ある一部の聖職者と奉献生活者による権力の乱用や性的虐待、そしてそれを長い間無視したり隠ぺいしてきた一部の高位聖職者。被害者本人だけでなくその家族も長い間苦しみ続けてきました。
フランシスコ教皇様は今回『神への民への書簡』を私たち信徒に書かれました。その中で「被害者とその家族の痛みはわたしたちの痛みでもあります」と書かれています。私もその通りだと思います。
また、当時枢機卿であった教皇ベネディクト十六世の『十字架の道行き』のことばを引用されて、「何とひどい汚れが、教会の中に、また、すべてイエスのものであるはずの司祭たちの間に見られることか。何という傲慢、何という自己満足。……弟子たちの裏切り、イエスの御からだと御血の不謹慎な拝領は、確かに、あがない主の最大の苦痛であり、彼の心を刺し貫くものです。魂のもっとも奥深いところから主イエスに向かって、主よ、あわれんでください、と叫び声をあげるほかありません。『主よ、わたしたちを救ってください』(マタイ8・25参照)」と書かれています。つまり当時(教皇ベネディクトが枢機卿の頃)から、あるいはもっと以前からあのような悪事は高位聖職者方の耳に入っていたのでしょう。
私たちは教会の一部、教会共同体で起こったことは私たちと無関係ではありません。手紙は続きます。「・・・全世界で共同して取り組む必要があります。起こったことを知ることは、回心に向けたあらゆる歩みにとって欠かせない重要なことですが、それだけでは十分ではありません。今日、神の民であるわたしたちは、身も心も傷ついた兄弟姉妹の痛みを身に受けるよう招かれています。・・・わたしたちも、一人ひとりの人間を傷つけるあらゆる出来事を糾弾しなければなりません。連帯するためには、あらゆる種類の堕落、とりわけ霊的な堕落と闘わなければなりません。・・・過去を振り返り、どんなにゆるしを求め、与えた危害を償おうと努めても、決して十分ではありません。こうした事態が二度と繰り返されない文化、隠ぺいし継続させる余地を与えない文化を築くために、未来を見据えながらどんなに努力しても、努力しすぎることはありません。被害者とその家族の痛みはわたしたちの痛みでもあります。だからこそ、弱い立場に置かれた未成年者と大人を守るために尽力しなければならないことを改めて再確認することが緊急に求められているのです。・・・虐待という罪の前で、悔い改めの念と勇敢に立ち向かう決意を表すのに欠かせない回心と内的な塗油の恵みを、聖霊がわたしたちに与えてくださいますように。」
Fr.Zのブログに『司祭のための毎日の祈り』という新しい祈りが載っていました。英語の祈りですがとても良い祈りなので日本語に訳してもらいました。私は二度とあのような犯罪が起きないようにこの『司祭のための毎日の祈り』を毎晩唱えています。
司祭のための毎日の祈り
ブログに色々なことを書いていますが、それはあくまでも私の考えややり方です。私はそれを他の人に押しつけるつもりは毛頭ありません。誤解のないように。
例えばごミサに与る時の服は、仕事に行く途中や帰る途中ならば当然仕事着でしょう。服よりもごミサに与ることの方がはるかに重要ですから。ご聖体拝領も私は口で受けますが、他の人が手で受けても気にしません。ベールは被っても被らなくても、聖変化やご聖体を受けた後に跪いても、立っていても、座っていてもその人の自由です。ごミサの間に体調が悪ければずっと座っていても良いのは当たり前のこと。
私がこうするから他の人も同じようにという気持ちはありません。誤解されないように書くのは難しいですね。
ところで嬉しいニュースです。フランシスコ教皇様が来年日本に行きたいという希望を語られました。実現すれば良いですね。ローマまで行けない人たちは沢山います。その方たちが教皇様を近くに見て、そのごミサに与ることができますように。
今日は「マリアのみ名」の日ですが、私にとっては祝日です。なぜなら私の洗礼名がマリアだから。つまり今日は私のお祝い日です。
ということで、ケーキを作りました。これは自分のための小さくて可愛いケーキです。もちろん家族のためにもそれぞれに作りましたよ。喜びはみんなで一緒に。
「マリアのみ名」の日は日本では軽視されていますが、ヨーロッパではよく知られた日です。
