今日の天気予報は曇りと微妙でした。連休中どこへも出かけなかったので、夫の体調が良い今日は、今が見頃のバラ園へ行くことにしました。少しずつ青空が見えてきて、バラ園に着いた頃は雲と青空が半々ぐらいの気持ちの良いお天気になりました。
バラの花は今年も見事に咲きほこり、暗いニュースばかり聞いていて重くなっていた私の心を明るく軽くしてくれます。
故意に戦争を長引かせようとしているとしか見えない各国の指導者たち。戦争で利を得る人たちもいます・・・でも神様は人の心の奥底まですべて見ておられますよ。神様はバラの花にも心をかけてこのように美しく咲かせてくださいます。ましてや人にはもっともっと心をかけておられます。人がお互いを殺し合い傷つけ合うことは神様の愛から離れることです。
自分が信仰を持っていない人は「宗教」に対して拒否反応を示す人が多いです。自分には「宗教なんて必要ない」という人もいます。本当にそれで幸せですか?
コンプリ神父様が四つの質問に答えています。最後の質問は「性同一性障害」についてです。これらの質問の答えを聞くと、カトリックの教えをより一層わかりやすく理解できます。
YouTube: 【人間としての哲学講座】質問に答える 1 幸せとは何でしょうか
YouTube: 【人間としての哲学講座】質問に答える 2 洗脳による不自由
YouTube: EUの差別的政策 ウクライナ難民への人道的対応で明らかに
国境なき医師団からの報告:世界では8200万人を超える人びとが、紛争や迫害、自然災害などで住む家を追われ、難民や国内避難民として避難を余儀なくされている(2020年 国連難民高等弁務官事務所)。これは世界の人口の95人に1人、つまり約1%に相当する。 忘れられているというよりも無視されている難民たち。エチオピア,アフガ二スタ、リビア、シリア、ベネズエラ、イエメン等々その他にも多くの国の人々が戦火を逃れ、迫害を逃れて避難民となっています。もう何年間も劣悪な環境の難民キャンプで生活している人達もいます。この人たちのこともどうか忘れないでください。
今日は復活節第3主日と同時に労働者聖ヨセフの記念日でもあります。
以前教皇様は、「神はご自身に協力する者となるよう、ご自身の活動・仕事を人間に託されました。人間の労働は神から受けとった召命であり、仕事を通して創造することで、人を神に似た者とします。」と話されました。
労働とはヨセフ様の大工仕事、マリア様の家事や育児を始め農業、漁業、林業、医療福祉、教育、警察・消防、建設業、サービス業等々すべての仕事です。そしてすべての労働者の尊厳は守られなければなりません。
ヨセフ様は家族のために大工仕事に励み、マリア様も家族のために家庭の中で働きました。今の時代多くの女性は「家庭での家事や育児は自分の時間を奪い、自由を奪う」と思っているようですが、マリア様は家族の幸せのために働けることが喜び、家族のためにこそ自分の時間を使いたいと思っておられたようです。そして今、マリア様のように家事や育児を大切な労働と考えて、それを選ぶ女性(専業主婦とも言います)もいることを忘れないでほしいです。家庭での家事や育児も素晴らしい仕事です。
YouTube: ROMA - Basilica di Santa Maria Sopra Minerva
⇧ 聖カタリナが埋葬されているローマの「サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ大聖堂」です。ドミニコ会のこの教会には私の大好きな画家フラ・アンジェリコも埋葬されています。またカラファ礼拝堂は私が尊敬する聖トマス・アクイナスの礼拝堂と呼ばれていて、そこには聖トマスが描かれていますし、実際1511年までは彼の遺骨が埋葬されていました。
聖カタリナの遺体はこの大聖堂に埋葬されていますが、頭部だけはシエナの聖ドメニコ大聖堂にあります。(聖カタリナについては2017年、2020年の4月29日のブログにも書いてあります。)
天気予報を見ると、今日のお日様は続かないようで明日は雨マーク。夫の体調はだいぶ良くなりどこかへ出かけたい様子。夫は自然の中にいるだけで心が休まる人なので、急きょ牧場へ出かけることにしました。急いでお弁当を作って、お気に入りのCDとカメラを持っていざ出発。途中鮮やかな紫色の藤の花や色々な色のツツジをいっぱい目にしました。
今日は羊が沢山放されていました。羊たちがのんびりと草を食む姿を見ていて、平和と命を実感しながら、かつての日本の「欲しがりません勝つまでは」という言葉が頭に浮かびました。こんな言葉が頭に浮かぶなんておかしいでしょう。平和はすぐそこにあるのに、勝ちにこだわり平和を逃してしまう人・・・。悲しいです。
さて、平日なのに赤ちゃんや小さな子どもを連れた若い家族が結構見られました(ここにも平和)。牧場の売店でいつもの通りチーズとソーセージそしてパンを買いました。どれも美味しそう!
