子で、後にドイツ皇帝オットー3世のあとを継いで皇帝となりました。彼は聖堂や修道院をたくさん建て、また教育・文化・宣教のために力を注ぎました。素晴らしいキリスト教の君主としてよく知られています。

 主は富める人も貧しい人も主の道具として使われます。聖書には「金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通る方が易しい」(マタイ19:24)と書かれています。だから単純に貧しい人だけが主に愛されて天の国に入れると思っている人がいます。しかしそうではありません。財産や権力があってもそれらを正しく主のために使う、主の道具となれる人は主から愛されています。地位もお金もある議員のアリマタヤのヨゼフもイエズス様のために新しい墓を用意して埋葬しました。主が求めておられること、主のみ旨を行う人が主に愛されて、天の国に入れるのだと思います。 

2018年7月10日 (火)

アレクシア

今日見つけたニュースです。

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 以前にも何度か取り上げたことのあるアレクシアです。両親はオプス・デイのメンバーです。彼女は若すぎたのでまだメンバーではありませんでした。司教叙階される酒井俊弘被選司教様も喜んでおられると思います。アレクシアについて詳しく知りたい方は是非聖母文庫『アレクシア』をお読みください。

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 彼女がいつか福者、聖人となる日がくることを祈ります。主に感謝の祈りもしなければheart

2018年7月 9日 (月)

豪雨災害

 なんと悲惨な状況でしょう。今回の豪雨で亡くなられた方が88名、重体の方が4名、行方不明の方が58名、こんなに痛ましい災害になるとは・・・。言葉もありません。

 絶望と不安の中におられる方々に希望と安心を届けるには、私たちはどうしたらよいのでしょうか。とにかく祈りと共に何かしなければ・・・。

 タイで洞窟に取り残されている少年たちの救出も始まったようです。救助する方々を含め全員の無事を祈ります。

 嬉しいニュースと共にとても悲しいニュースが多い今月。これ以上悲しいニュースが続きませんように。

2018年7月 8日 (日)

鹿児島教区新司教

 フランシスコ教皇様は7月7日に鹿児島教区の郡山司教様の後任に中野裕明神父様を任命されました。叙階式の日程はまで未定のようです。

 中野裕明被選司教様おめでとうございます!私は中野被選司教様を直接存じ上げないのですが、神学院の院長をされているほどの方なので、きっと教区にとって主からの素晴らしいお恵みだと思います。叙階式が楽しみです。

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フランシスコ・ザビエル中野裕明被選司教様

2018年7月 6日 (金)

罪人とは

イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」(マタイ9.12-13)

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    Fr.Rupnik 作

 今日の福音を読んで、改めて自覚しました。 わたしは罪人であるということです。自分は犯罪を犯さず、正しく生きようとしていてもやはり正しい人ではなく罪人だということ。

 おそらくこの箇所を読んで、「私は罪人ではなく正しい人だから、キリストは必要ない」と思った人もいるでしょう。洗礼を受けない理由にする人もいるかもしれません。しかし人を殺したり盗んだり、法を犯すことだけが罪ではありません。他人を妬んだり嫉妬したり、疑ったり、うわさしたり、誹謗中傷したり、怠けたり、ごまかそうとしたり、自分のするべきことをしなかったり、快楽に夢中になったり・・・それらはすべて罪です。ですから私たちはすべて罪人です。すべての人には主が必要なのです。そのことに多くの人が気づきますように。

2018年7月 4日 (水)

解説が欲しい

 今日の聖書朗読個所を読むたびに理解できないのです。どなたかすっきりと納得のいく説明をしてくださいませんか?

やがて、イエズスが向こう岸のガダラ人の地方にお着きになると、悪霊に憑かれた二人の男が墓場から出てきてイエズスに出会った。・・・・・そこで、悪霊どもはイエズスに願って言った、「もしわたしたちを追い出されるなら、あの豚の群の中に入れてください」。そこで、イエズスは「行け」と仰せになると、悪霊どもは出ていって、豚の中に入った。すると豚の群れはみな崖から湖へ雪崩落ち、おぼれ死んでしまった。豚飼いたちは逃げて町に行き、悪霊に憑かれた者のことなど一切を告げ知らせた。すると、町じゅうの人がイエズスに会いに出てきて、イエズスに会うと、この地方から立ち去るように願った。(マタイ8:28-34)

・悪霊は豚そのものの中に入ったのか、それとも群れの中に入ったのか?

・なんのために悪霊は豚の中または群れに入り、そして豚を湖で溺死させたのか?その後悪霊はどうなったのか?単にユダヤ人が豚を不浄のもの(豚は食べない)としているという理由だけでは足りません。

・悪霊を追い出してくれたイエズスをなぜこの地方から立ち去るよう願ったのか?他の悪霊につかれている人の助けを願わないのか?それとも悪霊に命令できるイエズスを悪霊の頭と思ったのか?しかし、もし悪霊の頭と思ったのなら皆イエズスを恐れて隠れ、わざわざ会いに来ないのでは?

 聖書に書かれていることで意味のないことはないと思うのです。この箇所も意図があり書かれていると思うのです。それとも私の考えすぎでしょうか。

コマーシャル ⇩ 宣伝です ⇩ 美味しいよ鹿児島黒豚 ⇩

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2018年7月 3日 (火)

見ないで信じる

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 トマは言った、「わたしはその手の釘の後を見、自分の指をその釘の跡に入れてみなければ、また、自分の手をその脇腹に入れてみなければ、決して信じない」。(ヨハネ20.25)

 疑り深いトマでしたが、イエズス様の復活した姿を目の当たりにし、「わたしの主、わたしの神よ」と信仰宣言します。そして聖トマはインドへと布教して最後は南インドで殉教したと伝えられています。

 キリストはトマに仰せになった、「あなたは、わたしを見たから信じたのか。見ないで信じる人たちはさいわいである」。(ヨハネ20.29

 これは聖トマだけに向かって言った言葉ではありません。当然わたしたちにも向けられたものです。

「見なければ信じない」という人が「見なくても信じる」ことのできる人となれますように、聖トマに主への取り次ぎをお祈りします。