思い煩うことなかれ
マタイによる福音書 (6章33~34節)
まず、神の国とそのみ旨を行う生活を求めなさい。そうすれば、これらのものも皆、加えて、あなたがたに与えられるであろう。だから、あすのことを思い煩ってはならない。あすのことは、あす思い煩えばよい。その日の労苦は、その日だけで十分である。
最近思い煩うことは、カトリック教会の教えを曲解・歪曲して教えられること。例えば「昔はこう教えられましたが今は違います」と話されると、カトリックの教えは不変のはずなのに、カトリック教会の真の教えやイエズス様のみ心、マリア様のみ心(偽出現を含め)の理解は変わるのでしょうか?
マタイの福音書に書かれている「今日何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようか・・・」と言う悩みはありませんが、イエズス様の教え、聖書に書かれていること、カトリック教会の教えについてこれから教会はどうなっていくのだろうという不安はあります。
この事について夫と何度も話してみて学びました。これらのことを思い煩うのは愚かなことだと。カテキズムにははっきり書かれています。また何よりも主はこの現実を知っておられます。最後の審判を下されるのは主なのですから、私が思い煩うことはありません。他人の言動に一喜一憂するのではなく、ただ秘跡を大切にして、「神の国とそのみ旨を行う生活」を求め続ければよいということに気づかされました。