別のお店で夫に買ってもらったピアス⇧です。
私は途中少しだけ運転をして、残りは夫がしました。帰宅後夫は少し疲れたみたいでしたが、「行って良かった!とても良かった!」と言ってくれたので、私も幸せな一日でした。
私たちの救い主イエズス・キリストのご復活おめでとうございます!
信者にとって一年間で最も大切な祭日である復活祭です。そして喜びも七の七倍です。
子どもたちもそれぞれのカトリック教会でご復活の主日をお祝いしていることでしょう。私たち家族は離れて生活していても、いつも信仰で結ばれているので幸せです。
今月の24日は東方教会のパスハ(復活大祭)です。とにかく願うことは一つ、ウクライナギリシャカトリック教会とロシア正教会、東方教会のすべての人がキリストに心を向けて平和のうちにこの復活大祭を祝えますように!
私たちは〇〇人である前に、キリストに結ばれているキリストの民であり兄弟姉妹、キリスト者であることを思い起こさせてください。アーメン。
ポーランドのピエロギ、ウクライナの卵そしてロシアのクリーチ
今から約40年近く前に書かれた本ですが、現代にも通じる内容です。というよりも、すでにあの時代に問題提起されていたのに、何も手を打たずに今に至っているというのが現状でしょう。あの頃よりももっと信徒は減り、聖職者への召し出しも減り、逆に閉める教会は増え、カトリック経営の学校・幼稚園の廃校廃園も増えました。尻枝神父様が危惧された通りになりました。
是非この本を読まれることをお薦めします。今のカトリック教会の危機を脱する方法として、「楽しいミサにしましょう」とか「世間に合わせて教会も変えましょう」、「今までの古い教えを新しく変えましょう」とか、全く間違った方法を耳にします。これではますます信徒も召出しも減っていくでしょう。あの頃に神父様の考えを聖職者の皆さん方がもっと真摯に聞いていたら、教会はこのような状態にまではならなかったと思います。
本を販売しているサイト「paradise」です。⇩
YouTube: ЗАПОЮТ АКАФИСТ СОЛОВЬИ | АРТ ГРУППА ЛАРГО
以前紹介した尻枝神父様の著書『永遠の今をを生きる』の中に、ルフェーブル大司教様の問題について書かれていました。当時ヴァチカンで働いておられた神父様はこの問題をより身近に受け止められていたことでしょう。
ルフェーブル大司教様は「私の意志はそのまま神の意志である」と言ってはばからなかったり、また第二ヴァチカン公会議を異端と決めつけました。尻枝神父様は「もっと謙遜な人間であってほしかった。少なくとも教皇様のことばには従ってもらいたかった」と。そして「私はパパ様の近くにあって、その御心痛のほどを目の当たりにしました」と書いておられます。
しかし同時にこうも書かれています。
・ ルフェーブル事件は、カトリック教会に大きな反省を促す機会を与えてくれました。・・・もし第二ヴァチカン公会議後の行き過ぎや誤謬や脱線がなかったならば、恐らくルフェーブルの異端(当時そう言われていた)も生まれなかったでしょう。
・ 公会議後の典礼改革のもたらした多くの利点を否定するつもりは毛頭ありません。それでもなお、次の点について真剣に問うてみる必要があると思います。①公会議後の典礼改革は、ある点で、それは典礼の低俗化であり、改悪ではなかったか。②典礼文の邦訳や、祭儀の単純化(日本では跪くとか額ずくといった動作が、すべて廃止された)は、どの点まで、司牧的にまた霊的に賢明であり、有効であったのか。③典礼の合理化や平明化は、逆に典礼行為を通して現れる神の行為の神秘を感じさせなくなってはいないか。
・ まことに神秘の体験こそ、可視的な典礼行為を通して、そこに目に見えず、手に触れられない神の現存と、その救いの業を、私たちに感得させる超自然的アンテナだからです。・・・ルフェーブル派がラテン語ミサに固執するのは、まさにそこにある沈黙と神秘の体験を重んじたからです。
