フランシスコ教皇様がアブダビでごミサをあげました。
YouTube: Pope Francis – Abu Dhabi - Holy Mass videonews 2019-02-05
アラブ首長国連邦の人口の約90%が外国人で、その約120万人がキリスト教徒とのこと。フィリピンやインドなどからの労働者達も多いようです。教皇様がアブダビでごミサをあげられたことはイスラム社会の中で働くキリスト信者たちにとってはとても大きな喜びだったことでしょう。私はそれでも・・・う~ん・・・複雑な思いです。
1862年6月8日教皇ピウス9世によって列聖された日本26聖人殉教者の祝日。私は書きませんが、毎年この日に特に思うことがあります。
今日は26人の聖人たちばかりでなく、日本で迫害を受け苦しまれた人達、殉教された人達、すべての人のために祈ります。そして彼らに取り次ぎを願います。
日本26聖殉教者の信仰を求むる祈り
主イエズス・キリスト、主は十字架の刑によりて、聖ペトロ・バブチスタ、聖パウロ三木、およびその他の殉教者をして、主の御鑑にならわしめ、日本国民の信仰の初穂として、かれらの鮮血を治め給えり。▴願わくは、二十六聖殉教者の御取次によりて、堅固なる信仰と迫害に堪うる勇気とをわれらに得しめ給え。アーメン。(「カトリックの祈り」より)
Candelaria(聖燭祭)、また「マリアの清めの祝日」とも呼ばれている「主の奉献の祝日」は地方によってはクリスマスの終わりでもあります。ローソクを祝福してもらい、フランスではクレープを食べてお祝いします。(今もするのかは知りませんが、この由来は以前ブログに書きました。)
また今日は教皇ヨハネ・パウロ2世が定めた「世界奉献生活者の日」でもあります。ベネディクト16世はある年のこの日に「キリストが修道者を選ばれます。いや、むしろ修道者はあますところなくキリストから捕らえられるのだと言えましょう」と話されました。
先月観想修道院に行く機会がありました。そこの修道女たちの奉献生活はまさにキリストから捕らえられている姿でした。キリストからとても愛されている彼女たちを見てちょっとうらやましく思いました。
教皇様は今日は主に多くの修道者たちの召命を祈り求めるためのよい機会だとも言っておられます。
御召を求むる祈り
主イエズスよ、主はかつて使徒たちに向かいて「穫り入れは多けれども働く者は少なし。故に働く者をその穫り入れに遣わさんことを、穫り入れ主なる御父に祈れ」と宣えり。▴願わくはわれらのうちより、司祭または修道者となりて働く多くの人々を選びて、主の公教会に遣わし給わんことを、われらの母なる童貞聖マリアの御取次によりてこいねがい奉る。アーメン。
使徒の元后、▴わららのために祈り給え。
ミセスユニバースロシア代表のスヴェトラーナ・イサエワさん
美しい49歳の彼女が若さを保つ秘訣を明かしました。
① 笑顔を絶やさない。
② 怒らない。
③ 少食を心がけ、たくさん活動する。
④ できるだけ歩く、あるいは犬を飼い、たくさん散歩する。
⑤ 人生を愛し、不平不満を言わない。
⑥ 過去を振り返ってばかりせず、今、この時を生きる。
⑦ 睡眠をしっかりとる。
⑧ 愛し、愛される存在となる。
(「RUSSIA BEYOND」より)
な~るほど。私が実行していることは⑦だけだから、彼女のように若く見られないのね・・・ってなわけないでしょう!これは土台の違いです。「美しい人はより美しく、そうでない人はそれなりに…(年を取る)」ですね。
確かに彼女の言う「若さを保つ秘訣」の8か条は素晴らしいし、いつまでも美しくいられればそれに越したことはありません。しかし、
「怒らないでいつも笑顔、不平不満は言わずに少食で満足して、よく働き、車は使わず(贅沢せず)に歩くこと。そしてなによりも他人を愛して自分も愛される人となる」。私にしてみればこの事の方が若さを保つよりもずっとずっと難しそうに思えます。私は今日も眉間にしわを寄せて不満をブツブツ・・・老けてゆくばかり・・
Don Bosco (ボスコ神父1815~1888年)はあまりにも有名で、わずか200年余り前の聖人です。