1683年9月12日ポーランドの王ヤン3世ソビェスキはヨーロッパに侵略してきたオスマン帝国軍を阻止するためにヨーロッパ連合軍の指揮官として戦い勝利しました。その戦いの時に自分と兵士たちすべてをマリア様に委ねました。
教皇インノケンティウス11世はこの勝利に感謝して教会で祝い、その後教皇ピオ10世は9月12日を「マリアのみ名」の祝日として定められました。
このことからもわかる通り、海の星マリア様はいつも私たちを照らし、光で導き、マリア様の名を呼ぶ人を守り助けてくださる、主への一番の取次者です。マリア様に願えば必ず主に取り次いでくださいます。もちろんその願いが叶うかどうかは主ご自身がお決めになることですが。でもマリア様は必ず取り次いでくださいます。カナでの結婚式の話を思い出すでしょう。
だからいつもロザリオを祈ります。アヴェマリアの祈りを
ポンチキといえばポーランドのドーナツですが、ロシアでもポンチキというそうです。ただしロシアのポンチキにはジャムは入れずに形もまん丸です。
カロリーたっぷりのポンチキを食べて夏バテした体にエネルギー補給をしましょう。ということで作ってみました。ロシアのポンチキです。
材料
小麦粉 200g. B.P. 小匙 1/2 (粉と一緒にふるう)
卵 2個 砂糖大匙3~5(好みで) 塩 少々 バニラエッセンス
トヴォーログ(カッテージチーズ) 300g. 粉糖 適宜
・トヴォーログの代わりにカッテージチーズを潰してなめらかにする。
・卵、砂糖、塩、バニラエッセンスをまぜたものをカッテージチーズとよく混ぜる。
・そこに粉とB.P.をふるったものを少しずつ加えて混ぜる。
・10分位生地を休ませて、おちつかせる。
・小さなボール状に丸めて油で揚げる。
・冷めたら粉糖をかけて飾る。
レシピを見てわかる通り、砂糖が大匙3と少ないです。ふつうのドーナツの甘さを想像していたらがっかりするかもしれません。が、ほんのり甘いこのドーナツもいけますよ。
チーズが入っているので中はもっちりふんわりで美味しいです。朝食、ブランチ、子どものおやつ、大人のティータイムにお薦めです。
昨日は聖モニカ、今日は聖アウグスチヌス、明日は洗礼者ヨハネの殉教と記念日が続きます。
今日のマタイ福音書を読んで改めてわかりました。キリストはすべての人を招かれましたが、すべての人が招きに応じたわけではありませんでした。そしてキリストは厳しいことも言っています。
そのとき、イエスは言われた。「・・・律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。杯や皿の外側はきれいにするが、内側は強欲と放縦で満ちているからだ。ものの見えないファリサイ派の人々、まず、杯の内側をきれいにせよ。そうすれば、外側もきれいになる。」(マタイ23:25-26)
キリストはすべての人に好かれるために、自分の信徒を増やすために、甘く優しい言葉だけをかけてまわりませんでした。相手が怒ろうが時には厳しいことも言っています。キリストは畑にまかれた種のたとえのように、よい土にしっかりと根を下ろし、陽を浴びてすくすくと成長する種とそうでない種があることを教えています。
永遠のいのち・天の国にすべての人を招いても、その恵みを自ら選ばない人もいることをキリストは知っています(神様だから)。ですからすべての人がキリストに従わないからといって、それはキリスト(神)のせいではなく、キリスト(神)の教え方の失敗でもないでしょう。
キリストは人の子として生まれたましたが私たち人間とは違います。現代はあまりにもキリストの人間性を強調して神性を軽視する傾向があるのではないでしょうか。誤ったいつくしみと愛の結果が何年も隠ぺいされ続けたチリやアメリカ、ドイツ、アイルランド等の事件です。
聖アウグスティヌス教会:聖モニカ礼拝堂
今日は聖バルトロマイ(ナタナエル)使徒の祝日です。イエズス様は彼を見て、「まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない」と言われました。
ところで、先日読んだある神父様のブログに次の一文がありました。
「日曜日のミサは教会全体のためのミサなので、個人やグループのためにミサを捧げることはしないようにしている」
私が日頃から感じていたことでしたので、これではっきりしました。