・ 『典礼憲章』は明らかにラテン典礼におけるラテン語ミサの重要性を述べ(36)、信者たちがミサの共唱部分をラテン語で唱え、また歌えるよう教育する必要を説いています(54)。にもかかわらず現在、ラテン語のミサが唱えられ、グレゴリアン聖歌が歌われることは先ずありません。
・ エキュメニズム、諸宗教対話などで、他宗教、宗派の人々を尊敬することが、キリスト教の真理の相対化やぼかしに繋がってはならないのです。・・・つい日本人的な感性に押し流されて、キリストの真理をゆがめたり、薄めたり、黙したりしてしまいます。それは安易な妥協であり、信仰の裏切り以外の何ものでもありません。・・・対話、対話と言って喜んでこの世に迎合し、カトリックの真理をぼかしてしまう危険を憂えたルフェーブル大司教は、カトリックの真理の絶対性を揚げて、宗教対話やエキュメニズムに断固反対したわけです。しかし真理をうやむやにする対話は決してヴァチカン公会議が力説している対話ではありません。
・ 私たちの犯した過ちを改めてゆけば、ルフェーブル派の分裂の原因を取り除くことになります。
尻枝神父様の書かれたこの内容は日頃から私が考えていたことを見事に言い当てています。特にヴァチカン公会議賛成派の逸脱した典礼には胸の痛む思いでした。ミサ典礼が平明化されるとそれに伴って説教の内容も⤵。しまいには「説教は重要ではない」とまで言われて、私はショックを受けました。
公会議後召出しも信徒数も減る一方ですね。尻枝神父様のようによく考え、間違いを反省して改めようとする人が増えない限り、カトリック教会はもっと減り続けるでしょう。
YouTube: 【名曲解説】チャイコフスキー:序曲「1812年」!戦争の影響で演奏中止が相次ぐこの名曲はいったいどんな曲なのか?この曲はロシアの勝利を表した曲なのか?
「ロシアは悪」というイメージを徐々に刷り込まれ、良識のない人はロシア人への個人攻撃までする始末です。チャイコフスキーの序曲だけですめばよいのですが、連日のマスコミ報道を聞いていると、これからもっとエスカレートしていくようで怖いですね。
ウクライナの今の大統領が就任した時にロシアの大統領は会って話し合いたいと申し出ましたが拒否されました。あの頃から二国間の関係にはずれが生じ始めていたように思います。
YouTube: ЦАРИЦЕ НЕБЕСНАЯ АРТ ГРУППА ЛАРГО
ウクライナとロシアの戦争を一歩引いて冷静に考えてみましょう。
武器を使って殺戮することは最悪なことです。戦争は悪です。武力で相手国をねじ伏せるのは悪です。誰でもわかる当たり前のことです。勿論ロシアだってよくわかっていることです。だれもこんな事はしたくありません。しかし、NATO軍やアメリカ軍が協力してくれると思いこみ、ロシアを挑発し続けたウクライナ。それに忍耐しきれずに武力侵攻という苦渋の選択をしてしまったロシア。しかし今のアメリカや西側からの報道を見聞きすると一方は正義、一方は悪だけの構図しか見えません。
ロシアがウクライナに侵攻するまでの歴史や正確な経緯を把握しなければなりません。またウクライナは多民族国家です。ウクライナ人だけでなくロシア人もポーランド人もたくさん住んでいます。それらの人たちの今までの生活もよく知ったうえで冷静に判断すべきでしょう。
イラン・イラク戦争の時、私たちはアメリカやイギリスの報道だけを信じて、フセイン大統領を嘘つきで化学兵器を使おうとする極悪非道な人だと信じこみました。
日本の歴史もよく考えてみましょう。太平洋戦争に至るまでの経緯、終戦を迎えるまでの経緯、そして戦争中のマスコミの報道のあり方。
「戦争は悪です。正しい戦争などありません」と、教皇ヨハネパウロ二世も言っています。ロシアは侵攻を直ちにやめ、ウクライナも武器を置きましょう。両国ともお互いキリストの教えに立ちかえり、回心して殺し合うことを止めましょう。フランシスコ教皇様はウクライナだけでなくロシアのためにも祈りましょうと呼びかけています。