自分自身が貧しさの中で育ちとても苦労したので、貧しい子どもたちのことをよく理解できました。子たちが誰でも教育を受けて技術を身に着けられるように奔走し、後にサレジオ会を作り、会は青少年の教育のために世界中に学校を作りました。日本にもサレジオ会が作った学校がいくつかあります。また出版業のドン・ボスコ社もあります。
ドン・ボスコはお父さん(早くに亡くなりましたが)、お母さん兄弟の愛をいっぱいに受けて心はとても豊かでした。しかし今のある子どもたちは愛の貧しさに苦しんでいます。家庭内で居場所のない子ども、親からの虐待、心が空っぽで希望のない子どもたち。経済的貧困よりも愛情の貧困の方が深刻な問題かもしれません。
ドン・ボスコは普通の教育(読み書きや計算等)だけではなくキリストの教え=愛を子どもたちに教えました。むしろこちらの方が大切だったでしょう。キリストは愛ですから「愛の教え」です。愛を知っている子どもが大人になれば愛を知っている大人になります。やがて愛の家庭を築きます。
YouTube: O Salutaris Hostia - Catholic Eucharistic Hymns
聖トマス・アクイナスの記念日が今年もきました。聖トマス・アクイナスといえば『神学大全』。以前これの易しい解説本はないかと書きました。すると娘が『トマス・アクイナス・理性と神秘』(山本芳久著)という本を持って来てくれました。「この本は優しいし、弟がトマスの研究に惹かれる気持ちがわかる」と言っていたので読み始めました。
確かに易しく書いてあります。しかし哲学の基礎のない私には簡単ではありません。ゆっくりと同じところを何度も読み返しながら読み進んでいる状態です。
本を読むのは楽しいですね。以前「欲しい物は買わない。必要な物を買う」と書きましたが、本を買う時に一番悩みます。『この本は本当に必要か?ただ単に欲しいだけか?』と。ほとんどの場合「必要」と思って買うのですが、いつも後悔するのは小説の類です。しかし聖人に関する本や典礼、祈り、説教集、回勅などは心と信仰の糧となるのでいつも買ってよかったと満足しています。
「学ぶ」という点では私も生涯学生です。
聖パウロの回心は毎年私自身の回心を思い起こさせます。聖パウロのように劇的ではなく、キリスト教を迫害していたわけでもありません。でも今ほど熱心でなかった私を主は確かに回心へと導いてくださいました。聖霊のお恵みをたくさんいただいたことは確かです。
聖パウロの回心は遠い過去の自分とは関係のないことではなく、主と結ばれている人ならだれでも起こり得ることです。
例えばいつも朝の祈りをしない人が、朝一番に主に祈り一日を始めるようになる、日曜日に教会へ行かなかった人が、主と出会うために教会へ行くようになる。自分の子どもに信仰教育をしていない親が子どもにキリストや聖書について話すようになる・・・。たとえそれが小さな回心であっても、それは主からの聖霊のお恵みです。回心の恵みを主に願うことは良いことでしょう。自分の力だけではできないことは主が必ず助けてくださいます。
聖パウロ
あまりの良いお天気に誘われて牧場へところが牧場はメンテナンスのために明後日までお休み。そこでもうすぐ閉園になるまほろばの里へ。店じまいセール10%~30%引きとありましたが、買いたい物はなく見るだけに。
時間があったのでいつもは通り過ぎている竜馬とお龍の新婚旅行の地「塩浸温泉・竜馬公園」にも寄りました。温泉に入る予定はなかったので二人の銅像を見ただけ。他に何もなくて・・・。
最後にご聖体訪問のため教会へ。やはり司祭が留守なので閉まっていました。思う通りには行かない一日でした。お天気が良くて暖かかったのと、行く途中でレターレを買えたことが良かったかな。
シスターたちが祈りを込めて作った美味し~いレタ~レ
見終わって突っ込みたい所は色々とあるのですが、これはあくまでもフィクション、作られた話なので止めておきます。ただし「史実に基づき制作された」とあるので、これだけは書いておこうかな。
聖書に登場する三人の賢者は一般にはメルキオール、バルタザール、カスパールと名付けられていますが、聖画では一人の賢者は肌の黒い人として描かれています。カトリックでは黒い肌でも賢者。黒い肌の聖人もいますよ。