神父様によっては平日のごミサではなく、わざわざ日曜日のごミサを個人依頼の意向で捧げたり(依頼する方がわざわざ日曜日や教会の祝日にごミサを指定される?)、過去には「Aさんの依頼でBさんのために、Cさんの依頼でEさんのために・・・」というように二つ、三つ、の意向を同時に受けてごミサを捧げる神父様もおられました。
勿論ほとんどの神父様は「日曜日のごミサは教会全体のため」を守り、一つのごミサに二つ以上の意向(ごミサ依頼)は受け付けていません。
聖母の被昇天から8日目の今日は「天の元后聖マリア」の記念日です。聖母マリア様は肉体と霊魂を共に天の栄光に引き上げられ(被昇天)、王であるキリストの栄光にあずかり女王としてたたえられました。そして今も私たちすべての母です。私たちのために天と地の女王として恵みを取り次いてくださいます。
嬉しい時も悲しい時も苦しい時も、そして不安な時にも私たちの母である聖母マリア様に取り次ぎを祈りましょう。私も今までどれほど聖母に守られ助けられたことか。苦しい時、悲しい時にもそれを乗り越える恵みをいただきました。
マリアの御心(みこころ)、わが救いとなり給え。
あわれみの御母(おんはは)、われらのために祈り給え。
わたしの聖母(はは)よ、あなたに信頼します。
わが聖母(はは)よ、わが望み。
み母マリア、いつもわたしの身近にいてください。
無原罪の聖母マリア、私のために祈ってください。
聖母マリア、苦しい時の慰めとなってください。
恵みの母マリア、悪からわたしを守ってください。
慈しみのみ母マリア、臨終の時に迎えてください。
ロザリオの祈りだけでなく、いつも自分の好きな射祷を唱えることはとても良いことだと思います。マリア様にだけでなくイエズス様へ、聖ヨセフ様へ、また守護の天使や守護の聖人、聖霊にいつも短い祈りを捧げることを習慣にしましょう。
林檎のジャズを見るといつも林檎ケーキを作りたくなります。そして林檎とアールグレイの香りが絶妙なバターケーキを作りました。
バターケーキはどちらかというと秋・冬向きのケーキですが、真夏のこの暑さにも合わないことはありません。冷蔵庫で冷たくして食すれば・・・美味しい! リンゴはあらかじめ小さく切り砂糖で煮ておきます。基本のパウンドケーキの作り方と同じです。小麦粉にアールグレイ小さじ2杯を混ぜておくことと、粉を加える前に煮リンゴを入れるだけでOK。焼く時間も170℃で5分、160℃に落として35~40分位と、パウンドケーキを焼く時と同じです。
(写真の色は悪いですが、実物は美味しそうな色です。)
リンゴを煮る時に丁字(クローブ)やシナモンを入れても良いのですが、アールグレイの香りを楽しむために今回は入れませんでした。
もう一つはリンゴを薄切りにして、煮る時にグレナディンシロップを加えます。土台はヤコブのケーキ、その上にリンゴとアンゼリカを飾ると華やかのケーキに。これも美味しい
そのとき、ファリサイ派の人々が近寄り、イエスを試そうとして、「何か理由があれば、夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか」と言った。イエスはお答えになった。「あなたたちは読んだことがないのか。創造主は初めから人を男と女とにお造りになった。」そして、こうも言われた。「それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。だから、二人はもはや別々ではなく、一体である。従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」すると、彼らはイエスに言った。「では、なぜモーセは、離縁状を渡して離縁するように命じたのですか。」イエスは言われた。「あなたたちの心が頑固なので、モーセは妻を離縁することを許したのであって、初めからそうだったわけではない。言っておくが、不法な結婚でもないのに妻を離縁して、他の女を妻にする者は、姦通の罪を犯すことになる。」弟子たちは、「夫婦の間柄がそんなものなら、妻を迎えない方がましです」と言った。イエスは言われた。「だれもがこの言葉を受け入れるのではなく、恵まれた者だけである。結婚できないように生まれついた者、人から結婚できないようにされた者もいるが、天の国のために結婚しない者もいる。これを受け入れることのできる人は受け入れなさい。」
