キリストの聖体(祭)~再びご聖体拝領について
今日は「三位一体」の後の木曜日、「キリストの聖体」の祭日です。
ポーランドのある司祭の叙階25周年記念ミサです。ご聖体拝領を見てみましょう。動画は1:21:00頃からです。
YouTube: JUBILEUSZ 25 LECIA KAPŁAŃSTWA KS. PROBOSZCZA MIROSŁAWA FRANKOWSKIEGO
これを見るとやはりひざまずいて舌で受けるのが良いですね。カトリック教会は長い間このようにしてきました。私が初聖体を受けた時にも同じでした。立ったままで手で受けるのは受け取る側にとってはとても楽ですが、キリストへの崇拝を思うとひざまずいて舌で受ける方がふさわしい姿だと思うのですが。(心は形に現れる?)残念ながら多くの人たちはそうは思わないようです。
聖体に対する聖トマス・アクィナスの祈り[Adoro Te devote](文語)
パンの形色のうちにまことにまします隠れ給う天主、今うやうやしく御前に礼拝し奉る。われは主を認むる力足らざるにより、わが心を全く主に従わせ奉る。
▴ここに今、見、触れ、味わうところのみにては、これが主なることを認め難けれども、ただ耳に聞けるところによりて確信するなり。われは天主の御子ののたまいしことを、ことごとく信じ奉る。この真理の言葉にまさるまことは、世にあることなし。
十字架上にては天主の性のみ隠れしかど、ここにては人たるの性も共に隠るるなり。されどわれ二つの性の共にましましすを信じ、かつこれを公言し、カルワリオにて悔改めし盗賊の願いしことをわれもまた願い奉る。
▴われはトマの如く御傷を見ざれども、主のわが天主なることを公言してはばからず。願わくは、われをして主をますますあつく信じ、主に依り頼み、主を愛することを得しめ給え。
わが主の御死去の記念として人に命を与うる活けるパンよ、わが心を御身によりて生きながらえしめ、何時もその甘美なる味を覚ゆるを得しめ給え。
▴御血の一滴くをもってしても、世のすべての罪を償うを得給う主なるイエズス、願わくは汚れたるわれを、御血をもって清め給え。
聖体の姿のうちに見奉るイエズス、願わくはわが渇するごとく望むところを与え給え。即ち天国においてあらわに主の御顔を見奉り、御栄えを仰ぎて幸いなるを得しめ給え。アーメン。
聖体に対する聖トマス・アクィナスの祈り(口語)
パンとぶどう酒の形のもとに、隠れておられる神よ、つつしんであなたを礼拝します。
あなたを見つめながらも、全く見通す力のないわたしは、心のすべてをあなたに委ねます。
▴今ここに、見るところ、触れるところ、味わうところでは、あなたを認めることができません。
ただ、聞くところによってのみ確信します。神の御子の言われたことは、何ごとであれ
信じます。この真理のことばにまさることは、世にはないからです。
十字架上では神の本性だけが隠されていましたが、ここではその人性も隠されています。
主にあるふたつの本性を信じ、それを宣言し、悔い改めた盗賊の乞い願ったことを
わたしも願います。
▴わたしは使徒聖トマスのように御傷を見なくとも、あなたがわたしの主であることを
宣言します。わたしがあなたをますます深く信じ、あなたに希望し、あなたを愛させて
ください。
主のご死去の記念として、人に命を与える生きたパン、わたしの心をあなたによって生かし、
甘美なあなたを常に味わわせてください。
▴御血のひとしずくだけで、世のすべての罪を償うことのできる主イエス、願わくは汚れた
わたしを、御血をもって清めてください。
今、隠れていますイエス、渇き望むものを与えてください。覆いを取られた、あなたの顔を
見出し、あなたの栄光を見る幸いな者となりますように。アーメン。