キリストは人間の姿でこの世に生まれました。まさしく人間です。そして同時に神の子です。父と子と聖霊三位一体の神であるということ。ドラマでは人間としてのイエズスの姿しか見えませんでした。
他人から強要されたり、他の目的のための洗礼は無効です。本人がキリストを心から信じ、本人自身が望んだ洗礼でなければなりません。神をだますことはできませんから。
後に司祭となった三人、日本で殉教した中浦ジュリアンと病死した伊藤マンショ、マカオで亡くなった原マルティノの強く篤い信仰は遣欧の旅によってどのように育まれたのかをもっと深く知りたかったのですが、このドラマでは無理でした。残念です。
今日祇園之洲(聖フランシスコ・ザビエルが日本に上陸した地)へ行ってきました。
私は聖フランシスコの像を見て、『イエズス会士の聖フランシスコは自分が日本に伝えたキリスト教の今の姿をどのような思いで見ているのか・・・』と、ふとそんなことを考えました。
聖イグナチオ・デ・ロヨラと聖フランシスコ・ザビエルをはじめとする6人の聖なる仲間たちは「神のより大いなる栄光のために」(Ad Majorem Dei Gloriam) をモットーにイエズス会を創設しました。その精神は今も変わらず生きています。自分の名誉や栄光ではなく神の栄光のために命を懸けたイエズス会士がいたことを忘れません。
明日19日は「イエズス会67殉教者」記念日です。四つの異なる時代、1570年、1593年、1619年、1792年(信長の時代から江戸時代)にカナリヤ諸島、フランス、ベルギー、そしてフランス革命でイエズス会士67人が殉教しました。これはドラマを見た後の私がイエズス会士についての真実を知るよい機会となりました。
「MAGI」第5話まで見ましたが、・・・やはり予想通り・・・といった感じです。あくまでもフィクションなのでドラマティックな作品です。しかし5話まで見る限り信仰についての深い洞察はありません。がっかりしました。残りの5話も見ますが、もう少しカトリック信仰を掘り下げた作品であることを期待します。
アマゾンプライムは映画館に出かけない私にとってとても重宝しています。映画のチケット代を考えると、会費を払ってプライムビデオや映画を見る方が経済的なので。
そのアマゾンで今月17日から『天正遣欧少年使節団』の話がドラマ化(全10話)されて配信されるそうです。180以上の国と地域に同時配信されるとのこと。
日本で作られたドラマなので信徒から見ると「あれっ?」と、首をかしげる場面があるかもしれませんね。どんな出来栄えなのか楽しみです。そして何よりも日本のカトリックの歴史を知らない多くの人たちが見てくださることを期待します。
ただしこのドラマはAmazon の Prime 会員にならなければ見ることができません。会員でない方はどうするか・・・年会費を払って会員になるかそれともあきらめるか・・・決断してください。
ロシアでの神現祭=主の洗礼祭の模様です。ロシア正教ではこの日氷の張った冷たい水の中に入ります。去年の神現祭、ロシア正教徒でもあるプーチン大統領も氷点下5度の水にご覧の通り↓⇩↓
さて本題の「キリストの洗礼」について。毎年同じことを書いているような・・・。
・・・イエズスも洗礼を受けられたが、そのとき祈られると、天は開け、聖霊ははとのような形をとってその上に下り、『あなたはわたしの喜びとする私の愛する子である』言う声が天から聞こえた。(ルカ3;21~22)」と聖書に記されているように、イエズスが神の子としてはっきりと現されるためでした。そしてイエズスが神の子として神のメッセージを伝える預言者としての活動をはじめることをはっきりとあらわしています。
If we have been born into troubling times, then we are precisely where we are to play our role. We are in the right place and the right time. Trust in God’s divine providence. He knows what he is doing.