今日の福音朗読(マタイ19・3-12)です。よく世間一般では「カトリックの信者さんは離婚できない」と言われてます。その通りです。でも「カトリックなのに離婚している人もいますよ」という人もいるでしょう。しかしそれは民事上の離婚(役所に離婚届を出す)です。教会では離婚ではなくてそれはただ別居しているだけのことになります。
夫か妻の片方が信者の場合、話は違ってきます(詳しく知りたい方は司祭に訊いてください)。結婚が秘跡であるのは二人共信者である場合、または片方の未信者が後に洗礼を受け二人共信者になった場合です。そしてその時から結婚が秘跡になるのではなくて最初から秘跡になります。
「神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない」と、キリストははっきりと言っています。神様が間違って結び合わせることはないでしょう。
今日は私の所属するAカトリック教会の守護聖人の祝日です。
犠牲のない愛はありません 聖マクシミリアノ・マリア・コルベ
カトリックの国ポーランドも近年アメリカの影響が強くなり、教会離れが起きつつあります。社会主義から解放され、経済が良くなるのに反比例してミサに与る人は減り、召命も減っています。それでもまだ西ヨーロッパに比べればずっとよいかもしれません。厳しい状況や迫害があれば信仰は強くなるのに、緩く甘い楽な時代ほど信仰は薄れ、人間の傲慢がまん延します。
私が学生の頃は今のようにパソコンはなく、外国に友達を作る唯一の方法はペンパル(手紙のやり取り)でした。私もポーランドにペンフレンドがいました。ポーランドはまだソ連の下で社会主義国家と言われていた時代でしたが、私がコルべ神父様について手紙に書いたところ、ペンフレンドからコルベ神父様に関する教会の雑誌が何冊も送られてきました。自国の司祭に関心を持ってくれたのがよほど嬉しかったのでしょう。高い送料を払ってまでコルベ神父様について教えたかったペンフレンドの気持ちがとても嬉しくて印象に残っています。
たとえ社会主義の時代でも信仰を守り伝え続けたポーランド国民を尊敬します。そしてマリア様を愛し殉教された聖コルベ神父様に、どんな苦難の時も信仰によって希望を見出すことができるように主への取り次ぎを願います。
長崎平和記念像
毎年8月の6日と9日が過ぎると、いよいよ終戦(敗戦)の日が近づいてきた気がします。毎年毎年くり返し平和宣言をしても戦争は無くなりません。それでも私たちは平和を願い、言葉にし続けなければなりません。
この時期になると亡き母は戦争が終わった時どれほど嬉しかったかよく話してくれました。戦時中東京にいた母は空襲で友人を失い、やっとの思いで実家にたどり着きました。戦争に負けた悲しみ(?)より、とにかく戦争が終わったという喜びでいっぱいだったそうです。おそらく当時はそのようなことを口にしたら「非国民」と呼ばれたでしょう。
戦争は人を狂わせます。異様な高揚感と利己主義。唯一の被爆国が核兵器禁止に反対している現実。安倍首相は核兵器禁止条約に反対していることについて「日本は核兵器禁止についてのアプローチの仕方が違うので」と言っています。アプローチの仕方?では具体的にどう違うのか、納得できる説明はありません。
首相の言うアプローチが「核抑止力」のことだとしたら、それは「『核兵器のある世界よりも、もっと悪いのは核兵器のない世界だ』と言っているのと同じこと」(スティーブン・リーパー氏の言葉)です。
各国の指導者が心から人の命を何よりも大切に思うなら、平和を望むなら戦争はすでに無くなっているでしょう。
私たちが平和を望むなら、本気でそれを実現しようとする指導者を選ばなければなりません。
1945年9月23日長崎(Fr.Zブログより)
今日の第一朗読の「ダニエル書」について、ラウダーテ(女子パウロ会)の教会カレンダーでは次のように書いてあります。
ダニエル書では、バビロニア ― ペルシア時代のダニエルの信仰の戦いと、預言書の著者の時代とをオーバーラップさせ、後半では自分たちの時代を ダニエルに預言させることにより、(1)神は忠実な信仰者を決して見捨てない。(2)神は必要な知恵と洞察力とを与えてくださる。(3)これらを信頼してどのような困難な時にも最後の勝利を信じ、戦うように、と訴えています。
主は必要な知恵を与えてくださり、主はどんな困難な時でも主を信じる人を見捨てることはなさらない、・・・なんだかほっとした気持ちというか安らぎを得ました。