レターレも過ぎて、四旬節も半分以上経ちました。だんだんとご復活祭が近づいています。洗礼志願者と共にキリストの教えを学び直すのも良い機会かもしれません。
ガエタノ・コンプリ神父様がYouTubeで「カトリック入門講座」を始めておられます。カトリックになんとなく興味を持っている方、カトリックについてもっと知りたいけれど近くにカトリック教会がない方のために神父様が始められた講座です。とてもわかりやすく私も改めて学び直しています。
最初は講座を始める前のカトリックについてのお話し『カトリックとは』、次からは実際の入門講座が始まります。ここでは2講座だけ載せましたが是非続けてみてください。この講座に出会えたのも神様からのお恵みです。せっかくいただいたこのお恵みを活かしてください。
聖フランシスコ病院修道女会の誓願式ミサでの酒井司教様の説教です。その内容がとても良かったので皆さんにも聴いてもらいたいと思います。従順・清貧・貞潔の中で一番難しいのが従順だと聞いたことがあります。私もそう思います。司教様のお話しを聴いて、「なるほど」と納得したのですが、いざ行動となると・・・喜んで心から従う・・・本当に難しいですね。 私には主の助けも必要です。
最後のヴェトナム語でのお話も胸にジーンときました。
今日3月25日は「み言葉が人となられ、マリア様の胎内に宿られた」ことを祝う「神のお告げ」の祭日です。もちろん東方教会でも祝われます。東方教会では「生神女福音祭」といって4月7日が祭日になります。ギリシャ、ロシア、ウクライナなどすべての東方教会とすべてのカトリック教会は、このマリア様が聖霊によって身ごもられたこと(み言葉の受肉)と、それをマリア様が受け入れられたことをとても大切なこととして祝います。
多くの画家たちを感動させたこの題材の作品は西方東方共に数多くあります。西方では何といっても修道士アンジェリコの作品が素晴らしいですね。
4月17日はカトリック教会の復活祭、24日は東方教会の復活祭(パスハ)です。24日までにはウクライナ大統領もロシア大統領も共に武器を置きキリストの復活を祝っていることを願います。
他国はこれ以上戦いを長引かせるような武器の援助等はやめるように願います。戦争は勝ち負けよりも終わらせることが大切です。日本はかつての戦争で経験してよくわかっているはずです。ウクライナが日本の二の舞とならないことを祈ります。私の母は終戦の日について「戦争に負けたことよりも、これでもう空襲がないことが嬉しかった」と話していました。当時なら「非国民」と言われて、このようなことは口にはできなかったでしょう。ウクライナの人達の中にも私の母と同じ思いの人が沢山おられると思います。
2016年5月 ウクライナ・キエフ
最近買った本3冊の紹介です。
3冊ともまだ読み始めてはいません。一冊目の『受胎告知』は有名な美術評論家の高階先生が書かれています。どの程度カトリックの教えに忠実な解説かはわかりませんが、今月の25日が「神のお告げ」の祭日なので読んでみようと思いました。信仰の上で書かれたものと、そうでないものとにはよく隔たり(違和感?)があるので、先ずは読んでみようと思います。
2冊目の『フラ・アンジェリコ』は私の大好きな画家の一人です。この本はフラ・アンジェリコが描いた作品の写真が豊富に掲載されています。修道士としてのアンジェリコについてももっと知りたいので、期待大の一冊です。
最後はサレジオ会の尻枝神父様が書かれた本です。私の亡くなった母から聞いたのですが、母は尻枝神父様をカトリック都城教会で知っていたそうです。とは言っても当時は神父様はまだ中学生ぐらいだったとか。ヴァチカンで長い間働かれた神父様が、この本を通してどんなことを私に教えてくださるのか、読むのが楽しみです。