And I will remind you that we weren’t promised a bed of roses when we were baptized. We who are Christ’s disciples will all drink at least some drops of the chalice He drank on Calvary. It is our task to be faithful, brave and persevere.(Fr.Z)
Fr.Zにある信徒から「フランシスコ教皇が教会の長であると信じるのは困難です」という趣旨の相談が寄せられ、Fr.Zが丁寧な長い答えを書いています。上記の文章はFr.Zの答えの最後の部分です。
確かに教会にとって、私たちにとって今の時代は大変です。でもFr.Zも言っているように今よりももっともっと悪い時代がありました。今と比較にならない異端の猛威、教会への攻撃、聖職者(教皇を含め)の腐敗等々。しかしいくら悪によって教会をつぶそうとしても真理の教会は残っています。そしてこれからも滅び去ることはありません。それは主が悪に負けることは絶対にないからです。
私たちは悪魔が望む通り不安になったり、不信を持ったり、教会を離れるのではなく、Fr.Zが言っているようにキリストに忠実に、勇敢にそして辛抱強くなることが今の私たちの務めだと思います。
教皇様のための祈り
わたしたちの至福なる教皇フランシスコのために祈りましょう。
主が教皇を守り、命を永らえさせ、地上において幸福にし、
敵の悪企みにお任せになりませんように。アーメン。
神よ、教皇フランシスコを守り、強めてください。
移り変わりの激しい世にあって、教皇が私の信仰をかため、
いつも変わることのないあなたのことばを
ふさわしく説き明かすことができるように導いてください。
永遠の牧者であるキリストよ、あなたは教会を建て、
その頭としてペトロを選びました。
ペトロの後継者である教皇のことばを
素直に受け入れる心を、わたしたちにお与えください。
アーメン。
初めて焼いたロシアのケーキ「マコーヴニク」です。けしの実をたっぷり使い、しかもバターを使わないので軽くて簡単に作れます。
材料:小麦粉120g. 砂糖100g. けしの実110g. B.P.小匙1 卵4個 植物油30ml 牛乳40ml バニラエッセンス適宜 塩ひとつまみ
味の方は・・・特別に美味しいというわけではなく、けしの実のプチプチ食感と見た目の珍しさが特徴です。このケーキはクリスマスではなくイースターケーキなので復活祭に作ると良いですよ。
写真のフルーツケーキはもう30年以上前にカテキスタ会のシスターに教わったレシピで作っています。彼女は私の3本分の量を1本の大きな型で焼いていました。おそらくドイツサイズだと思います。
クリスマスと復活祭はこのケーキでお祝いするのが我が家の習慣。日持ちするので、降誕節や復活節の間も食べ続けられます。
博士を乗せて どこまで行くの
星を目当てに ベトレヘムへ ~
もう主の公現です。あっという間にクリスマスのお祝いも終わろうとしています。ちょっと寂しい気もします。でもこれからイエズス様を通して神の顕現「主の洗礼」が続きます。どんどん主の光に包まれていくような気持ちです
3人の博士たちの捧げ物は黄金・乳香・没薬でした。この黄金について最近聞いた話があります。聖家族がエジプトへ逃れる時、この黄金はその旅費として家族を支えたであろうと。確かに納得のいくことです。黄金は王権、乳香は神性をそして没薬は十字架上での受難を象徴していますが、同時にこれらの品々は実際の生活にも役立ったはずです。つまり聖家族は天主に特別に守られていたということでしょう。
今朝は修道院のごミサに与り、午後はゆっくりとYouTubeを見て過ごしています。
12月29日にあった司祭叙階式、31日にあったヴァチカンでのTe Deumなどを見ています。
毎年12月31日は主への感謝「Te Deum」があります(日本では無い)が、ヴァチカンでの入祭と閉祭の歌は「Adeste Fideles」でした。31日と言ってもクリスマスのお祝い中なので、入祭・閉祭にピッタリの曲ですね。特に日本語の歌詞では「来たれ友よすべての友、喜びつどえベトレヘムに・・・」と歌います。教会に集う人々と重なりますね。
下の動画は12月29日の叙階式です。当日行けなかった方はこちらをどうぞ!